25、幼馴染と再会したユリアーネ
「あった! これじゃないですか?」
ユリアーネは一つの図を指し示す。
ここは図書館。ユリアーネとアルベルトは今日もカフスに刻まれた模様を調べていた。
今日は有力な情報をゲットしたのだ。今まで調べていたのは通常の貴族の家紋だったのだが、新しく家を興したり陞爵された家など新規の家紋は貴族年鑑の最後に載っていると司書に教えてもらったのだ。そういう訳で最近の貴族年鑑を調べていたのだった。その家紋は二十年前の貴族年鑑に載っていた。
「ロンメル男爵家か、調べてみよう」
アルベルトが呟く。ロンメル男爵がどういう人物なのかユリアーネには覚えがない。もっともユリアーネには王都の貴族に知り合いなどほとんどいない。王子妃教育により主要貴族の名前だけは頭に入っているが、会った人物は本当に限られている。
騎士団に戻ってロンメル男爵なる人物の調査を部下に申し付けるとアルベルトは通常業務に戻った。
書類仕事にアルベルトもユリアーネも飽き飽きした頃、事務官から知らせがあった。
「魔獣討伐に行っていた黒の騎士団が帰ってまいりました」
「そうか、すぐ行く」
アルベルトはユリアーネを伴って足取り軽く黒の棟に赴いた。
「みんな、ご苦労だった。今日は俺が一杯奢るぞ」
アルベルトが労うと黒の騎士たちは一斉に騎士の礼をした後に歓声を上げた。
(ん? んんん?)ユリアーネはその中の一人、黒の師団長の隣りに立つ人物から目が離せない。
(まさか? え? そんなはずは? でも……)物凄く見覚えのある人物だった。会うのは五年ぶり。でもユリアーネが彼を見間違う筈はない。物心ついたときから一緒に育ってきたのだ。それに……前髪の一部が銀色の漆黒の髪は彼以外に見たことがない。正確には彼と彼の父親であるラウレンツ以外は。
(ディルク……よね? どうしてこんなところに? 辺境にいるんじゃなかったの?)ヴァルツァー辺境伯の片翼、ラウレンツの息子、ユリアーネの幼馴染にして好敵手、頼れる副官のディルクの姿をユリアーネはまじまじと見た。
(大きくなったわね。それに随分逞しくなったわ)ちょっと悔し気にユリアーネは心の中で呟いた。五年前はユリアーネより頭半分ほど大きかったディルクだが、今ユリアーネが隣に並んだらユリアーネの頭はディルクの胸辺りまでしか届かないであろう。胸板も随分厚くなった。顔は……顔立ちにはあまりユリアーネは興味がない。大人の顔になったなと思うだけだ。大人になったディルクが、整った顔立ちとクールな雰囲気、一部銀髪の髪色が神秘的だと令嬢たちに『月下の騎士様』などと異名を付けられ憧れられているなどユリアーネは思いもよらないだろう。
そのディルクは黒の師団長の隣りで無表情に立っていた。ユリアーネの方をちらりとも見ないディルクにユリアーネは少々寂しさを覚えた。
以前もアルベルトに連れて行ってもらった酒場は喧騒に包まれている。
「今日の支払いは俺持ちだ。みんな存分に飲んで食えよ!」
アルベルトの言葉に歓声が上がる。ユリアーネはアルベルトの隣りに座って果実水を飲みながらお腹を満たすことに専念していた。
「いいか、絶対に酒は飲むんじゃないぞ。グラスを間違えるなよ」
アルベルトの言葉が耳に痛い。もちろん二度とあんな目にはあいたくないので頼まれても飲むつもりは無い。ユリアーネは二日酔いの朝の頭痛を思い出してしかめっ面になった。
「おトイレに行ってきます」
お腹も大分満たされてユリアーネは席を立った。
店の横の通路の奥にあるトイレに向かうべく通路に差し掛かった時、物陰からぬっと手が伸びてきた。
その手はユリアーネの口を塞いで物陰に引っ張り込もうとしたが、黙ってやられるユリアーネではない。素早く身を沈めて腕を躱すとその手をグイと引っ張り膝蹴りを入れようとした。
その手の持ち主は膝蹴りを片手でブロックするともう片方の手で素早い突きを入れてくる。ユリアーネは一歩下がってそれを躱す。どちらも声を上げない静かで激しい攻防がしばらく続いた。
「ふふっ、ふふふっ」
「ははは、腕は落ちていないようだな、『鬼ユリ』」
「あなたもね、ディルク」
「馬鹿言え、俺は上がったぞ」
ユリアーネはディルクと向き合って笑う。ディルクがわしゃわしゃとユリアーネの頭を撫でまわしたのでお返しに背伸びをしてディルクの頭もわしゃわしゃにしてやった。
そうして改めて向き合って同時に口を開く。
「「どうしてこんなところにいる?」の?」
その時酔っ払った一人の騎士がふらふらとトイレのある通路に近づいてくるのが見えた。
咄嗟にディルクはもっと奥、廊下の暗がりにユリアーネを引っ張り込む。ほとんど密着しながらユリアーネに囁いた。
「ちくしょう、ここじゃゆっくり話せねえや。お前、アル団長のお屋敷にいるんだよな、夜中に抜け出せねえか?」
大人になって逞しくなったディルクの胸にすっぽりと包まれて不覚にもドキッとしながらユリアーネは答えた。
「短い時間なら抜け出せると思う」
「わかった、じゃあ今夜、アル団長のお屋敷の東側の塀の外で待ってる」
そう言うとディルクはユリアーネをパッと離した。
「お前、胸は成長しなかったみたいだな」
「はあ!? 余計な―—」
お世話という前にディルクは背を向けて店の中に歩き出していた。だからユリアーネはディルクの顔が真っ赤だったことに気が付かなかった。
夜も更けて日付が変わるころ、アルベルト・フラン・グラッツェル侯爵のお屋敷の東の塀の上に小さな人影が現れる。
その人影がふわりと塀の外に降り立つと暗がりから小さな声が聞こえた。
「こっちだ、ユリアーネ」
ディルクの背を追って歩き出すと程なくディルクは貴族のお屋敷の塀と塀の間の小さな路地に入った。
「ここなら大丈夫だろう」
路地の地べたに座りディルクはユリアーネに隣に座るように言った。塀に背中を預け、並んで座るとディルクが口を開く。
「さあ、聞かせてくれ。何で男の恰好をしてアル団長の従者をしている? お前は王太子殿下の婚約者じゃなかったのか?」
ユリアーネは今まであった事をかいつまんで話した。
「クソ王子が!」
ディルクは両の拳を握りしめ小さい声で悪態をついた。
「しかし、お前も酔狂な奴だよな、せっかく逃げ出した王宮に帰って来ているんだから」
「私もそう思うわよ。だけど……」
「スラムか。俺はそのあたりには行ったことがねえ。俺たちの仕事は王都の外ばかりだからな。そんなにひでえのか?」
ユリアーネはこっくりと頷いた。
「辺境にいた時、領都の近くの町が火事になった事があったでしょ」
「ああ、俺たちは魔獣討伐でそっちまで手が回らなくて結構被害が出たよな」
「うん、焼け出された人や火事で家族を亡くした人が沢山いてみんな暗い顔をしてた。だけど母様やフォルカーはその人たちがもう一度前を向けるように必死で頑張った。私たちも出来るだけお手伝いした。みんなにもう一度笑って欲しかったから」
「そうだな」
「母様が言ったの『領民の不幸を全て防げるほど私たちは完璧な存在じゃないわ。それでも不幸を減らす事ならできる。小さな希望の火をともす手伝いならできる。それが領主とその家族の使命なんだと思うの』って。王都のスラムには救いがないの。明日は良くなるという希望がないのよ。見捨てられた場所だから」
「……そうか」
そう言ったきりディルクは考え込んでいるようだった。それをぶった切るようにユリアーネは言った。
「さあ、今度はディルクの番よ。どうして王都で騎士団に入っているの?」
「……」
暫く黙り込んだ後、ディルクは小さな声で何か言った。耳のいいユリアーネにも聞こえなかったのだから、ほとんど言葉になっていなかったのだろう。
「え? 聞こえないわ」
「……お前のせいだ」
「私?」
「お前が……クソ王子と婚約なんかして王都に行っちまったから追いかけてきたんだ」
「……え?」
「俺はお前の相棒で副官だから、お前の騎士になろうと思って……さ」
「私の……騎士? ラウレンツがよく許したわね」
「親父には殴られて勘当された」
「はあっ!?」
「しっ!」
ユリアーネは慌てて口を塞ぐと今度は小声で言った。
「私の騎士って……ディルク私より弱いじゃない」
「うるせっ、今はお前より強くなった……筈だ。身体もでかくなったしな」
膨れてそっぽを向くディルクをユリアーネは愛おしそうに見つめた。昼間騎士団で見た時は大人の顔つきで無表情に立っているディルクに寂しさを覚えた。でもこんな顔を見ると(昔のままだなあ)と思ってしまう。
(ラウレンツに勘当されてまで私を追いかけてきてくれたんだ)
ほとんど味方の居なかった王宮に、実はこんな近くに最大の味方がいてくれたんだと思うとユリアーネは胸に暖かい思いが満ちてくるのを感じた。
「もうそろそろ戻らなくちゃ」
別れ際にディルクが投げかけた言葉にユリアーネは脱力した。
「お前……ゴリアスってなんでそんな名前にしたんだ?」
次話予告『夜会を忘れていたユリアーネ』です。




