22、三者三様の夜
自室に戻ってテオドールはドサッとソファーに沈み込んだ。
疲れて何もする気が起きない。お茶かお酒を用意しましょうかという従者やメイドを部屋から追い出して一人になるとテオドールはだらしなくソファーに寝転んで顔を両手で覆った。
ユリアーネがいなくなってしまった事はテオドールを打ちのめした。
いつもイライラさせる婚約者だった。テオドールの言うことを素直に聞いたことなど一度もない。評判もあまりよくなかった。メイドを使って意地悪をしている。知識をひけらかして高飛車だ。周りの者に当たり散らす。それでもテオドールはユリアーネとの婚約を続行した。イゾルテには何度も「ヴァルツァー様はテオ様に相応しくありませんわ」と言われた。母には「ユリアーネちゃんって意地悪で母様は好きじゃないわ。私の方が頭がいいって自慢するのよ」と言われた。父にも「前国王が結んだ婚約だ。今は私が国王なのだから新たな婚約者を選びなおしてもいいのだぞ」と言われた。側近も宰相もユリアーネには眉を顰めた。
それでもテオドールは婚約を解消すると言わなかった。
ユリアーネは意地っ張りなのだ。だからテオドールへの好意を素直に表すことが出来ないのだ。意地悪をしたり周りに当たり散らすのはその反動なのだ。早く素直になればいい、そうしたら僕が可愛がってあげるのに、とテオドールは思っていたのだ。
でも本当はユリアーネは虐げられていた。メイドたちの件もイゾルテの計略だった。あの時、離宮に行けと言った時、ユリアーネは何と言っていた? 信じてくれと言っていなかったか? ユリアーネは僕に助けを求めた。なのに僕はそれを振り払った……ユリアーネは恋い慕う僕に信じてもらえなくて絶望したのではないだろうか……
テオドールの頭の中のユリアーネは健気にいじめに耐える少女に変貌していた。愛するテオドールに信じてもらえず周りの苛めに必死に耐え、それでも必死にテオドールを希う薄幸の美少女ユリアーネ。
「待っていろ、僕が必ず助け出してやるからな」
テオドールは拳を握って決意した。
「閣下、芝居が過ぎますよ」
「いやあテオドール殿下の間抜けなツラを見たらつい……な」
部屋に三人だけになるとフォルカーがヴァルツァー辺境伯に向かって言った。
王宮に部屋を用意させると言ったのを断って街の宿に落ち着いた三人だった。
ユリアーネからの荷物が届いたのは一週間前。その中の手紙を読んで辺境伯は愕然とした。以前届いた手紙とは書いてあることが全く違っていたからだ。前国王が亡くなって数か月、ユリアーネからの手紙が途絶えた。そして数か月ぶりに送られてきた手紙には王宮の生活を楽しんでいる、テオドールとの仲も良好だと書かれていた。しかし、どこがどうとは言えないが辺境伯は違和感を感じた。なんとなくユリアーネらしくないと感じたのだ。とはいえ三年も会っていない我が子である。成長期の三年だ、そのどことは言えない違和感を辺境伯は呑み込んだ。
それから二年、ユリアーネのデビュタントの為に夫人やクリストフと共に王都に向かおうと準備をしていた時にユリアーネからの荷物が届いたのである。
辺境伯は激怒し、即座に王都に向かうことに決めた。本当はクリストフにヴァルツァー領以外の地を見せながらゆるゆると王都に向かう予定だった。その余裕があるくらいにヴァルツァー領は復興したのである。しかし、夫人とクリストフは留守番となり辺境伯は両翼を従えて王都へ向かうことにした。ユリアーネは王宮にいない。デビュタントの夜会に出ることはないだろう。それを王家がどう言い繕うのか。王家のいいようにはさせないと急ぎ王宮に向かうことにしたのである。
まさに出立する直前、また手紙が届いた。それが先ほどテオドールに見せたユリアーネからの手紙である。
真逆の内容の手紙は王宮で何らかの陰謀がうごめいていることを示唆していた。誰かがユリアーネと辺境伯の連絡を遮断し、嘘の情報を与えていたのだ。真っ先に考えられるのはテオドールだ。ヴァルツァー家から横やりが入るのを阻止しながらユリアーネに何らかの罪をでっちあげ婚約破棄をする。元々は王家から申し入れた婚約だ。しかしそれはテオドールの意志ではない。かといってヴァルツァー家の令嬢を長年王宮に留め置いたあげく、何の瑕疵もないのに婚約破棄などしようものなら貴族から批判が殺到するだろう。
辺境伯と両翼は馬を駆り、通常五日かかる行程を三日で王都に着いた。
一旦王都の宿に入り、王宮を探る。ユリアーネの出奔はまだ知られていないようで王宮は平素と変わらないように見えた。
テオドールにいきなり会って反応を探ってみるかと王宮を訪ねることにした。何かの小細工をされないように面会予約は入れない。テオドールの予定を入手して待ち伏せるつもりである。ユリアーネの出奔を上手くごまかされないように、王家でも簡単に黙らせることのできない証人を用意することにした。
ハイツマン公爵とファラー公爵に手紙を書く、王宮で会いたいと。ただし、諸事情により偶然を装って欲しいと待ち合わせを馬車の待機場所の近くにした。公爵たちとは面識がある。歳は少し違うが、辺境伯は若かりし頃、王都に住んでいたことがあるのだ。そして夫人と出会い結婚した。結婚して爵位を継ぎ、それからはずっとヴァルツァー領で生活している。
ハイツマン公爵とファラー公爵からは直ぐに了承の手紙が来た。事情を聞かないでくれるのがありがたい。二人とも滅多に王都に出てこないヴァルツァー辺境伯が王都に出てきて会いたいと手紙を寄越したことに何かを感じているのだろう。
「我々の予想とは少々違いましたな」
エールを飲みながらフォルカーが言うとラウレンツはつまみの鹿肉の燻製をポイッと口に入れ頷いた。
「テオドール殿下、ありゃあ何だ?」
「何だ? って王子様だろ」
「そういう事じゃねえよ。お嬢様が王宮を抜け出して十二日だぞ。その間一度も離宮の様子を見に行かなかったって事だろ。それだけでも万死に値する」
「まあな、そのくせいないのがわかったら青くなって大騒ぎだ。最後の方なんかお嬢様が攫われたのか、まさか殺されたんじゃねえかと涙目になってたぞ」
「お嬢様を攫うなら最低でも騎士団一個小隊は用意しなきゃ無理だけどな」
「待てよ、お嬢様は王都に来て五年だぞ。お淑やかな淑女になったって可能性も……」
「「無いな」」
二人の言葉に辺境伯が苦笑する。三人だけの時はいつもこんな感じだ。だから辺境伯はこの二人の事を誰よりも信頼しているのである。
「閣下、それでこれからどうするんですか?」
フォルカーの問いに辺境伯は考え込んだ。王都に来るまでは首謀者はテオドールだと思っていた。だから王家の罪を公に晒して婚約を解消しようと思っていた。
たしかにユリアーネを離宮に閉じ込めたのはテオドールだ。しかしテオドールもイゾルテに騙されていたらしい。それもどうかと思うが、本人はユリアーネと婚約破棄をするつもりは無さそうだった。では今までの事はイゾルテが全部企んだのか? それも腑に落ちない。イゾルテでは権力が足りない、ガルドゥーン公爵が手を貸していたのだろう。それでもまだ腑に落ちない。ユリアーネのふりをしてヴァルツァー領に手紙を送っていたのは誰だ?
「まあ、俺はユリアーネが無事で元気ならそれでいいんだ」
結局はそれに尽きる。ユリアーネから届いた本当の手紙を読む限りユリアーネは元気そうだった。どこにいるとは書いていなかったが、そのうち帰ると書いてあった。王宮での出来事はかなり頭に来ていたようだが悲しんでいるような文面ではなかった。今頃王宮の堅苦しい生活から解放されて生き生きと楽しんでいるかもしれない。
「二、三日様子を見てヴァルツァー領に帰ることにする。テオドール殿下との婚約は解消する。あとは……王宮で勝手にやってくれ。あのボンキュッボンが自己陶酔殿下と結婚しても俺は全然かまわねえぞ」
辺境伯の言葉に二人は吹き出した。
その後ラウレンツが急に居住まいを正した。
「閣下、俺を王都に残してくれませんか?」
「どうしたラウレンツ」
「お嬢様の行方を捜してみます。俺は五年前お嬢様と約束したんです『五年後、もしテオドール殿下との結婚をお嬢様が望まなければ、この俺、ラウレンツ・フェア・アスマンがお嬢様をお迎えに上がります』と」
「お前、そんな約束をしていたのか」
フォルカーが呆れたような声を上げた。
「それに王都には我が家の放蕩息子が居りますので」
ラウレンツの言葉に辺境伯は納得した。
「そうか、ディルクは王都で騎士になったんだったな。会ったら偶には故郷に帰って来いと伝えてくれ」
「勘当同然のバカ息子に温かいお言葉ありがとうございます」
ラウレンツは神妙な顔をして頭を下げた。
「事態は思わぬ方に転がったな……」
小さなろうそくの灯りだけが灯る薄暗い部屋でゆったりとソファーに腰掛けながら男が呟いた。
男は今日の出来事を反芻した。
もっとも驚いたのはヴァルツァー辺境伯の娘、ユリアーネが姿を消したことだ。王宮でユリアーネは孤立していた。虐げられていたと言ってもいいだろう。大半はガルドゥーン公爵の娘、イゾルテが画策したことだ。男はイゾルテがその気になるようにそっと後押しをしたり企みが上手くいくように根回しをしただけだ。事態がなるべくこじれるようにヴァルツァー辺境伯に偽の手紙を送っていたのも男の手の者だった。ヴァルツァー辺境伯にもユリアーネにも恨みはない、むしろ男が恨んでいるのは……
思い出したくもない思い出が脳をよぎり男はグラスの中身を一気に煽った。
王家と、力も民衆の人気もあるヴァルツァー辺境伯家が結びつくことを男は阻止したかった。だから婚約を破棄させるように色々と手助けをしたのだ。辺境伯が王家に不信感を持つように。恨んで敵対するように。
男の計画では、今度の夜会でユリアーネがテオドールに婚約破棄をされるように誘導するつもりだった。衆人環視の中でだ。それを後で知ったヴァルツァー辺境伯は烈火のごとく怒るに違いない。そして傷心のユリアーネに言葉巧みに近づき王家を憎むように仕向ける。王家の非道と数々の汚点を公表し、断罪する旗印としてヴァルツァー辺境伯とユリアーネは打ってつけだった。既に王家の威信を失墜させるような材料はいくつか仕掛けてある。
そう、男が恨んでいるのはこの国の最高権力の座に座る一人の暗愚な男と、贅沢で享楽的なその妻だった。
「まあいい。ヴァルツァー辺境伯が王家に敵意を持ったのは間違いないだろう」
最初の筋書きとは違ってしまったが、辺境伯家と王家を仲たがいさせるという目的は達成できた。ユリアーネがどこに消えてしまったのかはわからないが、もし、イゾルテが本当に害したのであれば更にヴァルツァー辺境伯の怒りは増すだろう。
あちらの方は上手くいっているだろうか……いくつか企てている計画が順調に進んでいるのか、もう一度彼を呼んで綿密に打ち合わせをしようと結論付けて彼は寝るためにソファーから立ち上がった。
次話予告『騎士団に出勤するユリアーネ』です。




