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【本編完結】一発殴ってもいいですか?  作者: 一理。
【本編】

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19/67

19、辺境伯に出会ったテオドール


「まだ何も言ってこないのか?」


 執務室を出てせかせかと本宮の廊下を歩きながらテオドールはハンネスに苛立ちをぶつけた。


「はい、離宮の執事からは何とも。相変わらず我儘を仰って困っているとしか……」


 春の大夜会まで半月を切っている。それなのにユリアーネから「謝りたい」との連絡は一切無かった。春の大夜会はユリアーネがデビューする大事な夜会だ。一応ドレスも宝飾品も用意はしてある。でもユリアーネから謝って来るまでそのことを告げる気はなかった。


「まったく……いくらイゾルテ嬢との仲を嫉妬するとしても今回は意地を張り過ぎだろう……」


 廊下で行き会ったメイドや官吏の女性が顔を赤らめて頭を下げるのを見て表面上は柔らかな微笑みを浮かべながらテオドールはブツブツと呟く。

 イゾルテがテオドールの隣に来てそっと腕を取った。


「テオ様、もしヴァルツァー様がこのままなら私が今度の夜会もご一緒いたしますわ。このように」

「イゾルテ嬢、迷惑をかけてすまないな」

「いいえ、迷惑などと……テオ様のお役に立てるのならこんなに嬉しい事はございませんわ」


 イゾルテが微笑むとテオドールはさも当然というように満足げに頷いてイゾルテを腕にぶら下げながら言った。


「そうだろう。それが普通の令嬢の反応と言うものだ。それなのにあの女は……」


 思い通りの反応を返さない婚約者を思い浮かべてテオドールは忌々し気な表情になる。


「テオ様、それならいっそのこと婚約など―—」

「それ以上言ってはいけないよ、イゾルテ嬢。この婚約は亡き先王陛下、お爺様が結ばれたものだ」


 テオドールに優しくたしなめられてイゾルテは唇を噛んだ。

 顔を伏せ、テオドールに見えない角度で舌打ちをする。イゾルテが何度誘導しようともテオドールは婚約を破棄するとただの一度も口にしたことがないのだった。




 内務部の近くに差し掛かった時、前方で揉めている声が聞こえた。

 何事だと足を向けると廊下の奥から陽気な声を掛けられた。


「これはこれはテオドール殿下、未来の我が息子殿、お元気そうですな」


 二人の屈強な供を従え、颯爽と歩み寄ってきたのは……


「ヴァルツァー辺境伯……」


 そう、ユリアーネの父、救国の英雄、ヴァルツァー辺境伯だった。

 五年前、一度会ったきりだが精悍な体つき、鋭い眼光、そしてユリアーネと同じ見事な銀髪の印象深い人物だ。その圧に少年ながら圧倒されたのを覚えている。


「いつこちらへ?」

「今日、たった今ですよ。なんといっても娘のデビュタントですからな。待ちきれなくて来てしまいました」


「あの……辺境伯閣下、面会依頼は出されていないので今日の所は……」


 後ろから恐る恐る声を掛けてきた王宮の官吏はヴァルツァー辺境伯の側近に睨まれて「ひうっ!」と変な声を上げ後ずさった。


「ああ、君はもう戻っていいよ。テオドール殿下に会えたからね、殿下に案内してもらおう」

「いえ、ですから……あわわ……いえ、あ、あの、テオドール殿下、よろしくお願いします」


 官吏の男は頭を下げると一目散に去って行ってしまった。

 男が去るとヴァルツァー辺境伯はテオドールに向き直り、目を細めた。


「随分親し気ですな」


 辺境伯の視線を追ってテオドールは自分がイゾルテと腕を組んだままなのに気が付いた。

 イゾルテの手を振り払いテオドールは「いや、これは、その」と意味の分からないことを呟いた後、辺境伯をまっすぐ見るとイゾルテを紹介した。


「彼女はイゾルテ・ヴァッサ・ガルドゥーン公爵令嬢。今は僕の秘書をしてもらっています。その関係で他のご令嬢よりは近しい関係にありますが、疚しい関係ではありません」

「ほう、そうですか」


 辺境伯はそれ以上そのことに言及せず「ところで」と話題を変えた。


「先ほど奥宮に伺ったのですよ、我が娘に一目会おうと。それなのに奥門の衛兵は要領を得ない事ばかり繰り返しましてな、我が娘に取り次ごうとしない。業を煮やして殿下を探していたところです」

「……」


 テオドールは返事に詰まった。今この時急にユリアーネに会わせろと辺境伯が訪ねてくるなんて予測の域を超えていた。せめて一日猶予があればユリアーネを呼び戻しておくことが出来たものを……


「どうしました? テオドール殿下はまさか親子の対面を歓迎していらっしゃらないと? 五年ぶりの対面なのですぞ。やっとヴァルツァー領も戦の傷跡が癒えましてな、娘のデビュタントに王都まで出てくることが出来ました」


 にこやかに話しながらも辺境伯は鋭い眼光でテオドールを見据えている。


「テオドール殿下、内務部の長官との面会時間が迫っております」


 ハンネスが後ろから助け舟を出してくれたが辺境伯は引き下がらなかった。


「テオドール殿下はお忙しいのですな。なに、お時間は取らせません、奥門の衛兵にユリアーネに取り次ぐようにと指示を出してくれれば良いのですよ」

「……ハンネス、長官との面会は延期する。僕はヴァルツァー辺境伯をユリアーネの所に案内する」

「テオドール殿下……」

「長官に伝えてきてくれ。エグモント、馬車の用意を」


 もう一人の側近にも指示を出すとテオドールはヴァルツァー辺境伯に向かって言った。


「辺境伯、実はユリアーネ嬢は今奥宮に居ないのだ。西の離宮にいる。今からそこに案内しよう」

「西の離宮……ですか」


 辺境伯が皮肉気に呟くとただ一人テオドールの傍に残ったイゾルテが唇を震わせながら必死に言い募った。


「ヴァルツァー辺境伯様、テオ様はやむを得なくユリアーネ様を西の離宮住まいになさったのですわ。ユリアーネ様は数々の意地悪をし、メイドたちに辛い仕打ちをしました。そしてメイドに冤罪を被せようとなさったのです。それでもテオ様はユリアーネ様が一言謝れば許すと仰って……テオ様は悪くありません。西の離宮行きはユリアーネ様の反省を促すためなのですわ」


 必死そうに見えるイゾルテの弁明も辺境伯に何の感銘も与えなかった。


「ははは、我が娘は五年の間に随分と性格が変わったようだ。そして婚約者でもない男性を愛称で呼ぶのは王都の流行ですかな、ガルドゥーン公爵令嬢」


 はっと気づいてイゾルテは下を向いた。悔しそうに唇をかみしめるがテオドールを愛称で呼んだことも含め、発言を撤回しようとはしなかった。


「テオドール殿下、馬車の用意が出来ました」


 気まずい雰囲気の中、側近の一人、エグモントが戻って来て一行は馬車の待機場所まで移動する。

 二台の馬車に分乗して乗り込もうとしたところ辺境伯に声を掛けてきた人物がいた。


「これは珍しい! そこにいるのはヴァルツァー辺境伯ではないか」

「お久し振りですな、ファラー公爵、ハイツマン公爵もご一緒ですか」


 ヴァルツァー辺境伯がにこやかに挨拶する。

 

「テオドール王太子殿下もご機嫌麗しく」

「ああ、ファラー公爵、ハイツマン公爵共に元気そうで何よりだ」


 面倒な奴らが来たと舌打ちしたい気分を押し隠してテオドールは挨拶を返した。


「どうしてお二人が一緒に?……ああ!」


 一瞬不思議そうな顔をしたハイツマン公爵は直ぐにポンと手を打った。


「そう言えばヴァルツァー辺境伯の御息女は今度の夜会がデビュタントでしたな。それで王都に?」

「左様。娘のユリアーネに会いに王宮に来たのですが……」


 そこで辺境伯はさも悲しそうな顔をした。


「なにやら娘が粗相をしでかしたようで殿下の御不興を買い奥宮を出されて西の離宮に居るそうで」

「なんと!」


 ハイツマン公爵は驚いているようだ。


「ハイツマン公爵はそのことについてお聞き及びでない?」


 ヴァルツァー辺境伯の目が光った。


「いやまったく。ファラー公爵は?」

「私も初めて聞きましたな。ヴァルツァー辺境伯のご令嬢は王宮で生活なさっているでしょう、私も遠目にお見かけしたことがありますが、銀の髪が殊更美しく妖精のようなご令嬢でしたな。今度の夜会でお会いできるのを楽しみにしていたのですが」


 二人の公爵はテオドールの顔を見た。テオドールは引きつった笑みを浮かべる。


「いっいや、そんなに大したことではないのだ。その、ちょっとした喧嘩というか……離宮と言ってもちゃんと使用人を付け何不自由ない暮らしをしている。もちろん夜会はユリアーネと共に出席するつもりであるし、そろそろ呼び戻そうと思っていたところなのだ」

「ああそうですか、それは安心いたしましたよ。婚約が解消になるなどという事になれば一大事ですからな」


 ハイツマン公爵は大袈裟に安堵の表情をした。


「もっもちろんそんなことはない。今からヴァルツァー辺境伯と一緒にユリアーネを迎えに行くところだったのだ」


 離宮に会いに行く→そろそろ呼び戻す→今から迎えに行く、と数分のうちにテオドールの発言は細かく変化しているのだが、焦っているテオドールは気が付かない。

 するとファラー公爵がとんでもないことを言いだした。


「我々も同行しましょう」

「え!?」

「殿下とヴァルツァー辺境伯のご令嬢は喧嘩をなさったのでしょう? こんな時は第三者がいた方が冷静になれますよ」

「あ、いや、公爵たちにそこまで手数をかける訳には……」


 テオドールは間違ったことをしたとは思っていない。ユリアーネは嫉妬のあまり行き過ぎた行動をしたのだ。でもユリアーネの父親である辺境伯に娘を離宮に追いやったと知られるのはバツが悪かったし、ユリアーネが離宮に行く前のような頑なな態度をとれば将来の王太子妃として心証が悪くなるのではないかと心配したのだ。ユリアーネは離宮でも使用人に我儘を言っているようだ。それを二人の公爵に見られるのは将来の王太子妃の資質無しと思われないだろうか。

 ユリアーネが早く謝ってくれば内々で済ませることが出来たものを。とテオドールは歯噛みする思いだった。

 しかしヴァルツァー辺境伯はあっさりと二人の公爵の同道を了承した。


「しかし馬車の用意が……」

「それなら我々はここでお待ちしています」


 辺境伯の二人の従者が席を譲りヴァルツァー辺境伯と公爵二人が同じ馬車に乗ることになった。


「しばし昔話に花を咲かせよう」


 と二人の公爵と辺境伯は心なしか嬉しそうだ。三人の年齢は近そうだ。実際にはハイツマン公爵が一番年上、ヴァルツァー辺境伯が一番若いらしいが、テオドールからすれば全員親とあまり変わらない年代だ。

 仏頂面でテオドールは二人の側近とイゾルテと共にもう一台の馬車に乗り込んだ。







 それから一時間半後、テオドールは茫然とした表情で離宮のエントランスホールに立っていた。


 離宮はもぬけの殻だったのだ。




次話予告『茫然とするテオドール』です。

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