18、ぶっ倒れたユリアーネ
アル団長は屋台のパンを気に入ってあるだけ買い占めた。店主に倍の金額を払うと一包みをメーナに届けさせ、カイに一つ食べさせると残りは騎士団に持っていくように命じた。
「兄ちゃん無事で良かったな、姉さんはずっとここで兄ちゃんの心配をしていたぞ」
屋台の店主はほくほく顔でユリアーネに話しかける。
預かってくれと放り投げたカバンもちゃんとマルゴットに渡してくれたようで、ユリアーネは改めて店主に感謝した。
「いいってことよ。また買いに来てくれな」
カイを連れて一旦団舎に戻るというアル団長とここで別れようとユリアーネは王都まで連れ帰ってくれた礼を言った。
「何だ? 一緒に来ないのか?」
髭面でしょぼくれた顔をするアル団長をユリアーネは可愛いと思った。顔の造作は整っているけれど強面のおっさん、アル団長を可愛いなどと感じる女性はユリアーネ以外にはいないだろう。
「うん、メーナも無事だったし。僕は姉さんとこれからの事を考えなくちゃ」
とにかく王宮から出たかっただけでユリアーネは今後のことなど何も考えていなかった。王宮で貯めたお金も残っているし、何をしても生きていける自信はある。でも王宮から出たこの二日間でユリアーネは気になる事が出来てしまった。スラムの事だ。メーナと母親の今後だ。カイの事だ。今はまだ上手く考えが纏まらない。でもこのままにしたくなかった。
「お前にはまだ働きに対しての報酬を与えていないだろう」
「働き?」
「賊たちを捕まえ子供たちを救出した」
「僕が気になって勝手にやったことだよ」
「それでも我々の助けになった。礼をするから団舎に一緒に来い」
それは出来ない相談だ。何故なら団舎は王宮にあるから。何が悲しくて逃げ出してきた王宮に一日で戻らなくてはいけないのか。
「……そうか、じゃあここで待っていろ。今日の夕飯を食わせてやる」
「ええ? 別にお礼なら―—」
「それじゃあ俺の気が済まない。それにな、お前ともっと話してみたいんだ。俺に飯ぐらい奢らせてくれ」
「そういう事なら」
礼などいらないと断ろうとして畳みかけられユリアーネは渋々了承した。渋々と言ってもアル団長の事が嫌なわけではない。むしろユリアーネももっと話してみたいと思っていた。
「いいか、必ず待ってろよ」
そう言ってアル団長は去って行った。
「うう……お水……」
喉の渇きを感じてユリアーネは目を覚ました。
起き上がろうとして酷く頭が痛むことに気が付いた。身体強化をしても病気には勝てないが、もともと丈夫なユリアーネは風邪なども滅多に引かない。ぼんやりする頭で昨晩の事を考える。
(ええっと、夕方アル団長と落ち合ってご飯を食べに連れて行ってもらって……ダメだ、頭が痛くて上手く思い出せない)
ズキズキするこめかみに手を当てて考えるが一向に集中できない。それにしてもここはどこだろうとユリアーネは寝ていた部屋を見回した。
広くて豪奢な部屋、品のいい調度品、ふかふかのベッド、多分貴族の屋敷だ、それも豊かな。
(まさか、王宮に帰ってきたわけじゃないわよね)
ユリアーネが青くなったところでドアが開き、マルゴットが入ってきた。
「お嬢……ゴリアス、目が覚めましたね」
「マルゴット……姉さん、ここは?」
「アル団長様のお屋敷ですわ。ゴリアスは昨日の事を覚えていらっしゃいます?」
「……頭が痛くて上手く思い出せないんだ。アル団長とご飯を食べに行ったことは覚えているんだけど」
アル団長が連れて行ってくれたのは王都のメインの大通りを北に行った一角にある店だった。王宮の北通用門に近いこの一角は騎士団の団員や王宮勤めの兵士たちが利用する店が多く、意外に庶民的な雰囲気だった。その中の一軒、煮込み料理と骨付き肉の炙り焼きが自慢の店は気さくな雰囲気で料理も美味しく、ユリアーネとマルゴットは大いに食べた。マルゴットと二人でも食事は出来るが、王都に不慣れな二人では美味しい店を見つけるのも一苦労だ。その点はアル団長に感謝だった。
騎士になって長いのだろうと思っていたが、アル団長は最近まで外国に居たそうでこの国に帰って来てまだ半年足らずらしい。にもかかわらず団長という地位にいるという事は……
「俺は強いからな」
ニカッと笑うアル団長を見てユリアーネは納得した。たしかにアル団長は強い。王都に出てきて以来、ユリアーネが見た男性の中では一番。
そして確かに強いアル団長は話も面白かった。アル団長が育った遠方の小国の話は興味深かった。そして引っ切り無しに騎士たちがお酌をしに来る。この店は騎士たちのたまり場らしく仕事帰りの騎士たちが周りのテーブルで大勢酒盛りをしていた。
「アル団長、どうです? 一杯」
「おう、ディーターか、足の調子はどうだ?」
「おかげさまでもう大丈夫です」
こんな感じで彼らは気軽にアル団長にお酒を勧める。アル団長はそれを断ることなく気持ちよく飲み干す。アル団長が騎士たちに慕われているのがよく分かった。
お腹もいっぱいになりそろそろ店を出ようかという時間になってもユリアーネの腰は椅子から離れなかった。この店で過ごす時間が楽しかったからだ。アル団長を待っている間に今夜の宿は押さえてあったのでもう少し長居をしても大丈夫。そんな言い訳を自分にしてグズグズと心地いい時間を楽しんでいた。
話題はいつの間にかスラムの話になっていた。もちろん誘拐事件に関する話は口にしない。
「んー、俺もなあ、スラムには今日初めて行ったんだ。この国に帰って来て半年、今までは騎士団に馴染むので忙しかったからな。けど、もっと早く行ってみるべきだったと後悔しているところだ」
「昔からスラムってあったのかな」
「俺が子供の頃はなかったぞ。最近の王都なら俺よりお前の方が詳しいんじゃないか?」
逆に聞かれてユリアーネは焦った。
「あ、いや、その……僕は特殊な環境に居たから街の事はよく知らないんだ」
「……そうか」
アル団長が気の毒そうな目でユリアーネを見るのでアル団長の中でどんな物語が出来上がっているのかちょっと恐ろしくなった。
「マルゴット嬢はゴリアスと一緒に育ったのか?」
急に話を振られて果実水を飲んでいたマルゴットがむせた。
「マルゴット姉さんはメイドをしていて……その、僕に付き合ってお屋敷を出ることに―—」
「なあ、お前たち、血は繋がっていないだろう?」
「え? な、なに? そんな事——」
「ゴリアス、お前、貴族の子供じゃないか?」
ユリアーネは立ち上がった。こんなところで素性がバレる訳にはいかない。早く、早く上手い言い訳を―—
水を飲んで気を落ち着けようとテーブルのグラスを一気に煽った。
「お前、それは俺の酒——」
そこから先の記憶が一切無い。
そうして喉の渇きを覚えて目が覚めたら知らない場所にいたという訳である。
「はい、お水です」
マルゴットに手渡されてユリアーネはコップの水を一気に飲み干した。
「はあ、生き返る……ってマルゴット姉さん、僕に敬語はおかしいんじゃないの?」
「大丈夫ですわ。アル団長様は昨日間違えてお酒を飲んで倒れられたおじょ……ゴリアス様を担いでこのお屋敷に連れてきてくださったんです。そして私に耳打ちしたんです」
そこでマルゴットは声を潜めた。
「まず、お嬢様が女性だというのはバレていません。アル団長はどうやらゴリアスを虐げられて育った貴族の隠し子だと思われているようです。それに同情して一緒に屋敷を抜け出したメイドが私という訳です」
「へ? どうして?」
どこからそんな妄想が生まれたんだろう。
「アル団長は私に言いました。『深い事情は聞かない、しかしゴリアスの強さは並ではない。それに食べ方や所作に品がある。ゴリアスは余程特殊な育ち方をしたのだろう。過酷な訓練でも強要されたのか? いや、聞かないと言ったばかりだったな。しかし困ったことがあるなら俺が助けになろう。話したくなったらいつでも聞く用意があるとゴリアスに伝えてくれ』と。そうして『まだ、ほんの十四、五の少年なのに』と涙ぐんでおられました」
ユリアーネは呆気にとられた。マルゴット、声真似上手すぎ、じゃなくてアル団長、どれだけ想像力が豊かなのか。そう言えば図書館に通っていた頃そんな内容の小説を読んだような。家の為に暗殺者として育てられる貴族の隠し子の少年の話だっけ?
「あ、それからこれは一番大事な事なんですけど、アル団長様というのは―—」
ノックの音が聞こえてマルゴットは口を閉じた。
「ゴリアス、目が覚めたか。具合はどうだ?」
入ってきたのはアル団長、と後ろに初老の男性が控えている。
「もう大丈夫です、ご迷惑をかけて……イタタ……」
勢いよく立ち上がった所為で頭痛がぶり返した。ユリアーネは頭を抱えてしゃがみこんだ。
「無理はするな。ほら、座れ」
アル団長はベッドにユリアーネを腰掛けさせると、正面に椅子を持って来て座った。
「ゴリアス、お前住んでいたところを出てきた、今後の生き方は決まっていないと言っていたな。それなら俺の従者になれ」
「その話は―—」
「まあ、黙って聞け。お前は昨日スラムの事が気になると言っていただろう? 俺も同じだ。あそこを何とかしたいと思っている。一時的に食べ物を恵むだけじゃだめだ。もっと根本的に考える必要がある。これからそれを探ろうと思っているんだ。もちろん騎士団の仕事からは逸脱している。でも俺はあそこを変えたい。お前も手伝ってくれないか?」
それは魅力的な申し出だった。アル団長は騎士団の団長、どの団かは聞いていないけど一緒に居たのは深緑の団服の騎士だった。たしか深緑は王都警備の緑の騎士団だ。王宮に近い存在は敬遠したいけど、王宮に近い存在でなければスラムをどうすることもできない。迷った末にユリアーネは答えた。視界の端でマルゴットが息を呑むのが見えた。
「僕を……アル団長の従者にしてください」
ユリアーネが頭を下げるとアル団長が笑った。
「おう、お前は今からこのアルベルト・フラン・グラッツェルの従者だ。用意をしてやってくれ、ハーバー」
アルベルト・フラン? ユリアーネは首をひねった。フランは王族に付けられる固有名称だ。王家を含めた王国の始祖となる五つの家には固有名称がある。ユリアーネのヴァルツァー辺境伯家はフェアだ。ヴァルツァー辺境伯家は縁者の中で特別な家にはフェアを名乗ることを許している。今はラウレンツのアスマン子爵家だ。しかし王家以外にフランを名乗る家があるなんて―—
あ……
「お気づきですか?」
ハーバーと呼ばれた初老の男がにっこりと微笑んだ。
「アルベルト様は王弟殿下でいらっしゃいます。この国に戻られた際、王位継承権を放棄して臣籍降下しグラッツェル侯爵様となられました。現在は騎士団の総団長をなさっておいでです」
聞いてないよーー!!
次話予告『辺境伯に出会ったテオドール』です。




