15、王都に出たユリアーネ
荷物を二つのカバンに詰めてユリアーネとマルゴットは離宮を出た。一つのカバンは当座の着替えや日用品、そして手持ちのお金が入っている。もう一つは思い出の品。誕生日や何かの折に辺境から贈られた品物や、前国王陛下に頂いたもの。二つのカバンをマルゴットが調達してきた一輪車に乗せ汚い幌を被せる。ユリアーネの顔を泥で汚すことも忘れない。
「お嬢様、なるべく俯いていてくださいね」
そうして二人は難なく門の外に出た。マルゴットは帳面に署名しなければならないが庭師や人足など文字を書けない者も多い。ユリアーネは俯いたままボソッと適当な名前を呟くだけで簡単に門を通れたのだ。
門が見えなくなるとユリアーネは一輪車から荷物を取り出した。
「さあ、行くわよ! じゃなかった、行くぞ!」
二つの荷物を抱えユリアーネは意気揚々と歩き出した。辺境からはるばるやって来て五年、初めてユリアーネは王宮の外に出たのだ、自由の風をユリアーネは胸いっぱいに吸い込んだ。
「なんか想像していた王都と違うわ」
ユリアーネは辺りを見回した。もちろんここは王都の繁華街とは真逆の下町の辺りである。いわば雇われ職人や人足などが暮らす地域。王宮の門の近くは華やかではないが、それなりに整備された道と工房や工場が立ち並び職人たちが出入りし荷車が行き交い活気が感じられた。しかし、王宮を離れるにつれ辺りの様子はガラッと変わった。古びてあちこちが壊れた建物、ゴミが散乱する道にすえた匂い、生気のない人達、物乞いをする老人、目つきの悪い男たち。
ユリアーネが王都を見たのは五年前、辺境から王宮に来た時に馬車の中から見ただけである。それもこことは反対の王都の一番の繁華街、メインの大通りから街並みを眺めたのだ。その時はその裏側がこんなだなんて思いもよらなかった。
「お嬢様、この道を東に向かえば繁華街に近づけるはずです。それまで油断しないで私の後について来てくださいね」
周囲に油断なく目を配りながらマルゴットが言う。ユリアーネは身の危険はほとんど感じていないのだが、大人しくマルゴットの後ろをついて行った。ユリアーネより強い人など滅多にいない。だが、思いもよらない危険があるかもしれないと、ユリアーネよりはもうちょっと世間を知っているマルゴットに従うことにした。
しばらく歩くと大きな空き地に出た。広場というには荒れてでこぼこした空き地が広がり、その向こう端は屋台がいくつか見える。更にその向こうは簡素ながら清潔そうな街並みが広がっていた。どうやらこの空き地のあちら側は真っ当な街らしい。
二人はホッとして空き地の端にある切り株に腰を下ろした。
「お嬢様はここでお待ちください、私はあちらの屋台でお話を聞いてまいりますわ」
マルゴットが屋台に向かい何か話をしているのをユリアーネはボーっと眺めていた。程なく戻ってくるとマルゴットは紙包みをユリアーネに差し出した。
紙包みからえもいわれぬ良い香りが漂いユリアーネのお腹がぐうと鳴った。
「お口に合うかどうかわかりませんが」
差し出した包みの中身を見ると肉を挟んだパンが入っている。甘辛いたれで味付けされた肉から立ち上る美味しそうな香りにユリアーネはごくりと唾を飲み込んだ。
数日振りのまともな食事である。
「懐かしい! ヴァルツァー領でも似たようなパンがあったわ。マルゴット、一緒に食べましょう」
「いえ、その前に私は遠距離馬車の手配をしてまいります。あちらの路地を抜けた先に馬車屋があるそうなので」
貴族はもちろん各家で馬車を持っているが、庶民はそういう訳にはいかない。そこで遠出をするときには馬車屋から馬車を借りる。お金を持っている者は一台をレンタルし、そうでない者は乗り合いの定期馬車を利用する。マルゴットはもちろんユリアーネの為に御者ごと馬車をレンタルするつもりで言った。
「遠距離馬車? どうして?」
首を傾げた後ユリアーネはポンと手を打った。
「ああそうね。マルゴット、今までありがとう。父様たちによろしくね」
「は? お嬢様、何を仰って……ヴァルツァー領に……」
「私はヴァルツァー領に帰らないわよ」
ユリアーネはきっぱり言った。
「考えてみて? 私は無断で王宮を抜け出したの。出て来たことは微塵も後悔していないし戻るつもりは無いわ。でも私が王宮を抜け出したことが発覚したときには真っ先にヴァルツァー家に問い合わせが行くはずよ」
「お嬢様、ご領主様はお嬢様を匿うくらい―—」
「ええ、父様は私を守ってくださるでしょう。でもそうしたらヴァルツァー家が罪に問われるかもしれないわ。私が勝手に王宮を飛び出したのは私の罪。でもその私を匿えばそれはヴァルツァー家の罪になってしまうかもしれない」
「そんな! お嬢様はヴァルツァー領に帰りたくないのですか?」
「帰りたいわ! 帰りたいわよ! 父様にも母様にも会いたい。クリスは大きくなったでしょうね。フォルカーやラウレンツ……ああ、ディルクとは喧嘩したままだったわ」
ユリアーネは目を細めて思いを馳せる。
「いつか、いつかは故郷に帰りたいわ。でもそれは今じゃない」
「わかりました。では私もご一緒します」
マルゴットはユリアーネの手を握って言った。
「え? マルゴットは帰っていいのよ。私に解雇されたと言えばいいの。あの離宮で癇癪を起した私に解雇されたから故郷に戻ったと言えば誰もあなたの事を責められないわ」
「何を仰るんです、私がお嬢様の傍を離れる訳が無いじゃないですか」
「でも……」
ユリアーネは申し訳なさそうにマルゴットの手を握り返す。
「王宮までついて来てくれて五年も傍に居てくれてマルゴットには本当に感謝しているの。でもそのせいでマルゴットはもう二十二歳になってしまったわ。ヴァルツァー領に居ればあなたは大きな商会の娘だもの今頃は素敵な旦那様と―—」
マルゴットは人差し指でユリアーネの唇を塞いだ。
「もう二十二歳なんて仰らないでください。私は結婚には興味ありませんしユリアーネ様に一生ついて行くと決めています。まだ二十二歳です。ベテランメイドには程遠いです」
「マルゴットったら……」
ユリアーネは苦笑してマルゴットに「ありがとう」と頭を下げた。マルゴットがいてくれる、一人じゃないと思えることはユリアーネにとって心強い事だった。
結局マルゴットと話し合い、ヴァルツァー領には荷物の一つを送ることにした。思い出の詰まったカバンだ。その中に手紙を入れる。ユリアーネは王宮を出たことを黙っているつもりだったが、それだけは知らせておいた方がいいとマルゴットは主張した。王宮での待遇、王宮を出た事、無事でいる事、また連絡する事、いつか荷物を取りに帰るから保管しておいてほしい事。
先ほど聞いた馬車屋で荷物の運送もしてくれるそうなのでマルゴットが思い出のカバンを抱え歩き出した。
「それでは行ってまいります。お嬢様はここでパンを食べながら待っていてくださいね」
「あ、ねえ、私も一緒に行こうか?」
「一人で大丈夫ですわ。それから今日泊まれそうな宿も聞いてきますね」
マルゴットが広場の向こうの街並みに消えていくのを見送ったユリアーネはごそごそと紙包みを開けてパンを取り出した。
「あーーん?」
口を大きく開けたところで後ろから「ごきゅっ」とつばを飲み込む音が聞こえた。
振り返ると木の後ろから小さい女の子が覗いている。
「ん?」
ユリアーネが見るとその子はサッと木の陰に隠れる。しかしすぐにぴょこっと顔を出して指をくわえながらこちらを見つめる。
「食べる?」
ユリアーネがパンを半分にちぎって差し出すとその女の子はまた木の陰に引っこんでしまった。
「うーーん……」
ユリアーネは半分のパンを座っていた切り株の上にハンカチを敷いて置いてみた。
そのままそおっと五メートルほど離れた場所に移動する。
見守っていると女の子は恐る恐る木の陰から出てきた。じりじりと切り株に近づく。やっとパンを手に取った。離れた場所からユリアーネがニコッと微笑むとやっと安心したように女の子はパンに齧りついた。五メートルほど離れてユリアーネと女の子は黙ってパンを食べる。
しかしその女の子は半分ほど食べたところで食べるのを止めた。ユリアーネと半分こしたそのまた半分だ。食べきれないという事はないだろう。
見ると女の子は薄汚れたスカートでパンを包もうとしている。
「ああ、そんなことしたら汚れちゃうわ、じゃなくて汚れちゃうよ……って……」
パンの汚れなど気にならないくらい女の子の服は汚れていた。そのうえところどころ破けているし、顔や手足も薄汚れている。それでもなかなか可愛い顔立ちをしていた。
「もう食べられないの?」
「…………かあちゃ」
ああ、お母さんに持っていってあげたいのか、とユリアーネは理解した。
「おいで」
ユリアーネは女の子の手を引いて屋台の方に歩き出した。
パンを売っている屋台の前に来ると店主はあからさまに嫌な顔をした。
「綺麗なツラの兄ちゃん、そいつはスラムのガキだ、かかわらねえほうがいいぞ」
「スラム?」
さっき抜けてきた道はやっぱりスラムだったのか、とユリアーネは納得した。納得したが、納得していない。王都にスラムがあるなんて! 王宮の役所は何をしているんだろう。あんなに忙しがっていたテオドールは何をしているんだろう。それに自分にも腹が立った。テオドールと意地の張り合いをする前に自分にももっとできることがあったのではないかと。ヴァルツァー領が戦争で疲弊したときに、ユリアーネたちは困窮する人々の為に奔走した。だからヴァルツァー領にはスラムなど存在しない。
「そのパンを二つ、いや三つ包んでくれ、釣りはいらない」
ユリアーネは銀貨を一枚店主に投げた。店主は仰天して手の中の銀貨を見つめる。
(あら、多すぎたかしら……)しまったなと思いながらユリアーネはパンの包みを受け取った。それをを女の子に渡すとぱあっと女の子の顔が輝く。それでも躊躇いがちに紙包みとユリアーネの顔を交互に見る。ユリアーネが「母ちゃんに持っていきな」と言うとやっと安心したように女の子は歩き出した。
大事そうに包みを抱えスラムに向かって歩いていく女の子を見送りながらユリアーネは店主に聞いた。
「この空き地は以前からあるのか?」
「兄ちゃん知らねえのか? 一年くらい前にここで大火事があったんだよ」
そんな事全く知らない。ユリアーネはまたも自分の無知を嘆いた。一年前と言うとメイドが総入れ替えになり王子妃教育も中断していた。ユリアーネは王都の事だけでなく王宮内の事さえ情報を得る術がなかった。
「ひでえ火事でな、ほれ、そこにある木々を切り倒してそれ以上火事が広がるのを防いだんだ」
店主が切り株を指す。どうりで空き地のこちら側に切り株が多かったわけだ。空き地もよく見ると燃え残って朽ちた木や家の土台の大きな石のようなものがゴロゴロしていた。
「こっち側は無事だったがあっち側はかなりやられてな、向こうっ側は一気にスラムみてえになっちまった。お役所はなにしてんだか、あっちは見捨てられたみてえだな」
そこまで話して店主はちょっと声を潜めた。
「前の王様ん時にはそんなこたあなかったんだ―—」
——小さな叫び声が聞こえたような気がしてユリアーネは「しっ!」と店主を黙らせると女の子が去って行った方を見た。
女の子が男たちに抱えられて幌のついた馬車に乗せられるところだった。
男たちは三人、女の子の手からパンの包みが滑り落ちて男たちに踏みつぶされるのまで魔力で視覚強化したユリアーネには良く見えた。
「預かっておいてくれ!!」
ユリアーネは持っていたカバンを店主に投げつけると走り出した。
次話予告『忍び込んだユリアーネ』です。
すみません、ストックが少なくなってきたので一日一話投稿になります。




