10、孤立無援になるユリアーネ
それから半月後——
「あー、ユリアーネ嬢、申し訳ないが急に職を辞することになってな」
語学の授業でユリアーネは教師にいきなり告げられた。その国の物語のワンシーンを引用したり、似たような言葉をクイズ形式で出題したり工夫した授業をしてくれる初老の教師で、ユリアーネは楽しく授業を受けていただけに残念だった。既に近隣三か国の日常会話は話せるようになっていたが、これから商業に使う専門用語や政治的な言葉も学んでいこうかと言っていた矢先だった。
「あなたはいい生徒だった。あなたとの授業は楽しかったよ、これからも学びを止めないでくれ」
そう言って教師は去って行った。
それからユリアーネの教師が一人、また一人と辞めて行った。最初は口を濁して言いたがらなかったが何とか聞き出した教師たちの話を纏めるとある思惑が見えてきた。
「つまり、お嬢様が王妃様のことを馬鹿にしたって王妃様が王様に泣きついたわけですか」
「そうとははっきり言わなかったわ。でも、『王妃に説教するほど頭がいいというならこれ以上の勉強は不要であろう』と王様が言ったとか。表向きはいろんな理由を付けて先生たちが自ら辞めるように持っていったらしいけど」
夜、マルゴットに髪をとかしてもらいながらユリアーネは打ち明けた。メイドたちが変わってから彼女たちは必要最低限の事しかしない。夕食後は顔も出さないのでユリアーネは気心の知れたマルゴットとゆっくり過ごせる。それだけがメイドたちが変わってからのささやかないいことだった。
「お嬢様、グラッぺ夫人は大丈夫でしょうか?」
マルゴットの問いにユリアーネはわからないというように首を振った。
ユリアーネは十六歳になった。
「去年より人数は減ってしまったけれど楽しく過ごしましょうね」
努めて明るい声でグラッぺ夫人がプレゼントを渡してくれる。ユリアーネは喜んで早速箱を開けた。
「まあ! 暖かそうなショールだわ。グラッぺ夫人、ありがとうございます。とっても嬉しいですわ」
昨年の誕生日には教師たちも参加してくれてしおりやペーパーナイフなどをプレゼントしてくれ、メイドたちも一緒に皆でケーキやクッキーを囲んでお茶会をした。
テオドールからは花とドレスが定型文のメッセージカードと共に届いただけだったが、むしろ王宮に来て知り合った人たちと心温まる時間を過ごせてとても嬉しかった。
メイドたちはお茶やお菓子をセットすると早々に部屋を出ていってしまったので―—それも、お茶をぶちまけそうになったり、お菓子を持ったマルゴットの足を引っかけようとしたり、ユリアーネは魔術で瞬発力を強化して未然に防ぐことで忙しかった―—今、この場にいるのはユリアーネとグラッぺ夫人、マルゴットの三人だけである。
「テオドール殿下からは今年はお花だけですか」
グラッぺ夫人は首を傾げた。テオドールとは顔合わせ以来仲が良かったことなど一度もない。でも誕生日や式典前などは必ずドレスや宝飾品などが届く。ユリアーネもある程度の予算は与えられているので自分で用意出来ないわけではなかったが、そういうところはテオドールは律儀だった。
パンと両手を叩いてグラッぺ夫人は気を取り直すように言った。
「ご領地のお父様やお母様からは何が届きましたの? 見せてくださいませ」
領地からは毎年山のようなプレゼントが贈られてきていた。両親だけではない、ヴァルツァー辺境伯の両翼、フォルカーやラウレンツ、一緒に魔獣討伐をした騎士たち、ヴァルツァーのお城のメイドや執事、厩舎の職員や町の人たち。ヴァルツァー辺境伯は些細なプレゼントでも全て届けてくれたのだ。
「それが……今年は届いていないのです」
マルゴットが眉を下げて言う。
「今年は一つも? それはおかしいですわね」
「何かの手違いで遅れているのかもしれないわ。それよりお喋りをして楽しい時を過ごしましょう」
それからは少人数ながらも心温まるひと時を過ごしたのだが、帰り際のグラッぺ夫人の言葉がユリアーネは気になった。
「ご領地からのプレゼントが届いていないのは気になりますわ。私、少し調べてみますわ」
くれぐれも無理をしないようにと伝えたのだが、その一週間後——
「ユリアーネ様申し訳ありません、お傍を離れることになりました」
グラッぺ夫人に告げられてユリアーネは息を呑んだ。どうやらグラッぺ伯爵の方に圧力をかけられたらしい。夫人の夫、グラッぺ伯爵は引退させられた宰相の親戚にあたる。王宮の勢力図は着々と塗り替えられているようだった。
「ユリアーネ様はとても素晴らしい淑女になられましたわ。今のお姿はユリアーネ様の努力のたまものです、どうぞ胸を張って王太子妃になられてくださいませ」
グラッぺ夫人はそう言ってくれたが、ユリアーネは本当にこのまますんなり王太子妃になる事が出来るのだろうかと疑問だった。
前国王陛下がいらした時から情勢は刻々と変化しているような気がする。ユリアーネの元から次々と人が去って行き、情報が何も得られなくなるのも不安だった。
「グラッぺ夫人、王妃様はどのような方なのでしょう? アショフ侯爵家の方だとお聞きしていますが」
ユリアーネがそう切り出すとグラッぺ夫人は少しためらったのち、もうここへ上がるのも最後ですからと話を始めた。
もちろん室内にメイドたちはいない。少し離れた位置にマルゴットが控えているだけである。
王妃ソフィーは元々は男爵家の庶子である、それも年頃まで市井で育った。
美しく成長した妾の子を男爵が引き取ったのが彼女が十六の歳、その美しさを利用し少しでも高位の貴族と縁を結ぼうと男爵が画策したからである。しかし期待をはるかに上回ってソフィーが釣り上げたのは当時の王太子、エドヴィンだった。
エドヴィンはその当時はファラー公爵家の令嬢、フリーデリーケと婚約していたが、夜会で婚約破棄を突き付け、ソフィーを娶ると宣言したのである。
エドヴィンはフリーデリーケがソフィーに嫌がらせをしていたとして彼女を激しく糾弾した。国王が外交で国を留守にしていた間の出来事である。
たしかにフリーデリーケはソフィーに辛く当たり、多少の意地悪もしていたようだ。しかしそれが何だというのだろう、公爵家の令嬢が許嫁に馴れ馴れしい男爵家の令嬢を苛めたとて何の罪にもならない筈である。
それなのにその夜会ではエドヴィンはじめ側近の若者たちが口々にフリーデリーケを責め立てた。
そうしてフリーデリーケは婚約破棄をされ屋敷に閉じこもった。後に領地の修道院に入ったらしい。
ファラー公爵も帰国した国王もこれに激怒した。エドヴィン王太子は半年間の謹慎を命じられ、側近は全員首になった。でも国王はエドヴィンを廃嫡することが出来なかった。
国王にはエドヴィン以外にもう一人息子がいた。エドヴィンより十歳下のアルベルトである。王妃亡き後唯一国王が愛した女性との子供である。しかし彼女は身分が低かった。このシュヴァルツ王国から二つ北の小国の商人の娘だった。その為王妃にはなれず彼女もそれを望まなかった。そして生まれたアルベルトであるが幼いころから聡明で、剣術の才能を発揮したアルベルトを次期王太子に、という話が持ち上がった。既に成人していたエドヴィンは凡庸、いや暗愚と周囲に見なされていたからである。しかし母親の血統を問題視する貴族も多く、次期王太子問題で王宮は一触即発の危機に見舞われた。その中、アルベルトの母が事故で亡くなり、アルベルトも命の危機にさらされた。亡くなった王妃の実家である侯爵家の仕業であると誰もが思ったが、証拠はなかった。国王は留学という名目でアルベルトを母親の生国に避難させることにした。その旅立ちの日、幼いアルベルトは国王に告げたそうである。
「僕は王になりたいと思ったことなど一度もありません。僕が再びこの国に戻ってくるのは兄上が王位を継いだ後です」
話が逸れてしまったが、そのような事情で国王はエドヴィンを廃嫡する訳に行かず、結局、ソフィーをファラー公爵家の縁者であるアショフ侯爵家の養女にして王家に嫁がせることで国王はファラー公爵と話を付けた。もちろん多額の慰謝料を払ったうえで。ファラー公爵は娘を王家に嫁がせることは出来なかったが、縁者のアショフ侯爵家から王太子妃が出たということで一応の面目は保てた。フリーデリーケの兄、現在の公爵は最後まで反対をしていたようだが、事態は一旦収束した。
すったもんだの上、王家に嫁いだソフィーだったが王太子妃教育は遅々として進まず、現在に至る。それでも『世紀の大恋愛』と当時は民衆から絶大な支持を得たソフィーだった。
ソフィーの教育は遅々として進まず、いまだに礼儀作法もおぼつかない。それなのに彼女は贅沢が好きで享楽的だ。それにもかかわらず、エドヴィンをはじめ彼女を熱狂的に支持する者は一定数存在するらしかった。前国王は何度もアルベルトに帰国を促したそうである。でもアルベルトは頑として応じず、そして前国王陛下は急に亡くなってしまった。
「ソフィー様は学ぶ気など無いのです。王妃としての責務もあの人には関係ないのですわ」
グラッぺ夫人は王妃様でなくソフィー様と呼んだ。グラッぺ夫人も嘗てソフィー様の侍女を務めたことがあるそうだ。三か月でさじを投げたそうだが。
「ソフィー様の頭の中には、贅沢をすること、楽しいことをすること、周りの者たちからちやほやされること、この三つしかありません。でもそれを得るための知恵は良く回ります。自らを被害者にして他者を陥れることなどあの方には簡単な事ですわ。ですからユリアーネ様、十分お気を付けあそばしてください。ソフィー様は見た目通りの単純な方ではございません」
最後にグラッぺ夫人は深々と礼をして帰って行った。
「ユリアーネ様と過ごしたこの四年間は楽しゅうございました。遠くからご活躍をお祈りしておりますわ」
次話予告『友達が出来たユリアーネ』です。




