この世界は雨上がりだった
「・・・・・・ならさ、あんたの名前って何て言うの?」ナイラーはゴーグルを取ると灰色と茶色の奥で驚いた。
「ドキだよ。ドキ トキ」まるで俺がドキで影がトキみたいだな、と思った。
「・・・・・・ときどき、みたいな名前ね」ナイラーは明らかに笑いを堪えた。
「なんで、うちはトキなのにドキってつけちゃったんだろう、ってよく思っていたよ」
「誰がつけたんだって?」
「親父の愛人。おふくろは冗談ぽく言ってたけど、たぶん本当のような気がする」
「・・・・・・私の最後の恋人はドキ トキなんだ。笑えるから最高だな」
「俺の最初の恋人はミコ キーラレインでいいの?」
ミコ キーラレインは右手のアクセルを離すと腕を伸ばしてきた。サイドに座る俺も左腕を伸ばして彼女の手を握った。革手袋越しだったけれど「河原」での妄想は現実になった・・・・・・。
空の色が足元から頭上へ変わると、南の方角に大きな虹が掛かっていた。この世界は雨上がりだったのだ。「ダック」人にとって虹は台風の目よりもよほど縁起の悪いものだが、やはり見た目は美しい。
「一度虹を渡ろうとしたんだ。でも途中でさ、ちょっとした偶然が起きてね、それでやっぱり岸に上がったよ」サイドカーの未亡人は山に囲まれた盆地を跨ぐほど大きな虹を指さして、そんなことを言った。
「何があったの? 言いたくなければ言わなくていいけど」
「・・・・・・小さな女の子が呑気に泳いでいたんだ。身体ごと。さすがに見てみない振りはできなかった」
「・・・・・・」
「地上の子だった。何があったのかは知らないけれど、抱えて岸辺に連れていった。彼女は抵抗しなかった」
そして二人は河辺を歩いて、それぞれの世界へ戻ったらしい。
「追い詰められたら私がいる空を見上げて、どこでもいいから逃げろって言ってやったんだ。私も君がいる地上を見下ろして逃げるからって」
「Jrの後のことなんだね?」俺はナイラーと出会ってから初めてその固有名詞を口にした。
「いや、その前のこと。だから彼との出会いは余計に幸せだったのかもしれない」
ナイラーはそう答えた・・・・・・俺がJrのことを詳しく聞きたがれば、きっと平然と答えただだろう。でも俺は踏み込まなかった。俺が知った所でそれが何になる? 彼女が俺に教えたところで彼女の何になる?
もし何かになるとするのならば、それは今、俺たち二人を繋ぐ最後の糸のテンションを弛ませるだけだ。
「地上の子、今も元気かな?」俺は言った。
「私みたいに我がままで気分屋だったらいいけどな」
「じゃぁ、美人さんだね」
「不釣り合いな恋人がいるかもな」ミコは嬉しそうにクスクス笑った。
「あのさ、このサイドカーを処分して待ってなよ。俺が物語の中から呼んであげる。お互い新車に乗ろうよ」もちろん一キャラクターでしかない俺に何が出来るはずもない・・・・・・でも本当に無理だろうか? 物語自身が作者を導くことだってなくはないはず。俺は職業柄そのことを良く知っている。
彼女は返事をしなかった。色違いの瞳は再び盛り上がるように潤んだ。
「だからさ、帰りに寄り道なんかしないでよ。俺の委任状もあるんだし」俺は顎で南の大きな虹を指した。
「当り前だろ。始めから真っ直ぐ帰るつもりだよ」ミコ キーラレインは声を上げて笑った。とても大袈裟に。




