レ・ルーココについて 6 カーマン
・・・・・・このことも言っておきたいのだが、色違いの瞳を持つ彼らは、少なくとも俺の祖父が子供のころまでは「カーマン」と呼ばれていたらしい。つまり彼らはカーマンラインの先住民ってことなのだろう。でもそれは、現代同様に「力」を持つ誰かの都合か不都合で歴史から削除されてしまっている。
俺の親父は祖母の前で彼らのことを「ケガレ」と呼ぶよりも「カーマン」と呼んだ方が強く叱られたそうだ。子供のころはそれがとても不思議だったらしい・・・・・・。
「彼ら」は「我々」から「特殊能力」を持つ職人とされ「不慮の死を遂げた者」の死後処理を請け負ってきたのだったが、それは彼らの「美しさ」が盾となり、場合によっては伝播すると考えた「穢れ」をそこで絶つと同時に清められる、としていたからだ。つまり本音では単に「押し付けていた」に違いない、と俺は思っている。だから「我々」の多くは「彼ら」の「職能」を本当には信じていなくて、信じる者は、実際にはかなり少数なのではなかろうか。昔からそうだった気がする。と言うのは後に弔事の主流が「丸ごとパック」になるとは考えもつかなかったころ、彼らは左目を使って、我々には見えない我々の「魂」を、もちろん我々には見えない、虹の一番下にあると言う白いアーチへ流した・・・・・・少しばかり考えてみて欲しいのだが、身内であってさえ特定の死に方をしてしまうと、それを「穢れ」として忌み嫌うような者の一体誰が、そのくせ同じように見えない、実効性の証明など出来ようもない、死後の救済的な「モノ」あるいは「こと」を心から信じられていると言うのか? むしろ「穢れ」ではなく、自らの想像力と他人の目を恐れただけでしかないはずの我々には、単に「慰め」が必要だった。俺にはそうとしか思えない。
・・・・・・そして彼らの右目だが、こちらは「地上」で死んだ者の「魂」が見えると言う。
ずっとずっと昔の彼らは「地上」でも、おそらくは比類ない「美しさ」故に恐れられ、嫉妬もされると迫害へと至り「上空」へ移り住むことになったのだと俺は思っている。彼らの起源は地上にあるはずだ。でもいずれにしろ歴史はいつだって稚拙な知恵と不断の努力でどうにでも書き換は可能なのだ。