レ・ルーココについて 2 ハバの祖父ゲレーテ
いくらでもある地面の先には新しい街がいくつも出来ては広がり、これまで一部の者だけが手にしていた贅沢も、ついには社会生活のゼロベースとなり、太陽の動きでしかなかった「明日」が「夢見る明日」でもあることを知れるのだった。つまりこれまで、明日は我が子に食事を与えられるか否かの生活をしていた多くの大人たちは、真のプレッシャーから解放されたわけだ・・・・・・するともとから裕福に暮らす限られた富裕層はこう考えた。
たとえば「10」でしかなかった連中のモノが「20」になったのならば、俺たちの「100」だったモノも「200」にならなければ不公平な世の中でしかないぜ。
限られた輩はやっきになったのだ。強欲という概念の夜明けだったのかもしれない・・・・・・。
「レ・ルーココ」を頼るしかない死が減ったのは、社会的には喜ばしい傾向で間違いない。それは彼ら自身もよく心得ている。だが彼らは密かに、安直な葬り方に疑問を持ち始めていた。「魂」丸ごと格安パックを謳う、半官半民の葬儀屋が現れたのだ。ハバの祖父がやりたい放題していた、ちょうどそのころである。
ハバの祖父は「ゲレーテ」だ。彼はセゾン一族において、いやそうじゃない、カーマンライン史上最も愚かな歴史的青年実業家へと育っていた。と言うのも自分より「力」のある者には進んで靴を舐めるのだったが、目下の者と言葉を交わすときは怒鳴らずにはいられなかった・・・・・・その結果、上からも下からも人望はゼロでやがて会社は見事に傾き、社会的にも嘲笑われるのだったが、そうなる前の彼はとにかくバイタリティーに満ちていた。
強欲という概念を知った一部の権力者たちは彼を利用して「100」を「200」や「300」に増やした。広がり続ける街のインフラ整備全般と建築資材の運搬、そして労働力の確保。
当時物流会社の副社長だったゲレーテは規制緩和の名のもと、社長である父親に相談なく他の事業にも手を出していき、でもやがて怒りに任せた暴言が引鉄となり「連中」たちからはしごを外された。
マジか・・・・・・といまさら絶句するしかなくなり、革やエナメルの味を覚えている舌先を切断したくなった。靴を舐める錬金術の負債に我が腸と我が社は燃え上がってしまったのだ・・・・・・もしゲレーテに、人生で一番大きな夢がなければ、社長の父親から、首をつって俺に詫びろ、とどやされた後実行し、格安を売りにする新たな形式の「弔い」を自らの身体と魂でお試しされてしまうところだった。
家庭内にも「愛」があるらしい、そんな噂を幼少の頃より耳にしていたゲレーテは、いつか自分が父親になったら「噂」を検証してみたい、という夢が、舌先に残る甚だしい屈辱や、自死を迫る前の両親が立ち眩みした負債より、何よりも強かったので命も会社も、どうにかサバイブしていこうと決めた。以後の彼や彼らの苦労は筆絶に尽くしがたいので、文字通り割愛させていただく・・・・・・。
さて「葬儀屋」と言うよりも「流し屋」と呼ばれる職に就いていたのはもちろんレ・ルーココたちだったが全員が全員ではない。しかし「流し屋」は全員がレ・ルーココではあった。彼らの商売は上がったり、となったのは言うまでもない。