第5ページ 可憐な花恋ちゃん
「おーい星宮~!メシ食おうぜメシ~!!」
「あぁぁぁ‥‥やっとお昼休憩だぁ‥‥」
4時間目の授業の終わりを報せるチャイムが鳴り止まぬうちに、二人の男子生徒が僕の元へとフラフラ立ち寄って来た。
「ちょっと待て、まだ机の上が全然片付いていない」
「おいおい、チンタラやってると昼休み終わっちまうぞー?あ、桧垣さん!机借りるね!」
このいかにもノリが軽そうな男の名前は冴木俊介。誰とでも分け隔てなく友達になれる人懐っこさと、目を見張るほどに卓越した運動神経だけが長所のバスケ部の若きエースである。昼休みになるとこうして僕の前の桧垣さんの席を陣取って、ガツガツと昼食を喰らい出すのだ。
「さっきの授業ものすごく退屈だったのに‥‥凄いねヒカリくん。プリント、もう完成してるとは―――後で見せて貰おうかなぁ」
「別にいいけど、対価は高くつくぞ」
こっちのどこか抜けた雰囲気の男は五百森晴也。冴木と違って穏やかな性格で、いつも眠そうな顔をしている。一応茶道部に入部しているが、ほとんど部活動に参加していない幽霊部員らしい。
「で‥‥この前の話は考えて戴けましたでしょうか、星宮殿」
「この前の話?あぁ、バスケ部勧誘の話か?」
「そう、それ!」
「断る」
「なんでぇ!?」
「何でって―――僕は運動が得意じゃないって何度も言っているだろ」
僕は溜息まじりにそう言い放つと、机の上を整理してカバンからお弁当の風呂敷を取り出した。さぁ、今日の献立は何だろう。ふたを開ける前からドキドキが止まらないな。
「いただきます」
「確かに体育の授業中はお前いつも目が死んでるけどよ‥‥!でも、お前の中には何か光る物があるって俺の本能が叫んでるんだ!1週間‥‥いや、1ヶ月でいい!一緒にバスケやろうぜ!な!?」
「なんで1週間から1ヶ月に伸びてるんだよ‥‥」
そこは普通、期間を短くして提案するものでは?
「諦めなよ俊介くん。ヒカリくん嫌がってるじゃないか」
「嫌だ!俺は星宮とバスケがしてぇ!こんな逸材を放っておくなんてもったいな過ぎるだろ?!」
「冴木は僕を買いかぶりすぎだ。本当に僕は運動が苦手で―――できることなら体育の授業全部休みたいって思ってる」
「そ、そこまでか‥‥?」
そこまでではないが、まぁ‥‥あながち嘘でもない。体育の授業中は周りに気を遣うし、他の授業の何十倍も疲れてしまう。体育祭を休む口実を、今から練り始めているくらいだ。
「まぁでも無理強いはできねーし――――口惜しいが今回は諦めるとするか」
「懸命な判断だよ、冴木殿」
「いや、まだ完全に諦めたわけじゃないからな?」
「俺はいつか絶対お前と一緒に全国大会で――――――」
「花恋ちゃんだ!!花恋ちゃんが通るぞ!!!」
突如として―――廊下の近くに立っていた一人の生徒が、冴木の声をかき消すほどの大きな声でそう叫んだ。
「マジ!?見たい見たい!!」
「写真撮ろうぜ写真!」
「ちょ!早く廊下出よ!」
花恋ちゃん。その名前を聞いた瞬間、教室に居た生徒たちは何もかもを放り出して廊下へと駆け出して行った。スマホ片手に我先にと駆け出すその姿はまるで、火事場へと急ぐ野次馬のようである。
「おーおー、相変わらず凄い人気だねぇ」
「なぁ冴木。花恋ちゃんって一体誰だ?」
「なんだ知らねーのか?まぁお前はそういうの興味無さそうだしなぁ」
心底つまらなさそうな顔のまま、冴木はお弁当のおかずを淡々と口へと運ぶ。どうやら彼も、花恋ちゃんとやらが何者かを知っているらしい。
「ごちそうさまでした。じゃ、僕もちょっと行ってくるね」
そう言って、ついには五百森まで廊下に出て行ってしまった。他の生徒と違って熱狂的と言う風には見えなかったが―――やはり片手にはスマホが握られていた。
「花恋ちゃん‥‥誰だか知らんが凄まじい人気だな」
「そりゃあ、超人気アイドルが同級生にいちゃあ―――誰だって気になるだろうよ」
「超人気アイドル?そんなのがうちの高校に居たのか?」
「4組の純城花恋。1年くらい前に電撃的にデビューした超大手芸能事務所所属のスーパーアイドル様だ。まぁアイドルっつっても、今は女優業やモデルやらのタレント活動に力を入れているらしいけどよ」
「へぇ―――」
「国内外問わずにとにかくすげぇ人気で、テレビやSNSじゃあ毎日イヤになるくらい目にするレベルなんだけど‥‥お前、本当に知らねーの?CМなんかもバンバン出てるぜ?」
「顔を見たら分かるかもしれない」
正直あんまりピンとこないな。
「その純城花恋とやらを見るために、みんな廊下の方へ出て行ってしまったワケか」
「そゆコト」
「冴木は見に行かないのか?」
「行かねーよ。別に好きでも何でもねーし」
「結構詳しかったのに?」
「あのなぁ、俺がさっき喋ったのは日本の若者なら誰でも知っているいわば常識みたいなもんだぞ?別に詳しくもなんともねぇ、むしろお前が知らなさ過ぎるんだぜ?」
冴木はそう言って、やれやれと呆れたような表情を作って見せた。
「お前こそ、今の俺の話聞いて興味とか出なかったのか?」
「出ない。だが向こうから会いに来たなら、その時は話をしてやってもいいかもな」
「ははははは!!何だそれ!やっぱり星宮は大物だな!」
1日の終わりを報せるチャイムが、今日も甲高く鳴り響いた。勉学に勤しんでいた生徒たちは皆それぞれ思い思いの放課後を過ごすために散り散りになっていく。当然、僕もその一人だ。今日も仕方なく阿鼻さんの待つ旧校舎へ向かおうとしたのだが―――。
「星宮くん」
「ん‥‥?」
教室を出ようとした瞬間、一人のクラスメイトに呼び止められてしまった。
「今日学級委員の会議があるんだけど、放課後残れそう?」
「・・・」
ああ、そういえば僕はこのクラスの学級員だった。そしてこのポニーテールが特徴的な凛とした雰囲気の彼女も、学級員に立候補していた生徒だ。確か名前は‥‥何だったか。
「ああ、問題ない」
「そう?良かった、じゃあ16時に1組集合らしいから、よろしくね」
「分かった」
16時から会議か‥‥今日はオカルト研究部に顔を出せそうにない。僕は阿鼻さんにそのことを伝えるため、1組の教室へと出向いた。
「と、いう訳なのですが」
「ああ、分かった!学級委員の仕事頑張ってくれよ!」
「はい、ありがとうございます」
「私の机を使ってもいいが、くれぐれもイタズラとかはするんじゃないぞ!」
「しませんって。ていうか、そんなこと言われると逆にフリのように聞こえるんですけど」
「フリじゃないから!」
阿鼻さんへの挨拶もそこそこに、僕は再び教室へ戻った。16時までにはまだ少し時間があるので、提出物などの課題を適当にこなしながら時が来るのを待つことにした。
15時55分、僕は勉強道具を片付けて1組の教室へと赴いた。部屋には他クラスの学級員と思しき生徒がちらほらと集まっており、他愛のない会話に勤しんでいるようであった。そして、その中の一人であるあのポニーテールの女生徒は僕に気が付くと、会話を切り上げてこちらへ近寄って来た。
「良かった、来てくれたんだね。帰っちゃったかと思ったよ」
「帰っていいなら今からでも帰りたいくらいだけどね」
僕は別に望んで学級委員になったわけでもない。誰も立候補者がおらず、だらだらと無駄な時間が流れていくのに耐えきれずに手を上げただけだ。まぁ、手を上げた以上、学級委員としての責務は果たすつもりではいるけど。
「まぁそう言うなって。これから嫌でも半年は一緒にやってくんだから、仲良くしよう」
そう言って、彼女は僕の前に手を突き出してきた。‥‥握手だろうか。
「アタシは化野沙耶花、剣道部に所属してるんだ。改めてよろしくな」
「僕の名前は星宮ひかり。ご丁寧にどうも、化野さん」
軽く挨拶をして、僕は差し出された手を取った。やはり剣道をしているだけあって、指の付け根の皮が分厚くなっているようだ。世間一般でいう綺麗な手、とは言い難いが日常の厳しい鍛練を彷彿とさせるカッコイイ手をしている。
「・・・」
「化野さん?」
「!」
「そろそろ手を離したいんだけど」
「す、すまない!」
ハッとした様子で、彼女は急いで手の力を緩めた。
「はーい、そしたらぼちぼち始めて行こうかー」
「あ、先生来た‥‥アタシらも座ろっか」
学年主任の飯村が、黒い簿冊を片手に教卓へ上がる。和気あいあいとしていた各クラスの学級委員たちはそれぞれ席に着き、メモを取る為のノートを開け始めた。
「よし、全員揃ってるかー。2、4、6‥‥ん?」
「おい竹内、水無瀬はどうした?」
「えー?あれ、ほんとだ。どこ行ったんだろ」
「お前何も聞いてないのか?」
「はい、ちょっと分かんないっすね」
「水無瀬のこと何か聞いてる人いるかー?」
4組の学級委員が、一人居ない。同じクラスである竹内とかいう男は、我関せずと言った風に澄ました顔を決めている。もちろん、飯村の問いかけに答えられる者はこの部屋には居ない―――本当に、時間の無駄だ。
「仕方ない、時間も時間だし今回は水無瀬抜きで話を進めていくぞ」
「先生」
「どうした星宮?」
「僕が水無瀬さんを探してきます、会議は先に進めておいてください」
「うーん、分かった。じゃあ一回4組の教室見てきてくれるか?そこに居なかったらわざわざ他の場所に探しに行かなくていいからな」
「はい、分かりました」
「アタシも行きます!」
僕が席を立った瞬間、何故だか横に座っていた化野さんまでもが勢いよく立ち上がった。
「いや‥‥僕一人で大丈夫だけど」
「アタシも行く。だって本当なら同じクラスのアイツが―――」
「行くのは星宮だけでいい、化野は星宮が聞き漏らしたところを戻って来た時に伝えてやれ」
「‥‥はい」
「よし、じゃあ進めていくぞー」
どう見ても納得していない表情を浮かべながら、化野さんはしぶしぶ席に着く。その様子を横目で見届けながら、僕は1組の教室を出た。
「さて、勢いで出て来たのはいいものの‥‥」
水無瀬さんって、誰だ。顔も、背格好も、声も、部活も、何一つ分からない。分かっているのは4組の女性学級委員であるということだけ。この時間の1年の階層はそこまで人も多くないし―――聞き込みは難しそうだ。
飯村は教室だけでいいと言っていたが、それだけでは“探した”とは言えない。飯村は明日、会議に来なかった水瀬さんに「みんな探したんだぞ」と言って叱りたいだけに違いないだろう。本気で彼女を案じているなら、それこそ全員で探すか自宅に電話でもすればいい。会議なんていつでもできる。
飯村が欲しいのは、体裁‥‥不在の水無瀬さんを探すために“行動を起こした”という事実だけ、彼女が見つかろうが見つからまいがどうでもいいのだ。
「流石に教室にいるわけないよなぁ」
そんな独り言を呟きながら、僕は4組の扉を開く。
するとそこには、忙しそうに掃除用具を片付けている眼鏡姿の一人の女生徒が居た。
「あの‥‥すいません」
「はいっ!?」
僕の呼びかけに驚いたのか、彼女は飛び上がるような仕草で返事をした。まさかとは思うが、この子が―――。
「水無瀬さん、ですか?」
「そ、そうですけど‥‥あなたは?」
「僕は星宮といいます。5組の学級委員をして―――」
「まさかわざわざ私を探して‥‥?すいません!本当にすいません!!すぐに片付けますから―――!」
学級委員という言葉を聞いた途端、彼女は凄まじい勢いで焦り始めた。そして、箒を乱雑に用具入れに詰め込もうとした瞬間――—用具入れの上に置いてあったちりとりが、彼女の頭部へと落下した。
「わっ!?」
「っ!」
気が付いた時には、身体が勝手に動いていた。僕は落下するちりとりを“力”を使って浮遊させ、然るべき場所へとそっと置き直した。人前で力は使いたくなかった、でも流石に今回ばかりは仕方ない―――もし面倒なことになりそうなら、記憶を改竄すればいい。
「あれ、今――え?」
「行きましょう水無瀬さん、会議‥‥もう始まってるみたいですし」
「そうだ‥‥会議‥‥」
「どうしました?」
「ごめんなさい、まだ仕事終わってなくて―――」
消え入りそうな声で、水無瀬さんは震えながら呟いた。
「仕事って?」
「水道の手洗い石鹸の補充‥‥です」
「石鹸の補充って、それ清掃委員の仕事じゃないんですか?」
うちの高校では月一回の石鹸の補充などは、清掃委員の生徒が決まった周期で一斉に行うことになっている。教室の掃除だって、担当グループが週替わりで決まっているはずだ。1人残って掃除をするなんてことはありえない。いや、あってはならないのだ。
「そうですけど‥‥」
「清掃委員の人は?今どこに居るんですか?」
「帰っちゃいました‥‥」
「・・・」
まぁ、大方そんなことだろうとは思った。
「となると、教室の掃除担当の人も水無瀬さんを置いて帰っちゃったんですね」
「‥‥はい」
教室の掃除なんて、複数人でやればものの数分で終わる。それを、こんな時間まで一人でやらせるなんて―――考えただけで気分が悪い。
「でも、いいんです‥‥純城さんは私なんかと違って、忙しいんですから‥‥教室の掃除も、清掃委員の仕事も‥‥そんなのに構っている時間なんてないんです‥‥」
「―――純城、ね」
純城花恋‥‥確か昼間に冴木が言っていた超人気アイドルか。芸能活動に勤しむのは結構だが、自分の仕事くらい他人に押し付けずにきっちりとこなして欲しいものだ。
「まぁいいや、教室掃除はもう終わったんですね?」
「は、はい」
「よし。じゃあ1組に行きましょう」
「あ、でも。石鹼の詰め替えがまだ―――」
「石鹸の詰め替えなんて明日にでも純城にやらせればいい」
「でも、そんなことしたら私‥‥!」
「純城に何か言われるようなことがあれば、5組の星宮に無理やり連れていかれたって言ってくれ。その時は僕が絶対に水無瀬さんを守って見せるし、二度とこんなふざけた真似できないようにきつく言っておくからさ」
「‥‥あの」
「ん?」
「本当に―――いいん、ですか?」
「いいに決まってる」
「ありがとう‥‥ございます」
さっきまでずっと暗い顔をしていた水無瀬さんだったが―――この瞬間だけは、少しだけ笑顔を見せてくれたような気がした。
僕が水無瀬さんと教室に戻ると、飯村は一瞬だけ話の手を止めたが―――特に何も言わず、そのまま会議を続行した。学年の目標だとかクラスの課題だとかの話をひとしきり話し合って、17時のチャイムと共に会議は終了したのだった。
翌朝。僕はいつも通りあかりと駄弁りながら登校していた。憂鬱な1日の始まりにとって欠かせない、短くも大切なひと時――僕の原動力の8割は、朝の彼女との会話で充填されると言っても過言ではない。
「ね、ひかり!今日部活オフだから一緒に帰れるよ?どっか寄ってこ?」
「今日?」
「うん!」
ハツラツな笑顔のあかりとは対照的に、僕は苦虫を嚙み潰したような苦悶の表情を浮かべていた。あかりの提案は素直にうれしい。だが、寄りによって今日か。昨日部活を休ませてもらったから、流石に2日連続というのは阿鼻さんに申し訳が立たない。ここは適当な言い訳をつけて丁重にお断りさせていただくとしよう。
「悪いな、今日はちょっと‥‥」
「埋め合わせ」
「え?」
「この間、私を置いて帰った日の埋め合わせは必ずするって―――ひかり言ってたよね?」
「言った‥‥かもしれない」
「かもしれないじゃなくて言った!」
はい、言いました。確かに言った‥‥でも今日は駄目だ。
「ごめん、実は今日も一緒に帰れそうにないんだ」
「なんで?ひかり、帰宅部だよね?なんでそんな遅くまで学校に残る必要があるの?」
「それは、その―――学級委員の仕事とか、色々だよ」
「分かった。じゃあ私ひかりが学級委員の仕事終わるまで待ってる、それならいいよね?」
「いや、良くない」
「おい」
言えない。古今東西オカルト大研究部に勢い余って入部したなんて‥‥あかりにだけは絶対に言えない!!
「ひかりくん」
「はい」
「何か隠してるよね?」
「隠してません」
「本当は?」
「・・・」
「何で黙るの?もしかして本当に彼女出来たとか―――」
「それは断じて違う!」
オカルト研究部のことはいつまでも隠し通せそうにないし、いつかはあかりにも打ち明けなければならない。でも、それは今じゃない。しかし、彼女の追及をうまく躱すのにも限界がある。割とマジなあかりの目から察するに、ここである程度の回答を用意しないと彼女は納得してくれないだろう。
「なぁ、あかり」
背に腹は代えられぬ。本当は使いたくなかったが、ここは奥の手を使うとしよう。
「あかりの誕生日って再来週だよな」
「そうだけど‥‥それがなに?」
「いや、それだけなんだけどさ」
「全然意味わかんな――――」
そこまで言いかけて、あかりは突如として沈黙した。そして驚愕の真実に気が付いたかのようにハッとした表情を浮かべ、目をぱちくりさせながら僕の顔を凝視し始めた。
「まさか‥‥ひかりが最近私に隠れてコソコソしてるのって‥‥秘密の誕生日サプライズの準備のためだったの!?」
よし、引っかかった。
というか、仮にそうだったとしても本人を前にそこまで言いきっちゃダメだろ。
「さ、さぁ―――僕からは何も言えないな」
「ふーん、ほーん、えへへー。そっかー、ふーん」
「もう、仕方ないなぁひかりは。あー、何だか今日は急に一人で帰りたくなっちゃったなー」
屈託のない笑顔を浮かべ、何故かくるくると回り出すあかり。放っておけば、今にもスキップでも始めてしまいそうなほど軽快な足取りだ。溢れる嬉しさを隠さずに前面に出すのは、あかりの昔からの癖みたいなものだが―――何度見ても心が締め付けられるほどに愛おしい。先ほどのドスの利いた表情からは想像もつかないほどの可憐さだ。
「テンションが高いのは結構だが、あんまり車道側に出るなよ」
「分かってるよー、心配性だなーひかりは」
「お前を見ているといつだって心配になる」
あかりはくるくると嬉しそうにひとしきり回ったあと、僕の方を振り返ってこう言い放った。
「―――期待、してるからね」
待ちに待った―――と言うほどでもない昼休み。あかりへカミングアウトする日のための予行演習として、まずは手始めに冴木と五百森に僕がオカルト研究部の所属であることを伝えることにした。
「へー!お前オカルト研究部だったのか、てっきり帰宅部かと思ってたぜ。つーかそんな部活あったんだな!ははは!」
「それ本当に大丈夫なヤツ?確か1組のアビさんって人が部長やってるんだよね?」
「ああ、そうだ」
冴木は笑い、五百森は怪訝そうな表情を浮かべている―――同じクラスメイトでもここまで反応が違ってくるとは面白い。まぁ、冴木の反応はあまり当てにならないかもしれないが‥‥。
「部員は何人くらいいるのかな?」
「僕と阿鼻さんの2人だけだな」
「2人!?え、廃部とかになんねーのかそれ?!」
「なりかけてた、多分」
冴木の指摘はもっともだ。部として活動を行うためには最低でも部員が5人以上必要で、今のオカルト研究部は部としての基準を満たしていない。正式に廃部が決まる前に僕が入部したことで半年間の部員の出入りというひとまずの条件はクリアできたが‥‥またいつ廃部通告されてもおかしくはない。そのあたり、一度生徒会の連中と話をしなければならないな。
「もし頭数が必要になったら、その時は頼りにしてるぞ五百森」
「ぼ、僕は茶道部のエースだからなぁ‥‥鞍替えするのはちょっと難しいね」
茶道部のエースとは。
「今日の花恋ちゃん見た!?すっごく可愛かったよ!?」
「透き通り過ぎてて逆に怖いよね‥‥流石トップアイドルはレベル違うわ」
廊下の様子が何やら騒がしい―――会話の内容から察するに、また純城花恋が同級生たちを騒がせているのだろうか。毎度毎度、彼女の人気は凄まじいものだな。
「なんだぁー?また大名行列か?各メディアに引っ張りだこの癖に、登校する頻度上がってね?」
「撮影中だったドラマがクランクアップしたから、しばらくスケジュールに余裕を作ったらしいよ。芸能界のスターっていっても、彼女まだ16歳だし―――やっぱり学生としての生活も楽しまなきゃ」
「学生としての生活を楽しむにしても、少し廊下を歩いているだけであんだけ群がられちゃあ落ち着かねえだろ」
「―――そうだ」
純城が廊下に居るなら丁度いい、彼女には一つ言っておきたいことがあったのだ。
「おい、どこ行くんだよ星宮」
「ちょっと純城花恋と話してくる」
「んー?昨日は涼しげな顔してたくせに、やっぱりお前も気になるんだな!ははは!」
「そういうのじゃないよ。ちょっとひとこと言ってやりたいだけだから」
「うんうん―――え?」
目を丸くする冴木を無視して、僕は教室を後にした。
廊下に出てみると、そこは凄まじい熱気に包まれていた。生徒たちは両端に沿って綺麗に整列し、スマホを片手に狂気的なまでの大歓声を上げている。もはや学校というより煌びやかなランウェイや、ハリウッドのレッドカーペットのそれに近い有様だ。よく見れば、熱狂的な生徒たちにまじってこっそりスマホを構える教師の姿も見えるではないか。
この現実離れした光景を目にしただけで、純城花恋がいかに絶大な人気を誇っているかが痛いほどに分かる。そして遂に―――向こう側から一人の女生徒が堂々と廊下の中央を歩いてこちらにやって来た。
「花恋ちゃーん!!」
「写真撮って!写真!」
「次いつ登校するかわかんねーぞ!?握手してもらえって!!」
「ヤバ!顔ちっさ!!」
「あー、可愛すぎる」
彼女が近くに迫って来た瞬間、生徒たちの歓声は一気に爆発した。そして、僕の視界にもハッキリと彼女の姿が写り込んだ。
「あれが―――純城花恋」
身長は150数cmと言った具合だろうか。四肢は細くしなやかだが、メリハリのある体つきが相まってスリムすぎるという印象は受けない。ごく自然でありながら入念に手入れされた茶色のボブカットは、見るもの全ての視線を釘付けにするのも納得だ。
だが、そんなことはどうでもいい。僕は彼女の容姿を褒める為にわざわざ貴重なお昼休憩を削ってまで廊下に出て来た訳では断じて無いのだから。
僕は人ごみを雑にかき分けて進み―――優雅に廊下を歩く純城花恋の前に、堂々と立ちふさがった。
「純城花恋さん、だよな」
「―――あなたは?」
「星宮ひかり。実はあんたに言いたいことがあってな」
「ごめんなさい星宮くん、ラブレターなら事務所にでも送ってくれないかな?私、今急いでるの!」
「急いでいるようには見えないが」
「‥‥」
ほんの一瞬。常人であれば絶対に気が付かぬほどの刹那、キラキラと輝く彼女の瞳に明確な“殺意”が灯ったのを感じた。態度や表情には全くでていないが、気持ちよく歓声を浴びていたところを邪魔されて苛立っているのは間違いない。
くだらない因縁をつけられると面倒だが、水無瀬さんのためにもここで引き下がるわけにはいかない。誰かが言わないと、彼女はずっと良いように使われてしまう。
「昨日‥‥教室の掃除と清掃委員の仕事をある女生徒に押し付けて帰っただろ」
「もう!星宮くん?そういう言い方、あんまり良くないと思うよ?」
「口が悪くてすまない。でも事実だろう」
「‥‥」
「ふふ、星宮くん誤解してるみたい!昨日のは押し付けたんじゃなくて、水無瀬さんが自分からやりたいって私にお願いしてきたんだよ?」
「なに?」
「でも、そっかー。私、結果的に水無瀬さんに悪いことしちゃったなー。後でちゃんと謝っておかないと。教えてくれてありがとうね、星宮くん!」
そう言って、純城は申し訳なさそうな顔をして笑った。その所作があまりにも白々しくて―――僕は思わず言葉を失ってしまった。
「だけど―――さ、星宮くん。仮に私が水無瀬さんに作業を押し付けたのだとしても、それは本当に悪いことなのかな?」
「答えるまでもなく悪い、質問の意図が分からないな」
「みんな知っての通り―――私ってほら、超有名人じゃない?やっぱり毎日がめちゃくちゃに忙しい訳ですよ。みんなとは時間の価値が違うっていうか、私の30分と水無瀬さんの30分は雲泥の差があるっていうか‥‥」
「誰でもできるような雑事なら、私よりも相応しい人がやるべきだと思うんだよね」
耳を疑いたくなるほど傲慢な思想を、純城はまるで天気の話をするかのように軽々しく口にした。僕は彼女のことをよく知らない。わずか数分前に初めて顔を知り、少しの問答を投げただけの他人以下の関係だ。だがそれでも―――今の言葉を聞いて、純城花恋がどういう人間なのかを推し量ることができた。この手の輩には何を言っても意味が無い、会話をするのも時間の無駄だ。真面目にぶつかっても得るものはない。
だから僕は――――。
「ああ、そうだな」
と、心の底からどうでもいい返事をした。
「‥‥は?」
「急いでいるとこ邪魔して悪かったな、もうどこへなりとも行っていいぞ」
そう言って、僕は純城との会話を切り上げた。
純城が多忙で委員会の仕事をこなせないなら―――クラス全体で協力して補い合うか、毎日の休み時間にでも少しずつできることをやっていけばいい。なんて偉そうなことを提案しようと思っていたが、とても話の通じそうな相手では無かった。あれだけ水無瀬さんに大見得を切ったのに、何もできず終いとは申し訳ない。せめて同じ学級委員のよしみとして、これからはちょくちょく彼女のところに顔を出すようにしよう。
ああ、思ったより時間をくってしまった。次は移動教室だというのに、あと数分でチャイムがなってしまう。
「待って」
しかし‥‥立ち去ろうとした僕の背を、針のように鋭い純城の声が呼び止めた。
「悪いな、急いでるんだ」
そう言って、僕はピシャリと教室の扉を閉めた。
「―――」
予鈴が鳴り終え、先ほどまであれほど賑わっていた廊下にはもう誰も居ない。静まり返った世界にただ一人取り残された純城は、言葉では言い表せないほどの激情に駆られていた。
「‥‥へぇ」
さっきのアイツの目――あれは私を見下している目だ。何の才能もないただの平凡な一般人の癖に、ヤツは私を見限ったんだ。これほどの屈辱は、未だかつて味わったことがない。
「何様のつもりだよ、星宮ひかり」
立場も弁えずに私に楯突いたコト、後悔させてあげる。