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第4ページ 学校の七不思議


 僕は他人とは違う。


 人間は誰しもが違っているものだけれど、僕の場合は大前提の部分から決定的に異なっている。人間に近い造形はただ社会に溶け込むための飾り物で、本当の僕はきっと醜い姿をしているに違いない。


 何故そこまで言い切れるのか?そんなものは決まっている、何故なら僕の正体は――――。


「おい星宮!そっちにボールいったぞ!」


「え」


 声の方を振り向いた瞬間、突如として顔面に鈍い衝撃が走った。


「す、すまん!大丈夫か星宮!?すげぇ勢いでボールぶつかっちまったけど‥‥!」


 心配そうな顔で、一人のクラスメイトが僕の顔を覗き込んだ。そんな彼につられて、他のクラスメイトもぽつぽつと僕の元に歩み寄って来る。ああ、そうだ。そういえば今は体育の授業中だったのだ。バスケの試合があまりに退屈だったので―――少し放心状態になってしまっていた。


「うん、問題ない」


「ほ、本当かよ・・・鼻とか折れてないよな?」


「大丈夫だ」


「そ、そうか。なら試合再開といくか!」


 そう言って、最初に駆け寄って来た彼はいそいそとゲームを再開する。むさ苦しい体育館にはシューズの奏でる耳障りな歩行音と、ボールのバウンド音が再び響き始めた。座学の時には眠りこくっている連中も、この時間だけは水を得た魚のように元気になる。僕にとっては理解できない現象だが、理由はなんとなく推察できた。


 体を思いきり動かし、自身の持てる力を余すことなく発揮して相手と競い合う。経験をしたことはないが、それはきっと“楽しい”のだろう。彼らにとって体育の授業とは、勉強や日々のストレスといった重圧を忘れ、自らを解き放つ為の時間に他ならない。


 ヒトではない僕にとっては―――その真逆という訳だ。




 一日の終了を報せるチャイムが鳴り、生徒たちは思い思いの放課後へと駆け出していく。もちろん僕もそのうちの一人なのだけれど‥‥今日は少し気分が重い。オカルト研究部に入部した手前、一応部室の前まではやってきた。目の前の扉一枚隔てた向こう側には阿鼻さんが僕を待っているはずだ。


 だが、今日は昨日の山登りのように校外を歩き回るのはゴメンだ。また厄介そうな展開になりかけたら‥‥その時は阿鼻さんの記憶を少し弄らせてもらうとしよう。


「おお!来たな星宮研究員!!」


 扉を開けるなり、満面の笑みで阿鼻さん‥‥もとい部長が声を張り上げた。


「研究員はやめろって言いましたよね」


「でもそっちの方がカッコよくないか?」


「阿鼻さんのこと、部長って呼んであげませんよ」


「じょ、冗談じゃないか星宮クン~!きみは相変わらずジョークが通じないなぁ」


 どんだけ部長呼びに憧れがあるんだこの人。手の平くるっくるじゃないか。


「そんなに机散らかして‥‥何してたんですか?」


「次の調査対象を選別していたんだ。いくつかに絞ることが出来たんだが、どれもなかなかに興味深くてね。良ければ星宮クンの意見も聞かせてほしい」


「そうですか、じゃあ一番楽そうなヤツで」


「な、泣くぞ!?本当に泣くぞッ!?」


「はいはい――――で、どの候補で悩んでいるんですか」


 僕は阿鼻さんを適当になだめて、彼女の横に腰かけた。大きな会議机の上には例のノートと様々なオカルト雑誌、良く分からない謎の写真などがゴチャゴチャと散乱していた。


「うむ、この3つなのだが‥‥」


 そう言って、阿鼻さんは細く美しい指先でノートに書かれた文字を指さした。


「なになに―――」


 先月未明、隣町のとある農家の家畜が一夜にして10頭も襲われるという事件が発生した。被害に遭った家畜の死体には、いずれも鋭い牙で血を吸われたと思わしき共通点があり、人間によるものではなく何らからの野生動物の犯行との見方が強まっている。そして三日後、またも家畜が10頭襲われた。死因は同じく失血死。防犯カメラの映像を農家が確認したところ、そこには衝撃の映像が映し出されていた。


 バタリ、バタリと倒れていく家畜たち―――しかし、その周りには“何も映っていなかった”のだ。まるで突然死したかのように、ひとりでに家畜たちは死んでいった。犯人は、もはや人智の及ぶ相手ではない。この奇妙な現象に恐怖した農家は、生き残った僅かな家畜をつれて遠い地へと引っ越したと言う。


「へぇ、隣町って霧雨町のことですか?」


「良く分かったな、この事件はあまりニュースでは取り上げられていなかったと思うんだが‥‥誰かから聞いたのか?」


「近くで起こったことですし、オカルトとか関係なく普通に話題になってましたよ」


 まぁこれは却下だな。彼女のことなら、今から霧雨町に向かうとか言い出しかねない。犯人は渡来チュパカブラ!?と書かれた馬鹿な一文を読み飛ばし、僕は二つめの候補へ目を移した。


 あなたは、こんな経験をしたことがないだろうか。寝つきが悪く眠りの浅い憂鬱な夜、ベッドの中でふと耳を澄ませると、遠くで線路を走る電車の走行音がかすかに聞こえてくる。ふと時計を見れば、終電など走っているはずもない時間帯であることが分かるだろう。早く眠ってしまいたいあなたは、ただの聞き間違いとして、特に気にするでもなく瞳を閉じる。


 この話を聞いてピンと来ていない人は、何を馬鹿なと思うことでしょう。しかし―――興味深いことに、何故だかこの町では、真夜中に走る電車の音を聞いたことのある人が大勢いることが調査の結果判明したのです。※鉄道会社に確認済み。


「何ですか、これ」


「星宮クンは経験したことないかな?ベッドの中でぼーっと天井を眺めていたら、どこか遠くから電車の音が聞こえてくる‥‥みたいな」


「・・・」


 あるような、ないような。


「ただの幻聴なんじゃないですか?」


「失礼な!きちんと鉄道会社に裏付けもとってあるんだぞ?!」


「どんな?」


「だいぶ前、深夜に電車を走らせているのか駅員さんに尋ねたら、“走ってませんよ?でも、同じような質問やクレームは何人もの人から寄せられていますね”そう回答してくれたんだ」

「つまり、私以外にも同じような質問をしている人や、深夜の走行音を聞いた人が他に居るという訳だ!」


 それは‥‥ちょっと面白いかもしれない。不覚にも阿鼻さんに一杯食わされてしまった。でも――――。


「却下で」


「な?!これは結構イケると思ったんだが‥‥」


「興味深い内容ですけど、ただの高校生二人が調べるには規模が大きすぎます。手がかりもありませんし、この調査だけで一年以上かかるんじゃないですか?」


 物好きなテレビ番組や配信者に持ち込んで、どこかの誰かに任せた方が効率がいいだろう。まぁ、それじゃあ阿鼻さんは納得しないかもだけど。


「なら、こういうのはどうだろう?電車の音が聞こえる深夜まで星宮クンが夜更かしをする、そして音が聞こえた瞬間、ワープ的な力を使って音源まで瞬時に移動すれば―――!ほら、原因究明だぞ!」


「アホですか?」


 何がほら、だ。目をキラキラ輝かせて凄いことを思いついた風に言っているが、滅茶苦茶な荒業じゃないか。というか、僕の負担えぐ過ぎでは?


「チュパカブラも幽霊列車も気に入らないとすると―――残ったのは最後の一つだけだな」


「一応聞きますけど、どんな内容なんですか?」


「夜の体育館で誰も居ないのにボールのはねる音がする、いわゆる学校の七不思議というヤツだ」


「何か、他の二つと比べると見劣りしますね」


 真偽はともかく、今までの二つはそれなりに舞台背景や裏付けがしっかりしていたけど、これは何とも抽象的で調べるに値しないモノのように感じる。ただの噂話、それも全国どこの学校でも聞くような、信憑性の低い戯言ではないのだろうか。


「フフ、案外そうでもないぞ?実はこの三つ目の候補に関しては―――私が実際に目撃しているのだ」


「はは、まさか」


「ほ、本当だぞ!?嘘じゃないからな!!」


「何かの見間違いでしょう。ていうか、何で夜の体育館にいるんですか?」


「噂の真偽を確かめるために決まっているだろう!侵入するのにどれだけ手間取ったか‥‥」


「へぇ」


「貴様疑っているな‥‥!いいだろう、ならば今夜10時に校門前に集合だ!そこから体育館に行って私が嘘つきでないことを証明してやる!」


「いいですよ別に、今から阿鼻さんが赤っ恥をかく姿が楽しみです」


「ほうほうほうほう!いいのかなぁ、そんなに強い言葉を使っちゃって!私もキミの悔しがる姿が今から楽しみで仕方ないよ!あと、阿鼻さんじゃなくて部長って呼んで?!」



 と、いう訳で。



「あ‥‥本当に来た」


「何ですかその反応、帰りますよ」


 時刻は午後10時2分。阿鼻さんとの約束通り、僕は誰も居なくなった夜の校門前にいた。つい勢い余って阿鼻さんの挑発に乗ってしまうなんて‥‥自分のことながら理解に苦しむ。だが、今更来てしまったことを後悔しても遅い。適当にフラついてさっさと帰るとしよう。


「ちゃんと親御さんに許可は取ってきたか?」


「5分くらいしたら帰るって言って出て来ました」


「それは流石に急ぎ過ぎじゃないかい!?」


 まぁ嘘だけど。


「さっそく侵入、と言いたいところだが校内には防犯センサーが機能している。私が抜け道をレクチャーしてやるから、しっかりついてくるんだぞ?」


「その必要は無いですよ。センサーなら下校前に全部無力化しておきましたから」


「は?」


 校門付近の防犯カメラに連動しているセンサー2つ、体育館へ向かう順路には3つ、そして体育館入り口付近の赤外線センサー2つ、体育館内部のセンサー1つ、今晩の探索で通行するであろう場所のセンサーは全て押さえておいた。


「こ、壊したのか!?」


「いや壊すのは駄目でしょう、あくまで無力化です」


 侵入者を認知できないように少し僕の力で細工をしただけだ。明日には正常に機能を取り戻しているだろう。


「それに、体育館へ向かう道中のセンサー以外の防犯システムは生きていますから。変なことしないよう注意してくださいね」


 そう言って、僕は固く閉ざされた校門を軽く飛び越えた。見慣れたハズの場所なのに、明かりがないだけでまるで異世界のような場所のように感じられる。夜の学校とは、これほどまでに奇妙なものだったのか。


「よいしょっ、と」


 慣れた様子で校門を乗り越えると、阿鼻さんは懐中電灯をカバンから取り出した。


「頻繁に使うと巡回のおじさんにバレてしまうかもしれないからな、必要最低限しか使っちゃ駄目だぞ」


「―――いや、僕は大丈夫です」


 これくらいの暗がりなら、昼間と大差ない。


「それより阿鼻さん、夜の学校には何回くらい来ているんですか?」


「分からないけど、20回は超えてるぞ」


 結構来てるなぁ。


「でも不可解な現象を見たのは、先月の1回だけだな」


「それが夜の誰も居ない体育館ではねるボール、ってことですね」


「ああ。走り回る人体模型とか、13階段とか―――そういうのはまだ未経験なんだよ」


 学校の七不思議全コンプリートするまで満足しなさそうだな、この人。


「でも、そうですね。さっきあれだけ煽っていた僕が言うのもなんですけど、確かに体育館の方に何か居ますね」


「ほ、本当か!?」


 息を荒げながら、阿鼻さんは僕に詰め寄った。最初は阿鼻さんの勘違いか何かだと思っていたけど―――こんな気配を体育館から感じてしまっては認めざるを得ない。あそこには、何か良くないモノが住み着いている。それも、とびっきり邪悪なヤツだ。


「一応、僕が先に入って様子を見てきます。阿鼻さんは僕が合図するまで体育館には決して入らないようにしてください」


「おいおい、何を言っているんだ。私も一緒に行かなければ意味が無いだろう?」


「中には白縄みたいに危険な怪物がいるかもしれないんですよ?」


「んなこと言ってぇ!さては私をビビらせて帰らせようという算段だな!?」


「部長」


「ッ?!」


「ここで待っていてください、お願いします」


「し、仕方ない!ちょっとだけだぞ!もし5分以上星宮クンが出てこなかったら、強行突入するからな!」


「はいはい」


 チョロいな、全く。


「・・・」


 僕は分厚い体育館の扉を開き、ゆっくりと中に足を踏み入れた。


「思っていたより―――堂々とした怪奇現象だな」


 静寂と闇に包まれた体育館の中心から、一定のリズムで音が聞こえてくる。


 たーん。


 たーん。


 たーん。


 たーん。


 たーん。


「――――」


 ゴム製のボールが、誰も居ないのにひとりでに跳ねまわっている。いや、誰も居ないというのは少し違うか。ボールのすぐ近くから何者かの気配を感じる。姿は見えないが、そこには確かに何かが存在しているのだ。


「そこで何をしている」


 たーん。


 たーん。


 たーん。


「返事はなし、か」


 たーん。


 たーん。


「さて―――どうしたものか」


 たーん。


「・・・」


 音が止まった。バウンドを繰り返していたボールはまるで糸が切れたかのように、ぴくりとも動かなくなってしまったのだ。


「こいつは驚いた、アンタみたいに度胸のある人間は久しぶりだぜ」


 しかし、突如として暗闇から何者かの声が響き渡ってきた。声と言っても、まともな人間の声帯から発せられたものとは違う。鼓膜ではなく、直接頭蓋骨に振動を与えられているようで心底気味が悪い。


「お前は何者だ、こんなところで何をしている?」


「俺は悪霊だ。この体育館で死んで以来、ずっとこの場所に留まり続けている」


「悪霊か‥‥なら話は早いな。さっさと成仏しろ」


「お前―――霊能力者か?まさかこの俺を除霊しに‥‥?」


 悪霊がそう言い放った瞬間、空気が一気に淀み始めた。常人であれば、気分を害して精神に異常をきたすかもしれない。ヤツが、僕に対して敵意を向けているのだ。


「ククク、なんとも間抜けな霊能力者もいたもんだ。怪我しねえうちにとっとと帰んな、さもなくばお前の魂も、永遠にここに縛り続けられることになる」


「もう一度言う、さっさと成仏しろ。こっちはしょうもない七不思議探索に付き合わされてうんざりしてるんだ」


 この体育館に蔓延る邪気は相当なものだ。こいつが何を企んでいるのかは知らないが、生徒たちに被害が出る前にご退去願うしかない。


「俺は警告したぜ」


 バシュン!と、地面に転がっていたボールが突如として強引な力で踏みつぶされた。


「やっと姿を現したな、悪霊」


 ぼんやりと、しかし鮮明に、ボロボロの学ランを着た人間のような霊が暗がりから姿を現した。だがよく見ると、その体には頭がない。首から上が、綺麗に切断されているようであった。


「その校章は――――お前、ウチの生徒だったのか?」


「語るに及ばず」


 悪霊は体をバネのように跳躍させ、目にもとまらぬスピードで飛び掛かって来る。ヤツの腕は首を抉るように炸裂し―――僕は軽々と吹き飛ばされてしまった。


「・・・」


 体全身が打ち付けられ、鈍い衝撃がジンジンと響き渡る。そんな余韻に浸る暇も無く、悪霊は僕の頭を掴んで何度も地面に叩きつけた。


「その顔‥‥知ってるぜ?お前、そんなもんじゃねえだろ。体育の授業では毎回冴えないキャラを演じてやがるが―――あれは他人を傷つけないための演技だ。お前は自らの力を隠してやがる」


「!」


「俺はそういう澄ました野郎が一番大嫌いなんだ!!」

「本気でやってみろよ!相手はこの悪霊様だ!抵抗しなきゃ死ぬぞテメェ!!」


「・・・」


 首も無いくせに、よく喋る。やけに知った風な口をきくと思えば―――そうか。コイツは体育館にずっといるせいで、普段の僕の様子を見ていたんだ。昼間っから他人のプライベートを盗み見とは、何とも趣味の悪い。


「気遣いには感謝する、でも駄目なんだ」


「あァ?」


 僕の力を全力で他人を傷つけるために使えば、きっと恐ろしいことになる。


 矮小な悪霊一匹を相手に、そんな酷い真似をするわけにはいかない。


「だから、ごめん」


 僕はそっと、悪霊の体に手を添えた。そうして冷たい体の奥底に眠っている魂の灯火をイメージし、一切の慈悲なく炎をかき消した。


「あ、ああ‥‥!?体が‥‥!」


 悪霊の体が、まるで砂のように風に乗って消えていく。魂という思念がなければ、死者はこの世に留まり続けることはできない。多少強引な手段だけど‥‥これでこの首無しは完全に体育館から消え去るだろう。


「しくじったぜ――――お前、強いな―――お前なら―――きっと―――」


 最期の言葉を言い終える間もなく、悪霊は消滅した。もう二度と、一人でにボールが跳ねているなどとふざけた噂が広まることもない。


「大丈夫か星宮くん!!!」


 張り裂けるような叫び声が、突如として僕の背中を突き刺した。慌てて振り返ると、そこにはひどく取り乱した様子の阿鼻さんが立ち尽くしていた。


「一体何があったんだ!?5分経ってもでてこないし、何か凄い物音もするし!まさか本当に悪霊が‥‥!?」


「いいえ、何ともありません」


「ほ、本当か!?」


「本当です。その証拠に、僕の体のどこにも傷なんてないでしょう?」


「そ、そうか―――本当に良かった‥‥!」


「ついでに言うなら、ひとりでに跳ねるボールも見つかりませ――――」


 たーん。


 たーん。


 たーん。


「‥‥は?」


 僕の真後ろで、突如としてボールが跳ねた。


「あー!?」

「ほら見たか星宮研究員!やっぱりひとりで勝手にボールが跳ねているではないか!ふふん、これで私がほら吹きではないことが証明されたな!」


 阿鼻さんがほら吹きではないことは、首無しの悪霊が存在した時点でとっくに証明されていた。そして、その悪霊は僕が倒した。なのに、またどこからともなくボールが現れて、ひとりで勝手に跳ねている。


 この異変はまだ――――終わっていない。


「それにしても、よく跳ねるボールだな。これは一体どこから―――」


「!」


 ふと上を見上げようとした阿鼻さんの顔を、僕は反射的に両手でブロックした。


「え、ちょ、星宮クン!痛い痛い!決まってる決まってる!ヘッドロック決まっちゃってるから!!」


「ごめんなさい、部長。でも今は―――上を見ないでもらえますか」


 体育館の天井を真っ直ぐに見つめながら、僕は阿鼻さんにそう警告した。僕としたことが完全に見誤っていた。体育館の外から感じた嫌な気配は、首無しの悪霊のものではなかったんだ。むしろ、真実は真逆で――――彼は、ただの被害者だったのだ。


 天井から不気味に僕たちを見下ろしている、この巨大な人面こそが全ての元凶に違いない。


「ボールを疑似餌のように天井から降らせ、見上げた人間を問答無用で首だけ齧り取る怪物―――といったところか」


 さっきの首無しの悪霊はこいつに首を喰われた犠牲者だ。彼はきっと、自身と同じ犠牲者がでないよう、悪霊となり果ててまで夜の体育館に人が立ち入らないように守っていたんだ。


「オオオ」


 巨大な人面が、苦しそうに口を開く。まるでサメのように鋭く尖った歯には、犠牲者の血が生々しくこびりついていた。


「どうして僕が食えないのか、不思議で仕方ないだろう。お前は一種の法則とも言えるほどの絶対的な力で、目が合った人間を喰らっていた。だが、残念ながらその力はあくまで人間を喰らうためのモノ。僕のような人外には効果を発揮しない」


「オオオ」


「消えろ、永遠に」


 ひかりの声と共に、目も眩むような閃光が夜の体育館を照らしだす。周囲に再び暗闇が戻った頃には―――もはやどこにも、悪霊の姿は無かった。





「うーん!人のお金で食べる売店のアイスはやはり格別だなぁ!」


「ああそうですかよかったですね」


「おやぁ?何をそんなに不機嫌そうにしているんだ?敗者であるキミが勝者である私に傅くのは当然だろう?ん?」


 昨日の体育館での一件は、主犯である巨大な人面の悪霊を消し飛ばすことで解決した。あの後すぐに事の顛末を阿鼻さんに伝えたのだが、“ほら!やっぱり私が言っていたことは嘘じゃ無かっただろう!?はい、アイス奢り確定!”とアイスをせがんでくるばかりで、特に余計な詮索はしてこなかった。


 学校の七不思議。地域や時代によって多少の変化はあるものの、動く人体模型や、勝手に音が鳴る音楽室のピアノ、そして誰も居ない体育館から聞こえてくるボールの音‥‥この辺りはどこの学校の七不思議にも入っていることが多い有名どころだ。


 しかし、どれほど現実離れした噂話でも、元をたどればあっけない真実に辿り着くことがある。体育館のボールも、天井に挟まっていたものが時間経過と共に落下し、それを途中から目撃した人物がひとりでに跳ねていると誤認したことから広まったとする説もあるくらいだ。


 今回の化け物はボールを疑似餌のように使い、天井を見上げた人間を首だけバクリと喰らっていた。まるで定説を逆手にとったような奇妙な怪異だ。もし、悪霊や怪異も時代と共に独自の変化を遂げているのだとしたら―――昔ながらの霊媒方法では、除霊しきれないケースが出てくるかもしれない。


「まぁそんなこと、宇宙人であるキミには全く持って関係のないことだろう?」


「そうですね。それより阿鼻さん、僕も一口貰っていいですか?」


「え?でもスプーン一つしか―――」


「いいですよ、阿鼻さんの使っているそれで」


「なななななな!?」

「さ、流石にそれは駄目だろう!いや駄目というかけしからんというか!嫌な訳では無いぞ!?付き合ってもいない男女が使用済みのスプーンを使いまわすなんてそんな破廉恥なこと―――というか、え!?いいのか?むしろキミはいいのか!?私のスプーンを使うことに抵抗とか…」


「いや、嘘に決まっているでしょう。なに一人で慌ててるんですか?」


「この外道ッ!」


 やはり阿鼻さんを揶揄うのは面白い。他人を小馬鹿にして笑う行為なんて最低だと思っていたが、彼女に関しては認識を変える必要がありそうだ。


「‥‥部長」


「何だ?アイスなら絶対やらんぞ?」


「部長は、ぶっ倒れるくらいまで全力で体育の授業に取り組んだことってありますか?」


 体育の授業と言わず、小学生時代に経験したであろう友達との鬼ごっこでもいい。ともかく本気で、ただひたすらに自分の出しうる最高の力を精一杯振り絞ったことはあるのだろうか。


 当然ながら、僕は無い。高級なガラス細工を扱うかのように、小さなころから他人との触れ合いには細心の注意を払って生きて来た。だから、僕は知りたい。思いっきり何かに打ち込むと、人はいったいどんな気持ちになるのだろう。加減をしない競い合いというのは、それほどまでに人の心を昂ぶらせるものなのだろうか。


「聞く相手を間違っている感が否めないが‥‥もちろんあるぞ。私はこう見えて負けず嫌いだからな。例え苦手な科目でも、手を抜くことはしないさ」


「本気で体を動かすって、どんな感じですか」


「そうだなぁ‥‥私に言わせるなら、体を動かすこと自体は別に楽しくないな。暑いし、ケガするし、肺だって苦しくなる」


「―――」


 まぁ、阿鼻さんならそう言うと思っていた。


「だが、どんなつまらない事柄でも楽しむことができる方法が一つだけある」


「え?」


「それは、馬鹿みたいに必死になることだ」


 勿体つける様子も無く、阿鼻さんはさらりと言い放った。


「がむしゃらに取り組めば、何だって楽しい。苦手な科目や不得意な事柄も、自分の向き合い方次第であっという間に時間が過ぎ去っていく。まぁ、要はものごとにどこまで夢中になれるかだな」

「楽しくするのも、つまらなくするのも、全ては自分次第という訳だ」


「夢中―――ね」


 夢中。無我夢中。我を忘れるほどに熱中する。なるほど、確かにそれは楽しそうだ。でも、そんなキラキラとした感情は、僕には悲しいほどに縁がない。常に一歩引いた立ち位置で目立たぬよう爪を隠し、自分を偽りながらぼんやりと過ごす。そんな生活に慣れてしまった僕が夢中になれるものなど、きっとありはしないのだろう。


「んー?何を辛気臭い顔してるんだキミは?もしかして私の感動的なアドヴァイスが心に響かなかったのか?」


「いえ、別に。ただ何かに夢中になるって、すごく難しそうだなって思っただけです」


「ははは!なんだそんなことか!安心しろ星宮クン!一人では難しくても、私が古今東西オカルト大研究部の部長として‥‥キミを絶対にオカルト研究に夢中にさせてやるとも!」


 そう言って、阿鼻さんは自信ありげに笑った。大して僕のことも知らない癖に、いったいどこからそんな自信が湧いて来るのか不思議で仕方がない。でも‥‥。


「‥‥期待しないで待ってます」


 そんなことがどうでも良くなるくらい、彼女の笑顔は輝いていた。



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