第2ページ 古今東西オカルト大研究部
「ねぇ、昨日の1組の話聞いた?」
「聞いた聞いた!教室見たけどすっごい荒れようだったよ!?マジで嵐の後って感じだった!たしか、教室の中に居た二人の生徒は窓から落ちたって話だよね?」
「そうそう、下がプールだったから良かったけど‥‥何が起こったかは全く覚えていないみたい」
「なにそれ怖い!怪奇現象?なんかヤバイものでも作ってたんじゃない?爆弾とか!」
「実はね、ここだけの話・・・教室にはもう一人生徒がいたらしいよ」
「えっ?だれだれ?」
「阿鼻叫子。しかも彼女だけ無傷だってウワサ―――やばくね?」
「あのオカルト部の?!こわっ!本当に宇宙人呼んじゃったみたいな!?」
「いや、面白過ぎでしょそれ。普通にあり得んわー」
いつもに増してやかましく賑わっている朝の教室の扉が、がらりと開く。時刻は8時27分、入ってきたのはギリギリ登校常習犯の男子生徒―――即ち、僕であった。
「あ!星宮クンじゃん!おはよー!」
「お早う」
「星宮クン知ってる?!昨日の1組の話」
「知らないな。何かあったのか?」
「放課後の教室から生徒が二人も転落したの!しかも教室の中はすっごい荒れまくってたらしくて、もうひどい有様だったんだって!ヤバくない!?」
バンバンと僕の机を叩きつけながら、女生徒は興奮気味に熱弁してくれた。
「ふぅん、そりゃ凄いな」
「でね!もっとヤバい秘密の情報があって―――実はその教室に阿鼻叫子が居たらしいの」
「‥‥」
なるほど、このクラスの盛り上がりはそういうことか。全くもってくだらない。こんなことになるなら、面倒くさがらずキチンと事後処理をしてから帰るべきだった。
「もしかして本当に宇宙人とか呼んじゃったんじゃね!?みたいな!」
「‥‥面白いな、それ」
僕は心にもない台詞を静かに吐き捨てた。
「はい、ホームルーム始めますよ~!みんな早く席についてくださーい」
「チャイムと同時に入って来るとか‥‥笹井ってほんとクソ真面目すぎ。じゃあ星宮クン、また後で!」
「うん」
「はい、今日も遅刻欠席者は無しですね!他のクラスはちらほら休みが出てるみたいだから、みんなも――――」
担任の笹井が、今日も張り切って教壇に立ち、生徒たちに挨拶する。いつも見慣れた何気無い日常の光景だ。だというのに、何故だか今朝はとても新鮮なものに感じられた。
今日も長ったらしい授業が終わり、下校のチャイムが華麗に響き渡る。束縛から解放された生徒たちは水を得た魚のように元気を取り戻し、部活動や友人との時間を思い思いに過ごすのである。家へ帰るだけの僕にとっては大して面白くも無い、ありふれた瞬間だ。
「ひかりー、帰ろ?今日は部活休みなんだー」
そんな時間も、幼馴染であるあかりがいれば少しはマシになる。
「そうか。なら折角だし、どこか寄って帰るか?」
「おー、いいね!じゃあカラオケ行こカラオケ!ちょうど期限の迫っている割引券があるんだよねー」
「カラオケだとお前の独壇場になるだろ。永遠と知りもしない曲を聞かされる僕の気持ちにもなってくれ」
「えー?じゃあ青空モールにあるスイパラは?種類も多くて結構評判良いらしいよ?」
「駄目だな。腹が膨れて晩御飯が食べられなくなってしまう」
「そ、そうだよねー。やっぱり行くならスイパラじゃなくて駅前のカフェだよね?期間限定の新作も出たみたいだし、あそこでゆっくりして帰ろっか」
「別に喉渇いてない。つーか、あそこは学生が多すぎてあまり好きじゃない」
「‥‥‥あ!映画見に行こうよ!最近CMでよくやってるあれ、あのインベーダーが地球に攻めてくるヤツ!上映時間2時間半超えの超大作で、感動的なラストには全米が涙したという―――」
「うーん、映画の気分じゃないな」
「そうかそうか気分じゃないかー!うん、そろそろしばくよ?」
満面の笑みを浮かべながら、あかりは力いっぱい拳を握り締めている。プルプルと震える腕の様子から察するに、相当に機嫌が悪いらしい。何か嫌なことでもあったのだろうか。
「そうだ、久しぶりにウチ来るか?前にあかりが言ってたゲーム、買っておいたぞ」
「結局どこも寄って帰らないんじゃん‥‥」
「来ないのか?」
「絶対行く」
あかりは超がつくほどのゲーム好きだ。どれほど不機嫌な時でも、この手の話題を振れば途端に機嫌が良くなる。普段は僕より大人ぶっている癖に、趣味嗜好は昔から変わらず子供のままなのだ。
まぁ、彼女がいつ来てもいいように最新のゲームソフトをわざわざ揃えている僕も、人のことは言えないのだけれど。
「たのもーッッッ!!!」
それは、突然の出来ことであった。
「!?」
ほとんど生徒のいなくなった放課後の教室に、ありえないくらいの声量の掛け声が突如として響き渡ったのだ。それから、しん――――と静まり返った居心地の悪い空気の中を、声の主は全く怯むことなくズカズカと進んでくる。
「・・・」
そして何とも残念なことに、謎の来訪者の足音は僕の背後でピタリと止まった。
「た、たのもぉーッ!!!」
「・・・」
耳を塞ぎながら恐る恐る背後を振り返ると―――そこにはやはりというか、だいたい予想していたというか、ともかく例のオカルト研究部の部長“阿鼻叫子”の姿があった。
「そんなデカい声出さなくても聞こえてますよ。というか、用があるなら普通に名前で呼んでください」
「そ、そうか‥‥すまない、少し緊張して声を張り上げてしまった」
緊張している人はここまで声を張り上げないと思うのだが。
「実は折り入ってキミに話したいことがあるんだが、この後時間はあるだろうか?」
「無いですね」
「ま、まぁそう言うな。実は折り入ってキミに話したいことがあるんだが、この後時間はあるだろうか?」
「だから無いですって」
「ま、まぁそう言うな。実は折り入ってキミに話したいことがあるんだが、この後時間はあるだろうか?」
「だから―――」
「ま、まぁそう言うな。実は折り入っ‥‥」
「そのRPGゲームの断れない選択肢みたいな聞き方やめろ!!」
はい、と答えるまで永遠にループするつもりか?!
「なっ!?この手法が通じないとは‥‥!やはり我々とは異なる独特の感性を持って生きているようだな‥‥」
「あんたに言われたくない!」
「ふふ―――でも、いいのかなぁ星宮ひかりクン。私に向かってそんな態度をとってしまって」
そう言って、阿鼻さんは何やら自信ありげにニタニタと笑った。
「は?何ですかその顔」
「くく、忘れたのか?昨日1組の教室に居た私は、キミのムフフでスペースウルトラな秘密を知っている。私を怒らせれば、その秘密が世界中へと発信されてしまうかもしれないなぁ?」
「そうすれば、世界中から研究者たちがやって来てキミを解剖しちゃうぞー?」
「へー、凄いですね」
「え‥‥何その反応。もっとこう、ヤバい正体バレるぅぅ!みたいに慌てるとかないんか!?」
予想外の反応に困惑する彼女を冷たい眼差しで見つめながら、僕は言葉を紡いだ。
「まぁ、仮に僕の正体とやらを世界中に言いふらしても、信用する人間なんて1人も居ないでしょうから‥‥ぶっちゃけノーダメですね。むしろ阿鼻さんの方が、訳の分からないことを吹聴しているヤバイやつだと認識されると思いますけど」
「た、確かに!くそっ、かくなる上は―――!」
というか、もう既にこの学校ではヤバイやつ扱いされている訳だが。
「ぐす、ぐすっ‥‥ひどいよ星宮クン、昨日私にあんな乱暴なコトしたくせに‥‥」
「は?」
作戦を変更したのか、阿鼻さんは白々しく嘘泣きを始めた。顔を手で覆いつつ、声を震わせ周囲の様子を伺っている。こんな幼稚な演技に引っかかるバカな人間なんて、世界中のどこにも――いや、太陽系のどこにも存在しないだろう。
「はいはい。そういうのいいですから」
「え?どういうこと?ひかり、阿鼻さんに何かしたの‥‥?」
「―――あかり?」
たった今、彼女の口から耳を疑うような言葉が飛び出た気がするのだが。聞き間違いか?
「大丈夫?阿鼻さん、ひかりに何かされたの?乱暴なコトって?」
ああ、バカだった。僕の幼馴染はとんでもないレベルの大バカ者だった。
「放課後の教室で私のことを無理やり‥‥うう、しくしく」
「ちょっと、ひかり!?」
阿鼻さんを心配そうに慰めていたあかりは、顔を真っ赤にしてこちらを振り返った。阿鼻さんの作戦は効果覿面―――という感じだ。
「放っておいていいぞ、ただの嘘泣きだ」
「え?嘘泣きなの阿鼻さん?」
「嘘泣きじゃないです‥‥」
「ほらぁ!」
「アホか」
全くもってくだらない。こいつらと付き合っていると僕の方まで馬鹿になってしまいそうだ。
「言っておくが、そんな猿芝居に僕は引っかからないからな。入部の件は何度も断ってるし、これ以上あんたと話すつもりはない」
この手の輩は無視するのが一番、相手をするだけ無駄なのである。僕は学生カバンを乱雑に担ぎ上げ、教室を出ようと歩き始めた。しかし―――数歩歩いた瞬間に、聞き捨てならぬ台詞が背後から僕の鼓膜を震わせた。
「だ、大丈夫?阿鼻さん?」
「先生呼ぼうか?」
教室の端で様子を見ていた善良な生徒たちが、1人…2人と阿鼻さんの元へと近寄っている。彼女たちは阿鼻さんを囲むようにして心配そうに僕の方を見つめていた。
「・・・」
なんだ、この展開は。
これではまるで僕の方が悪者みたいになっているではないか。
「しくしく‥‥みんなありがとう‥‥良かったらオカルト研究部の部員にならない‥‥?」
「え―――そ、それはいいかなぁ」
「何ちゃっかり勧誘してんだよ」
僕は踵をかえし、もう一度阿鼻さんの前へと立ち塞がった。
「話聞きますからその猿芝居やめてください」
「なに、本当か!?」
「ともかく場所を移しましょう。他に誰もいない、二人きりの場所が良いです」
差し当たってはあの旧校舎の空き教室あたりがいいな。あそこなら、何が起こっても誰かに目撃されることはない。
「ちょ、ひかり!?」
「悪いなあかり、やっぱ今日は先に帰っててくれ。言っとくけど、うちの親に変な告げ口するんじゃないぞ」
僕は強引に会話を切り上げて、阿鼻さんと共に教室を後にした。
「さっきはすまなかったな。どうしてもキミと話がしたかったんだ―――はい、麦茶」
「・・・どうも」
彼女と初めて出会った、旧校舎の空き教室。ここがオカルト研究部の部室らしい。突然来客用の少し大きなソファに座らされたかと思えば、ひんやりと冷たい麦茶まで振舞われた。さっきまでの強引な態度とは違う、何とも手際のいい対応だ。
だが、一つ気になる点があるとすれば‥‥。
「阿鼻さん」
「なんだ?」
「頭のソレ、何なんですか」
「ああ、思考干渉ガード装置のことか。気にするな!キミのことを疑っている訳では無いが、キミが自らの正体を隠すために私の記憶を改竄しないとも限らないからな・・・念のためにつけているだけだ」
思考干渉ガード装置というか、ただのアルミホイルの帽子に見えるのだが。
「へぇ、そうですか」
記憶の改竄か。まぁ―――実際その方法も考えてはいたけど、アレは相手の脳にかなり負担がかかるし、僕もすごく疲れるんだよな。
「で、話って何ですか?」
「うむ、本題に入る前に―――少し聞きたいことがあるのだ」
阿鼻さんは真剣な眼差しで、真っ直ぐに僕を見つめながら言い放った。
「キミは本当に、宇宙人なのか?」
「昨日も言ったでしょう、疑うなら別に信じなくてもいいですよ。そっちの方が僕としても気が楽ですし」
むしろ全部彼女の勘違いで、怪奇現象が起こったタイミングでたまたま僕が登場したと都合よく解釈してほしいくらいだ。
「じ、じゃあ!私の脳内に直接テレパシーを送ることもできるのか?」
「さぁ?頭にアルミホイル被ってたら無理なんじゃないですか」
「じゃあ取る!」
そう言って、阿鼻さんはアルミホイル‥‥もとい思考干渉ガード装置を頭部から取って投げ捨てた。冗談で言ったのだが―――彼女は期待に満ちた眼で僕をじっと見つめている。
「・・・」
面倒だが、仕方ない。
「な、なんか来たーー!!」
「・・・」
「こ・ん・に・ち・は‥‥!?なにこれ凄い!直接脳内に語りかけてくる!!」
耳を塞いだり、目を閉じたりして阿鼻さんは子供のようにはしゃいでいる。テレパシー一つでここまで喜べるなんて、本当におめでたい人だ。
「なぁ、あれやってくれないか!?力が欲しいか―――?ってヤツ!」
「・・・」
「か・え・って・い・い・で・す・か‥‥?え、いや!帰らんといてえええ!!」
「じゃあさっさと話進めて下さい」
黙っていればそれなりに美人なのに‥‥いちいち反応がオーバーだな、この人。
「では次の質問だ!キミはいったいどこの星から来たんだ?地球に来た理由は?」
「知りませんよ、そんなこと」
「え?」
「10年以上前‥‥僕は山の上で倒れていたところを、父さんと母さんに拾われたんです。小さい頃の記憶はほとんど残ってないですし、山で拾われたって話も母さんから言われて初めて知りました」
僕に分かるのは、自分が人間ではない地球外生命体であるということ。それだけだ。
「‥‥そうか」
「それにしても、キミは素晴らしいご両親をお持ちなのだな!こんど挨拶に伺っても良いだろうか?」
「良い訳ないでしょうが」
ここで釘を刺しておかないと本当に家まで来そうで怖い。というか、何を話しているんだ僕は。こんな秘密・・・あかりにだって話したこと無いのに。
「では、僕はそろそろ―――」
「ああそうだ!そこの茶棚にとっておきの茶菓子があるのだった。なぁヒカリン、キミの力であの菓子を取ってみてくれないか?」
「何でそんな雑用みたいなこと‥‥」
「昨日教室中の物を浮かせていただろう?お願いだ!あれと同じような感じで、茶菓子だけを浮かせてこう、ふわーっとここまで運んではくれまいか?」
阿鼻さんはまた、キラキラと目を輝かせながら僕の瞳をジッと見つめた。
「‥‥子供ですか、全く」
ここで拒否しても時間が無駄になるだけだ。
「ほら、手を出して下さい」
僕は茶棚に丁寧に安置されていた茶菓子の包みを浮かせて運び、彼女の手の上にそっと置いてやった。
「待って、尊い‥‥無理‥‥」
「あ、阿鼻さん?」
号泣している。
手の上に置かれた茶菓子を見つめながら、高校一年生(二回留年)が号泣している。
「いや、すまない―――夢のような光景に、思わず感動してしまって‥‥」
「は、はぁ」
大声を出したり、喜んだと思えば、突然泣いたり‥‥本当にこの人は変わっている。今までに見たことのないタイプの人間だ。
「安心てくれ、コレは私が責任をもって食べておくからな」
「え?」
鼻をすすりながらそう言い放った阿鼻さんは、茶菓子を大切そうにカバンの中にしまい込んだ。
「ん?どうかしたのか?」
「いや、別に」
今食べるんじゃないのかよ。
「それで、キミはご両親に拾われたとのことだったが‥‥家族以外にキミの正体を知っている人は居るのか?」
「・・・いませんよ。僕を宇宙人だと認識しているのは、父と母だけです」
「意外だな、キミのガールフレンドも知らないのか?」
「ガールフレンド?」
「ほら、さっき教室に居た―――前も一緒に帰っていただろう?」
あぁ、あかりのことか。
「こんな馬鹿なこと、あかりに言えるわけないでしょう」
あかりは僕にとって特別な存在だ。彼女にだけは嫌われたくない―――宇宙人を自称する頭のおかしいやつだと思われるなんて論外だ。だから、言わない。
「馬鹿なこと!?何を言っているんだキミは、地球外生命体なんてめちゃくちゃ素敵じゃないか!」
「そう思うのはあんただけだろ」
僕の苦悩なんて、まるでUMAやエイリアンの如く面白がっているオカルト好きの彼女には、きっと分からないのだろう。心はみんなと同じ人間なのに、生まれ持った力はどうしようもないほどに人間離れしている。
「どれだけ人間の真似をしても、僕は所詮人外だ。心の通う親友との間にさえ、ずっと嘘を抱えて生きていかなければならない。どうあっても、対等に他人と接することなんて出来ないんだ」
分かり合える訳なんてない。仮に分かり合えたとしても、僕の正体を知れば誰だって気味悪がる。そこで、今までの関係も何もかもが終わる。楽しいことも、嬉しいことも、ふと自分が宇宙人であると思い出した瞬間に全て台無しになってしまう。
ああ、いっそ醜い怪物の見た目をしていれば―――人間に拾われることもなかったかもしれないのに。
「うむ、それは言い訳だな」
「は?」
僕のずっと抱き続けてきた苦悩が‥‥言い訳だと?
「キミは自分が特別であることを言い訳にして、他人に心を開くことを拒んでいる。自分の妄想の中だけで答えを出す前に、一度全力でぶつかってみるべきだ」
「分かった風なことを言うんですね、バカみたいにオカルト研究部なんかに情熱を注いで得た答えがそれですか」
「ああ、そうだ。確かにキミの言う通り、自分の全てを曝け出すのはリスクの大きい行動だ。自分の夢や好いているモノを公言するだけで、私のように白い目で見られることもある。まぁ人間というのは“みんなと同じ”が好きな生き物だからな!」
「群れて生きていくのに、異端な思想や少数派の意見は好ましくないのも理解できる。だがな―――星宮ひかり」
阿鼻さんは、今日一番の真剣な顔で僕の瞳を真っ直ぐに見つめた。
「そんな有象無象の中にも、一人くらいは―――本当の自分を理解してくれるヤツはいるものだぞ」
「!」
「私にとっての、キミのようにな」
そう言って、阿鼻さんは屈託のない笑顔で微笑みかけた。
「‥‥く、くだらない」
そんな綺麗ごとに丸め込まれるほど、僕は幼くない。そもそも僕は彼女の理解者なんかにったつもりもないんだ。勝手に勘違いしてもらっては困る。ここは一つ、冷たく突き放すような一言を言ってやらなければ―――。
「・・・」
そう息巻いていた僕の口からは、何も出てこなかった。いや、言い返せなかった。くだらぬ綺麗ごとや精神論だと分かっていても、彼女の言葉には納得感があった。今まで聞いたどんな言葉よりも―――温かかったのだ。
「ふふ、口喧嘩は私の勝利のようだなヒカリン」
「さっきは聞き逃しましたけど、次ヒカリンて呼んだらこの校舎粉々にしますから」
「怖ッ!」
くだらない会話もそこそこに―――下校を告げるチャイムが甲高く旧校舎まで鳴り響いた。
「おっと、もうこんな時間か‥‥キミと話していると時間が経つのがつい早く感じてしまうな」
「結局、本題って何だったんですか」
そそくさと帰宅準備を始める阿鼻さんを見つめながら、僕は問いを投げる。別にわざわざ聞き出さず、このまま帰っても良かったのだが‥‥何となく気になってしまったのだ。
「ああ、うん―――それなんだが―――」
何故だか阿鼻さんは形容しがたいほどに哀しげな表情を浮かべている。言葉の切れも悪いし‥‥いったいどうしたんだ?
「実はキミに頼みがあってな。少し我儘な内容なんだが―――頼めるだろうか」
「別にいいですよ。さっきもテレパシーとかいろいろ見せたし今更って感じですけど。で、内容は?次は体育館でも浮かせて見せましょうか?」
「そうか、では―――私が持つキミに関する記憶を、全て消し去ってほしい」
「はいはい、記憶を・・・・・え?」
記憶を消す?聞き間違いじゃない、よな。
「すみません、記憶を操作する意図がわからないんですが」
「古今東西オカルト大研究部は―――今日で正式に廃部になるんだ。私も明日からは、普通の学生として勉学に励み、将来に向けて新たな一歩を踏み出して行くつもりだ。だから‥‥」
だから―――キミとの出会いを、無かったことにしたい。
一切の感情を読み取らせぬよう、淡々と彼女はそう口にした。
「キミと出会うまで‥‥私は世界に絶望していた。小さいころに見た魅力溢れるオカルトの住人達は、古いテレビや怪しげな雑誌の中だけの存在で―――それでも彼らの正体を追い求める私に対する世間の風当たりは、想像以上に過酷なものだった」
「負けたくない、逃げたくない一心で私は今日までこの部活を続けて来た。正直、途中からはもうオカルトなんてどうでも良くなっていたのかもしれないがな。ただ自分自身が壊れないように―――私はオカルト研究に励む私を演じて来たんだ」
「・・・」
「だけど、それも今日で終わる。今までは暇そうな帰宅部や、物好きたちを勧誘して何とか凌いできたが、ついに生徒会から正式に通知が来てしまってな。半年近く部員の出入りがないこの部を廃部にすると―――そう言われてしまった訳だ」
「‥‥そうですか」
なんだ、この感情は。胸が‥‥張り裂けるように苦しい。
「まぁ、人数がいないんじゃ仕方ないですね。阿鼻さんも新しい環境でやり直す機会ができて良かったじゃないですか」
違う、僕が言いたいのはそんなことではない。
「ま、まぁそうなのだが、正直怖いんだよなぁ‥‥うまくクラスに馴染めるだろうか‥‥」
「阿鼻さんほどの図太さなら問題ないですよ」
嘘だ。
そんなこと、微塵も思っていない。このオカルト研究部という存在が無くなれば、彼女は、僕は―――。
「短い付き合いだったが、キミには本当に感謝している。今日ここで見た全ての景色は私の一生の宝物だ。ありがとう星宮くん、こんな私に夢を見させてくれて」
「・・・」
また、独りぼっちになってしまう。
「阿鼻さん、ちょっといいですか」
言葉を言い終えるよりも前に、僕は阿鼻さんの手を掴んでいた。
「ほ、星宮くん‥‥?」
「生徒会室って、どこにあるんでしたっけ」
「え?確か、本館の4階だったような‥‥」
本館4階か。もう下校時刻だし、歩いて行っては間に合わないな。
「ちょっと失礼します」
僕は阿鼻さんを乱雑に抱きかかえて、教室の窓からふわりと外へ飛び出した。
「な、なんだなんだ!?お、おおおおおおおお!?浮いてる?浮いてるのかこれぇ!?」
「あんまり騒がないでください、他の生徒に見られると厄介です。というか舌嚙みますよ」
「いや!ちょっと頭の整理が追い付かないというか‥‥!?」
流石に強引だったか?まぁ、いいや。
「あれ、閉まってるな」
4階の窓から侵入しようと思ったのだが―――どうやら既に施錠されているみたいだ。
「仕方ない、割るか」
「え?」
割った。
「よし入れた」
「おいおいおい!強盗かキミは!?この線が入ってるタイプの窓ガラスは高いんだぞ!?」
「分かってますよそのくらい」
僕は飛び散ったガラス片にそっと手を触れた。その瞬間、時が戻ったかのように欠片たちが窓枠へと結集し―――何事も無かったかのように元の窓ガラスが完成した。
「す、すごい‥‥!超能力か!?」
「そんなもんです」
わーわー喚いている阿鼻さんをそっと降ろして、僕は生徒会室の前まで歩を進めた。見たところ部屋の明かりはまだついている。下校時刻を過ぎているのに、遅くまでご苦労なことだ。
「失礼します」
僕は軽くノックして、部屋の扉を開いた。
「誰だね、キミは」
部屋の扉を開くなり、最も奥の席に腰かけていた眼鏡の良く似合う七三分けの男子生徒が声をかけて来た。3年生だろうか、ともかく僕よりは年上に見える。
「1年5組の星宮です。こんな時間にすいません、ちょっと聞きたいことがあって」
「私は3年3組の一木だ。では、話を聞こう」
他の生徒会役員は、誰一人として言葉を発さない。一木と名乗った彼以外、まるで発言を許可されていないかのように、静かに僕を見つめている。
「オカルト研究部が廃部になるって、本当ですか」
「いかにもそうだが、それを誰から聞いた?」
「彼女から」
僕の背後に隠れるように立っている阿鼻さんを指さしながら、僕は言った。
「‥‥ほう?なら経緯も知っているな。古今東西オカルト大研究部は昨年の10月以降からずっと部員の数が5名以下なうえ、新入部員の出入りも無い。部としての基準を満たしていないと判断し、廃部へと至った。それが一体どうしたというのだ?」
「そうですか、じゃあこれ」
そう言って、僕はとある紙切れを一木の前に差し出した。
「ほ、星宮クン、これって‥‥!?」
「入部届です、これでオカルト研究部の部員は2人。人数はまだ足りませんけど10月以降、半年間の新入部員の出入りという条件は満たしています」
「え、ええええ!!?」
「星宮、つまらない冗談はよせ。そこの女に何を誑かされたか知らんが、つまらない妄想遊びに付き合う必要はない」
僕を睨みつけたまま、一木は不機嫌そうに言い放った。
「冗談じゃありません。僕は本気です」
「なら一度医者に行って頭を診てもらえ。そんな訳の分からない部活に入っていては、キミの経歴にも傷がつく‥‥進学にも就職にも、マイナスにしか働かんぞ。その女のような学生生活は送りたくないだろう?」
「―――現実を見ろ、星宮ひかり」
「余計なお世話ですね。他人に推し量れるほど、人生って単純じゃないと思います。それに現実というなら―――僕にとっては、オカルト世界の方が現実に近いかもしれませんし」
「くだらない理屈をこねても無駄だ、私はその入部届を受け取るつもりは‥‥」
「うるさいな」
一木の言葉を聞き終えるより前に、パチンと僕は両手を叩いた。その音が響いた刹那―――偉そうに腰かけていた一木と他の生徒達が、頭を糸で釣り上げられたかのように勢いよく立ち上がった。顎を引き、背筋をピンと伸ばし、ズボンの縫い目に指を添わせてお手本のような気をつけを披露している。
「か、身体が勝手に‥‥!?」
「副会長、なんですかこれ――!?」
「お忙しそうなので、僕はそろそろ失礼しますね」
「待て星宮、話はまだ‥‥」
「そうそう、最後に一つだけ」
言いたいことは沢山あるが、彼らと会話している時間も惜しい。釘をさすのは、この一点だけで十分だろう。
「彼女の名前は阿鼻叫子です。そこの女だとか、その女だとか‥‥そんな呼び方はしないでください。では僕はこれで。失礼しました、一木副会長」
軽くお辞儀をし、僕は教室を出た。一木が何かもごもご言っていたような気がするが、まぁいいだろう。入部届を出すという僕の目的は達成されたのだから問題は無い。
「星宮くん」
何事も無かったかのように立ち去ろうとする僕を、阿鼻さんの透き通るような声が引き留めた。
「何ですか、阿鼻さん」
「どうして入部をしてくれたんだ?しかも生徒会に殴り込んでまで‥‥」
「別に大した理由はありません。ただ、独りぼっちは嫌だなって――そう思っただけです」
僕の正体を知っても、力を見ても、胸の内を知っても、阿鼻さんは全く僕への態度を変えなかった。初めての感情で上手く言い表せないけれど―――彼女の存在は僕にとって、少し特別な興味の対象になったのは間違いない。
「それに、僕が阿鼻さんの記憶を書き換えるとしても、僕の記憶は誰が書き換えてくれるんですか?」
「そ、それは―――」
この出会いを無かったことにすると言うのなら、僕の記憶も消さないと不公平だ。
「勝手に偉そうなこと言ってその気にさせておいて、自分だけ逃げるなんて許しませんよ」
「星宮くん‥‥」
廊下の窓ガラスから、夕焼けの赤い光がぼうっと差し込んで阿鼻さんの顔を優しく照らす。今にも泣きだしそうなほど彼女の瞳が潤んでいるのはきっと、眩しさのせいだろう。
「宇宙人に口説かれたのは―――初めてだよ」
「人間にも口説かれたこと無いでしょう?というか、別に口説いてませんけど」
「え、ひどい」
「あんまり遅くなると家族が心配するんで―――じゃ、お疲れさまでした」
「お、おう!また明日!」
「ええ、また明日」
そう言い残して、彼は去って行った。誰も居ない廊下に一人ポツンと取り残された彼女の心は得体の知れない満足感と高揚感で溢れかえっていた。遠い昔に感じたままもう何年も忘れていた、とても懐かしい感情だ。
「また明日、か―――そんなことを言ったのはいつ以来だろうか」
時刻は17時40分。世界が赤く染まる夕暮れ時、彼女のオカルト生活はようやく動き出した。