第1ページ 空き教室の宇宙人
「まずは皆さま!我が修叡高等学校へのご入学おめでとうございます」
小鳥がさえずり、風吹けば桜舞う穏やかな午後、僕はだだっ広い体育館に箱詰めにされた新入生の列の中にいた。
「新入生の皆々様におかれましては―――」
修叡高等学校。やたらと賢そうな学校名をしているが偏差値は県内の公立高校では真ん中より少し上くらいの、ごくごく平均的な、どこにでもあるような普通の高校で―――。
「‥‥あぁ、退屈だなぁ」
消え入るような独り言と共に僕は、本日数十回目の溜息をついた。
だらだらと掴みどころのない校長先生の話が終わり、各クラスの担任による新入生の誘導が始まった。体育館の外では少しでも多く部員を増やそうと、上級生の先輩方がチラシやメガホン、それぞれの部活道具を片手に新入生の登場を今か今かと待ち構えている。外へ一足出れば、手厚い歓迎の祝福を受けるだろう。そういう鬱陶しいノリは―――昔からあまり好きじゃない。
「すいません、先生」
「どうしたの、えっと―――」
「星宮です。少しお腹が痛いのでお手洗いに行ってもいいですか?」
辛そうな顔で、白々しく、僕は担任である若い女教師へと許しを請うた。
「分かりました。配布物があるから、終わったら教室まで来るようにね」
「分かりました」
そうして僕は一人、逃げだすようにこっそりと体育館を出た。なんとなく新入生とは鉢合わせたくなかったので、1年生のクラスがある本館ではなく、誰も居ない旧校舎に向かうことにした。眩い日の光を避けながら、しおりに記された校内図に視線を落とす。
「ここか」
辿り着いてみると、旧校舎は本館よりかなり古い建物のようだった。陽の当たりが悪いせいか、校舎内は昼間でも薄暗く、天井は黒ずみ‥‥廊下や壁には所々にヒビが入っていた。何となくお化けがでそうな雰囲気すら醸し出している。一言でいうと、かなり不気味な建物だ。適当な時間までひと眠りしようかと考えていたが‥‥これは考えを改めざるを得ない。
断っておくが、決して怖気づいたワケではない。こんな薄汚い校舎に、横になれるほど綺麗な部屋があるはずがないと判断したまでだ。ああ、きっとそうに決まっている。
「‥‥仮眠は諦めるか」
不気味な建物から早々に立ち去ろうと、本館へ歩き出した刹那‥‥異変は起こった。
「助けてえええ!!」
耳をつんざくような女性の悲鳴が、突如として旧校舎中に響き渡ったのだ。
「何だ、今の声‥‥?!」
悲鳴は上の階から聞こえてきた―――おかしい、この時間帯にはこの校舎には誰もいないはず。何故ならこの旧校舎は、新校舎が建てられて以来どの学年の教室も、部室も存在しないからだ。ましてや入学式である今日という日に、いったい誰が、何故この校舎にいる?
いや、それよりも“助けて”だと?悲鳴の主は、何かに襲われている??そもそも何かって何だ?学校に侵入した不審者?欲望に駆られた男子生徒?それとも――この校舎に存在する、人間ではない“なにか”‥‥?
いけない、混乱しすぎて思考が正常に機能しない。とにかくここから離れた方が良さそうだ。
「助け‥‥て‥‥」
まただ。今度は先ほどより声がかすれ、弱々しくなっている。僕がこのまま放っておけば、声の主は―――。
「くそ‥‥!」
僕は勇気を奮い立たせ、薄暗い別館校舎へと足を踏み入れた。そして、声が聞こえた上層階へとつづく階段を、一歩一歩踏みしめていく。だがしかし‥‥足が鉛のように重い、体が全力で上の階に進むことを拒否している。冷たい汗が背中に流れ、鼓動が早まる。引き返したい――今すぐにでも逃げ出したい。
「‥‥」
恐怖を押し殺し、僕は声のした三階へとようやく辿り着いた。神経をとがらせ、おそるおそる周囲を確認する。まずは、右の角。覗き込んでみると、長い廊下が不気味に続いている。ずっと見ていると唐突に誰かが飛び出してきて、こちらへ向かって来そうな雰囲気だ。だが、天井のシミが顔に見える以外は特に異常はない。
そして、次は左の角。ゆっくりと覗き込んだその先には―――全ての答えがあった。
「っ?!」
目に映りこんだ風景に心臓が張り裂けそうになる、これは流石に理解の範疇を超えている。何とも驚くべきことに、僕の目線の先には腕を組み堂々と仁王立ちをする女生徒の姿があったのだ。
「ようこそ!!!旧校舎三階空き教室―――古今東西オカルト大研究部の部室へ!!」
謎の女生徒は僕と眼が合うなり、意味不明な言葉を口にした。
「えっと」
混乱する頭を冷やし、状況を整理する。確か僕は悲鳴を聞きつけて、ここへやってきたはずだ。しかし、そこに居たのは―――いたって元気そうな彼女だけ。おかしいな。質の悪い夢でも見ているのだろうか。
「どうした?私の顔に何かついているか?」
薄く蒼のかかった長髪に小柄な体格、新入生とはかけ離れた凛とした佇まい。もしかしなくても上級生か?でも、こんなところで一体何を?
「あの、さっきから悲鳴を上げてたのって」
「ああ!私だ!」
お前かい。
「部活の呼び込みをするにはやはり悲鳴が一番だな!悲鳴を上げれば、君のように誰かが‥‥って!ちょっ!どこへ行く!?」
「教室へ戻ります」
部活の呼び込みだって?馬鹿らしい―――我ながら何とも無駄な時間を過ごしてしまったものだ。
「なに!?ま、まぁそう言わず話だけでも聞いてくれ!ほら、面白いものを見せてやるから!」
彼女は必死になって僕を呼び止め、自信ありげに微笑んだ。
「面白いもの?」
「そうだ!あそこの天井を見てみろ」
彼女はそういうと、少し離れた天井を指さした。
「ほら、あそこにシミがあるだろう?」
「それがどうしたんですか」
「よく見ると顔に見える」
「はいさようなら」
「待て!待ってくれ!すまん!何故だかわからんが私が悪かった!気を悪くしたなら謝るから、とりあえず話だけでも聞いてくれないか‥‥?」
僕の手を取り、彼女はまっすぐな瞳で僕を見つめた。情熱と希望に溢れきらきらと輝く暑苦しい眼で、容赦なく僕の薄暗い淀んだ眼を覗き込む。ああ、知っている―――これは僕の大嫌いな眼だ。
「‥‥一分だけですから」
これ以上見つめられるのは敵わない。その眼から逃れるために、僕はその場しのぎの抵抗をした。
「ありがとう!!私の名は阿鼻叫子、古今東西オカルト大研究部の部長をしている!夢は宇宙人と友達になること!それからネッシーの捕獲に、UFOの撃墜、あとは―――」
「こ、古今東西‥‥え、何ですかそれ?」
ヤバそうな部であること以外何も伝わってこない。というか、宇宙人と友達になるのにUFO撃墜しちゃ駄目だろ‥‥。
「古今東西オカルト大研究部!世界中のオカルト話を集めて、調査、解明に日夜励んでいる素晴らしい部活動なんだ。おいおいキミぃ、うちの部活目当てで修叡高校に入ったんじゃないのか?修叡なら皆知ってる部活だぞぉ?」
「面白い冗談ですね」
「意外と辛辣だな?!」
彼女と会話をしていると、先ほどまでには気が付かなかったある異常が僕の目に飛び込んできた。彼女の制服の胸の部分辺りに、赤いリボンがついていたのだ。
「そのリボンって‥‥阿鼻さん、もしかして一年生ですか?」
「なっ?!どこ見てるんだ変態!!」
修叡では学年によって女生徒の制服のリボンの色が違う。三年生は緑、二年生は青、一年生は赤といった風に。何故一年生の‥‥僕と時を同じくして入学した彼女が、部活の勧誘をしているのだろう?
「何で部活の勧誘なんかしてるんすか?」
「いやっ、それは‥‥だな」
彼女は明らかに動揺した素振りで、あたふたしている。何か触れられたくない秘密でも隠しているのだろうか。
「あ!うちの部に入るなら教えてやる!」
「そうですか、じゃ」
僕は階段のほうへと踵を返す。そろそろ約束の一分もたったことだろう、いやむしろオーバーしている気さえするな。
「あっ!待て!い、言うから!言うから帰らんといてええ!!」
結局、彼女に気迫に押されて僕は再び捕まってしまった。
「はぁ」
短い溜息をつくと、彼女は苦虫を嚙み潰したような顔でしぶしぶと語りだした。
「まぁ別に大した理由でもないんだ、ただ学年を進級しなかった――それだけの話さ」
「・・・え?留年したんですか?!」
ビックリするくらいサラッと言い放ったが、その言葉は流石に聞き捨てならない。留年をしている身で、部活動の勧誘に精を出している場合ではないのでは?驚きのあまり、僕はつい声を張ってしまっていた。
「そうだよ留年したんだよ!別にいいだろ?!私が二度三度留年しようとキミに迷惑はかからないだろ!!」
「な、何かすいません‥‥ていうか二度も三度も留年してるんですか?」
「う、うるさい!もうこの話は終わりだ!私の秘密を知ったからには絶対入部してもらうからな!」
そうまくしたてると、彼女は一枚のプリントを強引に僕に押し付けた。
「何ですかこれ」
「入部届だ、署名と印鑑を押して明日私のところへ持ってきてくれ。それでは私は失礼する!お母さんにきちんと許可をもらうんだぞっ!」
「あ、ちょっと!」
「私はいつでもここか、体育館裏で待ってるから、放課後になるべく早く持ってくるんだぞー!」
戸惑う僕にお構いなく、彼女はさっさと走り去ってしまった。今度こそ、この校舎には誰もいない。取り残された僕と入部届の存在を際立たせるように、旧校舎は再び静寂に包まれた。
「――――――」
僕はただじっとその入部届を見つめていた。古今東西オカルト大研究部とやらに入る気はないが、何故かそれから眼を離せずにいたのだ。
キーンコーンカーンコーン―――。
チャイムの音でふと我に返る。どうやら僕は思ったよりも長い間彼女と話しこくっていたらしい。そういえば、彼女の名前聞いてなかったな‥‥いや、名乗ってはいたか?まぁどっちでもいい、どうせ覚える必要もない。彼女とは今後一切、関わる気はないのだから。
僕は入部届をくしゃくしゃに丸めると、無造作に窓から投げ捨てた。
一週間後の放課後。各々がまだ様子見の状態ではあるが、なんとなく話し相手もでき始め、クラスの雰囲気が確立されてきた。女子たちも、まだ完全にグループが固定化されておらず‥‥毎日異なる面々と会話を楽しんでいる。まぁ、そんなことはどうだっていい。
旧校舎と違い、本館はとても綺麗で過ごしやすい。それだけで僕にとっては十分だ。
「ねぇねぇ、星宮クンは何か部活動とか入んないの?もし迷ってるなら、一回うちの見学に来ない?」
「入るつもりはないな」
尤も―――放課後もしつこく纏わりついて来る、部活勧誘マシンと化しマネージャーたちが居なければ、もっと快適なのだが。
「えー、絶対入った方がいいよ!身長高いし!」
「僕より背が高い奴は他にもいるだろ」
ああ、会話すら煩わしい。僕は部活だとかに興味は無いと、自己紹介の時に宣言したというのに‥‥全く、彼女たちに日本語が通じているのか少し心配になって来た。
「さぼったりしても、何とかカバーするからさ!どう?絶対楽しいよバスケ部!」
「それならうちのバド部の方が絶対楽しいって!何なら、私だけのマネージャーでもいいけど?」
「いや、一番ないでしょ、それ」
「はぁ?オカルト部よりマシっしょ?」
オカルト部―――どうでもいいような単語が何故か頭に引っかかった。
「そんな部活、うちの学校にあるのか?」
「え?キミ、オカルト部なんか興味あんの?1組の阿鼻って子が部長やってるらしいんだけど、噂によれば二回も留年してるらしいよ」
留年はマジだったのか。
「てことは実際は今の三年と同い年ってことだよね?」
「そ、しかも部員はここずっと彼女一人だけらしいし。今は馬鹿みたいにいろんな所に声かけてるらしいよ」
「はぁ?まさかオカルトに夢中になりすぎて留年したってこと?夢見すぎでしょそれ‥‥誰がそんな青春棒に振るような部活入るんだよ」
「今もどこかで宇宙と交信とかしてるかもよ?ほら、屋上とかでさ!いやぁ、宇宙人って呼ばれてるだけのことはあるわぁ」
「ヤバ、完全に変な人じゃん‥‥絶対関わりたくないわ。てか宇宙人って呼ばれてんの面白すぎでしょ!」
「夢と現実の区別もつかないとか、いつまで小学生引っ張ってんの?って感じだよね」
「・・・」
ああ―――本当にくだらない。
「僕、今日用事あるからもう帰るわ」
学生の本分は勉強だ。それを疎かにするのは褒められたことでは無いのかもしれない。だけど、だからといって彼女の夢を否定する権利なんて誰にも無い。好きなものは好きだ。それを赤の他人が面白半分で馬鹿にするのは―――見ていて気分が悪い。
というか、何で他人の事でいちいち腹を立ててるんだ僕は‥‥疲れてるのか?
「あー、逃げる気だー」
「うん、また明日」
10日後の放課後。聞きたくもないが、“宇宙人”の噂は僕の耳にもよく入ってきた。どれもこれも、彼女を嘲笑う内容や卑下する内容ばかりだった。別にそれ自体に僕は何の感情も抱かない。志を共にする部員すら居ないのに、部活動なんてできる訳がないのだ。
「・・・・」
なのに何故‥‥彼女は諦めようとしないんだ?
最近、何故だか彼女のことがよく頭に浮かぶ。こんなどうでもいいこと、早く忘れてしまいたいのに。
「あ、やっと来た!遅いよぉ、結構待ったんだけど?」
帰宅する生徒や部活動に赴く生徒で騒々しい玄関を抜け、ちょうど校門近くに差し掛かった時。聞き馴染みのある一人の女生徒の声が、僕の鼓膜を揺らした。
「待ってくれなんて頼んでないけどな」
彼女の名は朝夜あかり。我が家の隣に住んでいて、小さい時から家族ぐるみで付き合いがある、いわゆる幼馴染というヤツだ。僕にとって本当に友達と呼べる存在は、彼女だけだである。
「とか言ってるけど、本当はうれしいくせに」
「バレたか」
「ふふっ」
こんな中身のないやりとりでも、あかりとなら苦痛に感じない。僕は別に彼女に気があるわけじゃないが、それでも素直に、あかりの隣は居心地がいいと思う。ひねくれた性格の僕に、よくもまあ根気よく付き合うことができるなと感心するばかりだ。
「あっ、そうそう聞いてよ。この前ね、体育館裏で変な人を見たんだ」
体育館裏。
「へぇ、どんな奴だったんだ?」
「凄く綺麗な女の子なんだけど、何故だかずっと誰かを待ってるらしいの」
誰かを待っている――――その言葉を聞いた途端、脳裏に嫌な人影が思い浮かぶ。僕の心をかき乱す、あの女生徒の影が。
「先週急に雨降ってきた日あったじゃん?あの日なんか、傘もささずにずぶ濡れで立ってたんだよ?」
僕の気持ちも知らずに、あかりはぺらぺらと無慈悲にしゃべり続ける。
「心配になって声かけてみたら、傘をとりに行っている間に彼が来たらいけないからって‥‥一歩も動かなかったんだから。かっこいい彼氏でも待ってたのかな?」
僕と彼女はあの日一度会話をしただけの、顔見知りとすら言えないただの他人だ。たまたま偶然出会っただけの、本当に何でもない関係。信頼関係も、友情も何もない。そんな相手に‥‥何でそこまでするんだ?
二週間後の放課後。ようやくまともな授業が始まり、つまらないなりにも学生らしい生活が始まった。多くの生徒は勉強よりも、部活動にいそしんでいるようだが―――時間が勿体ないとは思わないのだろうか?
どれだけ血のにじむような努力をしても、報われる保証はどこにもない。どれだけ才能に溢れていても、たった一つの怪我ですべてが無駄になる。そんなことに時間を使うくらいなら、やればやるだけ自分の将来に繋がる勉強に精を出すべきだろう。そんなくだらないことを考えながら、僕は下駄箱の扉をあける。
「入学早々遅刻だなんて‥‥先生に目をつけられても知らないよ?」
あかりはクラスが違うが、帰りはいつも僕を待っている。一応水泳部に所属しているらしいが―――僕はこいつが泳いでいる姿を見たことがない。
「わざとじゃないし、一回くらいなら大丈夫だろ」
「そのうち常習犯になったりして!キミ、意外と抜けてるとこあるしね」
「あかりよりマシだ」
いつもと変わらぬ中身のない会話、いつもと変わらぬ帰路。いつもと変わらぬ今日が終わり、そしてまたいつもと変わらぬ明日がくる。それでいい、何も期待をせず、ただ無難な日々を最低限の力で生きる。あの日から変わらぬ、僕のポリシーだ。つまらない生き方だと思われたっていい。僕はこれでも幸せなのだから。
「あ」
あかりが声を出すのと同時に、僕もその存在に気が付いた。
校門にもたれかかる人影が一つ、それが誰だか判別するのに時間はかからなかった。華奢な体に美しく長い髪、凛とした佇まいに“あの瞳”間違いない。
「おっ!」
人影は僕に気づくと、ひょいっと体を起こして煌びやかな髪を正す。
「奇遇だな!!待っていたぞ新入生!」
はつらつとした眩い笑顔で僕の前に現れた女生徒。名前は忘れたが、ともかく古今東西のオカルト部長で、僕をしつこく勧誘してきたということだけは覚えている。というか、奇遇なのか待っていたのかどっちだ。
「決心はついたか!?」
どうやら彼女の決意は全く変わっていないらしい。二週間も返事を返さず放りっぱなしにしていたのに、笑顔で僕を迎えるなんて。本当に‥‥意味が分からない。ますます苦手なタイプの人間だ。
「はい」
「おお!それじゃあ早速‥‥」
「お断りします」
僕はきっぱりと、冷徹に彼女を突き放した。
「な‥‥どうして!?君ならきっと素晴らしいオカルト研究員になれるはずだぞ!?」
「母が病気で、僕が面倒を見ないと行けないんです。部活動をしている時間とか、ないんで」
「―――そ、そうか」
まるで萎れた植物のように、眩しい彼女の笑顔が消えていく。それでも、彼女は―――。
「すまない、先に事情を聴いてから入部届を渡すべきだったな!」
見え見えの作り笑いで、必死に僕の前で笑って見せた。
「‥‥なんで笑ってられるんだよ」
あれ、僕は‥‥。
「貴女は、こんなことよりも他にすることがあるんじゃないんですか?」
僕は一体、何を言っているんだ?
「学生の本分は勉強でしょう?!留年してまで夢追いかけて―――結局部員も集まらないで、頭おかしいって、馬鹿にされて、なんで諦めないんですか?」
「・・・」
「オカルト部なんて誰も入る訳ない‥‥こんな無駄なこと、今すぐに辞めるべきだ。誰もあんたに見向きもしない、理解しようとすらしてくれない。それなのになんで‥‥なんでそうやって笑ってられるんだよ‥‥!」
僕がこんなことを言っても仕方がない。分かってる、彼女のことなんて放っておけばいい。だというのに、言葉が勝手に溢れて止まらない―――おかしいな。僕は、壊れてしまったのだろうか。
「確かに、きみの言う通りだ。オカルト大研究部はずっと私独りで、声をかけても誰も振り向こうとはしてくれなかった。でも、それは二週間前までの話だ」
僕の言葉をひとしきり聞いた後、彼女は静かにそう呟いた。
「今はきみが、私のことを理解しようとしてくれている」
「‥‥っ!」
彼女の眼からは、今までのような溢れる光は感じられない。だが確かに瞳の奥には――力強くはっきりとした断固たる決意の炎がともっていた。その光に魅入られるように、僕もずっと彼女の瞳を見つめていたが―――。
キーンコーンカーンコーン―――。
「!」
全てに終わりを告げるように、下校時刻を知らせる鐘が鳴る。
「しまった!もうこんな時間か!」
我に返ったように、彼女はきょろきょろと辺りを見渡す。先ほどの気迫とは程遠い、初めて会った時のような天真爛漫な高校生――といった風な風貌だ。
「時間をとらせてすまなかったな!私は6時まで旧校舎3階の空き教室に居る。もし、気が変わればいつでも来てくれ!お母さん、早く良くなるといいな!」
早口でそう言い残すと、彼女は足早に走り去ってしまった。
「‥‥」
他人の事なんて、どうでもいい、いちいち首を突っ込むことではない。勝手にやればいい、僕には関係ない。僕の心の根底にある、昔からのスタンスだ。今もこの信条に変わりはない。
なのに、何故僕は‥‥。
「母の看病、ね。嘘つくにしても他に何か無かったの?縁起でもない」
沈黙を破ったのは、あかりだった。
「それにしてもキミがあそこまでムキになるなんて、珍しいね。ちょっと見直したかも」
「見直した‥‥?」
「いつもだったら、あそこまで熱くなったりしないでしょ?真正面から思いをぶつける姿なんて初めて見たよ」
「そう、かな」
確かにあかりの言う通りかもしれない。僕自身、さっきの一瞬は自分が自分じゃないみたいに感じられた。理由は分からないが、柄にもなく声を張り上げていたのは間違いない。
「あれ?これって‥‥」
さっきまであのオカルト部長が立っていたところに何か落ちている。
「リボン、だね。急いで帰ってたし―――落としちゃったのかも。明日にでも私が彼女に返しておくよ」
「いや、僕が渡すよ」
「え、本気?勧誘断ったのに、また彼女と会うの?‥‥気まずくない?」
「大丈夫。気まずくならないように頑張るから」
「心配だなぁ」
僕は赤いリボンをそっとカバンの中にしまい込むと、あかりと共に帰路についた。
「‥‥」
時刻は深夜2時を過ぎたころ。全てが寝静まった世界には、時を刻む針の音だけが静かに響き渡っている。普段であれば起きているはずのない時間なのだけれど―――今日は眼が冴えて眠れない。ベッドに入ってからもう何時間も、こうして天井と睨めっこをしている。
「彼女、何組だっけなぁ」
壁に掛けられたカバンの中で眠る、修叡高校女生徒の赤いリボン。その持ち主である彼女に、ここ数日僕は心をかき乱されている。古今東西オカルト大研究部―――ふざけた名前だが、部長である彼女の情熱には目を見張るものがある。絶望的な逆境の中で、どうしてそこまで熱くなれるのか‥‥それが不思議で仕方がない。僕を熱心に勧誘する理由も気になるけど、そちらは何となく予想がつく。彼女はきっと、僕が“何者なのか”を見抜いているのだ。
「あれこれ考えても仕方ない、とにかく今日はもう寝よう」
自分自身に言い聞かせるようにそう呟くと、僕は枕の中に顔をうずめた。
翌日の昼休憩。僕は例の彼女を探して、1年のクラスを手当たり次第に回ることにした。この時間であればどこもかしこも騒がしいので、ちょっとした有名人である彼女と喋っていても目立つことは無いだろう。さくっと会って、きっちりと決別しよう。
「とりあえず、端から順に当たってみるか」
まずは1組から。クラスは全部で7クラスあるので、僕の居る5組を除けば残りは6組。1クラスあたり5分で済ませればギリギリ僕の昼食時間は残るはずだ。
「‥‥居ないな」
1組は外れ。有象無象の中に彼女の姿は見当たらない。
「あれ?キミが私のクラスに来るなんて珍しいね、どうしたの?」
「ここも居ない」
あかりは居たが、2組も外れ。僕は扉をぴしゃりと閉めて、その場を去った。お次は3組‥‥なのだが、何故だか教室に人が溢れかえっていて中の様子が良く見えない。ここは飛ばして4組を探ろう。
「キミ、もしかして阿鼻さんを探してるの?言っとくけど、4組には居ないよ」
「あかり‥‥ついて来てたのか」
「別にそういう訳じゃないけど。どうせ、昨日のリボンの件でしょ?」
「ああそうだ。もしかして、彼女がどこのクラスか知ってるのか?」
「1組でしょ?1年1組出席番号1番、阿鼻叫子さん。多分廊下側の一番前が彼女の座席のはずだよ?」
「おかしいな、1組に彼女の姿は見当たらなかったんだけど」
「いや、お昼休みなんだから教室に居るとは限らないでしょ。食堂に居るかもしれないじゃん。あ、図書室で勉強中ってのもあるかもね」
なるほど、そうか。高校生にもなると昼休みの過ごし方がぐっと増えるんだな。中学生とは大違いだ。流石に校舎を探し回るのは面倒だし、放課後に出直すとしよう。
「あかり、今日先帰ってていいぞ」
「いや、私今日部活あるから。キミこそ、先に帰ってていいよ?」
「‥‥何だか手痛いカウンターを喰らった気分だ」
結局僕は何の成果も得られぬまま昼休みを過ごし、放課後を待った。
キーンコーンカーンコーン―――。
1日の終わりを告げる鐘が鳴り、僕は落ち着かぬ様子で教室を出る。今日に限って最後のホームルームが長引いてしまったので、他のクラスより少し出遅れてしまった。ウチの担任、人は良いのだが‥‥変なところで熱くなるのが玉に瑕だな。まぁ、雑で適当な教師より何倍もマシだけれど。
「さて、1組は―――っと」
制服から部活動の運動着へと姿を変えた生徒たちが蔓延る廊下を逆流し、僕は阿鼻さんが居るという1組の前へと辿り着いた。あかりの言っていた通り、確かにそこにはお目当ての彼女が居た。居たのだが‥‥。
「取り込み中か?」
阿鼻さんの席の周りに、2人ほど誰かが居る。クラスメイトなのは間違いないが―――仲の良い友達という風には見えない。大事な話の邪魔をしてはいけないので、僕は話が終わるまで教室の外で待つことにした。
「阿鼻さんさぁ、オカルト部?とかいう怪しい部活の部長やってんだよね?」
「ああ、いかにもそうだが―――もしかして興味あるのか?」
「ぷっ、いや‥‥うん。まぁ、ね」
「スズ、ちょっと笑うなって可哀想だろぉ」
「そう言うミカも声震えてんじゃーん!もう、マジ性格悪いわぁ、こいつ」
「入部希望ではなさそうだな‥‥?」
困惑する彼女を嘲笑うように、二人の女はニタニタとほくそ笑んでいた。
「ぶっちゃけて言うけどさぁ‥‥阿鼻さんクラスでめっちゃ浮いてんだわ。訳わかんない部活入ってるし、その年でUFOとか宇宙人とか言ってるし。正直ちょっとキモイ」
「注目浴びたくてキャラ作りすんのは勝手だけどぉ、流石にやりすぎって言うかぁ。見ていて癇に障るって言うかぁ―――うーん、何かうざい!」
「話はそれだけか?では、私は部活があるので失礼するぞ」
「は?」
立ち上がろうとする阿鼻さんの肩を、一人の女が乱暴に押さえつけた。
「何それ?ウチらに喧嘩売ってんの?」
「マジで頭おかしいんじゃない?ちょっと痛すぎるわぁ、いつまで経っても大人になれないって、かわいそぉ」
「ほんとそれな。周りの目とかぜってー見えてないわコイツ。いい加減―――現実見ろよ」
「!」
不意に女の口からこぼれ出た、一つの言葉。
その言葉を聞いた瞬間、僕の頭の中にある何かが―――ぷつりと吹っ切れた。
「あれ、何か‥‥教室揺れてね?」
「うそ―――地震!?」
まるで教室全体がふるいに掛けられているように、ガタガタと机たちが笑う。教卓は倒れ、教室中には色とりどりの教材や剥がれた掲示物が散乱していく。
「ちょ、やばくね!?これ!」
パリン!と、甲高い衝撃音が響き渡る―――教室の電灯が落下してきたのだ。更には窓ガラスが割れ、ガラス片がそこかしこに拡散する。得体のしれぬ恐怖が、この場に居る全員を襲った。
「マジ何なのこれ―――!意味わかんないってぇ!」
「と、とにかく逃げようよスズ!」
完全にパニック状態になり、慌てふためく二人。阿鼻さんを揶揄うことも忘れ、ただひたすらに怯えている。まるで、自分たちが被害者であるかのように。
「あれだけ人の心をめった刺しにしておいて―――逃がす訳ないだろ」
僕は教室に足を踏み入れ、二人の女を宙に浮かせてやった。
「は!?え!?浮いてる!?」
「うそ―――マジで意味わかんねえってえ!」
そしてそのまま、二人を窓から外に放り投げた。女たちはまるで風に吹かれたゴミのように、窓から真っ逆さまに落ちていった。ここは3階だから―――10mくらいの高さはあるのだろうか。‥‥まぁ、どうだっていいけど。
「大丈夫ですか、阿鼻さん」
僕は目を丸くし、口を開けっぱなしにしている阿鼻さんへと手を差し伸べた。
「こ、これは流石の私でも理解不能というか‥‥いま、一体、何が、起こったんだ?」
「何がって―――教室全体に重力をかけて揺らし、ついでに僕の力で彼女たちを放り出してやったんですよ」
「え‥‥いや、キミ頭大丈夫か?」
「アンタに言われたくない!」
というか、何だこのリアクション。まるで僕が何者なのか、分かっていないみたいじゃないか。
「阿鼻さん。一つ確認しますけど、僕を執拗に勧誘した理由って―――」
「シ、シンプルにキミが暇そうに見えたからだが‥‥?」
「・・・」
ああ。僕はとんでもない勘違いをしてしまっていたようだ。古今東西オカルト大研究部なんて名前だから、てっきり僕の素性を知って勧誘したのだと高を括っていたが―――彼女を買いかぶり過ぎていた。
この人、多分何も考えてないな。まぁ‥‥ここまで力を見せておいて、今更後戻りもできないか。
「一応自己紹介しておきます」
「僕の名前は星宮ひかり。こう見えて、一応宇宙人です」
「え」
「あ、あとリボン校門に落としてましたよ。はい―――どうぞ」
「え?えええええええええええ!!!!!」
桜も散り始めた4月下旬。
一人の少女と宇宙人は―――こうして巡り合った。