水の都編10 とある双子の願い事
「……はぁ」
赤い髪の女が窓際の椅子に座りため息を吐く。
その手には何かの本が開かれているが読まれている様子はない。女の視線はずっと窓の外に向かっていた。
既に日は暮れ外は暗い。しかし人々はまだ騒いでいるようで町には明るい光と楽しげな声が響いている。
「はぁ」
再び思わせぶりなため息が聞こえ、青い髪の男は読んでいた書類から顔を上げた。
そして視線を女が座る方へと移す。
「どうしたセレス」
「……別に」
「カイルのことか?」
「…………」
「元気そうだったな」
「……そうね」
二人の会話はそこで終わった。
だが別段二人に気にした様子は見えない。こんなことはこの二人にとっては日常茶飯事だからだ。
男はまた書類へと視線を落とし、女は外を眺め続ける。
「……顔、綺麗になってたわね」
「そうだな」
「はぁー…………良かった……ほんとに、よかったぁ」
「あぁ……そうだな」
女は絞り出すようにそう言うと、手元の本に顔を埋めた。
男はその様子を眺めたあと、こちらも安堵の声をもらす。
「良かったけど……やっぱり私のこと恨んでるわよね。あの子の痣は私のせいだし」
「お前が恨まれてるんなら俺も恨まれてるだろう。あいつもお前も守れなかった弱い男だ」
「レオンは弱くないわよ。私がボサっとしてたのが悪いの」
「なら俺達二人とも未熟だったんだな」
「……そうね」
二人の顔にはありし日の後悔が浮かぶ。
しかしすぐに何かを思い出したのか、女がわずかに微笑んだ。
表情の変化が乏しい二人だが、この二人の間ではそのわずかの差でも見分けるには十分な判断材料になる。
「嬉しそうだな」
「……あの子、今はすごく幸せそうで安心したの」
「そうだな。良い方に拾われたようで良かった。昔はずっと俯いていたから」
男の視線も先程の女と同じように窓の外へと向く。
女もまた手元の本から窓の外へと顔を向けた。
「お父様に贔屓されていた私達が声をかけても、きっとあの子は嫌がると思ってなるべく関わらないようにしてたけど……」
「逃げてたんだな。俺達二人とも、あいつから」
「えぇ、そうね。弟から罵られるのを怖がった意気地なしの最低な兄と姉ね」
「どうせずっと嫌われていたんだ。ならそれ以上嫌われることもないと、もっと話しかけてやれば良かった。それで少しでもあいつが救われたかもしれないのに」
「……今更ね」
「……今更だな」
二人の視線は交わらない。
どちらも同じ方向を見つめている。弟が泊まっているという宿屋の方角へ。
「そういえば」
「なんだ?」
不意に女が思い出したかのように声を出し、男へ振り向いた。
その表情は先程と違い無感情だ。
「お父様はこれからどうなるの?」
「あぁ。とりあえず田舎にでも隠居してもらうつもりだ。跡は俺が継ぐつもりだが……」
チラリと女へ意見を仰ぐように視線を向ける。
女はその視線の意味を正確に受け取り男に答えた。
「えぇ。それが良いと思うわ。私は領主に興味はないし、何より面倒だもの」
「そう言うと思ったよ。ただし、サポートくらいはしてくれよ」
「それくらいなら頑張るわ」
彼らの父親は神の怒りに触れたということで領主の座から降りることになった。
昼間に突然神殿の神官が彼らの住む屋敷に乗り込んできたかと思えば、海神であるユリウスの神託があったと告げたのだ。
曰く、彼の神の姪御である少女の不興を買ったうえ、彼女のお気に入りである人間を不当に扱った為だと神官は言った。
続けて「ユリウス様は大変お怒りだ。領主であるゼムヴォイド伯爵をその座から降ろし、辺境へ送ること。そして二度とこの町へ戻らせないこと。さすれば命までは取らない」と告げられた。
神官からの神託を聞いた男は即座に父を拘束する。
そして喚く父には取り合わずそのまま見張りをつけ部屋へと監禁。
準備が出来次第この町から追い出す手筈になっている。
突然の代替わり故いろいろとやることも多く混乱が生じているが、神からの神託は絶対だ。
どれだけ迅速に行動できるかがこの町の未来に関わると言っても過言ではない。
何せ『誰の』命か明言されていないのだ。この町全ての住民の命と言われても不思議ではない。神ならばやってのけるだろう。
「……ねぇレオン」
「なんだセレス」
「カイルにこのことって知らせた方が良いのかしら?」
「必要ないだろう。もう既にあいつの中で父や俺達は過去の人間だ。今はすでに新しい関係の中であいつは生きてる。わざわざ俺達が出張って苦い思いをさせることもないだろう」
「……そうよね。私達にできるのはこれからもあの子に関わらないこと。静かに見守ることだけ、よね」
「あぁ……そうだ」
女は静かに本を閉じると、それを傍の机に置いて立ち上がる。
そして男が仕事をする机に近付くと、机の上に飾られた小さな額縁を手に取った。
その中に納められているのは小さな子供三人が並んで描かれている絵だ。
青い髪の少年と赤い髪の少女は無表情でただ立っているのみ。
そしてその二人に挟まれる形で二人よりさらに幼い少年が、笑顔で少年少女の手を握っている絵。
これは昔、父親が不在の隙を狙って双子が絵師に描かせた二人の宝物だ。
まだ弟が兄と姉を慕っていた時代。純粋に笑えていた時代。それを切り取ったもの。
急いでいたので少し出来は悪いが双子には十分満足できるものだったので良しとした。
これが父に見つかれば処分されてしまうとわかっていた双子は今までこれを隠していたが、もうその父を気にする必要もないということで堂々と飾っている。
「寂しいわね」
女は額縁に手を這わせ悲しそうに眉を下げる。
「そうだな」
「すごく都合が良いのはわかってるんだけど、もっと思っていることを言ってもいいかしら」
「俺達しかいないんだ。ここで言うだけなら構わんだろ」
「あのね、私――あの子に謝りたい。ずっと逃げてごめんなさいって」
「……」
「それから……守ってくれてありがとうって」
「そうだな」
男の小さな相槌が部屋に溶けるようにして消えた。
そしてしばらくの沈黙の後、再び女が小さく言葉を紡ぐ。
「最後に……新しい家族と幸せになってね、って」
双子の弟は既に双子の手の届かない世界に行ってしまった。きっともう話すこともないだろう。
この言葉を直接弟に向けることはできないが、せめて双子の片割れに伝えて供養する。
そして弟にしてきた罪を黙って背負うのだ。
「メイ様、だったか?」
「えぇ」
「とてもお優しい方だったな」
「そうね」
「冥界神やその娘と聞いた時は眉を顰めたものだが、あいつがあんな風に笑うんだ……きっと俺達が思うような神ではないのだろう」
「えぇ……そうね。きっと今までの分も笑って過ごせるはずよ」
「そうだな。ならばこれからは海神ユリウス様に加え、冥界神フェルトス様にも祈りを捧げなくては」
「それもそうね。早速今日からと言いたいところだけど、まずはフェルトス様のことをもっと詳しく知らないと」
「あぁ。失礼があってはいけないからな。準備は完璧にするとしよう」
双子は顔を見合わせて微笑む。
神に祈りを捧げるだけなら準備などは必要ない。しかし双子はただ祈るだけでは満足しない。
何故なら大切な弟に関することだからだ。その弟が崇拝する神をよく知りもしないでなぁなぁで済ませるわけにはいかないと判断したのだ。
双子の想いは一つ。
『――弟を、カイルスフィアを。どうぞよろしくお願いします』




