26 新しい神様登場
「おしゃんぽ、おしゃんぽ。楽ちいにゃぁ」
みんなでトマトジュースを満喫したあと。フェルトス様とセシリア様はなにやら大人のお話があるとのことで、その間遊んでこいと私は放流されました。
なので今はお姉様と仲良く中庭をお散歩中。もちろん帽子を被って日光対策はバッチリ。
「はわぁ……」
視界に入る全ての景色が洗礼されていてとても綺麗だ。まさに天国、いや天界。美しい。思わず口から間抜けな声ももれるというもの。
これだけ広いのに隅々まで手入れが行き届いてるとか、ここの庭師さんはさすがですね。……というか、ここは本当に中庭なのだろうか。もう普通の庭にしか見えない。中庭とは?
そんなことを考えながらも、るんるん気分でお姉様との散歩を楽しむ。
綺麗な緑。綺麗な花壇。庭木の隙間からこっちを見ている人の顔。大きな噴水――こっちを見ている人の顔!
「ふぉ!」
一度はスルーしてしまった景色に慌てて振り向く。
しかしそこには何もなく、綺麗な庭木が並んでいるだけだった。見間違い、だろうか。
「メイ様。どうかされましたか?」
「い、いえ。にゃんでも……」
お姉様が不思議そうな声で問いかけてきたけど、お姉様はあの顔を見ていないのだろうか。
ならやっぱりあの顔は見間違いということだよね。私の気のせい。だってあんなところに人がいるわけがない。
ここはセシリア様……神様のお家なんだから、オバケなんて出るはずがないし、変な人もいるはずがない。うんうん。
「あ、あはははは……」
引きつりそうになる顔をなんとか押し殺して前を向く。
するとそこには先程までなかった薄緑の壁が出現していた。恐る恐る視線を上げると、鈍く光る灰色の瞳と目が合う。
「――ぴっ!」
思わず肩が跳ねた。それは先程一瞬見えた顔にそっくりだったから。
つまりオバケに先回りされているということに――。
「ふむ。お前がフェルの拾っ――」
「みぎゃあああああああ!」
状況を理解し固まっていた私へオバケが手を伸ばしてきてしまい、咄嗟に叫ぶ。
私の絶叫がセシリア様の中庭に鳴り響くのもお構いなしにすぐさま方向転換。そばに居たお姉様の手を取って後方へと全力で駆け出した。
オバケが、オバケが出た! 助けて怖いよフェルトス様!
「何事だ!」
「おチビちゃん!」
必死に走っていると悲鳴を聞きつけてくれたのか、前方からフェルトス様とセシリア様の姿が見えた。
「わああああん!」
半泣きになりながらフェルトス様の元へ辿り着いた私は、お姉様から手を放しフェルトス様の足にへばりつく。
「ふぇ、ふぇゆしゃみゃぁ……ぐしゅ」
「どうした。何があった、メイ?」
「お、おば……ふぇ、うぇえええん!」
フェルトス様の問いに答えようとしたけれど、あまりの恐怖体験にわんわん泣いてしまって答えられない。あまりにも私が泣くものだからフェルトス様が抱き上げて背を撫でてくれる始末。
だけど私も抱っこされたことでフェルトス様との距離が近くなり安心できたのか、だんだんと落ち着きを取り戻せた。
それでもまだ恐怖は拭えなかったので、フェルトス様の首元に抱き着いて顔を埋めていたけれど。
「何があったの?」
「それが……」
私に聞くことを諦めたのだろう。セシリア様がお姉様に質問している声が聞こえる。
そのお姉様もオバケを見て怖かったのか言い淀んでいた。あんなに突然びっくりホラー体験をするとは思わなかったから気持ちは痛い程わかりますよ。
「おーい、チビ助。これ落としていったぞー」
「みゃ!」
そんな時。先程聞いたオバケの声が聞こえ、びくりと反応してしまう。
思わずフェルトス様にくっつく力を強めると、安心しろとでも言うかのように優しく背中を撫でられた。この手に撫でられるとやっぱり落ち着く。
「ちょっとトラロトル。あんたいつ来たのよ」
「いつって……つい先程だが?」
「聞いてないわよ。というか、勝手に入ってこないで」
「ははは。細かいことは気にするな!」
「はぁ……どいつもこいつも」
ぐりぐりとフェルトス様の首元へ頭を擦り付けている私の後方で、セシリア様とオバケが普通に会話を始めていた。しかもなんだか二人とも知り合いかのような口振りだ。
「メイ。トラロトルに何かされたのか?」
「ふぇ?」
フェルトス様の声に少しだけ顔を上げる。
名前を知っているということは、もしかしてフェルトス様もこのオバケと知り合いだったりしますか。実は私がオバケだと思っている人はオバケじゃなかったりするんですか?
「おいフェル。人聞きの悪いことを言うな。俺は何もしていない」
「ならば何故貴様を恐れている?」
「さてな。そこのチビ助が勝手に驚いて逃げてっただけだから俺は知らん」
「本当か?」
「本当だって。なぁ、そこのお前。そうだよな? 俺は何もしてないよな?」
「したと言えばしましたが……していないと言えばしていません」
「どっちなのよ」
オバケの問いにお姉様が答え、セシリア様が呆れた声を出している。
「……あぅ」
何故みんなそんな普通にオバケへ対応しているのだろう。
やはりもしかしなくとも、この人はオバケじゃないということでしょうか。
理解はしてもほんのわずかな「本物」という可能性にびくついてしまう。
「メイ様を驚かせ怖がらせたのは事実です。ですが、風神様にそのつもりがなかったのもまた事実。ですので私からはなんとも……」
「そうそう。俺はちょっと近くでチビ助を見てただけで他意はねぇぞ」
フェルトス様からそっと顔を上げ、バレないようにオバケへ視線を向ける。
たしかによく見ればちゃんと足がある。透けてもいない。むしろ存在感がすごい。はっきりくっきり見えているし、体も大きくて重量感がある。やはりオバケでは、ない、のかな。
「むぅ」
それにお姉様はこの暫定オバケのことを風神様と言った気がする。ならこの人はオバケではなく神様なのだろうか。
私はオバケ――もとい、風神様だという人物の観察を続ける。セシリア様とお話していて気付かれない今がチャンスだ。
「むむむ」
素体は人間の体に近い。背中にはフェルトス様とは違う鳥のようなふわふわつやつやの翼がついていて、さらには尾羽のようなものも見える。
手や腕なんかは人と同じように見えるけど、足は少し違う。膝から下が鳥のようだった。
全体的に見れば人外なのは明白。
「むむむむむ」
太陽の光を反射してキラキラ輝く銀色の髪。私を覗き込んでいた灰色の目は猛禽類みたいに鋭い。そして極めつけは肌の色。薄い緑色だ。ここでも人外みが加点されている。
他に気になるところといえば、何故か上半身が裸なことくらい。見事な筋肉ボディをしておられるので見せびらかしたいのだろうか。フェルトス様以上の露出だ。
お腹を壊したり風邪をひかないのか少しだけ心配。
「むぃ……」
観察の結果。言われてみればたしかに神様っぽい……気がする。よくわからないや。
「くくっ」
「みっ!」
突然風神様が小さく笑いだし、驚いた私はフェルトス様に再びくっつく。
セシリア様と話していたと思ったけれど、私の不躾な視線に気が付いていたのかな。
くつくつと風神様がおかしそうに笑っている音が聞こえる。続いてこちらに歩いてくる足音も聞こえてきた。
「どうだチビ助。俺を観察した結果は。怖くないだろう?」
「あぅ」
やっぱり気付かれていたみたいだ。
観念した私はそっと顔を上げ、すぐ近くまで来ていた風神様を見上げた。
「おっ、ようやくしっかり俺を見たな」
そういって風神様は歯を見せながらニッカリと笑う。
「むぃ。しょの……ほんとにオバケじゃ、にゃい……でしゅか?」
違うと理解しているが、最終確認だ。本人からの否定がほしい。だってそのくらい怖かったんだもん。
私は映像とか、二次元系のホラー系統なら耐えられるけど、リアルホラーやオバケは苦手なのです。お化け屋敷もちょっと苦手。
「は? オバケ?」
「あぃ」
目を丸くしている風神様に私はびくびくしつつも頷く。早く否定してほしい。
「な、オバケ? 俺がおば、け……?」
「ぷっ。あ、あははは! なるほど。こいつをオバケと勘違いしたから驚いて逃げてきたってわけね! なぁんだ! ふふふ」
「……フッ」
セシリア様がお腹を抱えて笑い、フェルトス様も小さく笑っている。
私はそんなに面白いことを言ったのだろうか。
「ぐっ……おいそこ二人! 笑ってんじゃねーぞ、ったく」
私が怒られているわけではないけど、きっかけを作ったのは私だろうからなんとなく気まずい。
「あぅ」
「まさか死霊なんぞと間違われていたとはな。さすがにこんな経験は初めてだ。さすがフェルの眷属になれただけはあるか……チビ助、お前良い度胸してるな」
「ご、ごめんにゃちゃい!」
「いや、かまわん。細かいことは気にするな、だ!」
「わぷっ」
フハハと豪快に笑いながら、風神様は持っていた帽子を私の頭に被せてくれた。
わざわざ拾ってここまで持ってきてくれたのに、あんなに怖がって悪いことをしてしまった。
「あ、あにょ……風神、しゃま?」
「おう、なんだチビ助。ちなみに俺の名はトラロトルだ。風の神トラロトル。呼びずらいなら好きに呼んでかまわんぞ! よろしくな!」
「ありがとごじゃましゅ。わたしはメイでしゅ。こちらこしょよろちくお願いちまちゅ。えっちょ。しょれじゃぁ……トラしゃまってお呼びちてもいいでしゅか?」
「おぅ、いいぞ!」
「ありあと――わぁ!」
了承が得られたのでペコリと頭を下げると、帽子の上から豪快に撫でられた。
撫でる勢いが強くて頭が取れてしまいそうだ。
「やめろ。メイの頭がもげるだろうが」
「いてっ」
世界が揺れる中、べシンと痛そうな音とともに頭が解放された。
どうやらフェルトス様がトラロトル様の手を叩き落としてくれたようだ。ありがとうございますフェルトス様。助かりました。でもまだ頭がぐわんぐわんしています。
「むぃ……」
「それで、俺に何用だ?」
「うぅ。えっちょ。……にゃんだっけ?」
「おいおい」
「あ、しょだ! あにょ、逃げてごめんなちゃい! しょの、びっくりちちゃって……」
一瞬本気で思い出すことができずに首を傾げる。
しかし次の瞬間には思い出せたので、きちんと謝罪の言葉を口にした。
「そんなことか。気にしなくていい。俺も驚かせたようで悪かったな。許せよチビ助!」
「あぃ。……あぅ」
風神様の笑顔が眩しい。
なんとなくフェルトス様の首元にぎゅっと顔を埋めてしまった。
「あ? なんだなんだ、照れてるのかぁ?」
別に照れているわけではない。
なので「このこのぉ」なんて言いながら後頭部を突く行為をやめてもらっていいですかね?
「ところで」
「あん?」
後頭部への被害が消えるとともにフェルトス様が口を開いた。いつもありがとうございます。
「貴様はここで何をしている?」
「フェルの言う通りよ。あんた本当に何しに来たの? 邪魔しに来たの?」
フェルトス様とセシリア様の二人がトラロトル様に詰めよってる気配を感じます。
「何って……。このチビ助を見に来ただけだが?」
「メイを?」
「おぅ」
「あー、なるほど……」
「う?」
思わず声が出た。風神様の目的が私? 何故?
セシリア様が心当たりのありそうな声を出してましたけど、何か知っているのでしょうか。
フェルトス様に顔を埋めながら私も聞き耳を立てる。
「どういうことだ?」
「この俺が手ずから織ってやった布を、どういうやつに使うのか。それが気になったから見に来ただけだ」
「何故ここで貴様の布が出てくる?」
「セシリアに頼まれたんだよ。急ぎで大量に欲しいってな」
「だってトラロトルの織る布は丈夫で軽いし、おチビちゃんの服にピッタリだと思ったのよ。普通の布を使うより良いでしょう?」
「なるほど。一理あるな」
「でしょ」
一理あるんだ。大人達の会話を聞きつつ心の中で首を傾げる。
たしかに軽い服は良いと思う。だけどわざわざ別の神様に頼まなくても良いんじゃないかと思うのは私だけなのでしょうか。私は普通の布でも十分なんですけどね。
「あとは……」
「まだあるのか?」
「おぅ、あれだ。純粋に、フェルが拾って眷属にまでしたっつう落とし子が、どんなやつか。それが気になったからだな! なかなか面白いやつみたいで気に入ったぞ!」
「……やらんぞ」
私をトラロトル様から隠すように、フェルトス様が半身を引いた気がした。
「別にいらん」
「そうか。ならばいい」
フェルトス様の体勢が元に戻る気配。
「それで。チビ助の服はできたのか?」
「まだよ。夜にはできると思うわ」
聞き間違いでしょうか。今セシリア様は夜にはできると言ったのか。それはさすがに早くないですか。
「なんだそうか。せっかくなら完成品も拝んでいこうと思っていたが……面倒だし、帰るか! 帰るわ! じゃあな!」
そういってトラロトル様が風を纏いながら消えていくのを横目でそっと見守る。
瞬間移動でしょうか。それとも高速移動でしょうか。魔法でしょうか。とにかくトラロトル様はこの場から姿を掻き消した。
埋めていた顔を完全に起こして周囲を見渡てみても、もうすっかりトラロトル様の気配はなかった。
「……相変わらず、唐突に現れて唐突に帰るわね、あいつ」
「そうだな」
「フェルしゃま……トラしゃま、帰っちゃ?」
「あぁ」
「ふ、ふぃー」
思わず出ていない額の汗を拭ってしまった。
どうにもあの人が苦手みたいです私。恐らく初対面がアレだったからだとは思うけど。とにかく嵐のような人だったな。
フェルトス様に頭を撫でてもらって気分を落ち着けよう。
ところでセシリア様。服が夜にはできるって本当ですか?




