2 トマトジュースで勘弁してください
祭壇のような台の上に寝転がり、さらには頬杖をつきつつこちらをジロジロと眺めてくる蝙蝠のオバケ。もとい、フェルトスと名乗った人を私もそっと眺める。
褐色の肌に濃い紫色の長い髪。それから真っ赤な目。
顔とか基本の造形は人間のように見えるけど、通常より少し長い手足はどう見ても人間のものじゃない。
さらにその背中には悪魔みたいな真っ黒の羽があるし、口からはギザギザの歯がチラチラと見えている。
そしてなんといってもこの巨体。多分二メートルはあるんじゃないでしょうか?
私が小さいから余計に大きく見えてるだけかもしれないけど。
どちらにしろ、正直に言って、ものすっごく、怖い、です!
「あぅ」
あの時、私の目の前に現れた恐ろしい影の正体がこの人。
名前はフェルトス様といって、冥界の神様……らしい。
そして私は今フェルトス様の家みたいな場所――といっても建物なんかはなくて、思いっきり外なんですけど――に連行され、彼の前で正座しています。
実はあの時。物理的に食べられそうになった私は、持っていたトマトジュースを生贄に捧げてなんとか事なきを得たのです。
どういうことかって? 私にもよくわかりません。なぜか助かりました。
「わたしはおいしくないので食べないでください! 食べるならこっちにしてください!」と――実際はかなりしどろもどろになりながらだけど――持っていたトマトジュースを彼の前に掲げて命乞いしたら助かりました。
いやはやトマトジュース様様です。ありがとうトマトジュース。愛してるよトマトジュース。一生ついていくよトマトジュース。
フェルトス様はかなり恐かったけど、渡したペットボトルの蓋の開け方がわからなくて、ボトルをしげしげと眺めてた様はちょっと可愛かったです。
とはいえ最終的にボトルを握りつぶして中身を飲んでいたので、やっぱり怖かったんですけどね。
一歩間違えたらあのボトルは私だったというわけで……怖すぎる。
開け方を教えようとも思ったのですが、端的に言うとビビりすぎていて無理でした。
怖くて声なんてかけられませんよ。
フェルトス様が飲み終わったボトルをその辺に捨てて、手についたジュースを舐めとっているのをただ見ているだけで精一杯。
しかもその時にわかったんですが、舌が長いんですよこの人。それがさらに怖さに拍車をかけていましたね。
さっきから怖いとしか言ってない気がするけど、実際怖い以外の感情がほぼないので勘弁してほしい。
そのあとでフェルトス様が何かを考えるような仕草をしたんです。
そして突然私の首根っこを掴んでここまで運んできた、ってワケ。
私は高所恐怖症ではないけれど、あの空の旅はとても怖かった。えぇ、とても、ね。
そしてそして。現在私の前にある祭壇……いや、もしかしてベッドの可能性もあるな。
とりあえず、祭壇の前にぽいっと放り投げられました。
もちろん突然のことで受け身も取れず、無様にもゴロゴロと地面を転がりましたよ。とても痛かったです。
なんとか起き上がって顔をあげた時には、すでにフェルトス様はこの祭壇に寝転がっておられました。やはりベッドなのでしょうか?
その後。不遜な態度で私に前へ来るように指示をして、名を名乗れと言われたので自己紹介タイムが始まった。
「あにょ……しゃいとーめー、でしゅ」
「シャイトーメー? おかしな名だな」
「違いましゅ! しゃいとー、ぐっ。さ、しゃい……ぐぬぬぬぬ」
年齢のせいか、体のサイズのせいか、どうにも舌足らずでキチンと発音できない。
私の名前は斎藤冥です。決してシャイトーメーではありません。
「むぅ……め・い、でしゅ」
どうにもサ行が苦手だ。
なのでもう諦めて名前だけ名乗ることにした。
一音ずつはっきりと。これでようやくフェルトス様に伝わったようです。ちくせう。
「ふむメイか。オレはフェルトスだ。冥界神フェルトス」
それだけ言うとフェルトス様は黙りこくって、私との見つめ合いが始まったってワケですよ。
いやぁ無言こぁい。はやくおうちに帰りたい。もう夢なら早く覚めてほしいところです。