湖上の月城編18 娘と変態
前方でわちゃわちゃと群れながら歩く三匹の背を追いながら、オレ達は月城城内の長い廊下をひたすら進む。
しかし子らの足では歩みが遅く、些か焦ったくも感じ始めていた。
「……おい、まだか。メイは何処にいるんだ」
「もうちょっとだって」
「そーそー。あの角を曲がった先の部屋に――わぁ!」
「冥界神さまってば足はやーい」
居場所がわかればもうヤツらに先導される謂れはない。
オレは足早に三匹を追い抜き目的地の扉を破壊する勢いで開けた。
「メイ! 無事か!」
「――好きです! 我と付き合って……あっ」
「う? あ、フェル様だ!」
薄暗い廊下から明るい室内の変化に一瞬目が眩むも、室内にはそれ以上の衝撃が広がっており容赦なくオレの目と脳を襲った。
幼子が喜びそうなもので溢れかえった広い室内。その中心にオレの娘はいた。
特に怪我をしている様子もなく元気そうで、オレに気付いたメイが嬉しそうに顔を綻ばせているのが見える。
そのこと自体に問題はない。問題なのはまた別。
メイの前で膝をつき、一輪の花をメイへ差し出しているテスカトレの方だ。
いつもの目を覆う程の前髪はかき上げられ、普段は隠されている蒼い目が間抜けにオレを見つめている。
服装も普段の大きなローブと違い、体に合ったキッチリした服を纏っていた。
「……」
「……」
「う?」
静かに見つめ合うオレ達をメイが不思議そうに眺めてるのが視界の端に映る。
「は?」
信じられない光景に我が目を疑う。不覚にも鈍器で頭を殴られたような衝撃だった。
まだ幼いメイにテスカトレが求愛をしている。
その現場を目撃してしまった。俄には信じられない。
やはりクロノス様の言う通りテスカトレは幼子が趣味であったのだ。
トラロトルの言うことを鵜呑みにしたのが間違いだった。
「……ぐっ」
自分からガチリと歯を噛み締める音がした。
一拍置き、ようやく現実を噛み砕き飲み込めたオレの頭が一瞬で怒りに支配される。
そして感情のままに拳を振りかぶり、気が付けばテスカトレの顔面へ向け全力で振り抜いていた。
「死ねッ!」
「ぐぼあっ!」
「わー! てしゅかしゃまー!」
「ぎゃー! ボスー!」
あまりにも呆気なく吹き飛んだテスカトレはそのまま壁にめり込み動かなくなった。
オレに追いつき部屋へ入った三匹がその光景を目にし、血相を変えながらテスカトレへ駆け寄っていく。
その様を一瞥した後、オレはすぐさまメイの安否確認へと移った。
「メイ無事か! 変態におかしなことはされていないか!」
「わっ! わっ! フェル様落ち着いてー」
ともかく、メイの体と精神に異常がないかを調べつくす。話はそれからだ。
突然のことに驚いたのだろう。メイから若干の抵抗はあったが、この目で無事を確認できた。
そこでようやくオレは心の底から安堵の息を吐く。
「――良かった」
「むぃ」
メイを潰さないよう気を付けながら強く抱きしめる。
ようやく己の腕の中へ戻ってきた大切な娘。愛しい小さな命を手放さないように強く。
「心配した……」
「あぅ。ごめんしゃいフェルしゃま」
「謝らなくていい」
小さな手でオレの体に手を回し抱きしめ返してきた娘。そんな娘に自分の心が軽くなったのを感じた。
メイの行方がわからなくなったと聞かされたときからずっと心が重かった。どうにかなりそうだった。それが今、ようやく、安堵と共に平穏を取り戻せた。
もう離さない。奪わせない。そして、忘れない。
オレの大切で愛しい娘。
「うぇー。ぼすしっかりしてー」
「死んじゃやだよー」
「わーん」
背後でラビビ共が壁に埋まったテスカトレを引っ張り出そうと足掻いている声が聞こえた。
娘との再会に水を差された気分になりながらも、肩越しに視線だけを崩壊した壁へと向ける。
そこには壁から生えたひょろ長い足を、懸命に掘り起こそうと躍起になる三匹の姿があった。
どうやら流石のアイツらも主人が倒れたのならば本気で心配をするのだな。
そんなことを思考の片隅で考える。
「――ん? ほわっ! しょうだったテスカしゃまが! フェルしゃま放ちてー!」
「む……」
ぐいぐいとオレの胸を押し腕の中から脱出しようとするメイを再度閉じ込める。
「わぁ」
そしてそのまま抱き上げればメイの抵抗も止まり大人しくなった。
だが代わりにどこか不満そうにオレを睨んでくる。
何故だ。納得がいかない。
そもそも何故メイがテスカトレの心配などをする。
いつの間に「テスカ」と愛称で呼ぶ程仲良くなった。
何故オレを睨む。……全てが気に入らない。
「……む? 待てメイ、貴様……何か甘い匂いがするな?」
娘から漂う甘い匂いに眉を顰める。
先程の嫌な記憶が蘇るが、それとはまた別の匂いであった。
魔法由来のものではなさそうなので見逃したのだろう。
「う? もしかしてお菓子いっぱい食べてたからかもしれましぇん」
「菓子?」
「あい! お茶会ちてまちた!」
メイが小さな手で示す先を視線で追う。そこには幼子が使いやすいサイズの小さなテーブルと空席の椅子が三つ鎮座していた。
テーブルの上にはメイの言う通り茶や菓子が残されていた。
さらにその近くにはトラロトルの息子もおり、トラロトルとの再会を喜びあっている。
つまりメイと、トラロトルの息子と、テスカトレ。この三人で茶会を楽しんでいたのだろう。状況から見て穏やかな時間を過ごしていたのかもしれん。
オレ達が迷宮を彷徨っている最中に。混乱がオレの頭を支配する。意味がわからない。
「……貴様はテスカトレに拐かされていたのでは?」
まるで遊びに来ていただけかのような空気感に困惑が勝る。
そこからテスカトレが求愛に至った経緯も不明すぎた。
「うぅーん。なんて言えばいいにょか……説明がむじゅかしいにゃぁ」
眉を寄せ腕を組んだメイが難しい顔を浮かべる。
オレはただ静かにメイの言葉を待った。
「えーとぉ。うーんとぉ。むー」
慎重に言葉を選んでいるのか、メイはオレをチラチラと窺いながら唸っている。
そんな姿も愛らしい。
「うー。フェルしゃま怒やにゃい?」
「内容によるな」
「でしゅよねー」
またもや「うーん」と唸り始めたメイから一度視線を逸らし、代わりにテスカトレへ向ける。
どうやら幼い三匹ではどうにもならなかったらしく、三匹の代わりにトラロトルがテスカトレを引き摺り出している最中のようだ。
オレはその光景を冷めた目で見つめる。
あのような輩は放っておけば良いものを。トラロトルもお人好しなヤツだ。
いまだ悩んでいるメイへ意識を置きつつ背後の茶番をぼんやり眺めていれば、ガルラが近付いてくる気配に気が付いた。
「なぁフェル。そろそろオレも会話に参加していいか?」
「あぁ。構わん」
オレに気を遣い待っていてくれたのか、ガルラが控えめに問うてきた。
「あ、ガーラさんだ! ガーラさんも来てくれたのー?」
「まぁな。うん……とりあえず元気そうで安心したわ」
「えへへー」
ガルラに頭を撫でられメイが嬉しそうに笑う。
そしてガルラも妹に何事もなかったことに安堵したのか「心配したんだぞ」との言葉と共に控えめな笑みを見せた。
「……ふっ」
やはりオレの友と娘は笑顔が良く似合う。こうでなくてはならない。今回のようなことは二度と御免だ。
「むぁ! フェルしゃまのレア笑顔! もっかい、もっかい笑ってくだしゃ!」
「れあ……何だ?」
「むぃー。一瞬しか見れなかっちゃー」
「何がだ?」
メイが目を覆い嘆いているが嘆きの理由がよくわからない。
コイツは時々おかしなことを口走るからそこはいまだに理解しかねる。
そんなことで娘への愛情が変わることもないが。
「ちなみにオレはバッチリ見たぞ」
「ふぉ! ガーラしゃん羨まちい!」
「ふふん! そうだろうそうだろう」
「むぃー!」
抱き上げたメイと隣に立つガルラが騒がしい。
だがそれもいつもの光景だと思うと不思議と安心するものがある。
「さて。ではメイも取り返したから帰るか」
正直テスカトレを殴り足りないし疑問も残っている。
しかしこれ以上メイをテスカトレの近くに置いておきたくはない。
メイをヤツの視界へ入れることすらおぞましい。
故にテスカトレが気を失っている今の間にさっさと撤収するに限る。
城外へ出る為オレはメイとガルラを連れ壊れた扉へと向かった。
「あ、ダメ! まだダメでしゅ! てしゅかしゃまの相談がまだ――」
「しつこいぞメイ。あのようなヤツに構うな。忘れてしまえ。テスカトレなぞ初めから存在していなかった。良いな?」
「え、えぇー……」
強く窘める言葉を吐くが、メイが納得していないのは明らかだ。
とはいえ、これ以上ヤツに関わることはオレが許さない。
メイはまだ幼い故、自分がテスカトレからどういう目で見られていたのか自覚していないのだ。故に優しい娘は恐らく怪我をした変態なんぞを気にかけているに違いない。
それはメイの良いところではある。
しかし今回に限ってはその性質を発動させないでほしいというのが親心というものだ。
致し方ないこととはいえ、メイがテスカトレを心配するなど、まったくもって不愉快極まりない。
「ともかく、話は終わりだ。帰るぞ」
「でもぉ……」
「――よくもやってくれたなフェルトス貴様ぁ……」
「チッ」
弱いくせに思ったよりも復活が早かった。
恨みがましい声と共に頭から血を流しボロボロになったテスカトレがオレの肩を掴む。
まるで汚物に触れられたかのような嫌悪感。それが全身に伝染していく感覚を覚えたオレはすぐさまテスカトレの手を払った。
「気安く触れるな、変態が」
「誰が変態――」
「ぴぇ! てしゅかしゃま血が!」
「ん? あぁ、すぐ治るから気にしなくて良いぞ。メイちゃん」
「……なに?」
血を見て慌てたのか急に落ち着きのなくなったメイがテスカトレへと手を伸ばす。
無論オレ自身がテスカトレと距離を取ったことでその手が届くことはなかったが、それ以上に気になることがあった。
娘に不細工な笑みを向けてきたテスカトレから、聞き捨てならない言葉が出てこなかったか?
聞き間違いか? 気のせいか? 今コイツは娘のことを親し気に「メイちゃん」と呼ばなかったか?
「はぇ……しゃしゅが神しゃま、しゅごーい」
「伊達にクロノスティールの地位を賜ってはいないからな」
「おぉー――むぃ?」
娘と仲が良さそうに会話をしているテスカトレに怖気が走る。
オレは咄嗟に娘を自身の腕の中へと隠し、己の体と翼をも使って変態の視線から娘を隠した。
「娘に近寄るな見るな触れるな気安く呼ぶな変態クソラビビ」
此処へ来てからオレの口汚さが際立ってきたが止められない。嫌悪と憎悪が先行してしまう。
誰かにこれ程までの嫌悪感を抱いたのはもしかしたら初めてかもしれない。
こんな初めての感情など知りたくもなかったがな。
「だから。我は変態ではないし、貴様はとんでもない勘違いをしている。よって訂正と謝罪を求める。我は変態ではない」
「何も勘違いなどしていない。貴様は幼子に迫る変態だ」
「だーかーらー! それが勘違いだと言っているんだクソ引き籠ウモリ!」
「オレの目の前で娘に求愛しておいて、よくもそのような戯言を――」
「あ、あにょー。フェルしゃま?」
「……なんだメイ」
オレを呼ぶ小さな声を無視できずに視線を腕の中の存在へ向ける。
そこにはどこか気まずそうにオレを見上げるメイがいた。
「えっちょ……」
「どうした?」
視線を少しだけ彷徨わせた後。メイが意を決したように口を開く。
「こほん。えっとですねフェル様。テスカ様の言う通り、フェル様は勘違いしています」
「…………なんだと」
娘に言われたことが理解できず、咄嗟にテスカトレへと視線を向ける。
ヤツもヤツで腕を組みメイの言葉にうんうんと頷きを返していた。
「……はぁ」
オレは小さくため息を吐き眉間を押さえ頭を抱えた。
また頭痛がぶり返してきた気がする。




