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湖上の月城編16 良いよな?

「――なぁ、フェル」

「……なんだ」


 少し物思いに耽ってしまっていたようだ。

 ガルラに呼ばれ意識を戻したオレは巨木へ向けていた視線をガルラへと移す。


 白色(はくしょく)だった髪は濃紫に。薄紅だった瞳は真紅に。それぞれオレの色に染まったガルラを見て口端が上がる。


 昔と違い、肉付きも良くなり健康体を取り戻した。

 魔力もオレの血を取り込んだことでかなり増えた。


 人間だった頃に比べれば、それなりに満足する暮らしを与えてやれているはずだ。

 あれからガルラが泣くこともなくなった。オレの好きな笑顔が増えた。


 一人の静かな時間も悪くはないが、傍らに誰かがいる今も悪くはない。


「どうしたガルラ?」


 オレを呼んだくせに何も喋らないガルラに首を傾げる。

 もしや眠くなったか、疲れたか。ならばそろそろ散歩を切り上げて冥界へ戻っても良い頃合いかもしれない。


 ふと月を見上げれば驚くほど大きな月がオレ達を照らしていた。

 月明かりは刺激が少なく心地良い。いつもならそう感じるはずなのに、今宵は如何にも落ち着かない。


 見上げていた月から視線を外し、オレは前に立つガルラへ声をかける。


「ガルラ。そろそろ戻――」

「フェルの眷属はオレだけだよな?」

「……突然どうした」

「オレさえ居れば良いよな?」

「おいガル――」

「他に誰も要らないよな?」


 ニコニコといつもの笑顔を崩さずにガルラは小さく首を傾げた。


「オレと冥界の眷属達だけで十分(じゅうぶん)だよな?」

「何を言っている?」

「女性が必要なら姉であるイルミナス様がいる。他人が良いならセシリア様もいるし、なんならクロノス様だっているだろ。他にもオマエの周りには沢山の神がいるもんな? ユリウス様、トラロトル様、デュロイケンフィーストス様……。気にかけてくれる人ばかりだ」

「貴様は先程から何を言って……」


 朗々と語りながら一歩、また一歩とガルラがオレに向かって歩んでくる。

 静かに。確実に。真紅の瞳にオレを映しながら近付いてくる。


「な? たくさんいる。だから、もう良いよな?」

「……」

「要らないよな? 必要ないよな? 眷属はオレだけで良いよな?」


 オレの目の前で歩みを止めたガルラから笑顔が消えた。

 そして両の手でオレの腕を掴んだガルラは、そのまま力強くオレの腕を握りしめた。


 痛みはない。本気でもないガルラに傷付けられる程オレは軟弱でもない。

 振りほどこうと思えばいつでもできる。不敬が過ぎると叱りつけることもできる。


 だが、どうしてなんだろうな。オレはガルラから視線が外せなかった。

 眉を下げ、縋りつくようにオレを見上げるガルラ。その姿に在りし日のことを思い出していた。


「オマエいっぱい持ってるよな? これ以上は要らないよな?」

「……」

「冥界の闇に星も太陽も……必要ないよな?」

「……」

「オレを一人にしないよな? 一緒にいてくれるんだよな?」


 何かがおかしい。ガルラの突然の変化には何かがある。

 そう思うのに、何がおかしいのかはっきりしない。

 ガルラが言っている意味もイマイチ理解できない。

 まるでオレにはガルラの他に誰か眷属が居たかのような――。


「ぐっ」


 鋭い痛みが走り咄嗟に頭を押さえる。


『フェルしゃまー』


 知らない声が、笑顔が、脳裏を過った。

 小さな手で、体で、オレを求める愛おしい姿が。


 誰だ? 知らない。いや、知っている? わからない。


「なぁフェル。オレと冥界に帰ろう。このまま二人で此処にいよう。そうすればみんな幸せだ。な?」


 オレの様子など意にも留めずに、ガルラがオレの瞳を覗き込んできた。


「だから――子供のことなど忘れてしまえ。貴様には必要ないものだろう」

「何、を――グッ!」


 先程よりも激しい痛みに眉根を寄せる。

 今の一瞬。ガルラの瞳が蒼く見えたのは気のせいか? 瞳に月が浮かんでいた気がするのは気のせいか?


 オレから一歩離れたガルラへ視線を向ける。

 そこには不満げに佇むガルラの姿。瞳の色は真紅。蒼ではない。


 痛みにかすむ視界で必死に情報を探る。


「……なぁフェル。苦しいだろ。痛いだろ。だから早くオレと一緒に冥界へ帰ろうぜ?」


 頭を抱え無様にも膝を付いたオレをガルラが見下ろす。


「いつもみたいに冥界に引き籠もろう。全部忘れたら最高だ。それですべて上手く行く。その痛みだってすぐ治まるさ。だから――」


 ガルラがオレへと手を差し出す。極上の笑顔を浮かべながら。


此方(オレ)を選べフェルトス」


 刺すような痛みがオレの頭を刺激する。

 霞がかった思考に何も考えられなくなる。


 気が付くとオレは目の前にある手へ己の手を伸ばしていた。


『――――』


 その瞬間。何かが聞こえた気がしてオレは伸ばす手を止める。


「フェル?」


 頭の奥で誰かが警告を発している気がする。

 早く起きろと名前を呼ばれている気がする。

 伸ばす手に温かな体温を感じている気がする。


 そう思った瞬間、霞む思考に一筋の光が差した。次いで痛みが引いていく。

 オレは伸ばしていた手を引き戻し、まじまじと見つめた。


 確かに温かい。誰かに握られているかのように。

 不快さはない。むしろ心地良い。一体何が――。


『早く起きてください……』


 突然聞こえたガルラの声に顔を上げる。


「ん?」


 目の前のガルラではない。では一体何処から。

 出所不明な声に訝しむどころか、オレは求めるように周囲を探る。


『オレを一人にしないでください……』


 また聞こえた。何処からかはわからない。ガルラの求める声が聞こえる。

 目の前の男は聞こえていないのか、不思議そうに首を傾げるのみ。


『メイだって、貴方の娘だって、貴方の助けを待ってるんですよ』『泣かせるんですか』『守るって言っていたのに』『嘘つき……』


 次々と聞こえてくる訴えに心を痛める。

 あぁ、ガルラが泣いている。早く泣き止ませないと。

 こんなところで頭を抱え膝を付いている場合ではない。


「……そうだな。約束、したな」


 それに娘も――メイもオレを待っている。

 テスカトレに奪われた娘がオレの助けを待っている。早く行かなければ。


 すでにほとんど引いた痛みだが、最後に軽く頭を振ることで完全に逃す。

 もう、惑わされない。迷わない。オレの居場所は此処ではない。


 立ち上がったオレは目の前の男を睨みつけた。


「今、約束って言ったよな。これも覚えててくれたんだな。嬉しいぞ! ずっと一緒にいるって。ずっと友達だって。そう約束したもんな!」


 だから早く帰ろう。そう告げ、オレへ手を差し出してきた男の手を払いのける。


「触るな」

「い――った……」


 バシリと鋭い音がして、男が痛みに顔を歪めた。

 この男。先程から「だから。だから」と喧しい。そんなにオレを此処へ引き止めたいのだろうか。


「フェル?」

「気安く呼ぶな」


 冷たく吐き捨てれば、目の前の男はショックを受けたように顔から血の気が引いていった。

 そしてみるみるうちに瞳からは雫があふれ、そのまま頬を伝いこぼれ落ちていく。


「……なんで、フェル?」


 か細い声でオレを呼ぶ声を聞いても、ボロボロと涙を流す様を見せつけられようと、もうオレの心は動かなかった。


 何故ならこれはオレのガルラではないから。

 ガルラでないのならいくら泣こうが喚こうがどうでもいい。


 むしろ、オレを騙し、操ろうとした不快さの方が際立つ。


「消えろ、テスカトレの影。それと、不躾に人様の記憶を覗き見るな――不愉快だ」


 得物(大鎌)を取り出したオレは、目の前の男の首目掛け一息に振り抜いた。


「あぁ……口惜しい」


 何の手応えもないまますんなりと首を切り落とす。

 しかし飛ばした首は地面には転がらず、不動の位置を保っていた。


 そしてガルラの姿を模していた目の前の男は徐々に漆黒に染まり、完全に影へと成り果てる。


「もう少しだったんだがなぁ……」


 ゆらゆらと揺れる影の中、蒼く光る目が鋭く細められオレを見据えた。


「実に、残念だ……」

「黙れ。さっさと消えろ」


 まだ何か恨み言をブツブツ呟く影を今度は縦に、横に、斜めに。念入りに細かく切り刻んだ。


「――な……で、貴様ば……り……」


 その言葉を最後にテスカトレの影は完全に霧散する。

 残されたのはオレ一人。これでようやく静かになった。


「さて……」


 オレは空を見上げ、そこに浮かぶ月を睨む。


「さっさと戻るか」


 泣き虫がこれ以上寂しいと涙を流す前に。


 愛しい娘を取り返す為に。


 オレの大切なもの達が外で待っているから。


「――茶番は終わりだ」


 オレは夜空に浮かぶ月を勢い良く切り裂いた。

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