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湖上の月城編15 冥界神と友

 オレがガルラと会わなくなってからそれなりの時間が過ぎていた。

 勿論オレからすれば極僅かの時間でしかなかったが、人間の時間でいえば数年程は過ぎていた気がする。正確な日数を記録していたわけではないので感覚的なものではあるが。


 これだけの期間と時間を与えてやったのだ。

 体の弱いガルラでも、流石に体力気力ともに十分養えただろう。


 そう考えたオレは重い腰を上げ冥界を出る。


 いつもならばオレとの拝謁の許可を夢で告げるか、神託を下ろす。

 だが今回は直接オレが出向くことにした。

 また前回のように体調が悪いのを隠されても面倒だからな。

 オレが言えばガルラは無理をしてでも拝謁しに来る。それはオレの本意ではない。

 直接顔を見て問題がなければ、改めて二人で丘へと出向けばいいのだ。


『……少し、甘いか?』


 自分自身ガルラを特別扱いしている自覚はある。

 ただの人間。それもたった一人の相手の為に。オレ自ら心を砕き、足まで運んでやっているのだ。これが特別でなくて何になる。


 こんなことは今までなかったことだが不思議とやめようとは思わなかった。

 他人。ましてや人間相手に冥界神であるこのオレが、このような特別扱いをする日がくるなんて。本当に、夢にも思っていなかった。


 最初はオレを純粋に賛美する人間に興味を持った。

 その内ありのままのオレを受け入れ、それでいて心からの敬意と尊敬を向けるガルラが愛おしくなった。

 愛玩動物へ向ける類の愛情なのかもしれないが。それでも愛情であることには変わりない。


 だからだろうか。オレはガルラが近くに居ると心が安らぐようになった。そばに置いておきたくなった。

 しかしそれと同時に、どうにも居心地が悪くなるときもある。離れてくれと感じるときもある。


 相反する二つの感情が同居している事実に理解しがたいものはあるが、どちらもオレの本心なので致し方なく受け入れている。不満ではあるがな。


 ガルラと出会ってからわからないことや、受け入れがたい感情が増えた。


 もしやオレは自覚していないだけで、どこかおかしくなっているのではないか。そう考え姉上や兄上に相談をしてみたこともある。


 だが二人とも良い笑顔で「良かった」だの「何もおかしくない」だのと言うのみ。さらには「その人間と会いたい」やら「フェルに友達ができた」などと言って喜ぶようになったので近頃は連絡を取ること自体やめた。


 向こうから連絡が来ることもあるが意図的に無視している状態だ。


 結局オレの内心は何も解決していないが、もはやどうでも良い。

 オレが誰かと……ガルラと友になりたいと思っているはずがない。それに人間と友になったところでどうせ人間はすぐに死ぬ。そうなればオレはまた一人。


 無駄に心へ負担をかけたくはない。故に何も考えず気にしなければ良いだけと結論付けた。


 そんなことを考えながらオレは夜を渡る。

 するとすぐにガルラの住む町が見えてきた。


『ん?』


 どこか違和感を覚えたオレは空中で静止する。


 一見して町に異常は見られない。いつも――といえる程知っているわけではないが、それでも感覚的にはいつも通りの町の風景。

 現在は真夜中。出歩いている人間はほぼいない。いても警備の人間や酔っ払いくらいだろう。とても静かな町並みだ。


 それでも違和感は拭えない。

 気持ちの悪い感覚に、思わず眉間に皺が寄った。


『……どういうことだ?』


 ふと視界の隅に入ったものへ意識が持っていかれる。


 そこはいつもの丘。オレとガルラの約束の場所。ガルラがオレの為に育てたオレの花畑が存在する地。


 それなのに――。


『何故、花畑が荒らされている?』


 茎が折れ、葉もボロボロに千切れ、花は無残にも散っていた。


 記憶にまだ新しい。かくも美しく咲いていた花々は見る影もなく、ぐちゃぐちゃに荒らされていた。


『誰だ? オレのモノを壊したのは……』


 無性に怒りが湧いてきた。

 オレはオレのものに手を出されるのが嫌いだ。それが神であろうと、人間であろうと。誰であろうと許せるものではない。

 最低限オレへ許可を得るべきだろうが。あの花畑はオレへ献上されたものなのだから。


『む? ……ガルラ?』


 オレの怒りが町へ向こうとしたときだ。オレの目がガルラの姿を捉えた。


 丘へと続く木々の隙間をガルラが歩いていた。顔は俯いていて(ここ)からでは見えない。

 だがガルラの様子がおかしい事だけはわかった。


 常に身だしなみを整えていたヤツらしくもなく、髪は伸び切り、乱れていた。

 足元が覚束ないのか、どこか不安を覚える足取りでガルラは花畑へと向かう。


 そんなガルラの姿を見た瞬間。先程まで感じていた怒りはどこかへと消え去った。

 しかし、それとは別の怒りが沸き上がる。


 どうしてガルラ(アイツ)は以前よりも衰えている。

 どうして心身を整えていない。

 オレが気にかけてやったというのに、無駄な時間を過ごしていたのか。


 それとも。今度こそ町の人間に何かされたのか。

 オレが呼び出したわけでもなく、このような夜中にガルラ一人で町の外に居るのは不自然だ。よもや町を追い出されたのか。


 ガルラへ向ける怒りと町の人間へ向ける怒りがオレの中で混ざり合う。

 その内自分でも訳がわからなくなり、気が付いたらオレは元花畑へと降り立っていた。


『……』


 しかし何と声をかければ良いのかわからずに、オレは無言で立ち尽くす。


 怒りをぶつけるべきか。疑問を投げかけるべきか。それとも体を気遣う言葉を出すべきか。

 自分でも感情の整理ができておらず、どうにもそこから続く言葉が出てこなかった。


 オレは此方へ向かってくるガルラをただ眺める。

 まだオレの存在に気付いていないガルラはそのまま花畑へ足を踏み入れた。

 そして一歩、二歩と歩みを進め、すぐに立ち止まる。背を丸め下を向いたまま動かないガルラ。明らかに様子がおかしかった。


 オレとガルラの間にまだ距離はあるが、それでも気が付かない程ではない。

 少し顔を上げればオレの存在には気付くはずだ。


 だが一向に顔を上げる気配もなく、ガルラは地面を見つめるのみ。

 流石に声をかけるべきかと判断したオレは小さく口を開く。


『ガルラ』

『……フェル、トス、さま?』


 ゆっくりと顔を上げたガルラがようやくオレを認識したのか、その薄紅の瞳にオレを映す。伸びた前髪の下で大きく開かれた目。その下にはいつもの眼鏡はなく、その代わり目の下に(くま)のあとが見えた。


 その事実にオレは眉を寄せる。


 (くま)だけではない。やつれた頬。カサカサになった唇。

 まるで初めてヤツを見つけたあの日のよう。いや、それ以上に酷い風貌のガルラがそこに居たのだ。


『……何があった?』

『…………お赦し、ください』

『なに?』


 小さく呟いたガルラの言葉にオレは眉尻を上げる。


 聞き逃してしまいそうな程に小さな声ではあったが、確かに今、ガルラは赦しを請い願った。理由はわからない。だが、確かにオレへ向けての慈悲を願っていたのだ。


 何に対しての謝罪なのか。何をしたことへの赦しを請うているのか。

 続くガルラの言葉はない。黙ったままのガルラにオレはただ視線を注ぐ。


『フェ……ト、さま……』


 嗚咽を飲み込むように。痛みに耐えるように。ガルラが胸を押さえた。


 オレを見つめる瞳は次第に潤んでいき、目の端には涙が溜まっていた。程なくして限界を迎えた雫がボロボロと頬を伝い落ちていく。


『……何故泣く。泣くな』

『申し訳、ござ……ませ……』


 必死に止めようと涙を拭うガルラだったが、それでも涙は止まらない。それどころか勢いを増した。


『ガルラ。赦す、此方へ来い』


 声もなく、静かに泣くガルラがあまりにも見ていて哀れになったオレはガルラを傍へ呼ぶ。だがガルラは首を振るばかりで動こうとしなかった。


 仕方がないのでオレから向かう。


『動くな』

『――っ』


 咄嗟に逃げようとしたガルラを言葉で制し足早に近付いた。

 直感であったが、このままコイツを逃せば後悔する気がしたのだ。


 大体頭一つ分程低い位置にあるガルラの頭。いつもならば、真っ直ぐにオレへと向けられる視線も、笑顔も、今はない。ただ俯くガルラの頭頂部が見えるのみ。


『顔を上げろ』


 オレの言葉に拒否を示すようにガルラは首を小さく左右に振った。

 無駄な足掻きにため息を吐けばガルラの肩が僅かに跳ねる。怯えさせるつもりはなかったが、その反応は面白くない。


『オレを見ろ』

『……うぁ』


 俯くガルラの顎を掴み、無理やり顔を上げさせた。

 涙で濡れた瞳にオレが映る。不機嫌そうなオレの顔が。


『……オレのせいか?』


 何が貴様をそれ程傷付けたのか。

 何が貴様をそれ程怯えさせたのか。

 オレが悪いのだろうか。

 オレは何かを間違えたのだろうか。


 それならばいっそのことガルラを手放し、関わらないようにした方がいいのか。


『オレは、嫌われたのか?』

『……へ?』


 そう思いつつも、ガルラへ問う言葉が止まらない。


『オレが恐ろしくなったのか? そばに居たくなくなったのか?』

『ち、ちがっ……!』

『ならば何故泣く。何故逃げようとする』


 ガルラの腕を掴み問いただす。


 他のヤツならどうでもいいと、切り捨てられる。諦められる。忘れられる。

 だが、ガルラを切り捨てるのも、諦めるのも、忘れるのも、嫌だと思った。思ってしまった。


 姉上達が言っていた「友」という言葉が頭を駆け巡る。

 あの時は否定した。

 しかし、ガルラがオレに興味をなくしたかもしれないと思った瞬間、オレは確かに恐怖したのだ。何に対しての恐怖かはわからない。自分でも理解できない。


 嫌われることなど慣れている。だからガルラに嫌われても構わない。

 恐れられることなど慣れている。だからガルラに恐れられても構わない。

 一人きりなど慣れている。だからガルラが離れていこうと構わない。


 それを寂しいとは思わない。悲しいとは思わない。――そのはずなのだ。


 ならばこれは何に対する恐怖だ。それとも執着か。「友」を失うのが怖いのか。得てもいないのに?


 あぁ、わからない。気分が悪い。


 ガルラに命じれば連れ帰ることも、傍へ置くことも容易いことだ。

 だがそれはしたくない。無理強いをしたいわけではないから。

 オレは、ガルラが自らの意思で、オレの傍に居ると決めてほしいのだ。


 オレを冥界神としてしか見なくなったガルラなんて必要ない。

 オレを冥界神としてしか扱わなくなったガルラなんて必要ない。


 そんなものはただの信者、神官どもで事足りている。


 オレをオレとして。冥界神として。そしてただ一人のフェルトス個人として。見てくれた、接してくれた、気遣ってくれた――受け入れてくれたガルラが良いのだ。


『あ、あの。フェルトス神……少し、痛い……です』

『……』


 苦痛に眉根を寄せ訴えるガルラの声で我に返った。

 すでにガルラの目には涙はなく、涙の痕が残るのみ。


 一気に正気に戻ったオレはガルラの細い腕から手を放し、少し距離を取る。


『フェルトス神……。いえ。フェル、様?』

『なんだ』


 こちらを窺うように覗き見るガルラを見下ろす。

 また勢いでどこか掴んでしまわないよう、腕を組みながら。


『少し、お話をしてもよろしいでしょうか?』

『許す。話せ』

『感謝いたします』


 逃げる様子もなく。先程までの取り乱した様子もない。その事に少しばかり安堵する。

 何より、ガルラの雰囲気が以前までのアイツに戻ってきている気がした。


『では、あちらで』


 そういってガルラはいつもの場所を指し示す。


 一番景色のいい場所へ置かれた一人掛けの椅子。

 オレの為に用意されたオレの為の玉座。簡素な物だが座り心地の良いそれへ腰掛け足を組んだ。


 花畑は無残にも荒らされている。

 それなのに、この玉座は今まで通り塵も埃も何一つなく、劣化による傷みもなく、時が止まったかのように存在していた。


 どうしてここだけ無事なのか。一瞬疑問に思うも、すぐに思考から追い出した。今はどうでもいいことだ。


 そしてオレとガルラは(はなし)をした。

 どちらかといえば罪の告白。神への懺悔のようではあったが、オレは口を挟まずガルラの言い分を聞いていた。


 ぽつりぽつりと語り続けるガルラの姿を若干の哀れみを込めつつ見つめながら。


 まず、語ったことは花畑の惨状。これはガルラ自らがやらかしたこと。

 理由としては荒らされた花畑の存在に気が付いたオレが、怒って自分の前に姿を見せてくれるかもしれないと思ったからだそうだ。

 どんな形であれ、もう一度会いたかったのだと。そう小さな声で告げられた。


 次に、現在のガルラが居場所を失っていること。

 これは正確ではないが、ガルラ自身がそう認識している。

 どうやらくだらん争いに巻き込まれているらしい。


 ガルラとその弟。どちらが後継者になるかどうかで問題が起こっているようだ。

 本来ならガルラの弟が継ぐはずだった。

 だが、弟の方が「兄さんが健康になったんなら、長男だし優秀な兄さんが継いだ方が良い」「自分はサポートに回る」とそう言っているらしい。


 家族仲自体は良好。

 弟も自分が領主をやりたくないという感情からガルラへ領主を押し付けているのではなく、本気で兄の方が領主に向いている。そちらの方が良いと思っているようだ。

 父親も悩んでいるみたいだが、当のガルラにそのつもりは一切ない。

 時期領主としてずっと学んできた弟がなるべきだと考えている。


 今までは冥界神(オレ)の相手をしなければいけないからと、のらりくらりと躱せていた。しかしオレが長期間姿を見せなくなったことで、またその話が浮上していたようだ。


 故に、わざと体を弱らせ、自分に後継者など無理だと示していたらしい。

 痩せ衰えたのはそれだけが理由でもないようだが、他の理由は語らなかった。


 他にも様々な話を聞いた。


 ガルラが何を想い、何を考え、今まで一人過ごしていたのか。

 ガルラの全ての想いを受け取ったオレは静かに自らの中に仕舞い込む。


 オレはガルラを気遣っていたつもりだった。

 だがそれは欠片もガルラへ伝わってはいなかったのがよくわかった。

 むしろ気遣いとは逆。オレの言動でガルラはオレに嫌われたと。呆れられたと。見放されたと。見捨てられたと。飽きられたと。そう、あらゆる否定で考えていたようだ。


 相手を思いやるというものは難しいものだな。


 尊敬。敬愛。友愛。賛美。崇拝。切望。諦め。絶望。様々な感情が入りまじった想いをガルラがオレへ抱いていることを知った。


 ガルラのオレに対する想いはオレ以外、誰も知らなくて良い想い。

 ガルラがオレ以外の誰にも本心を打ち明けなかったのだからオレ以外が知ることは許さない。


 前回のようにガルラの心は不安定で、落ち着きもなく、終始不愉快なものではあった。

 しかし今回は逃げずに最後まで話を聞いた。そうしなければならないと考えたからだ。


 話が進むにつれ、だんだんと下を向きつつあったガルラの顔は、話終わる頃には完全に地面へ向けられていた。

 そして全てを語り終えしばしの沈黙の後『もう、疲れた……』と小さくこぼす声がオレの耳に届く。


『……疲れた、か』

『……』


 返事はない。その代わり小さく頷く白い頭だけがオレの視界に入った。


『ならば、オレのもとへ来るか?』


 オレもそろそろ軽々に町へと出向くのはどうかと思っていたところだ。

 ガルラが冥界へ来るのならばオレが出かける必要もなくなる。


 そう思いガルラへ問いかけた。

 勢いよく顔を上げたガルラは零れ落ちんばかりに目を見開いている。


『それは……誠でございますか?』

『神に二言はない。……条件はあるがな』

『条件?』

『オレの眷属になること。これだけだ』


 生きた人間を冥界へ入れるわけにはいかない。だが、オレの眷属になるのならば話は別だ。


 それに、人間のままではどうせすぐに死ぬ。それではガルラを連れて行く意味がない。

 町の人間どもの都合などオレの知ったことではない故、文句は言わせない。

 眷属にさえしてしまえばあとはいくらでも時間がある。きっとそれなりの関係も築けるだろう。


『さぁ――どうする?』


 口元に笑みを浮かべながらオレはガルラへ手を差し出した。

 この手を取るのも取らないのもガルラの自由だが、結果は見えている。


 その証拠にガルラが今日初めての笑みを見せたのだから。


『……はい。私を、私を一緒に、連れて行ってください。私を……貴方のそばに、居させてください。もう私を――置いていかないでください』


 一人にしないで。と、瞳を涙で潤ませ、涙声にならないよう、必死に耐えながらガルラが訴える。


『良いだろう。赦す。共に来るが良い』


 オレは中途半端に伸ばされたガルラの手を掴み取り立ち上がる。

 そして不必要となった玉座を壊した後、オレは冥界へと翼を向けた。


 新たに手に入れた()と共に。

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