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湖上の月城編13 この世のことはかりそめぞ

 別に、物語に出てくるような運命的な出会いというわけではない。

 言ってしまえばただの偶然。オレの気まぐれや面倒だと思う感情が積み重なった結果起きた偶然の産物。


 あの日、オレは冥界への侵入者を始末した。

 腹が減っていれば喰っただろう人間(それ)も、その日は気分ではなかった。

 だから適当に捨て置こうと考えたのだが、ふと、外へ捨てるかと思い至ったのだ。


 近頃我が冥界へ侵入する不届きな輩が多い故、人間達への見せしめとして使えると思ったから。


 しかし、普通に捨てたのでは人間達が発見する前に周囲の魔物に喰われかねない。故に気分ではなかったが血を吸うついでにオレの魔力(匂い)を付けた。


 これで魔物は死体(コレ)に近寄らない。


 そしてその死体を冥界の外へと運び出したオレは適当な場所へ打ち捨てた。

 人間に見つけさせるのが目的故、人間共にわかりやすい場所を選んで。

 眷属に運ばせても良かったが、伝達が面倒という一点で自ら行動した覚えがある。


 この時点で相当な偶然が重なっていた。さらに偶然は重なる。


 人間を捨てた帰り道。

 月光に照らされた夜道を進み冥界への帰路についていたオレは、視界の端に映りこんだ何かの正体が気になった。

 視線を向けると、枝葉の隙間から月光を反射しているのか何かが小さく光る。

 だがそれも一瞬。すぐにその光は姿を消し、またいつもの闇夜が舞い戻った。


 オレは目を凝らし光の正体を探る。


 風に揺れる巨木の枝葉のさらにその先。根本部分に何かが倒れていた。人の形をしていることから恐らくは人間なのだろう。つまり先程の光はその人間が発生源として考えられる。


 いつものオレならばそこで満足し興味を失う。そして冥界への道を急いでいただろう。


 このような時間に、このような場所で、人間が何をしているのか。それはオレの関知するところではない。


 もし冥界に足を踏み入れようと考えた愚か者ならばその時に始末すればいいだけ。

 現時点でヤツは何もしていないのだから如何でもいい。


 だというのに――。


 何を思ったのか、気が付けばオレは地面へと降り立ち、そこへ倒れ伏す人間を見下ろしていたのだ。


 ただの気まぐれ。気の迷いだったのだとは思う。

 今になってもあの時のオレの行動は、自分でも何を考えて行ったのか理解できないままだ。


『……ふむ』


 顎に手を当て、倒れたままぴくりとも動かない人間を真上から覗き込む。


 艶のない白色(はくしょく)の髪。痩せ衰え、枝葉と見紛うかと思える細い四肢。

 顔にはガラス片が嵌め込まれた板のようなもの――今ならわかる。アレは眼鏡だった――が引っかかっていた。


 服の仕立ては良さそうだがオレには良くわからない。

 落としたものを拾いたかったのか、伸ばされた手の先には小さな瓶が転がっており月の光を受け止めていた。


 一通りの状況を確認したオレは、伸びた髪が乱雑にバラバラと地面へ散らばる様を眺めた後、もう一度倒れる人間の顔へと視線を戻す。


『……』


 まだ死んではいない。小さく呼吸をしている。


 だが、近い内に死ぬ運命を辿る人間だった。

 このままここにいれば魔物に食い殺される未来が待っていよう。簡単に予想ができる。


 運良く喰われなかったとしても、この人間の体は病に侵されているのか弱っていた。ならば恐らく衰弱して死ぬ。


 どちらにせよこの人間はここで死ぬのだろう。


 それでもまだ死んでいないのならば、我が冥界の門は開かれない。

 故にオレがこれ以上コイツに関わる意味もない。放っておいても勝手に冥界へやってくる魂だ。


 倒れた人間に興味をなくしたオレは翼を広げ冥界への道を急ごうと飛び立つ。


『――綺、麗(き、れぇ)だ、なぁ』


 ――はずだったのだが、本当に小さく。消え入りそうに呟かれた声が耳へ届き、再度視線を足元に転がる人間へと向けた。


 乱雑に散らばった髪が顔を隠すように覆ってはいたが、その隙間から薄く色付く紅色の瞳がガラス越しにオレを捉えているのが見えた。

 そしてオレと目が合った人間は嬉しそうに目を細め、さらには口元を緩ませたのだ。


『……宝石、……よぅ……』


 掠れた声で、なおも続いたオレへの賛辞の言葉。

 嘘偽りのない感情で紡がれたものだとわかるだけに内心驚く。


 基本的にオレは人間達から恐れられる存在だ。この容姿も人間からすれば恐怖心を煽るのだろう。

 故に、生きている人間がオレを見ると恐怖に顔を歪ませる。瞳には畏怖を滲ませる。言葉がついて出たとしても大抵は命乞いに終わるのだ。


 それなのに。目の前の人間はそのどれにも当てはまらず、挙句には心からの賛辞を述べた。


 だからオレはもう少しこの人間と会話をしてやっても良い。そんな気分になったのだ。


 これもただの気紛れ。もしくは目の前の人間個人に興味を惹かれたか。

 オレは背を向けていた人間へ改めて向き直り正面から見据える。


 人間は先程と全く同じ姿で動いてはいない。動けないほどに弱っているだけだが、視線だけはしっかりとオレを捉えていた。


 神に対する態度としては少々どころではない不敬である。

 しかしその時のオレは気分が良かった。故に全ての不敬を許し、目の前の人間へと話しかけていた。


 哀れにも一人寂しく死にかけている人間への慈悲でもある。


『貴様。こんなところでこんな時間に何をしている?』

『……――っ』


 人間は何かを伝えようと口を動かすも、空気を吐くばかりで言の葉は聞き取れない。

 意思疎通すら不可能となりつつあった人間だが、伸ばされた手が僅かに動いたのをオレは確かに見た。


『コレが欲しいのか?』


 落ちていた瓶を拾い問いかければ、僅かな動きではあったが人間が頷いた。


 瓶の中身を視てみれば回復薬(ポーション)の類。恐らくはコイツの病に効く薬なのだろう。

 飲むつもりが弱り過ぎていて落としてしまい、拾おうにも体力が尽きた。そんなところか。


 オレ自ら人間の手へと瓶を渡してやるも、人間は自力で飲めないのか思うように動けない様子だった。


『……はぁ』


 致し方なく瓶を取り上げ乾いた口元へと運んでやる。

 少しずつではあるが人間が中身を飲みこんでいくさまを眺める時間だけが過ぎた。


 神に介護をさせるとは。不敬に次ぐ不敬ではある。

 だが別段気にもとまらなかった。久方ぶりに気分が良かったせいだろう。

 畏れながらも敬意を払える人間は嫌いではない。


 そうして人間は時間をかけて薬を飲み干した。しばらくすると落ち着いたのか呼吸も安定してきたようだった。

 体力も多少は回復したのか自力で動けるようになった人間は、頭を下げ先程までの不敬及び非礼の数々を詫び、次いで感謝の念を表してきた。


 特に気にしていなかったオレは適当にそれらを流し会話を続ける。


『それで、何をしていた?』


 オレの問いに、人間は気まずそうに笑い口を開く。


『恐れながら、御身の治める冥界を目指しておりました』

『ほぅ』


 普段なら気分の悪くなる発言ではあるが、この人間からは他の人間から臭う欲が感じらなかった。むしろその逆。純粋な感情のみしか受け取れない。


『理由を述べよ』


 真意を問うべくオレはさらに言葉を促した。


『もうすぐ、死ぬので』


 そう言って目の前の人間はひっそりと笑う。

 月明かりに照らされた青白い顔に悲壮感はない。ただ、死という事実を静かに受け止めていた。


『そのようだな。だが、それは答えになっていない。死した後、魂となってから来れば良い。生身で、ましてやそのような非力な体で目指す理由としては弱いな。もしや、冥界に生えている霊薬の原料とやらにでも期待したか』


 冥界にはどんな病にも効くとされる花が存在する――らしい。

 勿論そんなものはない。勝手に広まったただの噂だ。そもそも冥界に花は咲かない。


 だが何故か人間達はあると信じている。

 そして、その花や人間にとって価値のあるものを盗もうと忍び込んでくるのだ。本当に不快なヤツらである。


 目の前の人間の体も病に侵されている。だから噂に期待を込めたのか。


 侮蔑の感情を瞳に乗せたオレは人間を見つめる。

 しかし人間は首を小さく横へ振り、今度は恥じらうように目を伏せた。


『貴方様に……フェルトス神に、一目、お会いしたかったのです』

『……オレに?』

『はい』


 思っていた回答と違い戸惑いの感情が勝つ。

 この人間は嘘をついていない。オレへの敬意に嘘偽りがない。心地よい信心だけがあった。


『意味がわからん。オレに会ってどうする。殺されるのがオチだ』

『それでも。……それでも、貴方に拝謁したかったのです。例え殺されても、本望でございます』

『……もう死ぬからか』

『あははっ。もちろんそれもございます。ですが……そうですね。書物で読んだ貴方のお姿を一目、己が目で拝見したかったのです』


 不敬ですが、と続け、静かに微笑み言葉を紡ぐ人間に思考が追いつかない。


『……』

『ふふっ』

『なんだ』

『あぁ。いえ。その……想像通りだったな、と思いまして』

『何がだ?』

『フェルトス神。貴方がとても――美しい、ということです』

『…………は?』


 まるで宝物を見つめるように、熱のこもった視線を感じる。

 そのくせ薄汚い欲をぶつけられている気配はない。

 思ったことを思ったように。下心もなく、純真無垢に。事実をただ口に出しただけ。先の言葉も、今の言葉も嘘偽りなく本心。

 強いて言えば憧れに近い感情をこの人間から受け取った。


 理解が追いつかず、無意識にオレは眉間を押さえていた。

 まさかこんな人間がいたなんて。


『はぁ。……貴様にはオレが美しく見えるのか?』

『はい。世界で一番』

『……そうか』


 間髪を入れず、人間はオレを真っ直ぐに見つめ答えた。

 意味がわからない。


 だが、どうしてだろうな。


 褒められること自体は、そう悪い気分ではなかったのだ。


『……貴様、名は?』


 気が付けばオレは目の前の人間へ名乗ることを許していた。

 存外、コイツの存在を気に入ってしまったのだろう。


『はっ。私の名はガルラ、と申します。これより先にあるセラフィトにて領主を務める男の息子として生を受けました』

『フム』


 何故領主の息子なんぞが護衛もつけずに町を抜け出した挙句、人間にとっては危険な場所へ一人で来たのか。

 多少気にはなるがオレに関係はない。全ては些事だ。


『ふっ。ではガルラよ。多少なりともオレを楽しませた褒美だ。良い物をくれてやる。受け取れ』


 影の中からポーションを取り出したオレは目の前の人間――ガルラへと放り投げる。


『へ――う、わわっと!』

『神の薬だ。それで貴様の病も癒えることだろう』


 一瞬反応が遅れたものの、ガルラはポーションを落とすことなく無事に受け取った。

 そしてオレの言葉を理解した後、己の手の中にあるものが何かを理解し、驚きに目を見開く。


 その顔がオレの目には少しおかしく映り、自然と口元が緩んだ。


『は? えっ! いえ、そんなっ! 私なんぞの為に、このような至高の品を。恐れ多いことで――』

『ほぉ。(オレ)の善意を拒否すると?』

『――っ! いえ、失礼しました。光栄に存じます』

『それでいい。では今ここでそれを飲み干せ』

『え?』

『貴様に飲ませる為にくれてやるのだ。飲まずに家宝にでもされたらかなわんからな』

『それは――』


 ガルラは気まずそうに目を逸らす。


 どうやら少しは考えていたようだ。釘を刺しておいて正解だったな。


 しばらく無言の時間が過ぎたが、オレの視線に耐えられなくなったガルラが意を決した様子でポーションを飲み干した。


『はっ……嘘、だろ。楽になっ、た……?』


 ガルラは信じられないような表情で自身の手を眺める。握ったり開いたり、肩を動かしてみたり。

 そうして己の体を確認し終えたガルラは改めてオレに頭を下げ感謝の念を向けた。


『感謝申し上げますフェルトス神』

『気にするな。その代わりといっては何だが。……ガルラよ』

『はっ』

『貴様。明日も同じ時間に此処へ来い。オレを楽しませろ』

『はっ! ……は? 申し訳ございませんフェルトス神。聞き間違い、でしょうか。明日も来い、と聞こえたのですが』


 困惑しきった表情でオレを見るガルラに笑いかける。


『そう言った。神の薬で貴様の病は治ったのだ。それくらい構わんだろう?』

『お言葉ですが。私には戦闘能力がないのでさすがにまた明日ここへと申されましても……。それに町から此処まで健康な人間でも丸一日はかかります……その……無事に帰れるかもわかりませんし、他にも――』


 ごちゃごちゃと言い訳を並べるガルラをオレはただ眺める。


 この程度の距離を進むのに一日もかかるとは。やはり人間とはか弱い生き物なのだと再認識した。

 しかもコイツは戦闘能力もないらしい。本当になぜここまで無事に来られたのか。甚だ疑問だ。


 憐れみの目を向ければガルラは困ったように笑うのみ。

 オレの授けた慈悲に報いる気はあるようだが、物理的にも無理な頼みは聞けないというわけか。


『はぁ。致し方ない。では……ふむ。そうだ。確か貴様の住む町の近くに小高い丘があっただろう。あそこならば構わんな。明日、そこへ来い。勿論一人で、だ』


 先程人間を捨てに行った際、見かけた場所だ。

 あの程度の距離ならばいくら弱いコイツでも辿り着けるだろう。


 まったく。何故神であるオレが人間にこれほどまで譲歩せねばならんのか。

 弱い生き物というのは面倒くさい。


『丘、ですか?』

『あぁ』

『確かにあそこならば私だけでも行ける、とは思いますが……』

『なんだ。まだ文句でもあるのか』

『いえ。そうではなく。あそこには何もありませんが、一体私はそこで何をすれば?』

『オレを楽しませることができるのならば、なんでもいい。自分で考えろ』

『……自信はないですが、わかりました。善処いたします』


 ズレた眼鏡を直しながら、ガルラは笑い頭を下げる。


『ではな』


 ガルラの返事に満足したオレは、今度こそガルラへ背を向け翼を広げた。

 もう用はない。


『お待ちを!』

『……なんだ』

『恐れながら。ここから町まで、私一人ではとても帰ることなどできません』

『……そうか。それがどうした』


 オレには関係ない。


『このままでは御身との明日の約束も果たせません。どうかお慈悲を……』


 深く頭を下げたガルラの後頭部を眺めながら小さくため息を吐く。


『本当に手のかかる人間だな、貴様は』

『あはは。申し訳ございません』


 これがオレのお気に入りになっていなければ手が出ているところだ。まったく。


 ガルラの不敬に呆れつつ、オレはガルラを小脇に抱え町へと飛んだ。

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