湖上の月城編10 悪ガキ三人組
「えーんえーん」
「わーんわーん」
「ぐすんぐすん」
「……そろそろやめろ。流石に鬱陶しいぞ」
三匹がガルラに泣きつき早数分。しかしとうの昔に嘘泣きの域へ到達していた。
その証拠にコチラの様子をチラチラと窺っている上、隠しているが口元が笑っているのが見えている。オレが気付いていないと本気で思っているのだろうか。
もちろん泣きつかれているガルラも、傍で見ているだけのトラロトルも嘘泣きには気付いている。
しかし二人とも黙っているということは約束通り手を出す気は毛頭ないのだろう。
確かにオレ一人で全てを捩じ伏せるとは言ったが、子を相手にするのは想定外。
メイ達以外の小さき命を相手にするのは好きではないのだ。
「……はぁ。どうやらオレを本気で怒らせたいようだな」
「はい泣き止んだ!」
「ほんと、綺麗さっぱり!」
「ケロッとしてる!」
「えへへー」
声のトーンを落とし強めに睨みつけたところでようやく三匹の涙が止まった。嘘の涙だったがな。
「あーあ。オマエらの涙で服が濡れちまったよ」
「ごめんねガルラ」
「許してガルラ」
「おねがいガルラ」
「はいはい。別にいいよこんくらい。ほっときゃ乾くしよ」
「わーい」
目を潤ませガルラへ媚を売った三匹が無事にガルラから許しを得ている。
手を挙げて喜びを表した後三匹揃ってオレを見上げた。
「……はぁ」
思わず深いため息が出た。
無邪気に笑う童達を見下ろしていると知らず眉間に皺が寄る。同じ笑顔でもメイと違いコイツらの笑顔はどうにも嫌な感じだ。
早くメイに会いたい。無事を確かめ己が腕におさめたい。……おのれテスカトレ。必ず貴様の顔面を全力で殴りつけてやる。首を洗って待っているが良い。
テスカトレへの憎悪に一度蓋をしたオレは改めて三匹に視線を向ける。
「……それで?」
「え、なにが?」
青い髪の一匹がとぼけたように笑う。
その笑みに一瞬手が出そうになるも拳を握ってやり過ごした。
「ふぅ。…………オレは貴様らに勝ったわけだが?」
だからさっさと月城へ連れていけ。という意味も込めてオレは三匹をそれぞれ睨みつける。
するとヤツらは一度顔を見合わせたあとオレを見上げて口を開いた。
「だからあれはノーカンだって!」
赤髪がのたまう。
「そもそもオレたちが高位神に実力で勝てるわけないじゃーん!」
次は青い髪だ。
「そーだそーだ!」
最後に黄色髪。
先程から気になっていたが、何故コイツらは順番に話すのだ?
黄色に至ってはほぼ同意しかしていない。一番小さく年齢も二人より下だとは思うが、もう少し自己主張してもいいのではないだろうか。
いや、何故オレが他人の眷属の心配をしている? はぁ、やめだ。柄ではない。
今は娘のことだけを考えることにする。
「……」
「睨んでもムダー」
「ボスの嫌がら――じゃなくて、試練をクリアしないと連れてかないよーん」
「そーだそーだ」
「ならば無駄に喋っていないでさっさとしろ。流石のオレも貴様らを殺すつもりはなかったが、もし、万が一にでも、オレの娘に何かあればその限りではないぞ。その際は貴様らの生皮を剥いだ上で八つ裂きにすると宣言しておく」
「ひぇっ! だ、だから! 冥界神さまはいちいち怖いのよ!」
「お、脅すなんて大人げないぞ!」
「ぞ、ぞー!」
赤い髪が二人をかばうように立ち、その後ろに青い髪、黄色髪と隠れるように並ぶ。
三匹ともラビビ耳が垂れ下がり怯えた小動物のように震えているがそれを見ても哀れなどとは微塵も思わない。
コイツらがどうなろうが今のオレにはどうでもいい。気にかける必要もないのだから。
ギャーギャーと喚く三匹を静かに見下ろしつつオレはさらに睨みを利かせる。
「なんだ、また文句か?」
「わー!」
すると今度はオレ達から距離を取るように三匹が一斉に駆け出した。
逃げる背中へ追撃をしてやることも考えたが大人気ないので放っておくとする。
その後。ある程度離れた場所まで行った三匹は、そのまま固まるように身を寄せ合い、こちらへ背を向けしゃがみこんだ。
「ふぇーん、ぼすぅ」
ぐすぐすと鼻をすする音と小さな泣き声が耳に届く。
またこれか。同じことの繰り返しに少々……いや、本気で苛立ちが募ってきたかもしれん。
「いや、マジで話が進まねぇなこれ。とりあえずフェルは一旦下がれ。そんでガルラ、フェルの代わりにお前が対応しろ。あいつらと仲良いんだろ?」
「え? オレですか? まぁオレはいいですけど……」
頭を抱えたトラロトルがガルラに指示を出し、指示されたガルラはオレを窺うように視線を向けた。
確かにこれ以上オレがコイツらの相手をしていも、トラロトルの言う通り話が前に進まない。
前言撤回及びオレの実力不足のようで悔しいが、実際問題としてやはりオレは幼子の相手が苦手だ。
ならばやはりここは大人しくガルラに任せ――。
「――隙ありー!」
赤髪が軽い掛け声のもと何かをオレへと投擲してきた。
見れば黄金色の小さな球のようなもの。
オレへとまっすぐ飛んでくるそれを視線に入れた。
確かに思考に意識を割いてはいたが、幼い眷属ごときにオレの隙をつけるはずも、傷をつけられるはずもなし。
「……」
避けることは容易だ。しかし避けたことによりコイツらの言う試練とやらが失敗と判断されても面白くない。
球からはテスカトレの魔力を感じる。ならば尚更避けるわけにはいかない。
一瞬の後にそう結論付けたオレは、もうすぐそこまで迫ってきている黄金色の球へ対処するべく己が手を持ち上げた。
このまま何もせずアレをただ受け入れる。というのは高位神として許容できん。
さりとてやはり避けるという選択肢もない。
となれば答えは一つ。迎撃だ。
オレは持ち上げた手をそのまま軽く振り迫る球を弾く。
「――ッ」
「やったー、めいちゅー!」
「ナイスボール!」
「ないすー!」
オレの手が球と接触すると同時。突然球が弾け飛び、中身がそのままオレへと降りかかった。
ポタポタと髪からしたたる水が鬱陶しい。
さらにコレはただの水ではなかったようで、不思議と甘い匂いがオレの鼻腔をくすぐってくる。その匂いがまた一段とオレへ不快感を与えてきた。
「きっしししし」
「やーい濡れこうもりー」
「だーいせーこー」
「……クソラビビ共が」
オレを小馬鹿にする態度を見せる三匹に思わず悪態が口からこぼれ出る。
こんなものはただの幼子の悪戯。
普段であるのならば怒りを覚える程の所業ではないし、それほど狭量でもない。
しかし、だ。何度も言うが今のオレには余裕がない。余裕がない故に大人気なくも幼子相手に怒りを募らせているのだ。
「……なんかフェルのやつガチでキレてるな」
「ですね。あそこまで怒っているのは久しぶりに見ました」
「つか。前にオレと喧嘩したとき以上にキレてね?」
「メイがフェルの保護下にいないのが余計にイラつくんでしょうねぇ」
「あー。なるほど」
背後で何かを言っている二人の会話が耳に入ってくる。しかしそれすら最早どうでもいい。眼前で笑う幼子三匹の方が重要だ。
コイツらは他人の眷属ではあるが少々躾がなっていない様子。ならばオレが直接躾てやっても文句はないだろう。
前髪をかき上げ滴る水ごと背後へと持っていく。
これで顔へと落ちてくる水は幾分かマシになった。
「そんなに怒らないでよ冥界神さまぁ。クールなお顔がこわーいよ」
「オレ達はボスの作戦を実行しただけなんだから、怒るならボスに怒れよー」
「そーだそーだ」
「ほら笑顔笑顔ー」と三匹が自身の頬を指で持ち上げ無理やり作った笑みをオレへと向けてきた。
「……確かにそれはそうだ。元はと言えばテスカトレが悪いのだろう」
「でしょー」
「だが。オレを小馬鹿にしたのは貴様ら自身だろう。たかが眷属風情が――図に乗るな」
怒りと共に殺気を飛ばす。
すると三匹は焦ったようにオレへ背を向け茂みの方へと駆け出した。
「わわわっ。冥界神さまが本気で怒っちゃった! 逃っげろー!」
「戦略的撤退だー!」
「だー!」
「逃がさんっ!」
「まぁまぁ。落ち着けよフェル」
「なっ。止めるなトラロトルッ。ヤツらが逃げるだろうが」
「もう逃げちまったぞ」
「――チッ」
ラビビだけあって逃げ足が速い。
オレがトラロトルに引きとめられている間に何処ぞへと姿を消してしまったようだ。
肩へかけられた手を乱雑に振り払い、オレを静止してきたトラロトルを睨みつける。
「睨むなよ。とりあえず一旦落ち着けって。チビ相手に本気になるのは大人げないぞ」
「黙れ。オレの知ったことか。時間がないのに手間取らせるアイツらが悪い」
「そんなイライラしなくてもメイなら大丈夫だって。ギルもいるんだし」
「そんなものはなんの保障にもならん。テスカトレのヤツがメイを手籠めにせんとも限らんわけだしな」
「いやぁ。さすがにそれはないだろ。あのテスカだぞ」
「しかし。ヤツは幼子が好みだと……」
クロノス様もそう仰っていた。
心の中でそう付け足す。だからこそオレは焦っているのだ。
正直オレはヤツのことをよく知らない。
セシリアやトラロトルと違いアチラから話しかけてくるわけでもない。そしてオレから話しかけるわけでもない。
精々が会議やその他の必要最低限で会うかどうか。会話だって知れている。その程度の間柄でしかない。
だからこそオレはメイが気がかりなのだ。心配で心が張り裂けそうにもなっているというのに……。
目の前のこの男は笑いをこらえるように口を押さえているではないか。
「ふはっ!」
とうとうヤツは耐え切れなくなり噴出した。実に不愉快だ。
「……何を笑っている」
「いや、お前それ信じてたんだなって思ってよ」
「はぁ?」
「くくく。あぁいや、気にするな。そんなことよりお前濡れたままだけどいいのか?」
急な話の転換に眉を顰める。まだ話は終わっていないのだがな。
とはいえ、だ。コイツの言う通りいまだ濡れた体を何とかする方が先か。水で湿った服が纏わりついて気分が悪いのも事実。
その後で子ラビビ共を追いかけ躾けるとしよう。
トラロトルもメイの事は気に入っている。そのトラロトルの態度が楽観的なのだから、必要以上に気を揉むことも――。
「……なんだ?」
唐突に視界がぼやけた。ふらついた拍子に片手で頭を抱える。
「フェル!?」
「は? どうしたフェル。気分でも悪いか?」
「いや、問題ない」
駆け寄ろうとしたガルラを手で制し押し留める。
なおも心配そうな目を向けるガルラを一瞥し、その後己の手を眺めた。
特に変わったことはない。
空を掴むように何度か手を開閉し動きも確かめてみるが、やはり何も問題はなさそうだった。
だが先程。一瞬ではあったが視界がぼやけ、ふらついた。あれは気のせいではない。
「なぁ、マジで大丈夫か。お前ものすごく顔色悪いぞ?」
「顔色? 何を言っている?」
「いやトラロトル様の言った通りだって。オマエマジで顔色悪いから少し休め!」
「ガルラまで。一体何を言って――ッ!」
おかしなことを言い出した二人に首を傾げる。
しかしその拍子に体がぐらりと前へ倒れこみ始めた。
「フェル!」
勿論自らの意思ではない。何故か突然全身に力が入らなくなったのだ。
幸いすぐさまガルラが支えてくれたので倒れこむような無様を晒すことはなかった。しかし思ったように力が入らず困惑する。
「しっかりしろ! フェル!」
ガルラの悲痛な声に答えたくとも上手く声が出せない。
そのままオレの体を地面へと横たえさせたガルラがオレの顔を覗き込んでくる。
「おい、返事しろよフェル! ――フェルトス様っ!」
見上げた先にガルラの泣きそうな顔があった。
オレを見下ろすガルラの赤い瞳が不安に揺れている。その瞳に映し出されたオレがぼんやりとオレを見つめ返していた。
あぁ、言われてみれば確かに顔色が悪い……気もするな。
瞳に映るオレを見ながら呑気にそんなことを考える。
次いでガルラへ「案ずるな」と伝えるつもりが、声にはならずに掻き消えた。
せめてと思い、ガルラを安心させる為にヤツの頬へ手を伸ばす。しかしやはり思うように体が動かない。少々無念である。
何が起こったのかはわからないが、どうやら良い事ではなさそうだ。
雨も降っていないのにオレの顔に雨垂れが掛かる気配を最後に、そのままオレの意識は闇へと落ちていった。




