湖上の月城編7 とある義兄の独り言
待機中のオレ、ガルラの横を天使達が通り過ぎる。どうやら部屋の中では会議も終わり宴に移行しているようだ。
扉の隙間から窺い知れる気配に重苦しい空気は感じ取れない為、きっとフェルの要望は無事通ったのだろう。
「……ふっ」
思わず口角が上がる。
希望が通って良かったなという祝いの気持ち。そしてフェルの不安が消えた安堵感を思ってだ。
以前と違い最近のフェルは自分の感情や意思をわかりやすく表へと出し始めた。さらには些細な相談事までしてくるようにもなった。
他人との関わりを最低限度に排していたフェルが自分から他人と関わり、その末にフェル自身が変わっていった。笑顔が増えた。
その変化がオレにはとても嬉しいのだ。
そしてその変化をもたらしたのが、ほんの数年前に冥界へとやってきた落とし子である小さな少女メイ。
フェルの眷属となり、後に娘となり、オレの最愛の妹にまでなってくれた存在。
たった数年でフェルをここまで変えてくれたメイに、オレは感謝の念を抱いている。
そんなメイがついに本日、最高神や高位神の許可のもと正式にフェルの――高位神の娘と認められたのだ。喜ばしい限りである。
結局オレはフェルにとっての特別にはなれなかった。変えられなかった。寂しさを埋めてやれなかった。
それが少しだけ悔しくも、寂しくもある。
それでもフェルの――フェルトス様にとっての特別ができたことはオレにとって感無量と言えるのだ。
「良かったですね、フェルトス様……」
オレと同様。主人に付き従い待機している連中へ聞こえないよう、小さな声で呟く。
天使が通る度に開く扉の中からは楽しげな声が響いてきた。きっともうしばらくもすればオレ達も宴へと呼ばれるのだろう。
共に宴へ興じることも、別室で待機することも個人の自由。とはいえ基本的にオレ達従者が誘いを断ることは少ない。純粋に楽しい会であることが多い為だ。
先程とは違う種類の笑みがオレの顔に浮かぶ。
天使達が運び込んでいる品にはメイの酒もあった。
家でいつでも飲める身とはいえ、やはり美味いものを飲める機会を逃す手はない。むしろ大歓迎である。
オレはクロノス様から出される入室許可を今か今かと待ち侘びていた。
「――ガルラ様助けて!」
「おうわっ! ……って、シドー?」
そんな時だ。一瞬影に違和感を覚え視線を落とせば、突然足元からシドーが飛び出してきた。
冥界で留守番をしているはずのシドーが何故ここにいる?
そんな疑問が脳裏をよぎる。
しかし今にも泣きそうな顔と声で必死にオレへしがみついてくるシドーに意識を移すことにした。
漠然とした不安を抱くと同時に状況処理に動くべく心を落ち着かせ、オレはシドーへと静かに語りかける。
他の従者連中の注目を集めてはいるが今は気にするところではない。
「おい落ち着けシドー。どうし――」
「あるじがいなくなったんだ!」
「――は?」
ガバリと顔を上げたシドーがそう訴える。
しかしオレは一瞬何を言われたのか理解できず間抜けな声が出てしまった。そして一拍置いて言葉の意味を理解する。
「メイがいなくなったってどういうことだ?」
理解してもよくわからない。何故そんなことになったのかが。
「わかんねぇ! 知らないやつが連れてったってことしかわかんねぇ!」
「知らないヤツ?」
「おれ……おれ。ほんとはフェルトス様んとこに行こうとしたんだけど、なんでか行けなくてっ。だからこっちに……うぅ、どうしようガルラさまぁ……。あるじが、あるじが消えちまった。どこにいるのかもわからないし、あるじのとこに行きたくても行けないんだ……どうしようどう――」
最後まで言い切ることなくシドーの姿が掻き消える。
恐らくメイが設定した許容範囲を超過してしまい、メイの元へと強制的に連れ戻されたのだろう。
ただし、メイの元へ行けないと発言していたことから、なんらかの妨害によりメイの前へ姿を見せることはできないはず。ならば強制的に眠りにつかされたとみて間違いない。だから今はシドーの心配はしなくていいはずだ。
そもそもシドーがメイの命令で天界まで来たのならともかく、そうでないのなら天界へ来ること自体に無理がある。
それなのにフェルへ異常を伝えるべく必死にここまで来たのだから緊急性は高い。すぐに行動に移すべきだ。
シドーもパニックに陥りそうな自分を必死に抑えここまでやってきた。それに報いてやらなければ。
まだ幼いながらに使い魔の使命を果たしたシドーを心の中で労いながら、オレは覚悟を決めフェルの元へ向かう。
入室許可はまだ得られていないが緊急事態だ。致し方ない。
罰は全てが終わってからいくらでも受け入れさせてもらおう。
「ご歓談中失礼いたします!」
音を立てて扉を開けてしまった。落ち着こうと思っていたが、無意識にオレ自身焦っていたのかもしれない。
少々乱暴に開けてしまったことを反省しつつも、オレは会場の中にいる主人の姿を素早く探しだす。
部屋中の視線が一手にオレへと集まっているのがわかる。まるで突き刺さるような視線の数々。
大半は不思議そうにオレを見ているが、そうだとしても高位神の視線だ。怯みそうになる気持ちをぐっと我慢しクロノス様へと非礼を詫びる礼を取った。
オレの礼へ簡単な反応を返し、さらには非礼の許しまで与えてくださったクロノス様を確認したあと、オレはすぐさまフェルへと声をかけた。
「フェルトス様、少しよろしいでしょうか」
「どうしたガルラ、何事だ?」
眉間に皺を寄せオレを見たフェルも異常を感じ取ったのだろう。
またも許可を求めるようにクロノス様へ視線を向けたあと、オレに近くへ来るよう命令した。
なるべく落ち着いた動きでフェルの近くへと足を運ぶ。
「それで、何があった」
「実は――」
座っているフェルの耳元へ顔を近付け、シドーからの報告ということと、その内容を簡潔に伝える。
「なに?」
オレの報告を聞いた瞬間、フェルが殺気立ったのがわかった。
さらに会場内の空気が凍るように冷えたのも感じる。
「なになにどしたのフェルっちー? なんか問題でも発生したぁ?」
しかしそんな空気を気にもとめず、のほほんとした声が響く。手にワイングラスを持ったクロノス様が呑気そうな視線を向けてきた。
「娘が消えた、との報告を受けました」
「は? メイがか? なんで?」
「オレが知るかっ」
クロノス様ではなく隣にいたトラロトル様が驚きに目を見開いた。それにフェルがイラついた声で答える。
フェルの報告に室内がざわつく。セシリア様を始めメイと関わりのある神々が心配する声を上げ始めた。
直ぐにフェルもメイの居場所を探ろうと試みたようだが、その表情を見るに上手くはいかなかったようだ。
主人であるフェルにすら感知させない場所に連れ去ったか。もしくは感知できないようにされているのか。
だとしても高位神であるフェル相手にそんなことができるのは一握りの存在――。
「んー。その娘って、お酒の子だよね?」
心配する神々を他所にクロノス様がワイングラスを揺らしつつ口を開く。
「……はい」
「へー、そりゃ大変だ。ちっさい子が行方不明って心配だよね。よっしゃ、ちょっと待ってなー」
まったく危機感のない声音でクロノス様がフェルへと告げる。
その後、クロノス様は空いてる片手で前髪を持ち上げる。そこに隠されていた目の紋様を露わにさせると、そのまま床を見つめはじめた。
恐らくその方向にあるのは冥界で間違いない。
クロノス様の第三の目はあらゆるものを見通せる。その特殊な眼をもってしてフェルの代わりにメイの行き先を探ってくださっているのだろう。
「んー」
床に向いていた顔がそのまま何かを辿る様にすいっと動かされる。
「あ、見っけ」
あっけらかんと、そう仰った。
いとも容易くメイの所在を特定したクロノス様。さすがは最高神といったところか。
いつものように締まりのない笑みを浮かべつつ、不要となった紋様を隠すように前髪を下ろしフェルへと視線を向けた。
「なんかね。テスカンのとこにいるっぽいよ」
出てきた名前にやはりな、という感情が湧き上がる。
高位神に対抗できるのは同じ高位神。そして今ここに来ていない高位神は見る限り二柱だけ。
犯人はその内のどちらかとしか考えられなかった。
何故テスカトレ様がメイを誘拐したのか。疑問が拭いきれないわけではないが、事実は事実として受け止める。
「……テスカトレのところ、ですか? 何故そのような場所に」
「さぁ? あ、ちなみにトラちゃんとこのちみっ子も一緒だったよ」
「は? ギルもいたのですか?」
「うん」
「いや、マジでなんでアイツらが月城に?」
「さぁ? ……そういやテスカンはちっちゃい子が好きだったねぇ。もしかしたらフェルっちン家の子が可愛くて、自分家の子にしたくな――」
「――ッ!」
クロノス様のお言葉の途中でフェルが勢い良く席を立ち、部屋を飛び出して行ってしまった。
「おやまぁ。冗談なのに。フェルっちもすっかりお父さんなんだねぇ。あはは」
からからと楽しそうにクロノス様が笑う。
「んじゃあ飲みなおそっか。あ、ガルラっちも下がって良いよ。フェルっちのこと追いかけてやんな。そんでまた今度飲もうねって伝えておくれー」
「ハッ、承りました。では御前失礼いたします」
「ほーい」
笑顔で手を振るクロノス様へ頭を下げて踵を返す。
なるべく落ち着いた足取りに見えるよう気を付けながら、だけど出来るだけ急いで扉へと向かった。
「クロノス様」
「ん?」
「俺も退席させていただいても?」
背後からトラトロル様とクロノス様の会話が聞こえる。
「別に構わないよー。君んとこも小さいから心配だもんねー。また飲もうね」
「御意に」
そんな会話を聞きつつ扉をくぐるも、そこにフェルの姿はなかった。
どうやら自分一人でさっさとテスカトレ様の領域へと向かってしまったらしい。
「マジか。置いてかれた……」
オレは自由に転移が使えない。そんなオレ一人ではすぐにテスカトレ様の領域へ行けない以上、時間をかけて向かうしかない。
頭が痛くなりそうな現状に思わず頭を抱えてしまった。
「ははっ。そんじゃ俺が連れてってやるから一緒に行くか?」
「トラロトル様……お願いします」
「おぅ!」
そんなオレの肩をトラロトル様が労うように叩いた。なんだか申し訳ない気分だ。
そうしてトラロトル様の転移を使いオレ達はフェルを追う。
向かう先はテスカトレ様の領域。湖上の月城だ。
テスカトレ様がどういう理由でメイ達を誘拐したのかは知らないが、やっていい事と悪い事がある。今回の事は流石にオレもやり過ぎだと思う。
待ってろよメイ。すぐにオレとフェルが迎えに行ってやるからな!




