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番外編 冥界酒場シバル・バー

カイル視点です。

「マスター、いつもの……」


 俺は店の雰囲気をできるだけ壊さないよう静かに告げる。

 少しだけ込み上げてくる笑いを表には出さないように気を付けながら目の前のマスターを眺めた。


「うぃむっしゅ」


 注文が通ったのか、マスターは小さく頷き俺へ背を向ける。

 そのまま何やらゴソゴソと何かの作業をした後、振り向いたマスターが俺の前へ『いつもの』を置いてくれた。


「お待たせしましたむっしゅ。いつもの『泥水のカクテル。葉っぱ添え』でごじゃいましゅ」


 コップへ入った泥水に、そのあたりで拾った葉っぱが突っ込まれたこの店自慢の一品。

 それを俺の方へスッと押し出したマスターは、ニッコリと笑ってから俺の前へ追加でもう一皿差し出した。


 頼んでいない品を不思議に思いマスターを見る。

 するとマスターは自慢の髭をいじりながら答えた。


「これはサービスの『泥豆』でしゅ。おちゅまみにどうじょ」


 そう告げて木箱へ置かれた皿。その上には歪な形の泥団子が盛られていた。

 豆という割には大きいが、その小さな手で一生懸命作ったのが見て取れる大きさに愛おしさが増す。


 とりあえず可愛らしさに口元が綻びそうになるのを懸命に我慢した俺は、できるだけ平静を装い泥団子へ手を伸ばす。

 そのまま食べる真似と飲む真似をし、美味かったと告げれば目の前のマスターは満面の笑みを向けてくれた。


 ここは『冥界酒場シバル・バー』。落ち着いた雰囲気で酒が飲める紳士淑女が集う社交の場。

 小さな背丈の可愛らしい髭面マスターが経営する酒場である。


 主に冥界前の神域に店を出しているが、時々しか開店していないので来店時には注意が必要である。


 そして俺、カイルはこの酒場の常連だ。

 店が開いている時は必ず顔を出すことにしている。


「いい飲みっぷりでしゅねお客しゃん」

「マスターの作る酒はどれも美味いからな。飲み過ぎちまうくらいだ」

「しょれは光栄でしゅ。でも飲みしゅぎにはご注意を」

「あぁ、もちろん」

「良い心がけでしゅ」


 ホッホッホ。と笑い声をあげるマスターに俺は口元を隠して笑う。

 マスター――お嬢が可愛すぎる。


「なぁあるじ、じゃなくてマスター」


 そんな時。俺の隣で泥水カクテルをじっと見つめていたシドーが口を開く。


「うぃ。どうしましたお客しゃん」

「なんでここに出てくるもんは偽モンばっかなんだ?」

「ふぇ? なんでって。だっておままごとだし?」


 何を今更。とシドーの問いに一瞬目を丸くしたお嬢。

 どうやら驚きのあまりついマスターからいつものお嬢へと戻ってしまったようだ。


 マスターお嬢も素のお嬢も、どちらも違う可愛さがあるので見ていてとても楽しい。


「でもおれはこんなんより本物がいいな。泥よりあるじのカツサンドがいい」

「えー。さっきお昼食べたばっかなのに、もちかちてもうお腹しゅいちゃったの?」

「そういうわけじゃないけど、なんか食べたくなった!」

「もー。仕方ないにゃぁ」


 やれやれと、呆れたように首を横に振ったお嬢がままごとに使っていた道具を片付け始める。

 お嬢はシドーに甘い。きっと要望通りカツサンドでも出してやるのだろう。


 俺はというと、テキパキと動くお嬢と自分の要望が通った嬉しさで笑顔を見せるシドーを微笑ましく見つめていた。

 突然終了したままごと遊びだが、俺としても特に不満はない。なので黙ったまま成り行きを見守るだけだ。


 もちろん片付けの手伝いはしているけどな。


 そしてままごとで使っていたコップや皿なんかを全て回収し、泥の処理も終え、片付けは終了。最後に、カウンター代わりに使っていた木箱の汚れを魔法を使って綺麗にすれば完璧だ。


「んと、しょれじゃ準備ちてくゆかや、ちょっと待っててねー。あ、カイル」

「ん?」

「木箱にテーブルクロス(くよしゅ)かけちょいてー」

「りょーかい」


 準備をすると言ったお嬢がオレの家の玄関をくぐるのを見送った俺は、カバンからテーブルクロスを引っ張り出す。


「……カイルのカバンってさ」

「おぅ。カバンがどうした?」


 特に手伝いもせず、ぼぅっとテーブルクロスの設置を見ていたシドーが口を開く。


「なんでも出てくるよな。言ったもんすぐ出てくるし。便利だ」


 俺の腰についたカバンへ視線を向けながらシドーが頬杖を付く。

 柔らかい人間の子供の頬のように、支える手の上に肉が乗っている。ぷくぷくしていて(つつ)きたくなる柔らかさだ。


 テーブルクロスをかけた木箱に上半身を預けたシドー。

 そんなシドーへ俺は笑顔を向けた。


「そりゃお嬢の眷属たるもの主人の要望には全力で応えたいわけだ。がっかりした顔なんてさせたくねぇし」

「おぉ、それはたしかに!」

「だろ。それに何時(いつ)、何が必要になるかもわからないわけだしな。必要そうなものはあらかたカバン(ここ)に入れておいてるってわけだ」


 腰のカバンを軽く叩きながら自慢げに返す。


 このカバンはお嬢がプレゼントしてくれた大切なカバン。俺の宝物の一つ。

 さらに言えば。俺がまだ正式にお嬢の眷属になる前だったのに、フェルトス様がわざわざ拡張魔法までかけてくれた特別なカバンなのだ。


 カバン自体は町の店売りで一般的なものだが、神の手が入った神からの贈り物なのである。

 しかも容量はほぼ無限。時間経過もなし。ただの人間(あのときの俺)が持つには過ぎたものではあったが、お嬢の側付きとして相応しくあれるよう。プレッシャーもあったが、逆に気合が入ったというものだ。


「お嬢の着替えは勿論。上着や帽子、昼寝用のタオルケット。日傘にタオル類。飲み物や軽食、おやつまでいろいろ揃えてある!」


 ふふん、と腕を組み俺は得意げに言い放つ。


 他にもフェルトス様やガルラ様。遊びに来られた神々が何かを必要とした時に、すぐさま応えられるよう、考えうる限りの物を入れてある。主に酒だな。俺が飲む分とは別に、新品の酒類をストックしているのだ。


 容量がほぼ無限とのことなので入れ放題。重さも関係ない。本当に素晴らしい品である。

 盗難にだけは注意をする必要があるが、そもそも盗られるなんてヘマはしないから無問題だ。


「うーん。おれも自分の中になんか入れといた方がいいかな?」

「ポーションぐらいは持っててもいいんじゃねぇの。お嬢が怪我したときにすぐ治せるように」


 俺も持ってはいるが、シドーも持ち歩くのに越したことはない。

 念には念を。用心するだけ損はないからな。


 シドーが来たばかりの頃。お嬢がシドーにもポーションを持たせようとしていたが、必要ないと断っていたことがあった。

 あの時のシドーはまだまだ幼く暴れん坊だったから俺も無理強いはしなかった。

 しかし最近のシドーはお嬢の使い魔としての自覚も、心得もできてきた。ならそろそろいざというときの為に備えておいても遅くはない。


 正直、いざというときなんて一生来ない方が俺としては良いんだけどな。


「そだな。あとであるじに言ってポーションわけてもらうことにする」

「おぅ。そうしろ」


 そんな風にシドーと他愛ない会話をしながら時間を潰していれば、家からお嬢が顔を出した。


「お待たせー。いろいろ持ってきたよー」


 手を振りながら戻ってきたお嬢をシドーと二人で迎え入れる。

 そしてそのままお嬢が酒場のマスター位置(いつもの立ち位置)へと着き軽く咳払いをした。


「こほん。……ようこしょ、シバル・バーお昼の部へ。今日は――あっ!」


 突然大きな声を上げたお嬢は勢いよく後ろを向く。

 そしてごそごそと俺達に隠れながら何かをした後、またこちらへと振り向いた。


「改めて。今日は特別に遅めのランチ営業をしましゅよ。さぁお客しゃん方、遠慮なくご注文をどうじょ」


 澄ました笑みを浮かべ笑うお嬢。その口元にはふさふさの髭。

 どうやら外していた髭を付け直していたようだ。


 その仕草に笑いをかみ殺しつつ、俺は木箱の前に腰を下ろす。

 ふと隣のシドーに視線を向ければ前のめりになりながらマスターお嬢を見つめていた。


「はいはいマスター。おれカツサンド!」

「うぃむっしゅ」


 手を挙げながら注文をするシドー。その注文を受けたお嬢は小さく頷き影の中からカツサンドを取り出す。

 そして優雅な――お嬢的に――仕草でシドーの前へさっとカツサンドを置いた。


「やったぜ!」

「たんとお食べくだしゃいね」

「はーい」


 今回もままごとの一環だが、出てきたものは泥ではなく本物。

 昼飯を食ったばかりではあるが、シドーの食いっぷりを見ていると少しくらいは俺も何か腹に入れたい気分になってしまう。


「そちらのお客しゃまは何かお食べになりましゅか? 飲み物や軽いデザートなんかもごじゃいましゅが」

「おぉ、それは良い。んじゃ俺はトマトジュースを貰おうかな」

「うぃむっしゅ」


 今度は影から冷えたピッチャーを取り出したお嬢が、用意したコップにトマトジュースを注ぐ。

 魔法を使って注いでいる為こぼしたりする心配はしなくていいのが安心だな。


「どうじょ」

「あんがとよ」


 出されたトマトジュースを口に含む。

 甘いトマトの味が口の中に広がって自然と口元が綻んだ。生で食べるのも良いが、ジュースとして飲むのも格別である。


「……うん。美味い」

「光栄でしゅ」


 しみじみとそうこぼせば、マスターから素敵な笑顔が返ってきた。


 お嬢は自分が作った食べ物を誰かに「美味しい」と言って食べてもらえることが嬉しいと。大好きだと。そう言っていた。

 いつも食事を振る舞う相手がどのような顔をして食べているか窺ってもいる。

 そんなお嬢に「美味しい」と返せば、それはそれは極上の笑みを浮かべるのだ。こっちまで幸せになるくらいの笑顔を。


 そうしてだらだらと俺達はままごと遊びを続けた。

 くだらない会話を三人で楽しみながら昼の時間が過ぎていく。


 しかし途中から何かを嗅ぎつけたのか突如フェルトス様とガルラ様が乱入。お嬢はその時点で特別ランチ営業を終了した。


 その後は本物の酒とつまみを提供する冥界酒場シバル・バーの営業へとシフトチェンジしたのは秘密の話だ。

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