追憶と花束編16 とある団長の独り言3
「……それでは、始めます!」
己の影の中より杖を取り出した姫君が魔法を使えば、幻想的な光景が僕の目の前に広がった。
「――告げる。今よりここは我が冥府。我が父。冥界神フェルトスの治める冥界に等しきものなり!」
姫君の圧倒的な魔力に気圧されながらも、僕は姫君から視線を外せなかった。
町で姫君を見かけた際、どこにでもいる普通の子供のように見えた。
謁見時の威厳が嘘のようで、それこそ噂話が本当だと思えるくらいには。ただの子供にしか見えなかった。くるくると表情がよく変わる可愛らしい子供。
多分、それが素なのだろう。短い時間しか関わっていないが、彼女を見ていればよくわかる。姫君は純粋で、そして心優しい素敵な少女だということが。
それと同時に謁見時は相当の無理をしていたのだとも理解した。
神族として期待に応えようとしてくれたのか。はたまた、よそ者に舐められないように、か。
本心は僕にはわからないけれど、無理をして対応してくれていたのだと直感した。
そう。そうなのだ。姫君の素が純粋な子供の顔なのだとしたら、謁見時は無理をしていたとわかる。
背景を知ってしまえば、子供が頑張って背伸びをし、大人びた行動を取っていた。そんな微笑ましい光景にも見えたのだ。
しかし、今はどうだろう。
謁見時の無理をしている様子もなく。町で見かけた時の子供らしさもなく。僕を迎えに来た時の焦りもない。
今、僕の目の前にいるのは、まぎれもなく、本物の威厳と畏怖。そして――畏敬を兼ね備えた冥界の姫君その人だった。
「――なればここはすでに人の世に非ず」
姫君の紫色の髪が風に舞う。
そして、僕達ごと花畑を包む魔法陣がキラキラと輝いた。
あぁ、なんて……なんて美しく綺麗な光景なんだろう。
冥界に住む神。死の神に連なる娘。僕たちの一時の逢瀬が終われば、カレンを連れて行ってしまう存在。
死とは恐ろしいものだと忌避し、遠ざけていた。そんな世界に住む冥界の姫なのに……どうしてこんなにも心安らぐのだろう。
「人の世ならざれば――」
もし、これが本当に冥府の世界だというのなら。そうだというのなら……カレンも、きっと――。
「――人の世の理には縛られず!」
その言葉が紡がれると同時。突然太陽が消えたように、辺りが闇に染まった。
「……なんだ?」
日が沈むにはまだ早かったはず。それなのに突然、夜になった。
見上げてみれば、空は暗く。魔法陣が星のように輝いている。
足元の魔法陣からも断続的に輝きが空へと昇っていく。
これは現実なのだろうか。それとも夢か幻か。
僕の目には今まで経験したことのない、幻想的な景色が映りこんでいた。
「我が名は冥界姫メイ!」
「……これは、水?」
僕が立つ場所とカイル殿が立つ場所。その中間あたりにどこからか水が集まってきていた。
そしてそれはどんどん大きくなり、姿見くらいの大きな塊となる。
まるで魔法で作った水鏡のようだった。
その美しい光景を、僕はただ見つめる。
「――え?」
そんな時だ。水鏡を通した向こう側。そこに一瞬、人影が見えた。もちろんカイル殿ではない。もっと小さな、懐かしい影が見えた。
よく見ようと目を凝らす。
水面が波打っていてはっきりとはしないが、間違いない。あれは、あの姿は――。
「今ここに――冥界の理を示さん!」
咄嗟に彼女の名前を呼ぼうとするも、突然水鏡が弾け飛んだ。
そして水鏡が弾け飛ぶと同時に光が舞い踊る。
「――うわっ!」
眩しくて目を開けていられないほどの光に、僕は咄嗟に目を腕でかばった。
「もう、いいよ」
「……ル、ディ?」
姫君の声がした後に、聞き覚えのある声がした。もう記憶の中でも朧気にしか思い出せなくなってしまった声がした。
かつて愛した人の声に、僕は恐る恐る顔を上げる。
「…………そ、んな」
数舜前には誰もいなかったはずのその場所に、恋焦がれた彼女の姿を見た。
あの時のまま、変わらぬ美しさを持った、僕の初恋の少女。
愛しい褐色の肌。乳白色の髪。アクアマリンの瞳。
あぁ間違いない。君だ。
「……かれ、ん」
君の名を呼ぶ声が震える。手も体も。僕のすべてが震えているような錯覚を覚えた。
「――ルディ!」
僕がカレンの名前を呼ぶと、彼女は目に大粒の涙を溜めて駆けだしてきた。
そして、それは僕も同じだった。
「……ッ!」
だけど数歩駆けた所で思いとどまる。近付きたい。抱きしめたい。そんな感情を僕は鋼の意志で捻じ伏せた。
先程の姫君の言葉。それを思い出したからだ。約束を破ればここで終わり。一度きりの奇跡の逢瀬が終わってしまう。
それをカレンも思い出したのだろう。僕達は同時に動きを止めた。
触れたい。でも触れられない。触れるにはまだ少し遠い。そんな距離がもどかしい。
先程水鏡が作られた場所を挟むようにして僕達は向かい合っていた。
姫君達は動かなかった。恐らく僕達を信じていてくれたのだろう。その心遣いに、僕は心の中で感謝を申し上げる。
「……ルディ。久しぶり」
「――うん……久しぶり、カレン。……また逢えて嬉しいよ」
「私も」
僕達は顔を見合わせて笑う。
だけど、何故だろう。君の笑顔が、姿が、滲んでよく見えないよ。
話したいことがあった。たくさんあった。
でもそれは、実際に彼女を目の前にしたら全て掻き消えてしまった。
頭の中は真っ白。言葉が詰まる。何を話せばいいのかわからない。胸に、喉に、言葉が引っ掛かって上手く口から出て来てくれない。
そんな時だ。カレンが口を開いた。
「ルディ……ごめんね」
「え?」
カレンからの突然の謝罪に目を丸くする。なぜ謝られているのかがわからない。
「私が馬鹿な事したせいで……それで死んじゃったせいで……ルディを傷付けちゃった。それをずっと謝りたかった。ごめん……ごめんねルディ」
「なっ! それは違う! 君は悪くない、悪いのは勝手な事をした僕だ! 君を驚かせたくて、無茶をしてしまった。それで君をあんな目に合わせてしまった。ごめん! 怖かっただろう。助けてあげられなくてごめん……っ!」
そうだ。あれは僕が悪い。家族にだって心配をかけた。カレンを死に追いやった。そしてカレンの家族からカレンを奪った。全部全部、僕のせい。
「……そんなことないって言いたいけど、それじゃあ堂々巡り、だよね……ふふっ」
視線を上げれば彼女が困ったように笑っている顔が見えた。今にも泣きだしそうに笑っている。
「それじゃ、どっちも悪かった。そういうことにしない?」
「でも――」
「もう時間が少ないの。他にも言いたいこと――うぅん。聞きたいことがあるんだ。だから、ね?」
「……そうだね。うん、わかった。それじゃあこれでお相子ってことで」
「うん!」
そうだ。彼女の言う通り時間がない。
謝るばかりでこの時間を終わらせるには惜しいんだ。気持ちを切り替えなければ。
僕だってカレンに言いたいことがあるんだから。
「ルディス。これを……」
姫君の声に視線を向ける。見れば姫君の手には僕が用意した二つの花束。小さなものと。それよりは大きなもの。
小さな方には五本の赤い薔薇に、紫のベルギアの花が一本。
大きな方にはいろいろな種類をたくさん。全部、君に贈るのに相応しい花を選んだつもりだ。
薔薇は季節じゃなくて探すのに苦労したけど。だけど、どうしても君に渡したかったから。姫君に無理を言って町の花屋を回ってもらったんだ。
「受け取りなさい」
姫君の足元から黒い影が伸びる。その影は花束を持って僕の目の前に伸びてきた。
この影には見覚えがある。姫君が僕を迎えに来た際、窓際にいた僕の腕を掴んだ影だ。
てっきり精霊殿の腕だと思っていたが、まさかこんな芸当までできてしまうとは。未だに姫君の底は窺い知れないなと、小さく笑う。
「ありがとうございます、姫様」
差し出された花束をそっと受け取った。
影の腕に恐怖はない。異形の姿だ。普段なら恐ろしく、そして気持ち悪いと思っていたかもしれない。
だけど、僕の心にそんな負の感情は湧いてこなかった。あるのはただ一つ。感謝の気持ちだけだ。
「渡す事を許可します。ただし――」
「触れないように、ですね。わかっています」
小さく頷いた姫君に感謝の礼をしてから、僕は一歩、カレンに近付いた。




