追憶と花束編15 もう一つの小さな冥界
日が長くなり、明るい時間が増えてきた。
現在時刻は午後五時頃。まだ太陽が沈むには少し早い。
「……ふぅ」
小さく息を吐き、気持ちを落ち着ける。
まだカレンさんの時間があると、わかっている。わかってはいるんだけど、逸る気持ちが沸き上がってきてしまうのだ。
大丈夫。私が焦ったらダメ。不安にさせたらダメなんだ。
本当は団長さんを迎えに行って、すぐに花畑へと戻るつもりだった。
そうすれば、それだけ二人に残された時間が多くなると思ったから。
だけど私は団長さんのお願いを聞き入れた。
準備がしたいと頭を下げた団長さん。手は力強く握られ、願いを乞う声にはその必死な想いが込められていた。それを見せられたら駄目だなんて言えない。だから許可をした。
たしかに、ずっと想い合っていただろう二人だ。
準備に使う時間くらいあげるべきだって。そう思ったから。
チラリと背後を覗き見る。
目を閉じ、気持ちを落ち着かせているのだろう団長さんの姿がそこにあった。
準備した荷物は持たせていない。私の影の中で預かっている。
「団長さん」
「はっ」
私の呼びかけに団長さんは短く答えた。
閉じていた目を開け、私とはまた違う、燃えるような赤い瞳で私を真っ直ぐ射抜く。
その真剣な視線を受け止めながら私は口を開いた。
「もうすぐ着きます。心の準備は?」
「……できております」
「わかりました」
しっかりと頷いた団長さんを確認してから、私は前を向く。
視界にはもう花畑が広がっている。
その中央には二人の人影。他には誰もいない。
さぁ、これで最後だ。
私は冥界神の娘。冥界姫メイ。未練を抱いた死者の魂を安らかな眠りへ誘うために。
立派にお仕事をやり遂げてみせます。見ていてくださいフェルトス様!
決意を新たに私は花畑へと降り立つ。
「お待たせしました、カレンさん」
「姫様……お帰りなさいませ」
まだそこにいてくれた安堵感に顔を綻ばせれば、彼女もわずかに笑顔を見せてくれた。
不安で仕方ないだろうに、それでも健気に笑ってくれた。その心に私は報いなければ。
「さ、団長さん。こちらへどうぞ」
「……はい」
団長さんを導き、距離を空けてカレンさんの正面へと立たせる。
カレンさんが見えていない団長さんは少し困惑した顔を見せているが、反対にカレンさんは緊張で表情が強張ってしまっていた。
「大丈夫」
だから安心させるために私はカレンさんの手をそっと握り、笑う。
そうすれば彼女は余計な力が抜けたのか、笑顔が少しだけ戻ってきた。
そして小さく深呼吸をしたあと、彼女は意を決したように口を開いた。
「あの、ルディ――」
「姫様。その……彼女は、本当にここにいるのですか?」
カレンさんの言葉を遮るように団長さんが疑問を口にする。
「……やっぱり」
ダメなんだ。と続いた言葉と共に、カレンさんは俯き悲しそうに笑った。
そんな彼女の手を強く握り、私に視線を向けさせる。
悲しみに染まった青い瞳。その瞳をしっかり見つめて、私はにっこりと笑った。
「大丈夫って言ったでしょ。落ち着いて」
それと、無駄に悲しませてしまってごめんなさい。
「姫様。でも、ルディには私の声も……姿だって――」
「うん、そうだね。でも大丈夫だから。わたしを信じて? ね?」
「……はい。先走ってすみませんでした」
「仕方ないよ。ずっと逢いたかったんだもんね」
そう言って笑えば、彼女は眉を下げて小さく頷いた。
その勢いで伝う涙がポロポロと重力に従い落ちていく。
「団長さん」
「はい……」
「今、ここに……カレンさんがいます」
「――ッ」
団長さんへと告げれば、小さく息を呑む音が聞こえた。
「ですが、今の団長さんにはカレンさんを見ることは出来ないし、言葉も交わせません。でもあることをすれば見えるようになるし、言葉も交わせます」
「本当ですか! ならばすぐにでも!」
「ただし!」
逸る団長さんを制するように、私は彼へと厳しい目を向ける。
「彼女に触れることは一切許しません。それでもいいと言うのなら、私があなた達を引き合わせます。どうしますか。約束はできますか?」
カレンさんにも確認した約束事。
両者を――生者と死者を触れさせてはいけない。
これは、本当は正確ではない。でも、今の私が運用するのならこうするしかなかった。
引き止められた時にガルラさんとフェルトス様から教えてもらった、本来の冥界の約束事はこうだ。
生者が死者に手を伸ばすのは、想うのは構わない。しかし、その逆は許されない。
死者が生者に手を伸ばすのは、想うのはいけない事だと。なぜなら生者を死者の世界に引き摺り込んでしまうから。
簡単にだけど。そう、教えられた。
私はまだまだ子供で未熟者。万が一の事態に完璧に対処できるかと言われれば、正直できると言い切れる自信はない。臨機応変な対応ができないから。
だから私は両方の接触を禁じた。
ごめんね。と心の中で二人に謝りながら、私は団長さんの赤い瞳をじっと見つめる。
すると団長さんは小さく笑った。そして自身の胸に手を当て、軽く頭を下げた。
「――はい。太陽神イルミナス様。並びに冥界神フェルトス様の名にかけて。私、ルディス・バンガルドはメイ様のお言葉を無碍には致しません。必ず約束を守るとここに誓います」
「よろしい。カレンさんも、良いよね?」
団長さんの返事を聞いた私は、最終確認をするようにカレンさんへも同じように問いかける。
「はいっ!」
彼女が頷き、私も軽く頷き返す。
両者の合意は取れた。あとは実行あるのみ。
一度目を閉じて、深く息を吐く。
今から私は冥界姫メイ。
切り替えろ、頑張れ。大丈夫、初めてだけどきっとできるから。
「よし。――カイル、シドー」
「ハッ!」
二人の声が重なって聞こえた。
「カイルはカレンさんを見ていなさい。シドーはルディスさんを。そして、もし仮に二人が約束を破るようなことがあれば、すぐに取り押さえなさい」
「ハッ!」
またも綺麗に揃った二人の返事を聞きながら、私は二人が立ち位置に着くのを黙って待つ。
カイルがカレンさんのそばに。シドーが団長さんのそばに。それぞれ準備が整ったのを見届けた私は、カレンさんと繋いでいた手を離す。
そして団長さんとカレンさんの中間地点へ――直線上には立たないように、少し離れて――立ち、杖を取り出した。
「……それでは、始めます!」
魔法で補助をしながら杖を振り上げ地面へと突き立てる。
トンっという軽い音と共に私の足元には魔法陣が広がった。
そしてそれは一瞬で範囲を広げ、花畑を覆い隠す。
今から使うのは簡単な結界魔法。
ただし、いつもと違うのはその効果。
外敵から身を守る為のものではなく、結界の中に己の望む世界を作るもの。
「――告げる。今よりここは我が冥府。我が父。冥界神フェルトスの治める冥界に等しきものなり!」
私の魔力が一陣の風となり周囲へと広がっていく。
魔法陣から放たれる光がその風に乗り、空へと昇り、それが新たな魔法陣へと変わった。
そしてそれは私達を包むようにドーム状の魔法陣となる。
「なればここはすでに人の世に非ず。人の世ならざれば――人の世の理には縛られず!」
見えないのならば、見えるようにすればいい。
触れられないのなら、触れられるようにすればいい。
普通の人間に霊が見えないのは、存在する世界がズレているから。
そして、世界がズレているのならば、そのズレを合わせてやればいい。
フェルトス様やガルラさんだったらこんな大掛かりな魔法を使わなくても合わせられる。
でも、私にはそんな芸当、到底まだ無理だから。だから――今、私ができる一番簡単で、確実な方法を使う。
「我が名は冥界姫メイ!」
人間の世界で逢えないのなら、死後の世界で逢えばいい。
そう。それだけ。簡単な事なのです。
「今ここに――冥界の理を示さん!」




