第二十三話 関門
何かが聞こえた。
ミノルは目を覚ました。
なんの音が聞こえたのかは分からなかった。
まだ暗い部屋の中で、マキノの寝息だけが聞こえたが、彼の音ではない。
ミノルは寝巻きを着ていない。
常に普段着で過ごして靴下も履き、上着も靴も枕元に用意している。
常に手放さないレミントンM1100を引き寄せ、腕時計を確認する。
朝六時半。
日の出までもう間もない。
布団から這い出たミノルは上着を羽織り、靴と銃を持って玄関に向かう。
靴を履いて外に出ると突き刺すような冷たい空気に襲われる。
完全に日は出ていないが、薄明かりで周囲は十分に見ることができた。
ミノルは銃に弾を装填し、周囲を警戒してからアパートの二階へ向かった。
高台にあるアパートの二階からは周囲の住宅をある程度見渡せ、音も良く聞こえる。
ミノルはアパートの二階にある屋外通路で耳に神経を集中させた。
ボンボンと花火のような音が遠くから聞こえる。
自衛隊の演習が聞こえるときによく似た音。
それが徐々に近づいてくる。
異様な雰囲気。
この町が隔絶されてから今までこんなことは一度も無かった。
ミノルは部屋に戻り、マキノを叩き起こし、リコも起こした。
全員に着替えて車に必要そうな物を詰め込むように指示し、弾薬と火炎瓶は後部座席。水と食料と、少しばかりの備品とガソリンを入れた携行缶はジムニーの荷台に載せた。
ミノルの選んだ装備を身に着けたリコはヘルメットを被り、出発する準備をするミノルにもヘルメットを手渡した。
受け取ったヘルメットを被ったミノルは二人が乗った車の助手席に乗り込み、車を発進させる。
ミノルは高い場所に行き、町の様子を見る事をマキノに伝え、三人は射撃練習をした畑のある山へと向かった。
車を走らせる間にも音は大きくなり、そして近づいてくる。
目的地に付く頃には三人とも気がついていた。爆発音だと。
三人が車から降りて町を見渡すと、遠くにいくつもの黒煙が昇っていた。
それは爆発と同時に増え、爆発する光景と黒煙が昇ると、遅れてボボンという爆音が聞こえた。
「何だあれ?」
「ば、爆撃かな?」
「ねぇ、ミノルくん。上」
ミノルとマキノがその光景に目を奪われていると、リコが上空を指さした。
二人も彼女の指差す方向を見ると、上空に飛行機が飛んでいる。
高度は低く、ブゥゥゥンと低いエンジン音を響かせながら飛行機の形がどことなく分かるほど低く飛んでいた。
マキノは双眼鏡を取り出して飛行機と爆発地点を確認し始めた。
「ミノルくん、あれって旅客機じゃないよね?」
「ああ……。爆発してる地点からもちょっと離れてる。たぶん砲撃してるんだ」
「ほうげき?」
「大砲みたいなの撃ってるんだよ」
「たぶんガンシップだよ。ベトナム戦争やイラク戦争の映像で見たことのある航空機に似てる。どうやら橋を狙ってるみたいだね」
リコとミノルの会話に双眼鏡で見える情報を伝えるマキノ。
マキノの双眼鏡には対空砲火をされる心配のない対地上攻撃機が超低空で旋回しながら地上を砲撃する様子が見えた。
砲撃され、煙が出ている場所は川にかかった橋。
人の行き来を阻害し、より一層の隔絶を促すような行為だ。
「なんでこんなところを砲撃するんだ? 意味わかんねー……」
「ミノルくん。見てご覧。橋じゃなくて、もっと遠く。あっちの方向」
ミノルはマキノに双眼鏡を手渡され、言われるがままに指し示す方向を見た。
その方向は首都圏。日本で最も人口の多い、東京や横浜の方角。
山で遮られてハッキリとは見えないが、大量の黒煙が昇っており、上空が真っ黒になっている。
「……何だあれ」
「もしかしたらだけど、爆撃されてるのは首都圏かも知れない。そこから徐々に範囲を広げてるんじゃないかな……」
「……なんで?」
「一人ひとり殺して焼却しないで、都市ごと焼き払ってるんじゃないかな」
都市ごと焼き払う。
ミノルの想定を超えたレベルだった。
リコも双眼鏡を使って同じ方角を覗き、絶句して動かなくなってしまう。
「もしかしたらだけど、グールの数が多すぎて手に負えないのかもしれない。
高齢化社会とは言え、大阪などの大都市と首都圏は若い人が集中してるから、死なずにグール化とゾンビ化した人があふれかえってるのかもしれない……」
「まぁ、こんなところでも結構いるもんな……」
ミノルも東京にはよく行った。
友人知人はみんな首都圏だ。飲み会も集まりも首都圏。
誘われて断らなければえっちらおっちら遠出する先はいつも東京。
いつだって、どこからこれだけのたくさんの人が集まるのだろうと思えるほど人がごった返している。
人々の住まいも東京の中と周辺に集中し、人々は満員電車で集まり、そして散り散りに去っていく。
ミノルにとっては金を使って遊ぶ以外には何もできない魅力の無い都市。
物があるだけ。人が集まるだけ。金を吸うだけ。
なんのために集まっているのか理解できない渦潮のような都市。
そこから黒い煙が竜巻のようにあふれ出ている。どす黒い雲に覆われた空。
都市は熱がこもったヒートアイランド現象が問題になっているが、今では黒煙に覆われたブラックアイランドと化している。
上空を旋回していた対地上航空機はこの町の橋や高速道路を破壊し尽くすと、旋回するのをやめてどこかに飛び去っていった。
また別の航空機がやってきて爆撃や砲撃がされれば家に帰るのは危険だと考え、三人は町を見渡せるこの場にとどまった。
昨日の和やかな時間は一変し、不安な時間を三人で過ごし、グールとの遭遇に恐れながら見張りをした。
その間にもどこか遠くの方でボンボンと爆発する音が聞こえ続け、それは一日中、一昼夜続いた。
狭くて寒いジムニーの中で毛布をかけて仮眠を取り、交代で見張りをする。
日が暮れると、黒い煙の都市が真っ暗なのに赤々と明かるかった。
夜中の暗闇に、真っ黒な雲の下の光源。不気味な光景にリコは怯える。
ミノルも、マキノも。
眠れぬ夜を過ごし、そしてまた夜が明けた。
夜明けとともにまた音が迫ってくる。
三人とも車の外に出ると、遠くの空から異様に大きな飛行機が飛んでくる。
見てわかった。爆撃機だ。
編隊飛行で飛んできた爆撃機は何かを投下し、ヒュヒュルと落下すると閃光と衝撃を発して爆発した。
それは遠くの見えない出来事から、遠くの見える出来事になった。
爆撃は目立つ商業施設などではなく、民家の集まる住宅地が集中的に行われた。
同時に学校やスポーツ施設などは見向きもされないのに、病院は狙われた。
ボボボボっと断続的に小規模な爆撃を受ける場所もあれば、ボカン、ドカンっと高威力な爆撃を受けて遠く離れたこちらにまで爆風の衝撃が届く爆撃も行われた。
リコは恐怖のあまり泣き出し、ミノルもマキノも言葉が出なかった。
第一波だと思われる爆撃は隣の町。
次はこの町であることは十分に予想できた。
「逃げようぜ。ここにいたら爆撃で死ぬかもしれない」
「でもミノルくん、ここは一応住宅地から離れてるよ? とどまっても良いんじゃないか?」 ミノルの提案をマキノが否定した。
「さっきの爆撃で、住宅地が密集してないところにはデカいのばっかり投下されてた。この辺も民家はそれなりにあるから、でっかいのを落とすかもしれないですよ?」
「ミノルくん! 先生! 後ろ!!」
リコの叫びに二人は後ろを向いた。
たくさんの人影が走ってくる。
三人はすぐに分かった。グールの群れだ。
グールの群れは山の反対側から走って逃げてきた集団だった。
ミノルたちの山一つ隔てた反対側も爆撃されていたことを三人は気づいていなかった。
眼の前で繰り広げられる爆撃と爆音だけに全てが集中していたのだ。
そんな理由を知らず、分からなくてもグールから逃げる以外の選択肢はなかった。
三人は急いで車に乗り込み、急発進でその場を走り去る。
車の中ではどこに逃げるかを議論して道路を走り続けたが、すぐに振り出しに戻った。
裸や半裸の狂気の集団。新たなグールの群れ。
爆撃の爆風と爆音に恐れて逃げるグールの群れが町から離れて山を上ってきたのだ。
その集団が道路を塞ぐかのように走ってくる
「ぜ、前後からグールの群れだ」 マキノの声が上ずった。
運転するマキノはグールのいない方向を目指して車を走らせ、どんどん町の方へと車を走らせた。
「先生、北だ。北の方の山に行ってくれ」
「あ、あっちは林業の区域でどこも封鎖されてる行き止まりだよ! 県境の道路は全部封鎖されてて、残ってても検問所がある!」
「車で途中までは行けます。そっから歩いて稜線に沿って徒歩で山を越えましょう」
「えぇ!?」
「山の中は爆撃しない。民家もないから、きっとグールもいないですよ」
「検問があるんだよ? 人間の処刑部隊に撃たれるかもしれないよ?」
「爆撃とグールか、人間かって選ぶなら、人間しかないっス。逃げる行き先と通り道は全部破壊されてる。逃げ場はない。
だったら山しかないっすよ。あの山なら俺たちの猟場だ。検問のニューピーな兵隊ごとき俺が出し抜きます」
「わかったよ!!」
マキノは車の行き先を変更させ、町の北に位置する森林地帯に向けて走らせた。
しかし山へ向けて北上する道路上には生存者が作ったと思われるバリケードが立ち塞がった。
それを避けて迂回し、グールに出会い迂回し、またバリケードがあると迂回するという不毛な行為が続いた。
何度も、何度も。
あらゆる物たちが障害となり、道を阻む。
拒絶され、忌み嫌われ、生きていることを否定される。
自分たちは誰からも必要とされず、誰からも受け入れられない。
脅威と恐怖、あるいは餌。様々な理由をつけて、ただ自分たちに死が望まれているだけという事実が突きつけられる必死のドライブ。
残された数少ない迂回路に差し掛かると、そこにはまたグールの群れが徘徊していた。
「ここもか!?」 マキノが悲鳴のように叫ぶ。
「俺が出る!」 ミノルは叫び、車から降りた。
ミノルはいつもの戦闘装備で車の前に出る。背中に背負うは二丁の自動銃。
手にしていたのは銃ではない。火炎瓶。
いつの間にか火をつけていた火炎瓶を両手で二本投擲し、瓶が割れると同時に道路がグールとともにボワンと燃え上がる。
炎に包まれたグールが悶え苦しみ、投げ終えたミノルは右手で背中に背負った銃を引き出して構え、弾を装填して前方に向けてぶっ放す。
ドンドンドンと三連射すると、弾を再装填し、更に三連射を炎を避けてにじり寄る集団に浴びせた。
「ミノルくん!! 左!!」
リコの叫び。
言われた方向にミノルが目を向けると一人のグールが全力で走ってくる。
右手の銃は撃ち切った。弾は一発も入っていない。
彼は右手を銃から離し、手にした散弾銃を負い紐で背負った。そしてミノルは背中に背負ったもう一丁の散弾銃を左手で手繰り寄せ、左手で銃把を握り、右手でコッキングレバーを引いて弾を装填した。
左手では銃を頬付けで構えることができないので、そのまま腰だめに構えて銃口をグールに向け、確実に当たる距離まで相手が近づけてから散弾をぶっ放した。
ドンドンっと二連射。吹き飛ぶグール。
襲い来るグールを一掃すると、ミノルは助手席に飛び乗った。
「出せ!」
ミノルの合図にマキノは車を発進させる。
火炎瓶で燃える道路を突っ切り、まだ生きているグールを轢き潰して道路を突破して北上する。
その時、遠くの後方で爆発音が鳴り響いた。
この町への爆撃が開始されたのだ。
ミノルは助手席に座りながら動きにくそうに背中の銃を引き寄せて弾を込め、サイドミラーに映った爆炎と煙に舌打ちする。
「先生やばいぜ、爆撃が始まった」
「急ごう」
爆走するジムニーは一人や二人のグールは車体の角で跳ね飛ばし、フェンダーとバンパーをへこませて疾走する。
車の持ち主であるミノルはへこみや汚れなど気にしない。マキノの運転を咎める理由など無い。むしろ褒め称えた。
そしてやっと目的の山の麓までたどり着き、山へ入る林道に差し掛かるとまたバリケードに出くわした。
乗用車だ。
林道へ続く狭い道路を塞ぐように、古いセダンが車体を横にして駐車されている。
「くっそ、マジかよ車かよ。さすがにこっから歩くのはちょいとしんどいぜ」
「いや、僕がやろう」
マキノはそう言うと車を降りた。
ミノルも銃を持って車を降り、走って先を行くマキノを追いかける。
マキノは上着の内ポケットからハンマーを取り出すと、路上に停車されたバリケードの車の窓ガラスをハンマーでぶっ叩く。
ガンガンと何度か叩き、ヒビが入ってからハンマーを振り抜くと窓ガラスは粉々に割れた。
マキノは割ったガラスの窓から手を入れてドアの鍵を開け、ドアを開くと運転席に潜り込む。
すると今度はドライバーを取り出し、ハンドルの下のカバーをこじ開け、中の配線を取り出して直結をし始めた。
手慣れた動作にミノルは驚愕した。
「マジかよ!? 先生そんなことできるのかよ!?」
「昔取った杵柄だよ。古い車の方法しか分からない」
「なんだよ、結構先生も昔はやんちゃしちゃってた感じぃ!?」
「いや、暴走族との付き合いは無かったけど車が好きでね。医学部に向けた勉強をしなきゃいけないから、バイトする暇は無いだろ? だから盗んだ車を売って、その金で自分の欲しい車を買ったり学費に当ててたんだ」
「そっちのほうが悪いじゃん!!」
「本当は窓ガラスは割らないで、ハンガーとかを使ってドアも解錠するんだよ」
「あの、先生? もしかして先生のクリニックに行く道を塞いでた他の車とか、あのバンも同じように手に入れたの?」
「そうだよ」
「とんでもねー医者だなぁおい!!」
するとエンジンが始動する音が鳴り、エンジンがかかった。
その間にも爆撃の爆発音はどんどん近づいてくる。
「ほら、どかすから車に戻って待っててくれ」
「おうよ!! 先生、無事に逃げられたらその車をパクるテク教えてくださいよ!?」
「ああ、いいよ。銃を撃つよりも簡単だよ」
ミノルは走ってジムニーまで戻り、運転席に飛び乗った。
前方ではマキノが車を方向転換させ、車を路肩に寄せてジムニーが通れるだけの道幅を作り出す。
そのさなか、後方で爆音が轟いた。
爆風に車体が揺れ、地面も揺れ動く。
爆発で舞い上げられたゴミや家屋の破片が宙を飛び、あちこちに飛散し車の屋根に雹のように降り注ぐ。
「キャァー!!」
リコが悲鳴をあげた。遠くから続けざまの爆発の衝撃波が波状攻撃のように襲ってくる。
車体がその度にきしむ。
「おいリコ、あぶねーから耳栓もしろ。伏せて毛布も被れ」 ミノルはリコに指示しながら自分の両耳に耳栓を詰めた。
「う、うん」 リコは指示のとおりに耳栓をし、毛布を手にする。
「先生まだか? おい! 先生、早く戻れよ!!」
叫んだ直後に今までで一番近いところで爆弾が落ちた。
ものすごい爆発で車体は浮き上がり、リアガラスがパーンと割れる。
その衝撃と閃光と爆音でミノルはめまいがした。
キィーーーーンと耳鳴りがし、方向感覚が無くなってしまう。
土砂が降り注ぎ、瓦礫が飛散して車にガンガン当たり車の天井がデコボコになる。
フロントガラスには土や砂が降り積もり、前方が見えない。
状況判断が追いつかず、解けない耳鳴りとともにミノルはハンドルに突っ伏してしまった。
それから徐々に血の気が戻るようにミノルは目を開け、視界も広がっていく。
ごく短い間だが、気を失っていたのだろう。
前は見えない。後ろを振り返ると、車で走り抜けた街並みが崩壊している風景が割れたリアガラス越しに見えた。
リコは後部座席で毛布をかぶったまま動かない。
毛布の上に積もった割れたリアガラスの破片を振り払い、毛布の下にうずくまるリコを助け起こすミノル。
「おい、リコ! 無事か!? 生きてるか!?」
「う、う、うん、な、なんとか、かな」
「お前そのまま毛布かぶって床に伏せてろ。俺は先生を迎えに行く」
ミノルは車を飛び降りて外に出た。
動かした車は路肩に寄せてあり、その車を動かした張本人は道路に倒れている。
「先生!!」
ミノルが駆け寄った。
マキノの体にはガラスと木材が突き刺さっており、血を流していた。
「おい、先生! ケガがやべーぞ、大丈夫か!?」
ミノルはマキノの体を抱きかかえ、彼の顔を抱き起こして表情を確認する。
「先生?」
息をしていなかった。
頭にも何かが直撃したような跡がある。
周囲に散らばる石や瓦にレンガ。
爆風と衝撃に襲われ、吹き飛ばされた瓦礫が彼に直撃したのだろう。
「…………ごめんな先生」
ミノルはマキノの亡骸をその場に残して車に戻った。
フロントガラスの土砂を手で払い除け、前方の視界を多少なりとも確保すると運転席に乗り込む。
アイドリングしていたジムニーのギアをドライブに入れ替え、マキノが作った道を通って山の奥へ、奥へと車を進ませる。
車が揺れ、坂道を上りだすと後部座席に伏せていたリコが起き上がる。
後部座席から顔を出し、運転席のミノルを見てから助手席が無人であることに気がついた。
「……先生は?」
「爆発で死んでた」
その一言でリコの目に涙があふれた。
リコは再び毛布をかぶってうずくまってしまう。
ミノルは黙って車を運転し、坂道を上って林道を目指した。
舗装された道をジグザグに上り、普段は出さない速度で山を駆け上がる。
ミノルはこの山は少し遠いので、罠猟には使わない。巡回するには遠くて不便だからだ。
けれども単独忍び猟をするためによく訪れた。広くて、起伏も激しいがそれなりに平地と池と湖があり、獲物の種類も豊富。
縄張りを理解して平日に猟をするならばバッティングすることも少ない、楽しい山だ。
その代わり、使うことを許されている縄張りの外についてはあまり知らない。
いや、そもそもこの山のことも、日本の自然ついても無知な素人でしか無い。
ミノルはまだまだ若い衆なのでこの山のことも、狩猟についても、銃についても大した知識はない。
ミノルはマキノにもリコにも虚勢を張ったのだ。
それしか生き残る道がないと判断したのだから。
それしか彼にできることがなかったから。
ミノルが運転し続ける車は山を上り続け、とうとう一般車両通行禁止区域に到着した。
舗装された道路上には鉄のゲートが車の通行を阻み、誰も通さないとばかりに障壁となっている。
このゲートを開ける鍵は林業などを請け負う一部の業者と管理する市町村、そして有害鳥獣駆除を担う猟友会の一部のベテランハンターしか持ち合わせていない。
会員として、ミノルも有害駆除の手伝いをするので必要な備品を持っているが、駆除隊員では無い。
そのミノルは車を道路の路肩に車を停めて運転席から降りた。
「リコちゃん、降りるぞ。こっからは歩きだ」
「……うん」
リコは泣き腫らした目のまま車から降りた。
リコにとってマキノ医師はミノルのいないところで色々相談に乗ってくれた恩人だった。
リコを治療し、療養中は優しく声をかけてくれ、見守ってくれた。
離婚歴があることや、車が好きでよくドライブに行き、ゴルフを楽しみ、レコードを集めるのが趣味だと話していた。
ミノルの車の中にカセットテープがあり、ミノルの持っているカセットは自分もよく聴く好きな曲だとも話していた。
ミノルから真実を告げられた後からは、知っている限りのこの世界のことと、自分たちゾンビのことも教えてくれた。
若いミノルとは違う、この中で唯一の大人でもあった。
短い期間だったが、三人で協力して過ごした生活。
まるで自分に新しいお父さんとお兄ちゃんができたかのような生活だった。
ミノルは山を歩くために必要そうな弾薬と物資を後部座席と荷台から取り出し、二つのバックパックに詰め込んだ。
一つは弾薬を主に詰め込み、ミノル用として。
もう一つは水と食料と救急キットを主に詰め込んだリコ用として
共通して必要そうな火起こし、防寒着に雨具と着替え、道中に消費する携帯食と水筒などはそれぞれに均等に詰め込む。
ミノルは準備したバックパックを背負い、銃は自分のレミントンM1100を一丁だけ背負った。
山を登るのでスコップとしても使える山菜掘りナイフと剣鉈を取り付けたベルトを腰に巻く。
それ以外の持ちきれない物資は全て車に残していく。
ミノルは用意したバックパックをリコへ手渡し、リコはそのバックパックを受け取ると質問した。
「ミノルくん、カセットテープってあるの?」
「? あるぞ。車のグローブボックスの中にな。なんで?」
「先生がね、そのカセットテープの曲が好きで、よく聴いてたんだって。ミノルくんが古いの持ってたから嬉しかったって。でもね、私はレコードでもカセットテープでも音楽を聴いたことないし、その古い曲も知らないの」
「……そうか。じゃ、持っていくか」
ミノルは助手席のグローブボックスを開けるといくつもあるカセットテープを手に取り、それを二人のバックパックの小さなポケットに詰め込んだ。
「いっぱいあるね。ミノルくんのおすすめは?」
「ん? a-haのテイク・オン・ミーかな。ミュージックビデオも含めて超カッケーんだよ。曲だけでもいいから聴こうな」
「うん」
カセットテープを追加したバックパックを二人は背負った。
車と荷物を置き去りにして道路を歩き、ゲートの隙間を通って山を登り始めた。
険しい道のりとなる。




