第十三話 苦しかった思い出
あたりに動くものは何一つ無くなっていた。
しかし気配を感じなくとも何かが突然襲いかかってくるかも知れない。
いつでも銃を構えられるように両手で散弾銃を持ち、腰だめに構えてゆっくりとした足取りで診療所に向かう。
しばらく歩くと診療所の看板が見えてきた。『牧野内科クリニック』と、どこにでもあるような診療所の看板を見つけ、手にしたライトで建物と敷地内を照らしながら様子をうかがう。
駐車場には乗用車が数台駐車されているが、もちろん人影は無かった。
診療所のガラス張りの正面玄関も固く閉ざされ、真っ暗な診療所全体が薄気味悪い雰囲気を放ち、まるでホラー映画の舞台のようだった。
正面玄関は鉄の枠に丈夫そうなガラスの扉。
そのガラス扉を撃ち破って入ることを考えたミノルだったが、玄関の扉のガラスの中には破損を防ぐために鉄のようなワイヤーが混入されていた。
鉄の枠も含めて撃ち破って侵入するのは危険であり、難しそうであった。
正面玄関から診療所の中に入るのには手間取りそうだとミノルは考え、銃を手にして診療所の裏手に回り、もっと簡単に侵入できる場所を探す。
真っ暗闇の診療所の敷地内を忍び足で歩くようにして散策すると、いくつかの窓と、裏口を発見した。
裏口はスチールのような金属製の扉だったので破壊することは困難。なので比較的低い位置に造られた窓を破壊して侵入することに決めた。
その窓にも鉄の網が混入されていた。だが、扉よりは穴さえ開ければ容易に解錠できると考え、ここだと決めたミノルは迷うことなく鉄パイプで窓ガラスを叩いた。
かち割るように叩くと、窓ガラスには大きな亀裂とヒビが入る。それはまるで蜘蛛の巣のような大きなヒビ。窓ガラスは一撃で割れることはなかったが、衝撃の強さと破壊の効果が見られたことは一目瞭然だった。
ミノルは振りかぶるように鉄パイプを再び振り下ろした。直後にはバキンという砕ける音とともに窓ガラスに穴が空き、鉄パイプがガラスの中に食い込んだ。ミノルはその感触を確かめるように食い込んだ鉄パイプを円を描くように動かし、ガラスに空いた穴を広げた。
「なんだよ。思ったより簡単に割れるじゃん」
ミノルは独り言を呟きながらガラスの破片をカチャカチャと撒き散らして穴を広げ、ガラス片に注意しながら手を突っ込み、窓ガラスのサッシについた鍵のクレセントを解錠させてしまう。
金具が開放されると難無く窓も開き、窓からライトで診療所の中を照らして確認し、土足のまま窓枠を踏み越えて中へと侵入した。
そこは受付のロビーだった。
広くはない受付の待合室には低いソファーが並び、本棚には雑誌や児童書も並んでいる。
真っ暗闇の受付には誰もいない。深夜の闇夜の診療所。
ホラー映画の舞台には最適だ。異形の怪物が登場するにももってこいの場面だろう。
そんな想像をしたミノルは、この後に起こるであろう展開も予想し、鉄パイプを壁に立て掛け、ライトと銃を同時に構えた。
右手で銃把を握りながら用心金に人差し指を添え、左腕に銃の先台を載せて左手で逆手にライトを持つ。
左手で先台を支えないという、普通では絶対しない持ち方ではあるが、散弾銃を構えながら目標をライトで照らすためには他に方法がなかった。
正確な狙いはつけられないが、自動銃のセミオート機構が装填する問題を解決し、ブレる狙いも装填した散弾でカバーするしかない。
重い散弾銃を普段とは異なる姿勢で構えながら、ミノルは奇襲を警戒しながらゆっくりと進み始める。
背後から襲われることを警戒して、まずは目視していない玄関と、受付の内部をライトで照らして確認し、それが済んでから診療所の奥へと進む。
この診療所をミノルは利用したことはなかったが、どこにでもある診療所と何ら変わりはないことがすぐに理解できた。
玄関に受付とロビー、そしていくつかの診察室と処置室。受付の奥には処方する薬が保管されており、診察室とも繋がっている。廊下には共用のトイレが用意され、その奥には事務所らしきものと、専門的な検査機器の用意された部屋がある。
光源も物音も自分が発するもの以外は何も感じられない。
無音の世界が耳の中にキーンとする耳鳴りを作り出す。それは物音がしない環境が作り出す、ある意味では安全を知らせる生理現象だが、今は恐怖心を煽るストレス源だった。
病院という慣れない閉鎖空間に飛び込み、いつどこから襲われるかもわからない状況。
ミノルの額からは知らぬ間に脂汗がにじみ、脈拍が上昇していった。
それらはセルフコントロールできるものではない。
銃を構えて目を見開きながらミノルは深呼吸をし、受付の先に続く真っ暗な廊下を睨み続けた。
右手が震えているのには気づいている。止まるまで待つしかない。
左手の前腕で支える先台が重い。
なおさら銃床を右肩に食い込ませ、ライトと銃口が危険性を孕む空間を警戒することを怠らせてはならない。
狭くて近い。
それは最も危険性の高い空間だというのがミノルの経験だった。
近ければ避けることはできない。狭ければ避けようがない。
仕事でも、狩猟でも、狭い場所、近い位置取りは細心の注意が必要だ。
何よりも、万が一組み伏せられでもしたら銃は使えない。仮に撃ち込んだとしても、痛みを感じない獣相手には銃撃など無意味なのだ。
この時、ミノルはあることを思い出していた。
罠にかかったイノシシの額に三発のスラッグ弾を撃ち込んだのに、イノシシは顔から血を吹き出しながらも、ピンピンしながら激怒していた光景を。
そいつはくくり罠のワイヤーを引きちぎろうとしながらミノルに体当たりをしようとしてきた。驚いて尻もちをついていると、先輩に叱られ、正面から撃つものではないと怒鳴られた。
シカ狩りでも、心臓を撃ち抜かれたまま山中を100メートル以上走って逃げたシカもいた。
人間に銃が効果的なのは痛みを感じるからだ。
痛みは恐怖となり行動を抑制させる。痛みを感じない奴は絶命するまでが闘争だ。
襲撃者たちが痛みも恐怖も感じないことはこれまでの戦いで理解できている。
であるならば、相応の間合いを確保することは最も大事な要素である。
それが確保できない閉鎖空間は危険だ。
頭では承知の上で飛び込んだが、体は付いてこれていない。自分は怯えているのだ。
ミノルにとっては何度か体験したことでもある。興奮と恐怖。好奇心と警戒心が同時に訪れ、次のステップにどう移ればいいのか無意識の困惑に陥ってる。
胸の鼓動を感じながらミノルは判断する。
無謀な選択肢はこのまま突き進むこと。最善の選択肢は諦めること。生存こそが正しい。
リスクがあったり、不確定要素があれば実施することは諦め、逃げる。それが正解だ。
けれども今回は引き返せない。相談する相手もいない。ならば冷静になるしかない。
そのために必要なのは時間だ。自分に問い詰めろ。
ミノルは自分自身に問い詰めながら大きく、そして静かに深呼吸をした。
そして状況を整理しながら自分を落ち着かせる材料を揃えるように、小さく言葉を発した。
「ふぅー、すぅー、フー、スー……。後ろにはいない。前だけだ。トイレが左。右に診察室。
まずトイレを見て、診察室に入り、居たらぶっ放す。そして中から鍵を締めて、銃声で寄ってきた獲物をまた撃ち殺す。外と同じだ。簡単だ。
もしも鍵が閉まっていたら、通路の奥に行く。居たらぶっ殺す。何もいなければ診察室で資料と薬を探すだけ」
サーチアンドデストロイの実行内容を再確認するとミノルは歩き出した。
左手の前腕部に自動銃の先台を乗せ、左手には逆手に持った懐中電灯のLEDライトが正面を照らす。
右肩に銃床を押し付けるように右手で銃把を握り、頬付けして銃を固定しながら前進。
万が一の生存者も考慮して、右手の人差し指は用心金の中に入れず、銃の本体に沿わせるように伸ばして銃の挙動の支えに使う。
まずはトイレ。
通路の左側に、バリアフリー型のトイレと男女兼用トイレが左右で対になるように用意されていた。
バリアフリー型トイレのドアはレバー式。
ミノルは左手のライトを持った手でレバーを操作して扉を開く。引き戸の扉がカラカラと音を立てて滑らかに開き、その開閉速度に合わせるように左前腕を元のポジションに戻し、トイレの中をライトで照らしながら銃口を向ける。
何も居ない。
バリアフリー型トイレはクリア。
続いて対となる右側の男女兼用トイレ。
ドアは一般的な引き戸で、ドアはノブ型。再び左手を伸ばし、ライトを持ったままの左手の指先を使ってドアを開ける。ドアが押し開かれると、ライトと銃口で内部を照らす。
ライトに映されたのはウォシュレット機能のついた便器。
クリア。
便器を映したライトを水平移動に反転させ、今度は背後の診察室のドアを照らす。
ドアの横には第一診察室と書かれたプレート。
ミノルは先ほどと同じように左手にライトを持ったまま指先を使ってドアを開けようとした。
だが開かない。鍵がかかっている。
ぶっ壊して入るにはまだ早いと考え、今度は隣の第二診察室とプレートに書かれたドアを同じように左手で開けようとする。しかしここも鍵がかかっている。
最後は三つの目のドア。処置室。
同様にライトを持ったままの左手の指先でドアノブを回すと、それは開いた。
キィっという音を立てながらドアを引いて開ける。
即座に銃口を正面に構え、左前腕で銃を支えながら前方をライトで照らし出す。
ライトに照らされたのは三つのベッドとカーテン、器具を乗せるワゴン。
ベッドは点滴などをする患者を寝かせるのだろうが、誰も居ない。ベッド同士の間には吊るされたカーテンがタッセルで結ってある。それ以外に目につくものはなかった。
処置室の奥はカーテンで仕切られている。隣の部屋同士を繋ぐ通路の仕切りなのだろう。
暗闇でライトの光に照らされたカーテンはまるでスクリーンのようだ。
ミノルはカーテンのスクリーンを睨みつけながら銃口を向け、ゆっくりと前進した。
そして散弾銃を引いて右手で腰だめに構え、伸ばした左手の指先でカーテンの裾を掴み、シャッと左へ押し開く。
即座に後ろに下がりながらライトで前方を照らす。
写ったのは器具の並んだ棚。脅威の姿は無い。
ミノルは油断なく左、右と通路の左右をライトで照らしながら銃口を向ける。
敵影は無い。
処置室の奥の通路の左奥は、倉庫と産業廃棄物の保管場所を示すプレートがかけられている。
目的の場所ではない。
ミノルは通路の右へと進み、すぐ隣の診察室へ向かう。
開け放たれたカーテンの先は第二診察室。
そこには医師が使う机と、簡易ベッドと椅子だけ。外敵は居ない。
続いて第一診察室。ここのカーテンも開け放たれていた。
もちろん襲撃者となる変異体は居ない。
この診察室のほうが隣の診察室よりも飾り気があり、カレンダーや器具などが揃っている。
メインに使っているのはこの診察室なのだろう。
ミノルは診察室の中をライトで照らし、電源の落ちたデスクトップのパソコンが設置されたデスク周りを観察する。
筆記体で書かれたなにかのメモなどがある程度で、役に立ちそうなものは見当たらない。
懐中電灯の光をデスクの横に動かすとキャビネットが映し出される。
そのガラスの引き戸の中には様々な書籍が並んでおり、こちらの探し求めるものと合致してそうだった。
ミノルはキャビネットの中から使えそうな書籍を引っ張り出し、診察室のデスクに広げてライトで照らしながら読んでみた。
しかし、自分の浅はかな考えに落胆した。
どの本も専門の医学書で素人には書いてある内容がまるで理解できないのだ。
あくまでも医学的な専門分野を学び、理解した者が読むために作られた内容。何の知識もないような自分では中身を理解することは困難。リコの病気を治す手立てを探す助けにはなりそうもない。
「……しかたねぇ。使えそうなもんだけかき集めて家でもう一回考えるか」
ミノルは使えそうな書籍をいくつかを、空の状態で持ってきたバックパックに押し込み、膨らませた。
第二の目標である使えそうな薬を探すべく、さらに隣の受付に向かう。
ミノルは自分の失敗で浪費した弾と時間をどうやって補おうかと思案した。
重くなったバックパックが成果につながるとは思えない。
右手に持った自動銃の銃口を下げ、左手に持ったライトで照らしながら今いる第一診察室から出るために再び通路に戻る。
その時、風を切る音が聞こえた。
直後に左腕に衝撃が走る。正面を照らしていたライトの照明が揺らめきながら手から離れて宙を舞った。
ミノルは襲われた痛みを理解するのに一瞬の間を要した。
体は反射的に衝撃の走った左腕を縮こませ、危険から逃げるために体を遠ざけようとする。それでも理性が危険に向かって銃口を向けるべく右手に力を込める。
固く閉じようとする目を気合で見開き、襲撃者に視線を向けた。
折れ曲がった棒が見える。
その棒を振り下ろしたままの姿勢で固まっている男。
ミノルは両足に力を込めて踏みとどまり、右手の自動式の散弾銃を持ち上げた。
左腕は痛むが問題なく動いた。自然と左手が銃の先台を支え、銃口が襲撃者の腹に向けられる。
襲撃者の男は動かなかった。固まったままだ。
ミノルも動かない。しかし指は引き金に添えられていた。
指をわずかに動かしただけで正面の男はこの世からいなくなるだろう。
「……この銃は本物だぜ。両手を上げて、後ろに下がれ」
「な、なにを」
「しゃべるのは後だ。武器を捨てろ。手を上げて、黙って下がれ」
男が緊張した面持ちで手にした折れ曲がった棒を床に捨て、ゆっくりと後ろに下がった。
カランと音を立てて床に捨てられたのはパターのゴルフクラブだった。
軽量に設計されたゴルフクラブは人を殴った衝撃で折れ曲がり、ただのガラクタと化している。
ミノルを攻撃してきた男は白のポロシャツに、黒のスラックスというありふれた格好をしていた。
年齢は40歳は過ぎているだろう。無精髭だらけの痩せた顔つきに太った体型。
床に転がった懐中電灯のライトの明かりで確認できた。
ミノルは男に銃口を向けながら痛みの残った左手でライトを拾い上げ、男の顔にライトの光を当てた。
眩しいLEDの光に男は目をつむりながら顔を背け、ガタガタと全身を震わせた。
「……あんたは誰だ?」 ミノルは尋ねた。
「こ、ここの医者です、う、撃たないでください!」
「い、医者ですか!? ここの!?」
「そ、そうです……」
男が医者だと知ったミノルは態度を一変させた。
ミノルは銃口を下げ、ライトの光が男の顔に当たらないように、医者の胸を照らした。
「いや、すいませんでした! 実は俺、病人がいるので困ってるんです! それでここに薬を探しに来たんです!」
「で、では、ここに強盗に来たわけでは……無いんですね……?」
「違います違います!! いや、でも薬を取りに来たんで結果的には泥棒なんですけど、危害を加えるつもりはないです」
「そうか……、あの、すみませんが、その銃って本当に、本物……ですか?」
「ああ、そうです。さっき外の銃声聞こえませんでした?」
「き、聞こえてました! あ、あの、撃たないでください」
「撃たないです! 先生こそ、本当に先生ですよね!?」
「あ、はい……、ここの医師の牧野です。運転免許証みせましょうか?」
男はそう言うとスラックスのポケットの中から財布を取り出してミノルに手渡した。
ミノルはそれを受け取ると、財布を開き、懐中電灯で身分証明書を照らした。
免許証には“牧野茂”と書かれている。牧野内科クリニックなので、医師のマキノに間違いないようだ。
「……よかった……。あの、先生はゾンビじゃないですよね?」
「私は……ゾンビだよ」
「え!?」 医師の思いもよらない返答にミノルは銃を構えて銃口を向けた。
「わー!! 待て待て!! 厳密に言えばアンデッドでゾンビだが、グールじゃないという意味だ!!」
「なンっスかそれ!?」
「何もしないし、説明するから銃をおろしてくれぇぇ!!」
闇夜の診療所にはマキノ医師の悲痛な叫びが響き渡り、彼の叫び声がエコーのように反響したのだった。




