第十二話 不安だった思い出
この生活が二日ほど続いた。
ミノルは少女のオムツを交換し、お粥やポカリ、ぬるく温めた脱脂粉乳や、ドラッグストアで集めた栄養補助食品を与え、着替えを手伝った。
その間に家事をし、足りない物資を例のドラッグストアで調達し、アパートの周囲を警備した。
ときにはオムツ交換の最中に少女が排尿してしまってベッドを汚してしまったり、与えた飲み物でむせさせて苦しい思いもさせてしまった。
ミノルは調達したモバイルバッテリーでスマホを充電してみたが、圏外となってしまい外部との連絡も情報を収集することもできず、襲撃者を掻い潜って探しだした公衆電話も試してもみたが電話はつながらなかった。
さらに車を使って馴染みの警察署に向かってみたところ、警察とは思えない連中が警察署を占拠していた。その連中が車で近づいたミノルに向かって拳銃を発砲してきたので逃げ帰った。
このときにジムニーの背中に積んだスペアタイヤに弾が命中してパンクした。
そんな状況の中で唯一の進展は車のラジオが使えたことだ。
AM放送を受信すると、現在のパンデミックについての説明と、耳を疑うような情報が流れてきた。
その内容を信じる気にはなれなかったが、もはや自衛する手段に方法も規制も無いことを理解し、セルフディフェンスへの意識を一層強くさせた。
ミノルは外出する時は常に自動銃とナイフを携帯し、常に弾も潤沢に携帯した。
しかし、あれから一切交戦はしなかった。
銃声で警察署を占拠したような連中や、変異してしまった襲撃者に狙われるのを防ぎたかったからだ。なので遭遇してもすぐに逃走した。
停電のせいでガソリンスタンドも使えなかった。
しかたがなく、放置されたり駐車場に駐車されたままの車からガソリンを盗んで給油をした。
そして毎日少女の家を訪問し、誰かが帰ってきたであろう痕跡を探してみたが、書き置きは残されたままで誰も帰ってこなかった。
戦力が欲しいと思い、協力してくれそうな人を探したが、思い当たる先はどこも不在か死体しかなかった。さらに訪れた先には襲撃者が必ずいるし、車での移動中でも襲撃者の群れと鉢合わせて追いかけられもしたので派手に動くことも控えた。
あまりいい成果が無い中、ミノルはその晩ガスコンロで炊いたご飯と、根菜とスパムの炒めものを食べて眠った。
こうして三日目の朝を迎え、減ってきた灯油を石油ストーブに給油し、暖めた大量のお湯をバケツに入れて少女が眠る寝室に運んだ。
何度と無く繰り返したオムツ交換にもだいぶ慣れ、風呂の用意はできないので代わりにどことなく血色の良くなったの少女の素肌を拭いてあげようというのがミノルの立てた今日の計画だ。
バケツに入った熱いお湯とバスタオルとタオルを寝室に運び込み、ミノルはベッドに眠る少女に声をかけた。
「おはようトシコちゃん。今日はさ、ちょっと体でも拭こうか。いやね、風呂とかシャワーのほうがいいだろうけどさ、電気使えないから用意できないのよ。代わりにさ、熱いおしぼりで体を拭いてあげるからさ、ちょいとスッキリしようぜ」
「……あの」
ポツリと、テレビでもついていればかき消されるような小さな声が発せられた。
ミノルが少女を見ると、今までの中で一番しっかりと目を見開き、どことなく感情の伝わってくる表情をしていた。
「あ、起きた? 喋れる? やったよ! 人や動物の世話も介護もしたことなんてないから不安だったんだよ。いや~。ちょっとでも元気になってくれてマジで嬉しいよ。大丈夫?
トシコちゃん、もしあれだったら先に何か飲む? ポカリ持ってこようか? それとも他のがいい?」
「あ、あの……」
「どうしたの?」
「友達を……、サトウ キミコちゃんという女の子を知りませんか?」
「いや……。悪いけど知らないな。変な男に捕まったの覚えてる? アイツを追って行った先で君を見つけただけなんだ。それ以外の人間にはまだ会ってないんだよ」
「……そう……なんですね」
「看病は友達がしてくれてたの?」
「最初は私がしてたんです……その子が良くなりかけたら今度は私がなっちゃって、治ったキミコちゃんが、今度は私の番だよって言って、ずっと側にいてくれたんです。でも、お父さんもお母さんも帰ってこないし、どこにも連絡がつかなくて……」
「そうか。ゾンビは見た? 俺も人を探したけどまともなのが全然いないんだ」
「私たちもそれで外に行けなかったんです。でもいつの間にかキミコちゃんがいなくなってて……」
「ここに来る前にさ、トシコちゃんの部屋の机に書き置き残してきたんだよ。無事だったらここに来るか、家で待ってると思うからさ、ちょこちょこ家に行って様子見てきてやるからさ。そんなにしょげるなよ」
「……はい」
「まぁ~、あれだ。とにかくよ、俺、塚本 実な? ミノルって呼んでくれていいからよ。こんな状況だからよ、トシコちゃんもさ、遠慮なんてしなくていいからな?」
「あの……」
「どうしたの?」
「あの、私の名前、トシコじゃないです」
「え……?」
「ト、トシコじゃないんです」
「え? マジで!? 俺って違う名前ずっと呼んでたの!? あの学生証って別の子の!?」
「……学生証?」
「そうだよ。君ン家の部屋の机の上にさ、学生証があったのよ。そしたらヤマダ トシコって書いてあったのよ」
「それたぶん、私の学生証ですけど、トシコじゃないんです」
「……マジで? ほら、利益の“利”に、子供の“子”で、利子でしょ?」
「く、草冠が付いてるんです」
「くさかんむり? ああ、そういや付いてたよーな気がするな」
「草冠に、利益の利で、“莉子”って読むんです……」
「あ、リコ? 山田莉子ちゃん?」
「そうです……」
「なんだよ……。早く言えよ。こちとら赤っ恥じゃねーかよ」
「だって、別の人と勘違いしてるから助けてくれてるんだったら、違うって分かったら、どうなっちゃうんだろうって考えると不安になっちゃって……」
「え? 何? いつ頃から喋れそうだったの?」
「……おとといくらいかなぁ」
「助けた次の日じゃねーかよ! 何だよ、とっとと言えよ! 馬鹿野郎! 俺ってメチャクチャカッコわりいじゃんかよ」
「ご、ごめんなさい、でも、意識がもうろうとしてたし、変な人に捕まっちゃったし、友達もどこかにいっちゃったしで、何がなんだか私にも……」
「もういーよ! とっとと体拭いて飯食おーぜ」
「で、でも、裸を見られるのは恥ずかしいですし……」
「三日もオムツ交換してたのどこの誰だよ! 馬鹿野郎! だいたいお前程度の裸に欲情するのなんざ俺は小学校で卒業してんだよ。いいから脱げよ。髪のフケとかも取ってやるからさ。汚くして病気になってもどこの誰も助けてくれねーんだからよ」
「は、はい」
その言葉に従おうとするリコが辛そうに起き上がろうとすると、ミノルは彼女を抱き起こしてベッドに座らせた。
座ったまま服を脱がせ、熱いお湯で絞ったタオルで彼女の背中を拭き、産毛のような脇毛が生えた脇の下や腰をタオルを交換しながら隅々まで拭いていった。
「おっぱい自分で拭ける?」
「ふ、拭けます」
「頭ガシガシするぞ」
リコに熱いタオルを手渡し、ミノルは同じくらい熱いタオルでリコの頭を覆って両手でガシガシと乱暴に拭き上げる。頭をクシャクシャにされた彼女は小さな声で「ひぃぃー」と悲鳴を上げたがミノルは気にする様子を見せなかった。
「おし。次は足だな。なぁ、リコちゃんって立てそう?」
「や、やってみます」
リコはベッドに座った姿勢から立ち上がろうとした。
ミノルが手を貸すと立ち上がることはできたが、足に力が入らず、片足で立ってズボンを脱ぐことはできなかった。なのでズボンを膝まで下ろし、ベッドに座ってからズボンを脱ぐとミノルに足を拭いてもらう。
全身を拭き上げて肌着もパジャマも新しいものに交換すると、ミノルは風呂場にバケツや洗濯物を運んだ。そして戻ってくると手には栄養補助食品のゼリーと温かなお粥、そしてリコには見慣れない派手なデザインの何かをミノルは持ってきた。
「おい、リコちゃん。ちょっとは栄養取ったほうがいいからさ、これも飲めよ」
ミノルはそう言って派手な包装のパッケージを手に掴んでみせた。
「……なんですかそれ」
「プロテイン」
「ぷ、プロテインって、ムキムキの人が飲むものですよね」
「ちげーよ。タンパク質のことを英語でプロテインって言うんだよ。まともな肉も魚もねーからさ、これ飲んで筋肉つけて早く元気になれよ。おからとか、きなこも常備してるからよ、元気になれるようにそういうのも作って食べさせてやるからな」
「あ、ありがとうございます……?」
リコは感謝することに少々の戸惑いは感じたが、乱暴な口調とは裏腹に優しいミノルに信頼感を持つようになっていた。
そのミノルが食べ物を持ってきたのでリコはベッド上で体を起こし、手渡された栄養補助ゼリーをスプーンでちびちびと食べ始める。とても美味しいという味では無かったが、我慢して食べることはできる味だった。
その間にミノルは用意したプロテインシェーカーの中に水をいれ、そこにプロテインと脱脂粉乳を投入して蓋をしてから豪快に振り始めた。
さらに別のシェーカーを用意したミノルは、その中にも水を入れ、そして何やら緑色の粉末を投入し、これもまた豪快に上下に振りまくった。
今までの心優しい労りの病人食から一変し、何やら自分の知らないスパルタ系の脳筋食に変わってしまったことにリコは戸惑いを隠しきれなくなっていった。
「よしできたぞ。固形物は食べるの大変だろうし、まともな食材を手に入れるのも難しいからこの辺なんてきっと体にいいぞ」
そう言ってミノルが手渡したのは、白い液体がなみなみと入ったシェーカーと、緑色い液体がたっぷり入ったシェーカーだった。
不思議なことに、どちらも液体と同じ色のビールのような泡が立っている。
「……あの、これなんですか」
「白いのはプロテイン。緑は青汁だよ」
「……なんで泡立ってるんですか」
「こういうもんなんだよ」
「こういう……ものなんですか?」
「こういうもんなんだよ。テレビのコマーシャルとかでも見たことあるだろ?」
「テレビのはこんなにカプチーノみたいに泡は立ってなかったです」
「そりゃあお前、テレビなんてのは視聴者の受けが悪くなるような都合の悪い部分は編集でカットするんだよ。カット。これがホンマモンよ。
まぁ、俺はコスパ重視だからさ、値段の高いブランド品じゃねーのは確かだよ。
誤魔化すつもりはねーけどよ。でもな、俺はこれのおかげで、あいつらみてーなゾンビにならずに済んだんだよ。ほら俺を見ろよ。俺だってお前と同じようにクソ漏らして倒れてたのに、今はこうしてピンピンしてるだろ? なんでか分かるか? これがプロテインだよ」
「そ、そうなんですか?」
「そうだよ。ほら、グビッといっちまえよ!」
ミノルのその勢いに乗せられたリコは断るわけにもいかずに泡立った白い液体の入ったシェーカーに口をつけ、くぴくぴと飲みだした。
最初は泡ばかりが口の中に入ってきたが、それを過ぎると脱脂粉乳と混ざったプロテインが口の中に入ってくる。一口目に感じたほのかな甘さに予想外の飲みやすさを感じたリコは、そのまま飲もうとシェーカーを傾ける角度を上げたがその直後にリコは突然むせ始めた。
「っげっほ! ゴホ、ゴッホ! けっほ!」
「ど、どうしたよ。大丈夫か? 一気に飲まなくたっていいんだよ」
「げっほ、げほけっほ! あ、あの、味はいいんですけど……けっほン! なんかうまく飲み込めなくて、それにこれなんか粉っぽくて」
「ああ、それ水が冷たいと溶けが悪いんだよ。もうちょい振ってから飲めばいいさ。でもよ、うまいべ? 牛乳と混ぜると美味いけど脂質が高くなるから脱脂粉乳混ぜたらよ、すっきり甘くて飲みやすくなるんだよ。粘度も増えるから飲みにくくはないと思ったんだけどな……」
「そ、そうなんですね……」
「よし、なら次、これいけよ」
「あ、青汁ですか。これって美味しいんですか……?」
「不味くはねーよ。美味いとは言わねーけどな。でもよ、野菜を柔らかく煮炊きするのは今は少しめんどいからよ。とりあえずこれで食物繊維とかビタミンとれよ。栄養取らなきゃ治るもんも治らねーぞ?」
「は、はい……」
リコは気のない返事をすると、今度は緑色の泡がモコモコと立った液体が入ったシェーカーを手にし、ゆっくりと口につけた。
おずおずと容器を傾けて飲み始めたが、これも途端にむせてしまった。
「ごっほ! ケホ、けっほ、げっほ!」
「おいおい、大丈夫か? ……なんかずっと何食べても飲んでも咳が出ちまうな。昔からそうなのか?」
「そんなことはないんですけど……」
「残ったのはいいから置いとけよ。お粥食べるか?」
「いえ、大丈夫です……。っけっほ、ゲホ……すいません、久しぶりに喋ったせいか疲れちゃって……。少し寝てもいいですか?」
「おう。寝ろ寝ろ。もしもトイレに行けそうだったらトイレまで連れてってやるから言えよ?」
「はい」
リコは素直に返事をすると横になり、静かに目を閉じた。ミノルもそれに合わせるように部屋から出るとダイニングに行き、椅子に座って飲み残されたプロテインと青汁を飲み、使った洗濯物を洗うために風呂場に移動した。
彼はタライと洗濯板を持っていたので、それを使ってタオルや着替えを洗い、手で絞ってから浴室やダイニングに洗濯物を干した。
狩猟で汚れて洗濯機にそのまま入れられない物を洗うのにも慣れていたので、手早くその仕事も終わらせてしまった。彼にとっては洗濯機が無くとも不便ではあるが、困ることはない。
家事を終えると食事の準備だけし、銃を持ってアパートの周辺の見回りに向かった。
自宅の鍵を閉めると誰もいなくなったアパートの二階へ向かい、二階の屋外通路から周辺を見渡して警備をした。
彼の自宅のアパートは山に近く、高台にあった。周囲の家も一軒家が多く、高齢者も多い。
そのためこの近辺には徘徊している襲撃者は少なかった。しかし少し町に近づこうものなら道路も住宅地にも襲撃者たちは群れをなして徘徊していた。
まるでテリトリーを見回る猿や犬のようなその様子に、ミノルは恐怖という感情に支配された。
なので常に戦わず、逃げ、やり過ごすことが最善であると考えていた。
自宅の周囲にまだ危険が迫っていないと判断するとミノルは家の中に戻った。
部屋に戻ると眠っているリコに配慮しながら筋トレをし、所持している刃物と銃器の点検をして油をさす。椅子に座ってから休憩を取ると、今度は準備をしていた昼食を作り始める。
冷蔵庫が使えないので調達した保存食がメインとなるが、リコのためにお粥だけはその都度作り直した。
背が低く、華奢な子供体型のリコが気に入らないミノルは、少しでも肉をつけさせようとコンビーフと根菜のスープに片栗粉でとろみを付けて飲ませようと画策しながら料理した。
出来上がった料理を持ってリコの眠る寝室に行くと、彼女を起こすためにミノルは声をかける。
「リコちゃんよ、ご飯だけど起きれるかい?」
「ン……ンー、ン゛ーん」
リコの何やら苦しそうなうめき声だけが聞こえ、返事らしい返事はもらえなかった。
ミノルは食事を乗せたトレーを机に置き、リコの枕元に近づく。
「どうしたい? なんかつらいのか?」
「あ、あ、あの、塚本さん」
「ミノルでいいよ。そっちの名字は慣れてないんだ」
「み、ミノルさん、胸が苦しいンです……痛いんです」
「マジかよ? おい、大丈夫か?」
「わかんない……胸の中が痛くて、苦しい」
「……飯はいいから休もうぜ。起き抜けに裸にひん剥いた俺が悪かったんだよ。ごめんな」
「違うの、そんなんじゃないの……息苦しいの」
「悪いけど医者がいないんだ。しばらく側にいてやるからな。……なんかして欲しいことないか?」
「……ないです……、ねぇ、なんで名字が駄目なんですか?」
「あ? 俺の? 塚本ってのは俺の母親の名字でよ、高校ん時に離婚して変わったからさ。高校じゃ前の名字で通ってたし、ほとんど名前で呼ぼれてたからさ、俺がしっくりこないんだよ」
「……離婚しちゃったんですか」
「ああ。俺にも妹がいてよ、妹は母さんと一緒に実家のある福岡に行っちまったけどよ、俺は残って高校卒業してから就職したんだよ。親父はトラックの運転であっちこっちって感じ」
「妹さんいるんですか」
「ああ。今は高校だよ。年はリコちゃんより四つくらい上かな? 連絡取れないから無事かどうかも分かんねーけどよ」
「へー、ゲッホ! けほ、ゴホ……」
「そんな無理して喋ろうとすんなよ。胸まだ痛いんだろ」
「痛くて、苦しいです……」
「使えそうな薬を探してくるから寝てろ」
ミノルはそう言い残すと寝室を出てダイニングに移動した。
棚の中を漁り、薬箱を出して手持ちの薬を調べる。しかし彼の持っているのは一般的な風邪薬、消毒液に胃薬など。かろうじて見つけた痛み止めの薬も、箱に書かれた使用期限を確認すると日付がとっくに過ぎていて使えるものでは無かった。
彼に医学的な知識はないのでどうすれいいのか分からず、なにもないよりマシだろうと風邪薬を持って部屋に戻った。
つらそうな表情で胸を抑えるリコを起こし、ミノルはなんとか風邪薬を与えたが治るわけが無かった。つらそうな姿のまま時間だけが過ぎ、日が沈んだ頃には熱まで出始めてしまった。
体と額の熱を手で感じたミノルは体温計でリコを検温し、38℃を超えた発熱に危機感を覚えた。
なんとか水分を取らせようと試みるが、咳を繰り返してほとんど飲むこともできない。胸の痛みと苦しそうな呼吸と表情。
わずかばかりの食事と水分と風邪薬を服用したが、一向に下がらない熱は日をまたいでも変化が見られない。
冷たい水道の水で冷やしたタオルで額を冷やし続けても変わらない。
そのまま何もできず、発熱してから二日経ち、夜になってしまった。
せっかく助けた人間が今、自分の前から消え去る可能性がある。
その現実から抗うために彼は動き出した。
インターネットが使えない状況、電話も使えない状況では、調べる事も助けを呼ぶ事もできない。
外は恐ろしい変異体という襲撃者であふれかえっている。
ミノルはリコの身に危険が起きないように戸締まりを厳重に行ってから武装をし、リコを一人置いて家を出た。
ドラッグストアでは、どの薬で何をすればいいのか分からない。
図書館に行っても調べるのに時間がかかるし、襲撃者にリンチにされるだろう。
物資の調達と、調べ物を同時に行える条件を満たす場所を探す必要がある。
ミノルは一つ候補を決めていた。
病院だ。自分が診察に行った時にも医師が資料を手にして患者である自分に病気を紹介しながら診察をしてくれたことがあるし、本棚に並んでいるのも見たことがある。その上、薬だって専門的なものが常備されている。
危険があるのは道中。大きな病院は人が多い分それだけ危険性も高いが、最寄りの小さな診療所ならば危険性も少ない。
ミノルはそう結論づけると荷物を持って車に乗り、一番近くの内科の診療所に向けて走り出した。
真っ暗な町の中を走り、ヘッドライトが車道に放置された車や自転車を照らし出す。
車で走り出してものの五分も経たずにミノルは目的地の周辺に到着した。
脇道に入ると目的の診療所に向かうために、さらに道を曲がろうとした。
けれどもミノルは道路を曲がった直後に急ブレーキを踏んだ。
診療所に行くための道路に上に何かがあったのだ。その全貌を車のヘッドライトで照らすために車をバックさせると、その障害物が乗用車だと分かった。
乗用車は三台、互い違いに道路の真ん中に駐車され、まるで道路を封鎖するバリケードのように停められていた。
近くにいる生存者が襲撃者の進攻を阻止するために作ったものだと予想できるが、それは同時に縄張りの意思表示でもある。
自分の仲間以外の侵入を拒むということは、ミノルの侵入も拒絶するということだ。
目的の診療所まではここからおよそ300メートル。
道路沿いに歩けば数分で着く。
だがその間に変異体の襲撃者に見つかれば襲われる可能性がある。
もちろん、変異していない生存者という襲撃者からもだ。
ミノルは運転席に座ったまま、武装した衣類の上から射撃用ベストを羽織り、さらにメッセンジャーバッグも肩から掛ける。
ベルトに取り付けた腰の弾丸ポーチの中にはスラッグ弾を10発押し込み、射撃ベストの左右のポケットの中に入れられるだけの弾を入れる。
さらにメッセンジャーバッグの中にも弾を二箱。そして空のバックパックを背負う。銃は持ってきた負い紐をつけたレミントンの自動式散弾銃が一丁。さらにベルトの刃物が二本。
右耳にだけ耳栓を詰め、左手にはフルカバーのグローブをはめ、右手には指ぬきされたグローブをはめている。
ミノルは車をいつでも発進させられる場所に停車させ、厳重な武装を確認してから銃に弾を三発装填させてから車を降りた。
道路を全面封鎖させている乗用車の脇をすり抜け、暗くなってしまった夜道を歩く。
月夜の明かりでも道路は視認できるので、懐中電灯の光で位置を気取られないようにライトはつけず、無言のまま慎重にミノルは足を進めた。
道路は住宅街の中を通っており、目的の診療所までは家に囲まれる。隠れる場所も多いので、敵がどこから現れるのか分からない。
薄暗い駐車場の陰、家の庭の中、道路に面した玄関。ミノルはそれらを一つずつチェックしながら進んだ。300メートルの道のりが3キロメートルはあるかのように長い道のりに感じた。
引き金には指をかけずに、銃把を握った人差し指で前方を指差すようにしてミノルは銃を構え、前に進み、周囲をチェックし、安全確認をしてから再び前に進むという行動を繰り返した。
三分の一程度まで前進したときだった。ミノルが銃を構えたまま、カーポートのある民家の駐車場から何かの音を感じた。右手側、二時の方向。ミノルは素早く銃を構えたまま音の発生源に向かって銃口を向けると、相手もミノルの気配を感じたのか声を発した
「ア、あ゛~~……はアあ゛あ゛あ゛」
変異体の襲撃者だ。
獲物が来るのを待ち構えていたのだろうか。状況を理解できずとも獲物に向かって突き進む本能に体を動かされているかのように、ミノルを狙いすまして足を動かし始めた。
ミノルは銃を下ろし、左腰に差したアウドドアナイフを手にした。それを右手に持ち替えると、襲撃者に向かって力強く投擲した。
薄暗い闇の中で消えるように人影に吸い込まれたナイフは襲撃者にゴツンと当たり、カランと音を立てて地面に転がった。投げたナイフは刃ではなく、柄が相手に当たり、刺さることなく役目を終えてしまった。
「……映画みてーにはいかないか」
ミノルは銃を構え直すとその場から診療所に向けて走り去った。
まだ一体。逃げる切れるという可能性を考えたのだが、その考えは失敗に終わった。
「あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛ーーーーー!!!」
突然、背後のナイフ投げに失敗した襲撃者が雄叫びのような唸り声を叫んだ。
大きな声とまではいかないが、冬の静かな夜では十分に周囲に響き渡る遠吠えのような唸り声だった。
すると、まるでそれに呼応するかのようにあちこちからうめき声があふれ、ミノルは自分が取り囲まれていることを理解した。
「……叫んで仲間を呼ぶのかよ。まるで野獣だぜ」
ミノルは走るのを止めた。
奥へ進めば進むほど囲まれ、数の暴力で押されればたとえ銃火器を保有していても多勢に無勢となることは予想できる。
ミノルは振り返り、体に染み付きつつある一連の動作で射撃姿勢を取り、叫んだ襲撃者に向かって銃口を向けて躊躇なく発砲した。
ダンダン、ダン!と、撃ち慣れた姿勢で相手の胸部に狙いをすまして三連射させると、散弾が命中して胸部と頭部から爆発したかのように血しぶきが飛ぶ。生身の人間では耐えることのできない攻撃が襲撃者に浴びせられたのだ。
撃たれた襲撃者が地面に倒れ込む前に、ミノルは前に歩きながら次弾を装填していた。
ベストの右ポケットから弾を取り出し、機関部の底のキャリアに弾頭を前にして弾倉へ押し込む。歩きながら二発弾倉へ押し込むと、コッキングレバーを引いて薬室へ実包を装填し、再び銃を構えて弾倉へ一発押し込む。
三発の実包が再装填されるとミノルはもと来た道を引き返し、走った。
走っていると家の中、庭先、家の影など、どこからともなく数人の襲撃者が登場し、道路に飛び出てくる。
その内の二体の襲撃者が走り抜けたい道路のルート上に立ちふさがると、ミノルは立ち止まり、ドン! ドン! と、それぞれの胸に目がけて一発ずつ発砲した。
撃たれた襲撃者は近い方が後ろにのけぞるように倒れ、遠い方はたたらを踏んで崩れ落ちそうになるが踏みとどまった。
ミノルは散弾銃を頬付けして構えた状態のまま前進を再開した。歩きながらも銃口は前に向け、慣れない手付きで機関部の底のキャリアから弾倉へ二発装弾した。
そして踏みとどまった襲撃者に向かってもう一度発砲した。
前進しながら装弾し、発砲したので先程よりも距離はグッは近い。
円錐状に広がる散弾は大きく散らばる前に踏みとどまった襲撃者の頭部へ吸い込まれるように命中し、襲撃者は顔面を吹き飛ばされたかのようにノックバックさせ、首が折れるほど勢いよく後ろに倒れた。
二つの障害物を排除したミノルの心臓は今まで経験したことの無いような早い動悸に襲われていた。
ここまで興奮し、緊張したのは初めて鉄砲で獲物を撃った直後だった気がするが、そのような思い出にふける余裕はミノルには無く、彼は銃を構えながら黙って弾倉に一発補充した。
続いての襲撃者も前方から迫りくるが、直線状にはいない。スポーツの球技でボールを抱えたプレイヤーのように、迫る襲撃者をかわし、いなし、抜き去ってミノルは走り抜けた。
一度彼らのテリトリーを脱してしまうと、道路には障害物は登場しなくなる。
ミノルはそのまま走り続け、とうとう道路を封鎖している三台の乗用車のバリケードの前にたどり着いた。
彼はそこで後ろに振り返り、バリケードの乗用車を背にして立ち止まった。
ポケットの中からライトを取り出し、ライトを点灯させて自分の正面の道路の先を照らしながら、その手にしたライトをアスファルトの地面に置く。
わずかな光源ではあるが、相手を照らすささやかな助力が心強い。
月夜は暗く、星明かりでは離れた相手がかすかな影のような姿でしか人の目では捉えることができない。それでもミノルは道路の直線状に全ての影、全ての襲撃者が現れる状況を作り出した。
彼らは障害物の無い平坦な道路を使い、まっすぐに獲物に向かってくる。
眼の前。薄暗い道路上の動くものは全てが敵であり、的なのだ。
自動式の散弾銃を構え、銃床に頬付けすると、銃把を握りしめつつ引き金にそっと指を添える。
そこからは銃声だけがこの地域を支配した。
二十人を超える襲撃者の群れ。ミノルは距離が近い順、複数で固まった順にと、次から次に迫りくる敵影へ向けて発砲した。
遊底の無用な操作を控えるために二発撃てば弾倉に実包を補充し、時には三連射せざる得ないときがあれば怯まず薬室へ一発装填してから弾倉へ二発装弾した。
彼は銃を構えた姿勢で弾を装填する方法を訓練したことなどなかった。
射撃場で銃を構えたまま装填することなどあり得ない。
狩猟でもそんな機会はほとんどない。
銃とは静止した姿勢で使用し、銃口を安全な方向に向けてから弾を給弾し、撃つ直前なってから装填し、目標に銃口を向け、引き金に指をかけてから発砲するのだ。
構えながら再装填する行為は興味本位でしたことはあるが、軍人などの特別な訓練を受けた職業の人間と比べると、ミノルは稚拙な動作だった。
確実性を優先した彼は、射撃場と同じようにその場から動かず、迫りくる影を正確に撃ち抜き、安全に、確実に撃ち続けられる環境下の中で戦い続けた。
距離が近ければ当てやすい下半身に向けてズドンと撃ち込み、倒れたところへ追撃の二発目をお見舞いする。
程よい距離ならば一番当てやすい胸に狙いをつけて二連射し、後ろに吹き飛ぶように倒れる相手を見ながら弾倉に二発の弾を装弾した。
遠い影ならば散弾の威力が減退することを考えて数少ないスラッグ弾を装填し、震えるフロントサイトの照星と相手が重なるタイミングを合わせて発砲した。
何度目ともなる弾の撃ち切り。ミノルは次弾を装填するべく射撃ベストの右ポケットに手を入れたが、何も掴めなかった。
右ポケットの散弾が尽きたのだ。
ミノルは右手で左のポケットから弾を抜き取り装填させると、敵との距離を推測し、襲われるまでまだ猶予があると判断した。
そこでミノルは銃を右手に持ち替え、左手で左ポケットに手を入れ、銃を前方に構えたまま残った弾を全て左手で右のポケットに移し替える。
この時になって彼は初めて自分が酷い息切れをしたかのような荒い呼吸をしていることに気がついた。
ミノルは左手に掴んだ弾を全て右ポケットに移し替えると、今度は左手でメッセンジャーバッグの中の弾の箱を片手で開封した。さらにバッグの口を開けたまま肩掛けベルトをずらしてバッグをスライドさせ、バッグを背後からが腹部に位置させる。
するとバッグは右手が届く位置になり、中の弾を右手で掴むことができる。これで全ての残弾が右手の届く範囲に集められた。
ミノルの正面には、倒れた襲撃者が生死を問わず累々と横たわり、それらが後続の襲撃者の進攻を阻害する障害物となっていた。
相手が詰められない距離はミノルの心に余裕を生み、有利な状況を配慮する思考と、周囲を見渡して警戒するゆとりをもたらしてくれた。
大丈夫だ。このまま押し切れる。
ミノルの直感が叫ぶ。
右手で構えていた散弾銃を両手で構え直し、再び銃床に頬付けする。
アスファルトの地面に置かれたライトは地面で蠢く倒れた襲撃者を照らし続けた。
地面を這ってこちらににじり寄ろうとした不届き者に向かってミノルは銃口を向けると、ドン! と一発撃ち込み、即座に弾倉に弾を補充する。
弾は発射すれば自動的に次弾が遊底に装填される。そのために弾倉の弾を切らさないように装填しながら撃ち続けた。
視界に影が現れると、徐々に感覚で掴めてきた効果的な有効射程距離に相手が近づくタイミングで引き金を引く。破裂音と爆ぜる音。そしてグチャリと倒れる音と新たなる足音と影。
左右と背後にも時折目配せするが影はない。闇雲に正面から強行突破を試みる襲撃者の群れ。
ミノルは機械的に撃ち続けた。
その銃声は鳴り止むことはなく、彼はとっくに50発を超える弾を襲撃者の群れに撃ち込んだ。
絶え間ない発砲音と硝煙の香りと血の匂いだけがこの世界の状況を示している。
射撃ベストの両ポケットの弾を撃ちきり、メッセンジャーバッグの中の弾も残りわずかとなったとき、彼は引き金から指を離した。
目の前に立っている者がいなくなった。
まだ生きている者はいる。けれども立って歩く者がいなくなった。
ミノルはアスファルトに散らばったプラスチックの空薬莢を蹴り飛ばしながらその場から離れ、すぐ近くの自分のジムニーに向かって走った。
ミノルは運転席に乗り込むとキーを挿して車を動かし、乗用車のバリケードの隙間からヘッドライトで自分が戦っていた主戦場を照らした。
乗用車が邪魔して満足できるほどの光源とはならなかったが、車の明るいライトは地面に倒れてもなお生き残る襲撃者たちを照らし出すだけの仕事をしてくれた。
ミノルは助手席に乗せたコンテナの中から弾を取り出して射撃ベストとバッグの中に弾を補充すると、同じく助手席に転がしていた鉄パイプを手にとって車から降りた。
弾倉に弾が二発だけ入れられた自動銃を負い紐を使って背負い、右手に鉄パイプを握って車のライトが照らす掃き溜めの処理現場へと向かう。
そこには変異前は人並みの幸せを送っていたであろう人々が、変わり果てた姿で魑魅魍魎のように這い回る光景が広がっていた。
息絶えている者もいるが大半は体中から血を流し、逃げるという行為すらも分からずに、穴だらけの体を引きずって今もなお獲物を求めて這い回り、亡者になることもできず、許されない。
まさにアンデッド。
ミノルは空薬莢の散乱する地面で光る自分が地面に転がしたライトを左手で拾うと、左手の懐中電灯と車のライトが照らす明かりを頼りに地面を這い回る者たちの供養を開始した。
一つずつ鉄パイプで頭を叩き潰す。
目が見えるも者は、ライトで照らすミノルを見上げ、彼を食べようと口を大きく開く。
目の見ない者は、音や気配でミノルのいるところへ手を伸ばす。
それらに掴まれないように注意しながら、手を一つずつ叩き潰し、頭を一つずつかち割るという供養の作業をミノルは一人、また一人と進めていく。
その中には立って歩くことはできなくても、元気に這ってミノルに襲いかかろうとする襲撃者もいた。
ミノルは遊底のレバーを引いて、装弾していたスラッグ弾を薬室へ装填し、頭部に銃口を向けて引き金を引いた。
それから数発の銃声が鳴り止んだ頃にはミノル以外に動く影はなくなる。
ミノルは車に戻って車をバックさせて元の位置に駐車させ、血まみれの鉄パイプをボロ布で拭ってから助手席に転がした。
そのまま運転席に座ると大きく息を吐いてからエンジンを切り、額の汗をぬぐって目をつむった。
大きく呼吸を繰り返し、今度はゆっくりとした深呼吸と呼吸を止める動作をゆっくり繰り返す。
時間にして1~2分。ミノルは深呼吸をやめて目を見開く。
自分の呼吸状態はマシになった。
手を見ると震えている。足も。怖いのだ。
自分の抱える不安を少しでも拭い去るために、助手席のバッグの中から弾を取り出し、射撃ベストのポケットの中に弾を補充し、腰のポーチの中にも予備を押し込む。
「鉛弾ならいくらでもあるぞ。簡単なゲームさ。バイオ好きだろ、ミノル君よ?」
ミノルは自分にそう問いかけてから運転席から降りた。
そして乗用車のバリケードを徒歩ですり抜けると、掃討した襲撃者の死体を避けながらミノルは目的地の診療所を目指して歩き始めた。




