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UNDEAD HUNTER  作者: Navajo
第一章 招かれた世界
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第一話 新世界の入り口


 本日はご来場いただき誠にありがとうございます。


 開演に先立ちましてご来場のお客様にお願い申しあげます。


 お席での飲食は自由となっております。

 おタバコにつきましては周りのご迷惑にならないように節度を持ってお楽しみください。


 タッチパネル、またはモニター画面などをご覧になる際には部屋を明るくして

 目を近づけすぎないようにご覧いただきますようお願いいたします。


 また、当作品はフィクションとなっております。

 架空の創作物となっておりますので、あらかじめご理解の上お楽しみください。

 

 まもなく開演でございます。どうぞごゆっくりお楽しみください。

 


 すでに冬が訪れていた。

 

 年季の入ったジムニーの暖房をつけてデフロスターを稼働させなければフロントガラスが白いモヤで覆われてしまい、道路照明の少ない夜中の山の道路がライトで照らしていてもほとんど見えなくなってしまう。

 

 少しばかり高い標高は、車の窓を開けて走らせてくれるほど気持ちのいい外気が入るわけもなく、冷蔵庫のように冷たくなった車の中で中古車特有の陰気臭いニオイを吐き出す暖房を使うしか無い。こんな暖房でも出力最大で暖を取りつつ霜を払って家路を急ぐしかなかった。

 

 もうこれで何人目の欠勤だろうか。

 

 繁忙期をとうに過ぎて忙しくもない時期なのに連日連夜の残業と、休日出勤を繰り返していた。

 

 普通の体調不良程度なら薬を飲みながら働く。何しろ日給月給で休めば休むだけ損をする仕事なのだから。なのに体調不良の欠勤者が増え続ける。

 

 先輩も後輩も主任も休み。残ったメンツと、他の会社のグループとでお互いに協力しあいながら仕事をしている日々が続いた。

 

 人が減るにつれて仕事も減っているのでやりくりはできているが、届いた品物を放置するわけも行かないので、結局残って仕事をし続けている。

 

 最悪なのが、最近は特に無断欠勤まで多い。しかも納品や荷受けに来るドライバーが来ないことまで増えてきた。

 

 

 「マジで最悪だぜ」

 

 

 彼はそうつぶやくと苛立つような表情を浮かべたままハンドルを握ってアクセルを吹かした。

 

 加速しながらカーブを曲がると車体がきしみ、高い車高を支えるサスペンションが沈みながらも急な左カーブを軽快に曲がった。

 

 そして緩やかな上り坂を走り続けながら、彼はFMラジオのダイヤルを回してスイッチを入れる。

 

 設定していたNHKが流れだすと、臨時ニュースが放送されていた。ここ数日で急激に増加している体調不良者のニュースが流れている。

 

 原因はまだ分かっていないが、不用意な外出や人混みには行かないようにとの注意が喚起され、さらには不確かな情報は信用しないで欲しいという呼びかけが強く繰り返された。

 

 ニュースでは、悪化すると意識消失するとの説明がアナウンスされ、体調が悪化しそうだと思ったら外出せずに自宅で自主的な隔離対応をするようにとの呼びかけが行われた。

 

 

 「どうなってやがんだよ。……マジでよ」

 

 

 不安な気持ちに襲われた。

 

 ニュースの内容にではない。

 

 今、彼もまた倦怠感と微妙なめまいを感じているのだ。

 

 残業と休日出勤のせいで疲れただけだと自分を奮い立たせ、山道を走り続けていく。

 

 ほどなく通勤に利用している山を越えて下山すると、市街地まで整備された道路に合流した。

 

 いつものコースを走りつつも、ラジオのニュースを聞きながら最悪のケースを想定しなければならないと考え始める。

 

 彼は自宅のすぐ近くにある道路沿いの大型ドラッグストアの駐車場に入り、車を停めて買い物をするために入店した。

 

 一人暮らしでは誰にも頼れない。頼める相手はいるが、万が一のこともある。

 

 なのでポカリ、携帯食、栄養ドリンク、カップ麺などを大量に買い込んだ。

 

 ついでに普段使う備蓄品の予備などもまとめて買い込み、会計を済ませた商品を買い物カートごと車まで運んで後部座席を倒したトランクへ、箱買いした商品をまとめて積み込んだ。

 

 彼は買い物を終えてから車に乗り込むと寒さに気がついた。エンジンをつけると暖房を最大出力のまま稼働させてサイドブレーキを下ろし、駐車場から発進する。

 

 途中の信号で停止すると、悪寒を感じた。

 

 この時、彼は初めて気温が低いのではなく、自分が感じている寒気なのだと自覚した。

 

 

 (……ヤベーな)

 

 

 自分に起こり始めている事態に気づいた。

 

 信号で車を停止させると、彼は寒さを和らげようと後部座席に常備している道具箱の上にカバー代わりに被せていた真冬用のアウトドアジャケットを掴み、赤信号がまだ続いていることを確認しながら上から羽織った。

 

 シートベルトを付け直している最中に信号は青へと変わり、事故を起こさないように細心の注意を払って運転を続けた。

 

 なんとかアパートまで帰還すると駐車場に車を停め、降りるとトランクから買い込んだ荷物を一階の自室まで順番に運ぶ。

 

 最初にアパートのドアを開け、その後は数回の往復で買いだめた商品を玄関に積み重ねる。

 

 最後の荷物を積み重ねた頃にはもうフラフラになっていた。

 

 普段ならなんてことのない作業で、小学生でもできそうな労働であるにもかかわらず頭と体がついていけない。

 

 もうすでに立っているのも辛かった。

 

 とても寒い。

 

 羽織ったアウトドアジャケットのジッパーを最上部まで引き上げた。

 

 気持ちも悪い。

 

 吐き気は無いが、二日酔いよりも酷い。なのに頭は軽く感じる。むしろ感覚が無い。

 

 彼は急激な体調の変化に気持ちと意識が追いつけず、玄関に座り込んでしまった。

 

 車のトランクをまだ閉めていない。せめて車の鍵をかけ、着替えてベッドに横にならなければならない。

 

 そしてすぐに会社へ体調不良の電話をする必要がある。

 

 自分に必要な行動が脳裏を駆け巡るが、立ち上がることができない。

 

 寒い。血の気が引いていく。

 

 血圧が急激に低下しているのを感じる。

 

 彼は少し休んでから車の鍵を閉めようと考え、やっとの思いで腰を上げ、玄関の扉を閉める。

 

 ドアノブに手をかけ、力無い手をかぶせるようにしてドアを引くと、ドアクローザーの機能でゆっくりとドアが閉まっていく。

 

 ドアが閉まる動きを確認した途端、彼の膝が折れた。

 

 尻もちをつくように玄関に再び座り込み、そのまま後ろにのけぞるように倒れてしまった。

 

 同時に手にしていた革のキーホルダーが手から滑り落ちる。

 

 キーンという音が耳の中にこだますのを感じる。

 

 小刻みに体を震わせ、彼の意識は消失してしまった。

 

 静かに、そしてかすれていく彼の呼吸する音だけが玄関に響く。そして彼が閉めようとした玄関のドアが、カチャッという音を立てて閉まった。

 

 けれどもドアのラッチはきちんと閉まっていない。

 

 半ドアの状態だ。

 

 ドアの隙間風の音以外はもう何も聞こえない。

 

 闇の世界が始まった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 “UNDEAD HUNTER”

 

 

 

 

 

 

 

 

 意識を取り戻したのはいつだっただろうか。

 

 体調が悪くなって寝込み、部屋においていたスポーツ飲料やお茶を飲みながら寝た記憶はあるが、それからの記憶がおぼろげにも男には思い出せなかった。

 

 深い深い、そして長い長いまどろみの中から意識がゆっくりと覚醒したとき、男は目を開きたくても開けなかった。

 

 手も動かしたくても思うようにうまく動かせなかった。ただ途方も無い不快感と異臭、そして倦怠感を感じて自分が衰弱しきっていることを自覚した。

 

 何がどうなってしまったのだろうか。

 

 口の違和感をまず解消しようとすると、口の周りがガビガビになっており、ゴミのようなものが口腔内にへばりつき、喉がカラカラに乾いていることを知った。

 

 男は右側臥位の姿勢で咳き込み、咀嚼する動きをしながら唾液の分泌を促しながら口の中のものを少しずつ吐き出した。

 

 そして感覚の戻ってきた舌で口腔内を舐めながら、吐き出したものが全て自分の吐瀉物の残骸であったことに気がついた。

 

 鼻の中も鼻水などの体液と吐瀉物の一部が残っていた。鼻から空気を吸うために呼吸をすると喉まで残骸を吸い込んでしまいむせてしまった。

 

 そしてむせると肺が痛かった。殴られたような痛みとキリキリした痛みが出る。

 

 ゆっくりではあるが反射的に手が顔を覆った。咳とともにズキズキとした喉の痛みもある。

 

 男は手で口を覆って咳き込み、むせ続ける。

 

 次第に落ち着いてくると肩を動かしながら大きく呼吸をする。ゼイゼイとした荒い喘鳴だが、問題なく呼吸はできるようになった。

 

 やがて手に触れる感触に気がつく。自分の口の周りが大量の吐瀉物で汚れており、布団を汚し尽くして顔もグシャグシャにしたまま乾き、張り付いていたのだった。

 

 目は涙や汗が乾き、目ヤニがまつげを覆ってまぶたを溶接したように固まってしまっている。

 

 男はボリボリと掻くようにして目をこすって目ヤニを取ると、微力な力で徐々にではあるが目を開いた。

 

 カーテンが閉められた自分の部屋が、薄ぼんやりと見えた。

 

 床には飲んでいたペットボトルが散乱しており、自分は自身が吐き出した汚物の中に顔をうずめるようにして寝ていたことを理解した。

 

 吐瀉物などの体液は全て乾ききっており、顔の右側面は腐敗臭の中に埋もれている。

 

 けれでもそれについての嫌悪感は湧いてこない。そんな力も、元気も無い。

 そんなことはどうでもいい。ただ、口の中の不快感を少しでも和らげたかった。

 

 男は寝た姿勢のまま床に転がるペットボトルへとなんとか手を伸ばし、スポーツ飲料を手に取った。そしてゆるく閉められた栓のボトルを片手で開けようとした。しかし開かない。

 

 右手も使いたいが、右を向いて寝ている。右側臥位の姿勢では右手が体の下敷きになっていたので動かせない。

 

 右手があるのか無いのかすらわからないような感覚のままで男は真上を向こうとした。

 仰向けの姿勢になるためには自分の顔をゲロのセメントから引き剥がす必要がある。

 

 しかし首の力だけでは顔を引き剥がすことができなかった。そこまで体力が落ちている。

 

 肩の関節がまるできしむような感覚を感じたが、男は左手に持ったペットボトルごと左手を体の反対側へと大きく回した。

 

 さらに腰から背中まで、そして今まで動かさなかった足も動かしながらゆっくりと体を動かし、腰を支点にするようにしてゴロリと仰臥位を取る。すると、バリバリとかさぶたを剥がすようにして自分の顔が今まで接着されていたゲロとシーツから開放された。

 

 うっ血していたことでしびれてしまっている男の右手に血が通い、動かせるようになるまで静かに時を過ごした。

 

 その間に意識が様々なものに目を向け、戻ってきた五感が自分がしでかした失態の数々を知らしめる。そして違和感を自覚させる。

 

 まずは排泄物。

 

 自分は意識を失っている間に糞尿を垂れ流していたようで、衣類と寝具が便と尿でとんでもないことになっている。

 

 古いガビガビとした乾いた便の感触と、それよりも新しい下痢便と尿でふやけて汚し尽くし、排泄物に浸かっている股間。

 

 異臭も放っており、意識が無いうちに慣れてしまっていたであろう嗅覚も、原因を理解して意識すると強烈はアンモニアなど混合臭が鼻腔に漂ってくる。

 

 自分が吐き出した嘔吐物と、排泄物。それを自分が入って寝ている布団の中に全てをぶちまけ、その中に浸るようにして寝ている状態は、どうしようもない自己憐憫の気持ちを駆り立てた。

 

 あまりにも情けなく、大人として社会の中で懸命に生きてきて築き上げた何かをぶち壊してしまったような衝撃に襲われ、男はクソとゲロにまみれたまま、静かに泣き始めてしまった。

 

 その涙も渇ききった体からは申し訳程度の量しか分泌されなかった。異臭に汚染された部屋の中では男のエグエグと声を殺すように泣くその鼻声だけが響く時間が過ぎていく。

 

 泣き声は徐々におさまり、泣いたことで落ち着きを少し取り戻した男は次の問題に意識がいく。

 

 仕事はどうなったのだろうか。

 

 就職氷河期の煽りで希望の職種にはつけず、なんとか就職できた会社もその後のリーマンショックの煽りでリストラされた。

 

 再就職のために点々とし、それからは何もうまくいかず今はアパレル倉庫でピッキング作業の派遣スタッフ。

 

 重宝されているが結局は使い捨てのコマ。理由はどうあれ長期の無断欠勤なので解雇されているだろう。

 

 そんなことを考えていると、更に悲壮感に支配され、無精髭を生やした口の歯を食いしばりながら男は再びシクシクと泣き始めた。

 

 そしてまた時が経つと男は落ち着きを取り戻し、ボーっとし始める。

 

 ぼんやりと見慣れた天井を見つめ、カーテンの隙間から射す光が天井に模様を作る様子を眺め続ける。

 

 眺めていると右手の痺れがなくなったことに気がついた。仰臥位のまま胸の前で右手と左手を近づけ、スポーツ飲料のボトルキャップの蓋を開ける。ペットボトルは、ほぼ真横に水平に倒していたので、開けた瞬間にスポーツ飲料がタプタプとこぼれた。けれどもその程度のことはもう気にする必要もないので、男は口の周りに盛大にこぼしながらスポーツ飲料をゆっくりと飲んだ。

 

 むせると肺が痛くなるので少しずつ口にため、わずかな量を喉に送り込んで飲み込んだ。

 

 飲み込んだスポーツ飲料は五臓六腑に染み込むような美味さだった。

 

 男はペットボトルに残ったスポーツ飲料の大半をこぼしてしまったが、それでも確かに水分を補給し、それが自身に絶大な力を与えてくれる源になっていることを実感した充足感を感じ取りながら徐々に眠りに落ちていった。

 

 異臭はもう感じない。鼻が慣れたのだろう。

 

 口の周りはベタベタする。

 

 全身がガビガビする。

 

 そして異様に静かだ。

 

 自分は道路沿いの安アパートに住んでいるのになんの音も聞こえない。

 

 なぜだろう。

 

 その思考がまとまらないうちに男は寝息を立てていた。


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