いつもの朝
靄の掛かる視界の先に、ぼんやりと人影が見える。
並んで歩く二人の後ろ姿。
誰なのかもわからない、振り返ることもなく歩き続けるその誰か達を何故か、追いかけなくてはいけないという気持ちが沸いて仕方がないのである。
そして、必死に走るのだ。息を切らし、痛くて仕方ない両足で地を蹴り、全力で走る。
それなのに、歩いているはずの二人はどんどん遠ざかっていく。決して追いつけない。
いつもそうだ。
そして、二人の姿が見えなくなってしまう頃、私はいつも目を覚ます。
「あぁ」
またいつもの夢だ。
最悪の寝覚めに溜息が漏れる。寝癖の付いた髪に手を突っ込み、がしがしと頭を掻き毟る。
気分が晴れる訳でもない、何の意味もないことはわかっている。
だがそうせずにはいられない。
上体を起こしたベッドの上で、額に手を付き項垂れた。
「誰なんだよ、お前ら…」
寝起きで掠れた声が、一人の部屋に零れる。
もう何度目なのだろう。
いつか答えは得られるのだろうか。
「いつまで寝てる!」
部屋の外、階下から飛んできた怒号に顔を顰め、私は動き出す為に意識を集中する。
ベッドから抜け出し、階段を下りる。ただそれだけの事をするだけ。それだけなのだが。
両足の膝から下が無い私は、魔力で体を浮かせるしかないのだ。
「うるっせぇな、起きてるよクソジジィ!」
不快な夢の苛立ちも乗せて、いつもと変わらず下でパン作りに精を出しているであろう老人に怒鳴り返す。
毎日毎日、私が見ている期間だけでももう五年以上になる。よくもまぁ飽きずに続けているものだと思う。
身体を浮かせ、着替えを掴んで部屋のドアを開ける。
壁に手を付きゆっくりと階段を下りていく。
降りてすぐのところで、老人はいつもと変わらず眉を吊り上げて私を待ち構えていた。
「たまには早起きして手伝わんかクソガキ」
「ジジィの趣味に付き合ってられるか」
この老人、ロジャーは魔法使いなのだ。それも、並みのレベルを遥かに超えた、後世に名を残すであろう程の。
パンを焼き、それを売り、最低限と言っていい質素な生活を送っているのが不思議で仕方が無いのだ。
「趣味ではなく仕事だ!私とお前が生活出来ているのは、このパンのおかげだと何度言えばわかる!」
「はいはい、わかったよ」
テーブルの上に並ぶ、焼き上がった一つを手に取り噛り付く。
感動があるほど美味しいわけではないが、ふんわりとした触感に、仄かに甘い生地。ほぼ毎日食べているが、不思議と飽きない。
「食い終わったら街まで行って来い」
「ん」
最低限に返事をして、パンを口に運びながら脱衣所で着替える。鏡の前で髪を梳かしながら、自分の姿をぼんやり見つめた。
およそ十九歳らしい私は、どうしていけばいいのだろう。
このままこの老人と、パンを売って生きていくのだろうか。
正直なところ、それも悪くないと思う。
だが、やはりまずは自分のことを知りたいのだ。
五年前、ロジャーに拾われ助けられた以前の、失ってしまった自分の記憶を。
夢に現れる彼女達が、きっと鍵なのだと思う。
だが、彼女達の顔も、声もわからない。
いつかわかる日が来るのだろうか。
考えても仕方ないのだが。
整った赤い髪を後ろで結び、脱衣所を出た。
荷車にパンを積み込んでいる老人の横を通り、箒の手入れを始めながら訊ねた。
「なぁジジィ、夢の中の記憶解析する魔法ってねぇの?」
「そんなもんあるか。自分で作れ」
このやり取りも何度目なのかはわからないが、ロジャーはいつもそう答える。
「それが出来ないから苦労してんだよ」
「そう簡単に作れると思うなクソガキ。あと十年は覚悟しとけ」
荷車を繋ぎ、しっかりと外れない事を確認してから、箒に跨る。
「そうかい」
「余所見はするなよ、行って来い」
魔力を込めた箒と荷車がゆっくりと浮かび上がる。
左手で箒を握り、右手で頭に載せた帽子を押さえる。
「返事くらいせんかクソガキ」
ロジャーのぼやきを背に受けながら、私は街に向け空へと駆け出した。