空色の手紙。
「あの子に無事、届いたかな…。」
私は今日も雲一つない真っ青に晴れ渡った空を窓から眺めて呟く。
「"西"へ向かって。私に会いに来て。」
あの手紙で本当に伝わったのだろうか?
空色の手紙に今の私に出来る力の全てを注いだ。
お告げの通りに書いて祖母に言われた通りに手紙を飛ばしたけれど、生まれて初めて巫女としてのお仕事をしたから上手くいった気が全然しない。
…すごく不安だ。
私達の一族は、代々"始まりの巫女"としてこの国で崇められている。
もう何百年も続く家系だそうだ。
曽祖母も祖母も母も…その前のご先祖さまもこの家に生まれた女性はみんな巫女としてお仕事をしてきた。
…次に跡を継ぐのは私だ。
今、私は9歳。
来月の誕生日に10歳を迎えると新しい"始まりの巫女"として毎日お仕事をする事が決まっていた。
この国では私が生まれた頃から全く雨が降らなくなってしまったらしい。
そのため作物が育たず深刻な水不足のせいで小さな町では亡くなる人が出始めていた。
近隣の国から水を分けてもらっていたがそれもそろそろ限界が近いそうだ。
私達"始まりの巫女"は予言や呪いなど、俗に言う魔法使いのような事をして国の民を助けるのが主な仕事だ。
なのでこの雨不足を何とかしようと、祖母も母もこの問題に何年もかかりきりになっている。
そんなある日。
…私は夢を見た。
雨ばかりが降る街で憂鬱そうに空を見上げる少年。
たぶん私と同じくらいの年齢だ。
クルクルにパーマのかかった黄金色の髪がふんわり揺れている。
水溜りを飛び越えてぴょんぴょん跳ねながら家まで帰って行く。
灰色の三角屋根にくすんだ水色の壁。
…とても小さな家だった。
玄関先に立てた白いポストはペンキがあちこち剥がれて支柱が少し曲がっている。
「ただいまー。」とかけた声に返事はない。
まだ子どもなのに一人暮らしのようだ。
しっかり手を洗いうがいをした後で、器用にヤカンを火にかけている。
自分で何でもするなんて凄いなぁ。
…私とは全然違う。
夢に見ているだけなのになんてリアルなんだろうか。
その後、彼は一人で食事をとりベッドで眠りについた。
…その寝顔を見た所で目が覚めた。
「この夢は、もしかしてお告げ…?」
私は半信半疑ながらも母へこの夢の話をした。
すると母は少し怖い顔になり「少しここで待っていて。」と私に声をかけて祖母の部屋へ行ってしまった。
何か不味い事が起きたのではないか…?
あんな母の顔は久しぶりに見た。
父が旅から無事には戻れないとの予言が出たあの時以来だ。
「燈。こっちへ来なさい。」
祖母から声をかけられ、体がビクッと跳ねる。
祖母はとても厳しい人だ。
私を"始まりの巫女"にする為に厳しくしなくてはいけないのだと頭では分かっているが、やはり私にとってはいつでも怖い人だった。
呪いの途中だったのか、部屋に入るとお香で部屋が白く煙っていた。
「そこへお座り。」
示された場所へと大人しく座る。
「…夢を見たんだってね。」
「…はい。」
「どんな夢だった?ゆっくりでいい。…話してごらん。」
珍しく優しい声で話しかけられたので、さっきまで緊張していたのが嘘のように肩の力が抜け、私は少しずつ話し始めた。
「男の子の夢でした。私と同じくらいの歳でキレイな髪の色をした男の子……」
祖母は私が一生懸命に思い出しながら話す様子をうんうんと頷きながら、最後まで聞いてくれた。
「そうかい。その男の子はこの国を救うかもしれないね…。」
祖母は顎に手をやり、なにやら考えを巡らせているようだった。
「燈。お前はまだ巫女としては半人前だ。だが、お告げの夢を見たなら話は別。予定より少し早いが"始まりの巫女"として仕事をしてもらうよ。」
「え…お婆ちゃん。私には無理だよ。」
「お婆ちゃんじゃなく大巫女様だ。呼び方を間違えるんじゃない。言葉には力が宿るんだよ。…この間教えただろう?」
そうだ。この前、教えてもらったばかりだった。
「言霊というものを知っているかい?私達が何気なく話す言葉にも力が宿るんだ。弱気な事を口にすれば弱気に。強くなろうと前向きな言葉を口にすれば強くなれる。」
「本当にそんな事があるのですか?」
「…あるとも。私達巫女の力の源は、そこにあると言っても過言ではない。言葉を…言霊の力を信じる事が出来なければ、予言も何もただのうわ言さ。他の人間にはない極限まで研ぎ澄まされた信じる力とともにそれを具現化出来るのが巫女の力。だから、厳しい修行が必要で生まれ持ったモノだけでは到底真似できないんだ。」
私は自分にそんな事が出来るのだろうか…と不安になった。
「そんな顔をするんじゃないよ。大丈夫さ。」
そう言って頭を撫でた祖母の手は暖かかった。
「…さて。いいかい?これからお前には重要な仕事をしてもらう。なぁに、そんなに難しい事じゃない。」
また不安そうな顔をしていたんだろう。
「大丈夫だよ。」
私に向かって祖母は笑って言った。
「今夜はしっかり眠ってもらう。きっと今夜、夢の続きを見る事になるだろう…その夢に出て来た通りにするのさ。大丈夫!燈なら出来る。」
その夜、母に付き添ってもらいながらいつものように布団に入った。
「ねぇ、お母さん。」
「なぁに?」
「私に出来るかな。」
「燈なら大丈夫よ。お母さんはあまり才能がなくて、修行しても大巫女様のお手伝いくらいしか出来ないけど、燈には才能があるのよ?」
母は寂しそうに笑った。
「燈は大巫女様が認めた才能の持ち主。もっと自分に自信を持ちなさい。自分を信じる事から修行は始まるんだったでしょう?」
不安そうな私の髪を撫でながら母は諭すように言った。
「…うん。わかった。」
「さぁ、眠らないと夢のお告げはいただけないわ。ゆっくりお眠り。」
「はい。…おやすみなさい。」
…私は静かに目を閉じた。
またあの男の子だ。
今度は家じゃない。
大きな本を机に広げて見ている。
「これが青空か。いつか本物を見てみたいなぁ…。」
小さな声で呟いている。
青空を見たことがないの…?
私には何を言っているのか意味がわからなかった。
けれど、私も雨が降る光景を見た事がなかった。
雨ってこんな感じなのね!って昨日の夢ですっごく感動したんだもの。
水が降るってどんな状況か分からなかったけれど、あんなに美しいと思わなかった。
「いつか本物を見てみたいなぁ…。」
…彼の声と重なって聞こえた。
場面が切り替わって…彼がポストを開けて見ている所だ。
空色の封筒。
持ったまま家へ入ったがすぐには開けなかった。
どうして?早く開けてよ!
何故か開けて読むか迷っているようだった。
…もうっ!早くー!!
意を決したように手紙を手に取って、封を切る。
恐る恐る覗いた手紙に書いてあったのは…
「"西"へ向かって。私に会いに来て。」
え。なにそれ。
そんなんでここまで来られるの?
無茶でしょう…。
手紙の右下には七色で描かれたアーチ。
これは…なんだろう?私も知らない。
「これを探せって事…?」
彼がボソッと呟いた。
その後、彼はどうするか一晩中悩んでいたようだ。
けれど明け方には身支度を整えて家を出た。
…私はずっとその様子を見守っていた。
「…いってきます。」
小さい声だったが、自信に満ち溢れた力のある声が聞こえた。
ゆっくりと目を開ける。
母は一晩中、私が眠る横についていてくれたようだった。
「…お母さん。おはよう。」
母は私の様子に気づくと慌てて飛び起きた。
「あ、燈…おはよう。大丈夫?具合悪かったりしない?」
「うん、大丈夫。…お告げ見たよ。」
母はまた寂しそうに笑って「そう。…良かった。」と呟いた。
朝の身支度を整えて祖母の部屋へと向かう。
昨日とはまた違った緊張で背筋が伸びるようだ。
「…失礼します。」
「はい。お入り。」
昨日と同じ場所へ座って祖母の顔を見つめる。
祖母はこちらをジッと見てからボソッと言った。
「…しっかり見られたようだね。」
「…はい。」
「それじゃあ、始めようか。」
私は夢についてまず話した。
祖母は黙って聞いていて、必要な物をメモしているようだった。
「灯!これを今からすぐに用意しな。早速始めるよ。」
灯は、母の名前だ。
母は祖母の手伝いをするのが仕事だった。
祖母はいつも「灯にももう少し才能があればね…。」と残念そうに話していた。
私はそんな時はいたたまれない気持ちになってしまってどうしたらいいのか分からなくなった。
母は祖母の言う通りに様々な材料をすぐに揃えてきて儀式の準備を進めた。
私は祖母に言われた通りに手紙を書き、封筒へ入れる。
祖母へ手紙を渡すと私は手を引かれ、何やら薄っすらと光る文字が丸く描かれた暗い部屋へと連れて行かれた。
…魔法陣だ。
まだ本でしか見た事がなかった。
わぁ…綺麗だな。
見惚れていると祖母に声をかけられた。
驚いた私は慌てて姿勢を正す。
「いいかい。これからこの手紙をあの少年の所へ飛ばす。お前がやるんだ。これは予言を見た巫女にしか出来ない事なんだよ。」
「え!そ、そんなのやった事ない…」
そこまで言いかけた私に母は目配せした。
昨日の夜、母に言われた事を思い出した。
「自分を信じる事…。」
そうだ。自分を信じなくちゃ何も始まらない!
私はグッと拳を握り締めた。
「大巫女様。やります。いえ、やらせてください!」
祖母は私の様子に驚いていたが
「よし。その意気だ。やってごらん!心配はいらない。私がついているんだからね!」と笑った。
私は魔法陣の真ん中に立ち、手紙を両手の上へ置いた。
祖母の言う呪文を続いて唱え始める。
ポゥッと魔法陣が仄かに緑色に光る…。
「唱える呪文はハッキリと自信を持って!」
以前、祖母に言われた言葉を思い出した…。
「……今、ここに願いを聞き届けたまえ。いざ、彼方へと行かん!!」
そう言い切った刹那。
魔法陣がパァッと眩しく光り、手に持っていた手紙がフッと消えた。
祖母はその様子に満足そうに頷いた。
「上手くいったようだね。…燈。よくやった!」
私はわけがわからずその場にへたり込んだ。
「う、上手くいったの…?」
母が駆け寄り私を抱きしめた。
「燈!凄いよー!頑張ったね。」
母が抱きしめてくれる温もりを感じてようやく私はホッとした。
その後、手紙が無事に届いて彼が本当に出発したのかどうか…。
実際に確認する術は、実はないのだ。
なので、冒頭の不安げな台詞に繫がる訳で…。
ここから私達の物語がどうなるのか。
それは誰も知らない…。