下宿(1)
大学側から女鳥羽川にかかるスポーツ橋を渡って、国体道路に沿ってちょっとだけ下ったあたりの下宿で暮らしていた。
下宿といっても大家さんの家の離れで、8帖一間、床の間と押入れ付き。あとは便所と狭いながら台所がついていた。トイレではなく便所。和式の汲み取り式。当時は珍しくもない、普通の仕様。キッチンではなく台所。一口コンロが置けるくらいの台と80cm四方くらいの流し台がある1帖ほどのスペース。ワンドアの冷蔵庫を置いていた。
それから、裏庭があった。裏庭は大家さんの母屋と共通だったが、季節感の感じられる庭木が植えられていて風情があった。
家賃は月8,000円。これでも随分と高い方だった。6帖トイレ台所共同で月3,000円ほどの物件もあった。風呂は当然ない。
家財道具は、コタツと折り畳みのちゃぶ台。洋服類はジーンズ柄の段ボール製の衣装ケースが2つとカラーボックスに空き箱を入れて引き出しにしていた。家財で最も高価だったのは10インチの白黒テレビ。アンテナは本体についているロッドアンテナで、映りは良くなかった。
初めて親元を離れ、「これで親の目を気にすることなく11PMが観られる」と思っていたら、その当時は長野県では11PMが放送されていなかった。
放送局は、NHK系のほかは、民放は信越放送と長野放送の2局だけ。テレビ信州が入学した年の秋に開局した。キー局との関係は定かではないけど、いろんな局の人気番組を2局ないし3局で割り振って(取り合って?)放送していたような気がする。
今では長野朝日放送を加えて4局になっているものの、まだキー局の方が多い。
この下宿の大家さんは60代くらいのおばあさんとその娘さん(40代くらい?)の2人暮らし。女所帯だから若い男子学生に住んでもらいたいとのことで、珍しく男子限定だった。別に女人禁制ではなかったが、残念なことに女人は訪れなかった。
時々先輩や同輩が集まって飲んだり、麻雀したり。一応離れなのと、間貸ししてる理由が理由なので、少々うるさくても良かったらしい。
あるときの話。
例によって先輩、同輩が10人くらい集まって夜通し麻雀に講じていたときのこと。
明け方近く、ちょうど抜け番だったので押入れに体を突っ込んで寝ていたので、あとから聞いた話で驚いた。
離れのドアをノックされた。仲間内なら勝手に入ってくるのが常だったから、誰だろうと思いながら、手の空いた先輩がドアを開けたら、大家の娘さんだった。さすがに大勢集まって、ジャラジャラと音を立て、ワイワイしゃべっていたので、クレームだと思ったらしい。当たり前だ。
ところが、「お腹空いたでしょ」と、なんと差し入れを持ってきてくださっていた。
大皿に大量のおにぎりと煮物が入った大きな鉢。さすがに、一同驚いて、寝ている借主をほっぽらかして、整列してお礼を述べたそうだ。借主はその数時間後に目覚めて、この事実を知った。
この日を境に、うちの下宿は神下宿として語り継がれることになった。
また、裏庭を眺めながらよく飲んだ。
花見酒、月見酒、紅葉酒、雪見酒。
飲んでいたのは大抵ウイスキー。サントリーホワイト。ビールは高すぎた。
氷がなくなると、横田のセブンイレブンまで自転車を飛ばしてロックアイスを買いに行った。行きは下り坂だが、帰りは上り坂。酔っぱらって走るとめちゃくちゃ酔いが回った。
とても好くしていただいたのでずっと暮らしていたかったのだが、信州大学は典型的なタコ足大学で、工学、教育、繊維、農学の松本以外にキャンパスのある学部生は教養課程が終わると長野、上田、伊那の各地に散っていかなければならない。
結局、進級して松本を離れるまでの1年間だけお世話になった。
長野オリンピックが終わったあとに松本に行ったときに訪ねてみたのだが、道路が整備され、母屋ともどもなくなっていた。