ピカドン
時系列に沿ってはいません
大学北門前はちょっとしたにぎわいスポット。
八十二銀行や郵便局と並んで、学生向けの食堂、喫茶店などが数件あった。自炊しない学生にとっては昼と言わず夜と言わず、胃袋を支えてくれる貴重な存在だった。
喫茶店もあったが、ピラフ・カレー・スパゲッティなどの軽食を注文することばかりで、純粋にコーヒーなどを注文した覚えはない。喫茶目的で利用する学生はいたのだろうか。
その中で、北門の正面にあった食堂“ピカドン”
なんとも衝撃的な店名。オレンジ色を基調とした看板が目印で、看板には折り鶴の絵も描かれていた。看板を見ただけでは食堂だとは思えない。
ご主人が広島で被爆されたとか。店内にも原爆関係の写真などが貼ってあって、被爆者の会とか反原発とかの活動もされていたのだと思う。
被爆地からはるかに遠い、というか戦時中は爆撃などの直接被害がなかったであろう山間の地方都市にも原爆関係の活動をしている人がいることがすごいと思った。
思い起こせば、あの頃はさまざまな運動が活発だった。
障害者問題研究会や部落解放研究会なんてサークルもあった。児童福祉に関するサークルもあったかも。共産党系の民青(民主青年同盟だったか?)に属してる学生も多かった。学生イベントも単なる娯楽行事というだけでなく、いろいろな活動が紛れ込んでいたような気がする。
特に「反原発」という信条はないものの、ここのモツ煮定食は実に美味しかったので何度も通った。通ったと言っても、北門前なのだから面倒なことではない。
「モツ煮定食」 鶏モツの煮込み。価格は400円。当時はどんな部位なのかなんて考えもせずに食していたものの、玉ヒモのビジュアルは印象的だった。
玉ヒモ ――鶏の、殻に封じられる前の卵黄と卵管がつながったもの―― の煮込みで、味は甘辛というか、いわゆる肉じゃが的な味。刻んだ白ネギがのっていた。しつこくはなく、上品な味でモツ独特の不思議な歯応え。七味をかけるとピリッと引き締まる。
そのまま食してもよし。汁ごとごはんにかけてもよし。
特段珍しい味ではなかったのだけど、馴染みの味だったからこそ受け入れやすかったのかもしれない。
材料は、もしかしたら、シロと呼ばれる豚の腸も入っていたかもしれない。
大したものを食べた経験がない年頃だったので、モツの食感が衝撃的だったんだと思う。
ま、同じように衝撃的なメニューとの出会いはこの後も続くので、そのうちに紹介したいと思う。
ちなみに、必死に思い出しているんだけど、ピカドンではもつ煮定食以外を食べた覚えがない。
当時は「北門」でしたが、現在は「西門」というみたいです。