学生時代のアルバイトいろいろ
1980~1983ごろの話
自分は測量事務所のアルバイトでバイク資金を貯めていたが、まわりの友人はみんなそれそれいろいろなアルバイトをしていた。当時のアルバイト事情をば…。
【イトーヨーカ堂】
駅前のバスターミナルビル、今は“アルピコ・プラザ”というらしいが、当時は“イトーヨーカ堂”だった。
地元、波田町出身の教育学部の女子2名。同期生。夏休み期間だけのバイトということで見つけてきたらしい。個人的にはほとんど買い物をしたことがないが、バイトを始めたと聞いて働きぶりを見に行った。紺色の制服を着て、売り場のレジで2人そろって働いていた。ちょっとだけ声をかけたが、お局様のような社員さんが気になったので、早々に退散した。
後日、店の隠語などの裏話をしてくれた。トイレに行くときは「1分お願いします」、電話をかけるときは「3分お願いします」など。今ではよく知られたことだが、当時は珍しく、面白い情報だった。
【一平】
緑町にあった大きな食堂。~パパとママとぼくとわたしの一平~という有名なキャッチコピーからするとファミリーレストランなのだが、外観は和風で、夜は居酒屋営業だった。跡地は松本山雅FCの拠点である“喫茶山雅”に変わっている。
同郷の後輩も含めていろんな知り合いがバイトしていた。実際に店に行ったことがないので詳細は不明ながら、料理はおいしかった。夕方から夜の居酒屋タイムのバイトが終わると、その日の残り物をパックに詰めてもらってくることがしばしばあったので、お相伴にあずかった。
【喫茶まるも】
今でも有名な女鳥羽川沿いの喫茶店。40年も前からレトロな喫茶店という印象だった。
後輩の女子が働いていた。喫茶目的で喫茶店には行かないが、店の制服がかわいいというので、働きぶりを見に行ったことがある。制服はメイドっぽくてかわいかったが、一度見たら満足してしまった。決して彼女に非があるわけではない。
【すえひろ】
千歳橋から松本城に突き当たって左折したところにあった、こじんまりしたシティーホテルの1階の喫茶・食事・マンガの店。上階のホテルのダイニングだったと思う。
同期の男子から後輩の女子に引き継がれて働いていた。低めのテーブルとソファのような席でくつろげる店だった。いくつもの本棚にコミックスがぎっしりで時間つぶしにはもってこいの店だった。食事メニューは目玉焼きが載ったドライカレーや、四角い箱に詰められた定食が定番だった。バイトを始めてくれたことで知ることになった店で、マンガを読みによく行った。
【浅間温泉の旅館】
どの旅館かは知らないが、片付けいろいろ。
後輩の男子がやっていた。深夜に宴会の片付けだったり、昼前に宿泊客が出かけたあとの布団の片付けだったり、不定期で時間も決まっていないバイトをしていた。時間的にも、労力的にも働きにくい仕事のように思えたが、給金がよかったのだろうか。
【ナガノトマトの工場】
1年上の理学部の先輩がやっていた。ケチャップか何かの工場で、原料のトマトをつぶす体力勝負の仕事だったらしい。季節仕事だったらしく、3ヵ月ほどの間に1年分のトマトをつぶすようなことを聞いた。
【槍ヶ岳の山小屋】
1年下の後輩がやっていた。当然ながら一度登ると閉山までは降りてこられない。寝泊りしながら料理以外、掃除、洗濯、片付けなどほとんどの仕事をするらしい。誰でもできる仕事じゃない。ひと夏で100万円稼いで、下山してから、ギターと車(中古車)とアマチュア無線の無線機を買ったと聞いた。
【春季限定 果樹園】
同期の農学部生がやっていた。リンゴの摘花(花の選定)をしていたらしい。実家が坂城町で果樹栽培をしていたそうで、経験者だった。実家から送られたリンゴをおすそ分けしてもらったことがある。
【冬季限定 除雪・雪下ろし】
1回だけ行ってもう懲り懲りな仕事。あの頃は雪が結構積もった。松本市内はそうでもなかったが、大町方面や長野方面はときに大雪に見舞われた。
誰がどこから持ってきたバイトかは知らないが、列車に乗って聖高原まで行き、麻績村で除雪・雪下ろし。素人のするバイトではなかった。雪の塊は想像をはるかに超える重さで、特に屋根の雪下ろしはまったく捗らなかった。達成報酬だったので、4人で行って1人分ほどにしかならず、交通費を引くと稼ぎはなかった。しかも翌日から全身の筋肉痛に苛まれた。
学生のバイトはどうしても飲食店などが多くなるが、定番の家庭教師をしている学生も多かった。その他、別記事で書いた松本市民会館での警備、自分がやっていた測量など。
バイク購入に使い込んだ授業料の穴を埋めるのに助かったのはテキヤさんのバイト。詳細は省くが当時で1万円を超える日給をいただいた(違法ではなかったと信じている)。




