下宿(2) ~どうやって決めた?~
下宿は、大学に合格が決まってから決める。
そりゃそうだろう。合格か不合格か、決まっていない段階で下宿を決める人はいない。
と思っていたら、東京だと、地方出身者が受験段階で下宿を決め、合格すればヨシ。不合格ならその下宿から予備校に通って浪人生活を送るというパターンもあったそうだ。地方にはいい予備校がなかったらしい。
浪人するというだけで、現役合格に比べて1年分の生活費と予備校関連費用がかかるのに、さらに東京での下宿生活まで加えるとどれだけ高コストなんだか…。
信州大学生の下宿率は高い。
自宅が松本市内か、松本電鉄の沿線あたりだと松本のキャンパスには通学できるだろうが、それでも人文・経済・理学・医学以外の学部なら2年次からは下宿生活が必須になる。
逆に、松本では下宿で、学部に進めば自宅通というパターンもある。
松本では過半数の学部生が進級して下宿を引き払う代わりに、ほとんどの入学生が下宿を始めるという光景が毎年繰り広げられる。
同時に、学部のある街では、卒業生と進級生が入れ替わる。
住人の入れ替わりに伴う経済効果は大きいと思う。いわゆる敷金とか、内装の補修等にかかる費用とか、引っ越し屋の運送費とか。
普通の大学では卒業以外の入替えが少ないだろうから。
信大生の出身地域をおおまかにイメージすると、県内各地は20%程度。意外と少ない印象。残りは関東20%、東海25%、関西25%、その他各地が10%程度。教育学部は県内出身が多いが、他学部は日本全国から集まっていた。同じ学部の同期には、北海道から奄美大島まで、後輩には八丈島まで、全国各地の出身者がいた。
そういう事情を見越してか、受験のときにいくつかの下宿チラシを配っていた。
県内や近隣地域の出身なら、合格発表後に松本を訪れ、実際に部屋を見比べて決めることもできるだろうが、遠方からはおいそれとはいかない。合格発表は3月20日ごろだったので、入学までの2週間足らずの間に、松本まで何往復もしていられなかった。
チラシを見ただけで、現物も立地もわからずに契約して、引っ越しのときにはじめて部屋に入る学生もいたのだろう。チラシとて、昨今のように鮮明なものではなかった気がする。
当時の下宿はワンルームマンションタイプなどは存在しなかった。
建物や設備が古いものから新しいものまで、家賃が安いものから高いものまで様々あるが、だいたいこんなパターンだったと思う。
■学生アパートやアパート風の物件は、個別に玄関ドアがあり、独立性が高い。まれに貸家もある。人気も高いが家賃も高い。
■下宿屋とでもいうのか、建物の玄関で靴を脱ぎ、階段と廊下で各部屋がつながる物件で、洗面、トイレ、キッチンは共同。時代を感じる木造の建物もあれば、新しいきれいな物件もある。きれいな物件は女子限定という場合がある。
■大家さんの家に間借り。気兼ねもするし、門限があったり面倒。部屋が2階の場合は、外階段で自室へは直接入れるような物件もある。賄い付きの場合もある。
■寮。松本にある大学の寮は「こまくさ寮」。寮生は独特な雰囲気を持っていた。何度か寮の夕飯の残り(「残食」といった)を食べに行ったことがある。
民間が経営している寮っぽいものもあった。浅間の県営球場の近くに浅間ハイツというのがあった。家賃はけっこう高いものの、設備はよかったらしい。
入学してみてわかったことだが、主にサークル内での情報交換により、良い下宿は先輩が出るときに後輩を紹介する制度が出来上がっていた。
つまり、松本に残る学部生や留年生は、イマイチな下宿から快適な下宿に鞍替えする。
そういうわけで、市井に流れる“空き下宿”情報はイマイチなことが多い。
入学後に下宿探しのエピソードを聞くことがあった。いろいろな事情があって面白い。
実例①
親がどこかで聞いてきた『大学の近くだと溜まり場になると困る』という心配と、『家賃が安い』という理由で、高宮に下宿を決めた。溜まり場になるどころか、本人ですら毎日帰宅するのが億劫になり、大学近辺の友人宅を泊まり歩き、留年を機に大学北門近くの下宿に引っ越した男子。
1人暮らしの大学生は必ず下宿に帰るという必要性がないことが多いのだ。
実例②
繊維学部に合格した東京出身の男子学生。わずか1年で松本から上田に替わるのに、引っ越すのが面倒だからと、東京の鉄道感覚で、篠ノ井に住んで松本と上田に電車通学を考えた。篠ノ井の不動産屋に「それは無理」と諭された。松本-篠ノ井間が9駅。東京や大阪の9駅ならまだしも、田舎の9駅は駅間の距離が長いのと、運行本数が圧倒的に少ないので、現実不可能な話だ。
同じように、土地勘がなかったり交通事情の理解が浅かったりで、不便なところに決めて後悔という話はよく聞いた。
実例③
入試当日、正門脇のテントで合否確認電報を受け付けてくれるというので申し込んだ。申込書の必要事項として出身高校を記入したところ、「うそ!同じ高校やん!」と受付をしてくれた女子学生が声をあげた。たまたま同じ高校の出身だった。合格電報とは別に連絡をもらい、良い下宿を紹介してもらった男子学生。
この実例③が私の下宿決定プロセスである。
受付してくれたのは2年上の先輩。私が高1のときに彼女は高3なので、1年間は同じ環境にいたことになる。高校時代は面識はなかったが、共通の知人や先生の話で盛り上がった。
進級してくる後輩が下宿を出るというのに引き継ぐ相手がおらず、住人探しを依頼されていたらしい。
運よく良い下宿で暮らすことができた。
私の次の住人は、当然のことながら後輩に決まったのだが、聞くところによると、争奪戦まがいの様相を呈していたようだ。
次に住んだ後輩は、理学部生だったので数年間住んでいたようで、さらに次の住人がどうなったかは知らない。
松本や長野は老朽化や近代化のための整備が進み、友人が住んでいたあちこちの下宿もほとんど残っていない。
伊那や上田には昔のままの物件がちらほら見られる。




