序
数年に一度、学生時代を過ごした松本を訪れます。
ずいぶん変わってしまいました。
大学を卒業して早35余年。卒業後は地元大阪に戻って就職した。
卒業してからも2、3年の間は、ゴールデンウィークや盆休みなどの長期休暇は足しげく信州に通い、サークルの後輩の下宿に押しかけては酒を飲み、馴染みにしていた定食屋でメシを食い、学生気分から離れられないでいた。
春から秋は“さわやか信州”を満喫。で、冬になると当然スキー。
ちょうどスキーブームが到来した時期で、JRが“シュプール号”なるスキー客用の夜行列車を運行していた。最盛期には「私をスキーに連れてって」が封切られた。リフトの待ち時間がすごかった。
そんな中、会社の同僚とスキーに行くとなると、数週間も前から列車あるいは夜行バスと宿の予約の取り合いで大変煩雑だった。こじゃれたペンションなどに泊まると費用もかさんだ。
その点、我々はOB数名が自家用車に乗り合って後輩の下宿に逗留。予約いらずで気楽にスキーにも行けた。
しかしながら、気心の知れた後輩が卒業してしまうと、信州を訪れる機会はめっきり減った。
松本を訪れる機会はどんどん減少し、最近では信州を訪れるのは数年に1度。松本に限ると10年に1度くらいか。時の流れとともに松本のようすは大きく変わっていった。
1998年の長野オリンピックがひとつの転換点で、その後の長野新幹線の開通も影響が大きかったと思う。中央道が伊北から延伸し、長野道ができたのはいつごろだったか。
駅ビルが建て替わり、道路が整備され、木造の下宿屋は鉄筋のワンルームマンションに建て替わった。大型ショッピングモールができた。当時のお店は入れ替わったり無くなったり…。
“裏町”は裏どころかすっかりなくなって、飲み屋は駅前に集中。松本城周辺は観光地化が進んで縄手通りには土産物屋が増え、アーケードだった六九商店街はなくなった。
大学周辺もお世話になったたくさんの店が入れ替わった。キャンパス内も整備が進み、門にゲートが設置されたり、学部棟が増えたり…。
学生気質も変わったようだ。当時の信州大学はどちらかといえばバンカラな気風だったが、年代とともにおしゃれでスマートな路線が主流になったように思う。
街も人も移り行く中で、多くは忘却の彼方に……。
それでも駅前から見上げる美ヶ原は近く大きく、西に連なる山々のスカイラインは美しい。
胸の奥に残っている埋火を掘り起こし、懐かしい時代のあれこれを徒然なるままに描いてみたいと思う。