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禍祓い奇譚  作者: はちや
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黒と白



 学校を終えた文乃は駅の連結路を歩いていた。人でごった返す通路は一定の流れが出来上がっている。その流れに逆らわず乗り換えのホームへと向かっていた文乃は淡々と動かしていた足を止めた。


(・・・・・・)


 後ろを歩いていたサラリーマンが眉を顰めて追い越して行っても、文乃の見開いた目が追うのは黒い靄の塊だ。垂れ込む暗雲みたいなそれは纏った人の姿も判別できない程に濃密だった。小鬼と違って靄の塊なんて見たのは初めてだ。少し迷った文乃は後を追う事にした。

 けれど、どうしたものだろうか。靄は何時ものように触れるだけで消えるか不安だ。それにどう接触したものか思いもつかなかった。

 考えているといつの間にか靄の塊は視界から消えて、通路の先に雑然とした街並みが見えていた。外には出ずに覗き込もうとすると、


「何か用?」


 目の前を靄の塊に塞がれて文乃は固まってしまった。高くも低くもない透き通った声がした。手首に触れるものがあると同時に目前の靄が霧散して現れたのは端整な顔だ。真っ直ぐに通った鼻筋と少し厚めの唇が歪みのない輪郭に収まり、短く切り揃えて刈上げた黒髪がよく似合っていた。一瞬男性かと思うが黒いジャケットの下は豊かに膨らんでいる。凛として鋭い空気を纏う女性に文乃は既視感を覚えた。


「・・・・・・」

「捕まった相手が悪いヤツだったらどーすんの?」


 女性が吊り気味の双眸を光らせてニヤリと唇の端を持ち上げると途端に気安くなった。慌てて手を振り払えば意外にもあっさりと解放された。


「それともアンタ、知らない人についてっちゃダメだって常識も知らないような箱入り?」

「そんな、その・・・・・・心配だったんです」

「心配?」


 目を丸くする女性の顔は血色が良くてよく回る口から体調の不良などは微塵も感じられない。それなのに何を心配するというのか。文乃は気まずさに慌てて頭を下げた。


「ごめんなさい、わたしの」

「いいや、構わないよ」


 勘違いだったと伝えようとして遮られてしまう。だが女性はそれまでの楽しそうな笑みとは違ってむず痒そうに頬を緩めると唇を苦く歪めた。


「赤の他人を心配するなんてアンタいい子だね。あ、これ皮肉じゃないから」


 文乃は自分をいい子だと思った事は無い。寧ろその逆だ。けれど女性のお道化た調子に余計な力が抜けて少し笑ってしまう。


「そんな、皮肉だなんて思いません」

「良かった。あたしが褒めるとどうしてだか皮肉に取られるんだよな」

「答えは簡単。ハチスさんがオレらを苛めるからっすよ」


 女性の背後から恨めしそうな声が響いて来た。覗き込むと雑然とした街並みから中肉中背の男が遣って来る。染めすぎて痛んだ金髪を無造作に括った男は眼に刺さるピンクの法被を着て看板を肩に担ぎ呆れた視線を女性へと向けていた。文乃と目が合えば男はヘラリと軽薄な笑みを浮かべた。


「おぉーーホンモノの女子高生じゃないっすか。ハチスさんのコレ? じゃないなら俺に紹介してくださいよ~」


 男が立てる小指に薄い手の平を添えて女性はいっそ爽やかな笑みを浮かべた。そして遠慮なく、関節とは逆の方向へと力を込めて倒してゆく。


「あたしのじゃないけどさ、海月みたいにふらふらふにゃふにゃと頼りの無いヤツ、いやそれは海月に失礼か。兎に角アンタみたいなボンクラに紹介するぐらいならあたしが付き合うわ」

「その言い草オレには失礼じゃないんすか! アイタタタタタタタタッ!」

「こんな純情な子はアンタなんかにゃ勿体ない。半径二メートル以内に近づくんじゃないよ。破ったらどうなるかその能天気な頭でも知ってるだろ?」

「よーーっく知ってるっす! あぁほらっ指の色が変色してきたっ! 冗談ですっそんで近づかないっすからもう勘弁して下さいよっ!!」

「馬鹿な事言ってる暇があったら額に汗水ヨロシク仕事しな」

「ほんっとに容赦ないんすからっ」


 涙目で指を擦る男を尻目に女性は文乃に笑い掛けると肩に手を置いた。そうして女性にされるがままクルリと踵を返すと背中をポンと押された。


「こういうしょうもないゴミクズに捕まる前に戻りなよ。あと、心配してくれてありがと」

「そりゃ良かない自覚はあるっすけどさっきから酷くないっすか?」


 抗議の声を上げた男性の鳩尾に肘鉄が決まった。身悶えるその横で笑顔を浮かべてヒラヒラと手を振る女性に気掛かりだった靄は見えなくなっている。特に出来る事は無さそうだ。文乃は会釈を返して元の通路へと戻った。

 そうして乗り換えのホームへ辿り着くと電車は丁度出たところだった。帰宅ラッシュの人混みが落ち着いて吹き抜ける風が肌に染みた。文乃は首を竦めた。


(そういえば昨日の人、似てるような気がする)


 対面のホームを眺めていたら窓越しに見た赤い瞳が頭に浮かんだ。独特な格好をした人と先程のハチスと呼ばれた女性は、それぞれが纏った白と黒の様に対照的だと思う。それでも似ていると感じるのは直感めいたものだ。そしてその正体に辿り着ける程文乃は人を知っている訳では無かった。人と接するとどうしたって自分の特異な性質が気になってしまい必要最低限の接触から一歩を踏み出せないのだ。それ故人付き合いは希薄で友人と呼べる相手も居なかった。


『二番ホームに電車が参ります。ご注意ください』


 癖のあるアナウンスが流れて、線路を走る車輪の音が遠くで響き始めた。

文乃は息を吐くと俯いた視線を上げた。


(え)


 急に視界が大きく振れた。反射で動いた腕は何も掴めずに宙をかく。重力のままに倒れていく身体をどうする事も出来ず、文乃はこの後を想像して目を瞑った。死に際に走馬灯を見るとも聞くけれどそんな暇もなく身体を揺さぶる衝撃を感じた。けれどそれは想像していたよりも軽く、痛みは感じられなかった。もしかしたら経験も無い程の衝撃で感覚も追い付かないのかと思いながら、文乃は恐る恐る瞼を持ち上げた。

 対面の薄暗いホームと文乃の間に今更ながら電車が滑り込んで来た。一気に血の気が引いてゆく。慌てた駅員が駆け寄って来る気配を感じながら文乃には何処か遠くの出来事だった。


「済みません。貧血でふらついたみたいです」


 頭上で声がした。知らない声だと、頭の片隅で他人事のように思考が滑った。


「何事も無くて良かったです。気を付けてください」

「済みません。お騒がせしました」


 人が余り居なかったことが幸いしたようで電車は何事もなく発射した。


(乗り、過ごした・・・・・・)


 ボンヤリ見送っていると視界に白と赤が飛び込んで来た。目を瞬けばそれは離れて人の顔だと分かる。白に近い金の髪に白い顔、そして赤い瞳は寸前に思い描いていたその人だ。


(・・・・・・どうして?)


 実は自分は電車に轢かれていて都合の良い夢でも見ているのかと、文乃は思う。


「姫、セクハラです」


 棘のある声がする方へと視線を向けると、スーツ姿の女性が顔を顰めて鋭い目で見ていた。正確には、文乃を抱擁している白い人を睨み下ろしているようだ。白い人は小さく息を吐き出して「はいはい」立ち上がった。


「理不尽だと思うけど決めるのは本人だから、こればかりは茜さんに反論できないよ。君、咄嗟だったとはいえ勝手に触れてゴメンね。もう大丈夫かな?」

「・・・・・・いえっ、あの、こちらこそごめんなさい」


 立ち上がるも足に力が入らず膝がガクリと折れてしまった。倒れ込む文乃は再び白い人に抱き止められてしまう。見た目を裏切る力強さに、幾ら綺麗でも男の人なのだと意識してしまえば羞恥も混じって顔を上げられなくなった。


「慌てなくても大丈夫だよ」


 苦笑する気配にお見通しだと言われている様で文乃は耳まで熱くなるのを感じた。

そのまま近くの長椅子へと導かれて、座るとプルトップの開いたココアの缶を差し出された。


「こういう時は温かくて甘い物です」


 せっかくの好意を断るのも失礼かと受け取ると、手の平に伝わる温かさに身体に籠っていた力は抜けていった。口を付けて息を吐き出せば震える身体が段々と落ち着きを取り戻した。改めて助けてくれた二人を見上げる。白い人はジッと、女性はニコニコと、文乃を見ていた。


「助けて頂いてありがとうございました」

「偶然居合わせただけだから気にしないで。だけど無事で良かったよ」

「本当にお嬢様が無事で良かったです。私は道明茜と申します。茜、とお呼びくださいませ」

「茜さん、ですか? 私は弓削文乃です」


 茜の勢いに文乃は仰け反った。


「文乃様ですねっ」

「あの、様は、ちょっと・・・・・・」


 ちょっとどころかかなり違和感でしかない。『お嬢様』と呼ばれたのもだが、いきなり敬称で呼ばれるのは抵抗しかなかった。


「駄目ですか?」

「・・・・・・・・・・・・・・・・・・いえ」


 しょんぼりと窺うように見つめられると文乃は否の声を上げられなかった。受け入れられて満面笑顔になる茜だが、何がそんなに嬉しいのか文乃には謎だ。


「そしてこちらは『姫』です」


 茜がすかさず手の平を上に向けるとキリッとした顔で白い人を示した。


「姫?」


 小さく首を傾げると、女性の手の平を叩いて白い人が首を振った。


「御守雅姫だ。字面が雅な姫って書くから、姫っていうのはそこから付いたあだ名なんだ」

「字面だモガッ」

「茜さん黙ろうか」


 塞がれてもフガモガと動く口は何を言っているのだろう。


「えっと、雅姫さん?」


 戸惑いながら名前を口にすると雅姫は疲れた顔で頷いて茜の口を解放した。


「ぷはっ。もう、死ぬかと思ったじゃないですか」

「鼻は塞いでないでしょ」


 雅姫は頬を膨らます茜の頭を軽く叩いた。やり取りは仲の良い兄妹だが姿形は似ても似つかない。どういう関係だろうと不思議になった。それが顔に出ていたのか、察した雅姫が苦笑を浮かべる。


「茜さんは仕事の相方でね。付き合いが古いせいでお互い遠慮が無いからなのか、どんな関係だって不思議に思われるのも珍しくないんだ」

「確かに、仲の良い兄妹かなと思いました」

「私の方がお姉さんですけどね」

「この通り、自由な人だよ。主張するならそれに見合った言動をしてくれるとありがたいんだけど」


 すかさず主張を忘れない茜に雅姫が呆れた顔をする。そうして今度はちょっと複雑な、困った様な笑みを文乃に向けた。


「実は俺文乃ちゃんとはこれが初めましてじゃないんだ。昨日の朝、このホームで見掛けて気になってた」


 言葉だけならナンパだが、赤い双眸は思案するように文乃を見つめている。文乃は文乃で、あれを見られていたのじゃないかと思うと身体が重くなった。

 茜がジットリと「私の目の前でナンパとはいい度胸です。姫がするくらいなら私がします」顔を寄せるのを「ちょっと茜さんは黙ってて。真面目な話しだから」雅姫は真顔で押し退けた。


「君は人が視えない存在が視えるんじゃない?」

「・・・・・・」


 それは人に知られる事を恐れて必死に隠して来た文乃の秘密だ。尋ねられた内容を考えれば雅姫も同じものが見えているのかもしれない。そうでなければこの様な質問はしないだろう。けれど質問の意図が分からなかった。知られてしまった動揺と分からない事への恐怖心に文乃は凍り付いてしまった。


「俺達も視えてるし、そういう困り事を解決する仕事をしているから気になったんだ。怪しい者じゃないとは言えるけど、信じてくれるかは君次第。ただ、文乃ちゃんを害したい訳じゃない」

「・・・・・・もし仮に、私が見ていたとしても雅姫さんには関係の無い事じゃありませんか?」


 どうしてそんなことを聞くのかと言外に尋ねる。警戒心が剥き出しになってしまった自覚はあった。


「確かに、関係は無いかな。これは完全に俺のお節介。君は視えるだけじゃないみたいだったから、一人で抱えてるなら話しくらいなら出来るかと思ったんだ。余計な事だったならゴメン」


 気を悪くした風もなく雅姫は眉を八の字にして笑う。文乃は良心を罪悪感にチクリと刺されながら首を振った。


「いいえ、私こそ済みませんでした。知られたのが恐くて過剰に反応してしまいました。だからその、おあいこにしてもらえますか?」


 子供っぽい応対だったと段々恥ずかしくなった文乃ははにかんだ。考えてみればこんな気遣いは初めてで、むず痒いような何とも言えない気持ちがした。すると雅姫は目を瞬いた。


「君・・・・・・」


 言い淀む雅姫に文乃は首を傾げる。


「どうかしましたか?」

「いいや、何でも無いよ。日も落ちたから今日は早く帰った方が良いね。君の性質についてはまた今度。知りたかったら何時でもいいからここに連絡してよ」


 そう言って差し出された長方形の紙には《祓い屋 ×××‐××××‐××××》と書いてある。形としては名刺の様だが、果たしてこれを名刺と呼んでもいいのだろうかと埒もない事を考えた。白地に薄墨色の文字が印刷されていて非常に見づらいのだ。まるで隠そうとしているみたいだと思いながら、文乃は再びお礼を言って二人と別れた。

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