来訪者
茜は朝からコール音を響かせたスマホの画面を確認したきり、幾度も掛かって来る電話を無視し続けていた。
その結果。昼を過ぎて雅姫の住宅兼仕事場は物が倒れて白い片に塗れた惨憺たる有様になった。白いものの正体は千切れ飛んだ紙屑だ。部屋中を見渡した雅姫は悔しそうに拳を握って歯ぎしりする茜を見やった。
「何時もながら派手な喧嘩だねぇ」
「ぐぬぬぬぬぬぬ」
忌々しそうに茜が睨みつける先には一匹のアゲハ蝶が飛んでいた。開けた窓から蝶が迷い込んだ、部屋の中が荒れていなければそんな日常の風景だ。
「何時見ても流石だね。伊達に《式神使い》なんて呼ばれてないか」
何処にでもいる蝶に見えるそれは式神と呼ばれるもので、紙などの媒体に宿した鬼神や神霊を使役する術だ。部屋にそれが現れた途端、茜は小鳥の形をした式神を放った。ひらひらと舞う蝶に小鳥が突進した結果、破裂する様に四散したのは小鳥の方だ。大体、見た目攻防共に優れる式神に対し、その術を不得手とする茜がノートの切れ端を媒体にして敵う筈もなかった。
犬歯を剝き出す茜に満足したのか蝶は消えてしまった。そうして舞い落ちてきたのは少し変わった形をした桜の花びらだ。それは雅姫達の故郷に咲くものだった。気候が狂っていなければ今が丁度見頃だろう。摘まみ上げて差し出してみるも茜は見たくもないとばかりに顔を背けてしまった。雅姫は苦笑しそれをテーブルへと置いた。花びらに罪はない。
(これは多分嫌がらせも含めてプレゼント的な物なんだろうけど、相変わらず悪癖だなねぇ)
送り主の歪んだ愛情表現に肩を竦めて雅姫は紙屑の片付けに取り掛かった。雑霊を紙屑へ宿らせると簡易の式神モドキを作りそのままゴミ箱へと収めてゆく。自分でも使い道を間違っている気はするが思いつく限りではこれが一番手っ取り早かった。
「あんのヤローッ。一度絞めないと気が済みませんけど顔も見たくねーですよっ」
「茜さんどうどう」
「私は馬じゃありませんっ」
噛みつかんばかりに怒る茜の頭を撫でてはみるもその頬は更に膨らんだ。
「落ち着きなって。長の護役やるような実力者をどうやって絞めるのさ」
「それはもういろいろな手を駆使してに決まってるじゃないですか」
「返り討ちでまた笑われるのがオチだね。でもさ、そろそろ顔見せにくらい帰った方がいいんじゃない? あれ以来一度も帰ってないでしょ」
出先が雅姫の許だから黙認されているだけで、茜は仕事という名目の家出中だった。ジットリと湿った半眼で雅姫を見上げると、茜は地を這うようなおどろおどろしい声音を絞り出した。
「姫が一緒に帰るなら考えますよ」
「却下」
「ほぉらぁっ。一瞬で腐った魚の目になるくらい姫だって精魂尽き果ててるじゃないですか。嫌なんですよね? それを人に帰れだなんてよく言えましたねこの外道っ」
「人聞きの悪い。俺は気楽な身だから帰る必要性を感じないだけだよ」
「気楽って、長に子が在ればの話しじゃないですか。姫が気楽って言うなら私なんて木綿のハンカチ並みに軽い身の上でしょーっ!」
よく分からない例えはそれ程に軽いと言いたいのだろうか。口からフシュゥゥゥゥと煙を吐き出さんばかりに怒り狂う茜から逃げる様に雅姫は玄関へと足を向けた。先程からコツンコツンと響いてくる、どこかのんびりとした足音に聞き覚えがあった。扉を開ければドアノブに手を伸ばして固まったスーツ姿の中年男、叔父である慎吾が目を見開いて立っている。顔を出した雅姫にフッと眦を下げると口端を持ち上げた。
「よ」
挨拶がわりに持ち上げられた手に白に金の文字が踊る箱を押し付けられる。茜お気に入りのケーキ屋の物だ。
「いらっしゃい、叔父さん」
「突然すまんな。つーかお前また一段と顔が白くないか?」
顔を覗き込まれた雅姫は誤魔化すように身を翻した。
「気のせいだって」
「そうか?」
変調が無いか訝しむ慎吾の視線が背に刺さりそうだ。だがそれも部屋に足を踏み入れるまでだった。
「こりゃぁ・・・・・・また、派手に遣ったもんだな」
慎吾は状況を理解するのも早かった。雅姫の手から奪う様に箱を受け取った茜は掲げてクルクルと踊り出す。一瞬で直った機嫌に雅姫は小さく苦笑しながらやかんを火に掛けた。慎吾は深くは追及せず「慎吾さん流石ですっ」「だろ」倒れた椅子を起こして座った。
「それで、何があったの?」
「もうバレちまったか」
「片眉が上がってる」
雅姫は自分の眉を指して見せる。考え事があると慎吾は片眉が上がる癖があった。頭を掻くと慎吾は神妙な面持ちで口を開いた。
「最近事故で亡くなった遺体に常人には見えん手形が付いてるんだと」
「それってもしかして、節くれだった小さな手だったりする?」
「あぁそうだな」
「なら悪鬼だ」
慎吾は眉間に皺を寄せると記憶を手繰る様に視線を上へと流した。
「悪鬼ってぇと確か、黄泉に住む鬼だよな。そういやぁ『禍事と言えば悪鬼の仕業と思え』とかよくじぃ様が言ってたような」
家業についての知識は綺麗に忘れたと言っていた慎吾だが、どうやら幼い頃に叩き込まれた知識は頭の片隅にこびり付いて残っているらしい。三つ子の魂百まで、とはよく言ったものだ。
「そして人に憑いては悪さをし時には命も奪ってしまうんだ。こういう話しで叔父さんが訪ねて来る日があるなんて思いもしなかったよ」
家業を嫌った慎吾は家とは絶縁の状態だ。雅姫を訪ねて来ても家業に関する話しはした事が無い。吹き上げたやかんの火を止め「もしかして一件だけじゃないとか?」準備していたカップにお湯を注ぎ、茜がケーキをセッティングしたテーブルに置いた。慎吾は頷きながら受け取ると一口啜った。
「察しが良いな。お前刑事になれるぞ」
「どうですかね? 姫には向かないと思いますけど」
茜は首を傾げて宣い、雅姫は肩を竦めた。
「俺は叔父さんみたいに正義の人じゃないしね」
「そればっかで務まるもんでもねぇけどな」
慎吾は苦笑に自嘲を混ぜ込んでコーヒーを啜ると、視線が絡みつくケーキを茜へと差し出す。「ありがとうございますっ。流石慎吾さん男前ですねっ」嬉しそうに飛びつく茜に笑って懐から取り出した紙を広げた。細かな線で規則正しく区切られたそれは町の地図だ。
「手形が見られた事故現場がその赤いバツ印だ」
ボールペンで付けられた幾つものバツ印の中で赤は駅の周辺に三つあった。
「駅ならよく行くけど何も感じなかったな。茜さんは?」
「特に気になる事はありませんでしたねぇ」
二個目を食べ終えて三個目に伸びる茜の手を雅姫は抓った。
「取り敢えず、この現場を巡ってみようか。直接見れば何か分かるかもしれないし」
「頼めるか?」
「急ぎの仕事も無いし大丈夫だよ。事故に悪鬼が絡むのは珍しくないとはいっても、これだけ近い場所だと気になるしね」
「お前の直感は怖えな」
「外れるといいけど」
再び伸ばされた手が皿に届く前に、雅姫は持ち上げたフォークを柔らかな生地へと刺した。
「あーーーーっ」
悲痛な叫びを無視して口へと放り込んだ。
「大人げないっ」
「どっちが」
数年の違いではあれども、年上は茜の方だ。慎吾は睨み合う二人をケーキが無くなるまで眺めた。