43 その日の夜
ソファに座り直して、もうすっかり空になったマグカップを両手で包むように持ってノエラはまた話し始めた。
「その時私がやっていた電子部品を組み立てる内職はね、何日までにこれだけ、っていうノルマというか締め切りが厳しかったの。
でもその分賃金が良かったわ。うまくできているわよねえ」
「そうなんだ」
締め切りが厳しいというのは大変そうだけど、わかっててやるぶんにはいいんだろう。
「ところでその電子部品って何の部品なの?」
「知らないわ」
ノエラはしれっとそう言う。
「お手本というか見本があってそれと同じように組み立てていくだけだもの」
「うーん、もし僕がその内職をするとしたら何の部品なのか知りたいと思うけどなあ」
「内職の材料を持って来てくれるおじさんに訊いたら教えてくれたかもだけど、別にこれが何になるのかなんて興味なかったし」
僕はそれでいいのかとちょっと思ったけれど。
「それでその日はね、何故だかわからないけど息子の機嫌が朝から悪くて、お昼寝もせずにずっとグズグズ言ってて、私は次の日までに終わらせなければならない内職がまだ1箱も残っててすごく焦ってた。
親のそういう気持ちって子供に伝わるんでしょうね、私から離れないし、細かい作業だから背負ってやるわけにもいかないし」
「子供って大変なんだね」
「普段はそんなことないのよ。その日はたまたま。
で、夜になって、ずいぶん遅い時間になってようやく寝かしつけたと思ったときに夫が帰ってきて、そのドアの音でまた起きちゃった」
「あらら」
「それで喉が渇いたと言い出して、私がコップに水を入れようとしたら自分でやりたいって聞かなくて、あげくにペットボトルにあった水を全部こぼしてしまって」
いや、やっぱり大変そうだけど。
「息子は泣きだすし、泣きたいのは私の方よ」
それからノエラはちょっと笑おうとしたようだけれど、どうやらそれは失敗で、泣きそうな表情になっただけだ。
「そしたら夫が、今から水を買いに行ってくれると言ったの。もうすぐ日付が変わるから、そしたら明日の分の水が買えるから、って。
仕事から帰ってきたばかりで疲れているはずなのに。で、息子も一緒に連れて行ってくれるって言ったわ。もちろん普段ならそんな遅い時間に小さい子供を外に出すなんてことはしないんだけどその日はね。
夫が息子を連れて行ってくれたら、すごく助かると思ってしまった」
「うん」
「夫と息子が出かけてから、私は息をする時間ももったいないぐらい一生懸命その小さい部品を組み立てたの。
途中でちょっと遅いな、とは思ったんだけど、夫が少しでも私が作業できるようにって1つ先のマーケットまで行ってくれたのかなあとか考えていたわ」
ノエラは窓の方へ眼をやった。ここのコテージには濃い緑色のカーテンがかかっている。
「それから、窓の外から救急車のサイレンの音が聞こえたけれど、その時住んでいたアパートの2ブロック先には大きな病院があったから、救急車のサイレンの音が聞こえるなんて1日に何回もあったの。
だから私はサイレンの音が聞こえてもちょっと顔を上げただけでまた作業に没頭した」
「うん」
「しばらくして、アパートのドアが激しく叩かれて、同じフロアの住人が知らせに来てくれた。夫と息子が荷物を運んでいたトラックにはねられたって」
「ああ……」
僕は何も言うことができなかった。もちろん、ノエラの肩を抱くこともその手に触れることも。
「2人とも即死だったらしいわ。それでね、おかしいのよ。私、ちゃんと区役所に届けを出して、お葬式もして、アパートを引き払って単身者用のアパートに引っ越して自分の仕事も探したはずなのに、何をどうやったのかところどころしか覚えてないの」




