40 ノエラの新婚生活
「長い話になるわよ」
そう言ってノエラは話し始めた。
「18歳になって高校を卒業して、すぐに結婚してパン工場で働き始めたわ。夫はトイレットペーパーなんかを作っている古紙工場に勤めていて、高校の同級生だった」
「うん」
「私はパン工場では生地をこねる係だったの。けっこう力が必要で大変だったわ。でもパン工場はいい匂いがして好きだった。
あのね、合成パンでも焼くときはいい匂いがするの。袋に入ってマーケットで売られているパンはあんまり匂いがしないんだけど、どうしてなのかしら?」
「さあ、僕にはちょっとわからないな。あ、でもここのパンは合成パンでもわりといい匂いがするよ」
「焼いてからあんまり時間がたっていないからかしらね?」
「そうかもねえ」
これはやっぱり長い話になりそうだと僕は思う。
「新婚の人たちはみんなそうみたいだけど、私たちは同じ時間に家に居られるように、2人とも明け方から夕方の時間に働いていたの。
夕方、アパートに帰る道から時々夕焼けが見えたわ。結婚するまでは夕焼けってなんだか寂しい感じがしてたけど、今から家に帰る、と思うと嬉しくて、幸せだな、って思ってた」
さっき夕焼けが好きじゃないと言ってたのはそのあと何かがあったんだろうな、と心配するけれど。
「アパートに帰ったって、夕食を食べてシャワーを浴びたら次の朝も夜明け前に起きるためには早く寝ないといけないからそんなに時間があったわけじゃない」
「普通はみんなそんなもんだろ」
「そうね」
ノエラの微笑は寂しそうで、僕は余計なことを言ってしまったのかとちょっと後悔する。
「それで、4ヶ月ぐらいたって、私は妊娠が判ってパン工場をやめて内職を始めたの」
故郷の惑星では企業は妊娠中の女性と3歳までの子供がいる女性を雇うことができない。だからそれは普通の事だ。
「内職は何をやっていたの?」
僕はノエラの話にとことん付き合うつもりになっていた。
「何種類かやったわ。最初は飴の袋にシールを貼るやつ。3粒が1袋に入っている飴ね。これは手間賃がびっくりするぐらい安くて笑っちゃった。
赤と黄色と緑色の飴、知ってる?」
「うん、小さいころに食べたような気がする」
「あれは祖父母が孫に買ってあげる定番よね?ジェイミィもおばあちゃんに買ってもらった?」
「さあ、どうだったかな、そこまでは憶えていないな」
僕の母方も父方の祖父母も同じ地区には住んでいたけどちょっと距離があったしそんなに行き来があったわけではない。
だから多分違うんじゃないかな。だいたい最後に会ったのは父の葬式だし。
はあ、でも彼らは僕がまだ結婚していないと知ってそのことで母を責めたりしていないだろうか。
「それで私が仕事を辞めなきゃならなくなったから、夫は勤務時間を16時間に増やしたけど帰ってくる時間はやっぱり夕方で、私はいつも夕焼けを見ながら夫が帰ってくるのを待っていたの。アパートの部屋は43階だったから道からよりは空がよく見えたわ」
窓際に佇むノエラの姿は絵になるだろうな、僕は無責任なことを考える。
「ツワリはねぇ、私はそんなにひどくはなくて気持ち悪いのは1ヶ月ぐらいで治まったんだけど、お腹が大きくなってくると階段がツラくて、そしたら買い物も全部夫がやってくれて」
「いい旦那さんだね」
僕はなんとなく結末に見当はついたけれどあえて過去形では言わなかった。
ノエラの話はなかなか核心部分にたどり着かなくて、本当は言いたくない話なんだろうか?
いや、幸せだったころのことを思い出しているだけなのか。
「それから息子が生まれて、出産はそりゃあ大変だったわ」
「陣痛ってすごく痛いんだろ?それってテーブルの脚に小指をぶつけたときの何倍ぐらい痛いの?」
ノエラは僕の顔をまじまじと見てからぷっと噴出した。
「ジェイミィって面白いわね」
え、今の話のどこに面白い要素があるんだろ?




