明風が黄泉に?
「あっ・・・」
茜が小声をあげた。
「・・・うん・・・」
嵐盛はようやく声を出した。
「ここ?楓が言っていた不思議な場所って?」
茜は自分の周りが乳白色の光る雲につつまれていることを自覚する。
「ああ、そうみたいだ、本当に不思議な場所だ」
嵐盛も見回している。
「でも、みんな、同じように前に座っている」
茜の言うとおり、場所は異なるが全員が寂光院での座る位置と何ら変わっていない。
明風は一番前で読経を続けている。
「祭壇かな」
茜は明風の前に寂光院とは異なる祭壇があることを見とめた。
「うん、その向こうに例の扉がある、あれが黄泉の扉なのか」嵐盛
「うん、光っている、でも、あっ・・・建礼門院様が・・・」
茜が大きい声を出した。
「なんと・・・」
嵐盛は目を見開いた。
建礼門院が立ち上がったのである。
「こっちを見ている・・・あっ!明風にお手を」茜
明風も立ち上がり、建礼門院と手をつないでいる。
「扉、開いた!」
茜が叫んだ。
その扉の中から、すさまじい光が発せられている。
そして、建礼門院と明風は手をつなぎ、扉に向かって歩き出している。
「いや・・・これはまずい」
いきなり嵐盛が走り出した。
しかし、嵐盛の足がなかなか前に進まない。走っても走っても祭壇すらたどり着けない。
それどころか、建礼門院と明風の姿は、ますます扉の中の光に吸い寄せられていく。
「建礼門院様、それだけは・・・」
嵐盛は建礼門院に祈った。
明風をあの扉の中に連れ去ってはいけない。
明風には、まだまだ為すべきことがある。
建礼門院様自らそのことをお望みではないですか・・・
嵐盛は力を振り絞って走り続ける。筋力も心臓も限界である。
しかし、どうしても近づくことができない。
ついに建礼門院と明風は扉の前に立ってしまった。
「なんと無慈悲な・・・誰も明風を救おうとしないのか」
双子の弟明運や法然、親鸞、栄西、慈円など、特に居並ぶ「高僧」の「何もしないこと」に怒りを覚える。
しかし、怒ったところで、どうにもならない。足を前に進めるしかない。
その進まない足がもどかしい。
そしてもどかしい以上に、嵐盛の心に「絶望」という言葉が大きくなった。
「だめか・・・無理だ・・・」
嵐盛は座り込んでしまった。
ついに嵐盛の努力はむなしく、明風は扉の前で眩い光を放った後、建礼門院と扉の中に消えてしまったのである。
嵐盛の瞳から涙が溢れて来た。鬼の邑の長、京と南都の影の長の目から涙である。
「何のために」若いころから必死に建礼門院を支え、明風を見守って来たのか・・・
何故、建礼門院は明風を連れ去ってしまうのか。嵐盛は号泣となった。
「どうしたのですか、嵐盛殿」
号泣する嵐盛の肩に手が置かれた。
少しひんやりとした手である。何故か心地がよい。
「どうしたもこうしたも」
嵐盛は声にならない。
しかし手を置いたものが誰かわからない。
ゆっくりと顔を上げた。
「あ・・・あなたは・・・」
嵐盛は驚愕した。
嵐盛の前に地蔵菩薩が立っている。
「嵐盛様、心配は全く要りません、大丈夫です」
「明風殿のお役目は、建礼門院様を扉のところまでお連れするだけ、そこから先は、この地蔵の仕事です」
地蔵菩薩は、そう言ってにっこりと笑った。
その瞬間、地蔵菩薩の身体が眩い光を放った。
嵐盛は耐えきれずに、その顔を覆った。
嵐盛の脇がつつかれた。
「起きて!」
茜の声である。
「・・・え?」
嵐盛は、ひどい頭痛を感じた。
「え?じゃないの、居眠りしている場合でないの、こんな大切な葬礼で」
茜は怒っているが、嵐盛は全く状況が把握できない。
「ほら、みんな外に出ているから」
茜は嵐盛の腕を取った。
嵐盛は、少しよろけながら立ち上がった。確かに、本堂の外に人が並んでいる。
「あのね、最後に明風がお話をするって、外で話をしたいらしい」
茜は嵐盛の腕を引いて歩き出した。
「私、明風を追って一生懸命走って、地蔵菩薩様に逢ったんだけど、不思議なの」
「みんな走って地蔵菩薩様に逢った夢を見たんだって」
茜は不思議な話をした。




