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明風 第一部  作者: 舞夢
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祝宴の後 そして新居

祝宴は無事に終了した。

公家たちは、神妙な面持ちで席を立ち、帰途につく。

何しろ、いつ「親王の宣下」があるのかわからない。

もし、明風が親王宣下と言う事態になれば、また次の事態も準備しなければならない。

つまり、皇太子への準備、天子への準備である。

高位の公家にとり、自らの娘との婚儀によらない立太子、天子への道は全く利益がない。

しかも明風の妻となる楓は建礼門院の姪と言われ、既に滅亡した平家の流れという。

その平家を滅ぼした責任の一端は公家たちにもあるが、源氏、いや鎌倉の北条などと言う輩は何をしでかすかわからない下賤である。

特に平家の流れが再びとなると、また危険も高まる。


そのような不安定な状況の中、自らの「家門」の安寧をはからねばならない。

後鳥羽院の言う明風の不思議な力は、公家たちも京の街の噂で良く知っている。

身体が光り、言葉ではなく、念仏だけで人々を歓喜の状態に招いてしまう。

京の街衆は、明風の噂で持ち切りである。

姿を見たい、声を聴きたいという声が、街に満ちている。


「不安もあるが、それでも、なんとかして、良い関係を持ちたいものだ」

まず大原の明運と八瀬の嵐盛、叡山と叡山の僧兵。

そして母の鈴音は春日社の一の巫女と言う。当然、南都とも強い関係を持つ。

今や大勢力の法然の教団と鎌倉方とも良好な関係を持つ栄西

全て公家たちにとって、敵にしたくない強力な相手が明風を支えている

一抹の不安はあるが、明風を護る体制としては、かなり強固なものがある。

それゆえ、明風とは、どうしても良好な関係を持たねばならないのである。


高位の公家たちが帰った後、後鳥羽院は建礼門院と鈴音を自らの部屋に招いた。

慎重を期し、明運と嵐盛に指示し、御殿の周りを八瀬、叡山、検非違使に守らせている。

「建礼門院様」

後鳥羽院は、建礼門院に頭を下げた。

まず、建礼門院の複雑な流転の過去を思いやる。

そして、国母にそのような過去を味あわせた、理由の一端は後鳥羽院にある。

本当に申し訳なく思う。


「そんな・・・頭をお下げにならず」

建礼門院は、そっと後鳥羽院の肩に手を置いた。

「あなたは、人に頭を下げてはいけないお方、そもそも、そんなこと、似合わない」

建礼門院は優しい顔である。

「あの戦いの時は」

建礼門院は、後鳥羽院の心配そのものを語り出した。

後鳥羽天皇の追討により、平家は追いつめられ、壇ノ浦で滅亡したのである。

「あなたは、まだ幼子、安徳とほぼ変わりません」

建礼門院は、優しい顔を変えない。

「・・・全ては争乱の世ゆえ人の心が荒み、もちろん、それを招いた責は、わが身にも」

建礼門院は、哀しそうに首を振る。


「あの・・・義経の阿呆がいなければ・・・」

後鳥羽院は唇を噛んだ。

特に義経の気違い沙汰の攻めが無ければ、ここまで国母建礼門院に苦労をさせなかったと思う。


「いや、義経がどうのこうのではありません、もはや、どうにもならないこと」

建礼門院は、後鳥羽院をなだめた。

「それよりも・・・」

建礼門院は、後鳥羽院の手を握った。

「はい」

後鳥羽院は、まさか建礼門院に手を握られるとは思わなかった。

しかし、よくよくのことだと思う。建礼門院の次の言葉を待つ。

「特に、北条方には用心なされよ、何をしでかすか、わからぬ」

建礼門院は真顔である。


「明風に対してでしょうか?」

頼朝や頼家まで、簡単に殺してしまった北条である。

今後の敵になりかねない明風を狙うのは当たり前と考える。


「いや、それ以上に、後鳥羽様が心配」

建礼門院の顔は、本当に不安そうである。

「いや・・・そんなことは・・・」

後鳥羽院はありえないと思った。

確かに、強い武力を持つ北条であるが、そもそも田舎の下賤極まりない輩である。

武力だけでは、人々の心はおさまらない。いざとなれば、全国の武家が自らを守る。

北条など、東国の一田舎侍と考えていたのである。

しかし、やがて後鳥羽院は、結局その自信が裏目となり、北条方に京の街を追放されてしまうことになる。そして、どれほど願っても京の土を二度と踏むことはなかった。


「明風は・・・」

建礼門院は話題を変えた。

また表情が柔らかくなった。

「はい、宴席で申したように」

後鳥羽院も表情が柔らかい。

「本人に任せましょう、周りは、護るだけで」後鳥羽院

「それで、お願いが・・・」建礼門院

「はい」

後鳥羽院は建礼門院の願いを予想できない。

「お護りの意味で」建礼門院

「はい」後鳥羽院

「寂光院に庵をひとつ」

建礼門院はクスッと笑った。

「はぁ・・・」

後鳥羽院も笑う。

「確かに京の街は危ないので」建礼門院

「それに、建礼門院様とのお約束も」

後鳥羽院は、柔らかな笑顔になった。


建礼門院は、鈴音とともに、叡山の僧兵、八瀬の邑の男たちに厳重に警護され、大原寂光院に戻った。

後鳥羽院からは、検非違使を追加する旨の申し出があったが、

「あまりにも警護が多いとかえって注目を集めてしまう」という嵐盛の言葉に沿う格好となった。嵐盛はもう一つ付け加えた。

「北条方は、今、栄西様の力だけで抑えている、しかし、もともと下賤の輩」

「目立つことをすれば、必ず何かしかけてくる、少しでも、危ない芽はないほうがいい」

「そうですね、あまり人が多いと」

建礼門院も同意した。


「京の街の様子も・・・」車の隙間から、わずかながら京の街が見える。

建礼門院にとっては、二度と見ることができないと思っていた京の街のありさまである。

「御懐かしい?」

鈴音の問いかけに黙って建礼門院は頷く。

建礼門院にとって京の街は栄華を極めたところでもあり、戦乱の後に源氏の捕らわれ人となりこの上ない悲哀を味わった街である。その複雑な思いが建礼門院の心に満ちている。


建礼門院を支える鈴音は、それ以上のことは聞かなかった。

「建礼門院様のご苦労は、はかりしれない」他人が、何を言っても、慰めにはならない。

「ただ、お支えするしかない」明風に本当のことを告げず、心を読ませなかったのも、建礼門院様の寂しい顔を見たくなかったため。

建礼門院にとって、せっかく心を慰められる明風という存在ができたのに、おそばに仕える自分がそれを奪ってしまうことは、憚られたのである。

「本当は建礼門院様もわかっていたのかもしれない」

「お互いが言い出せなかっただけなのかもしれない、もう、今更仕方がないけれど」

「あの子にも私と同じ力があることは、あの日すぐにわかった、でも絶対読ませないように心を閉じた、建礼門院様のこともあるし、後鳥羽院様の心だったし・・・」

「建礼門院様も、私も、そして明風も、本当に辛かったな・・・」

「私の心を支えていたのは、いつか言える日が来る、それだけだった」

「お互い生きていて、近くにいることだけでも、幸せだったのかもしれない」

「子供を亡くした建礼門院様に比べれば・・・まだ、幸せかな」

鈴音は、何も言わず京の街を眺め続ける建礼門院の身体を支えていた。


明風と楓は、水無瀬の御殿で数週間過ごした。

その間に、寂光院内に、明風と楓の「新居」が建設された。

規模は小さいながらも、後鳥羽院の皇子にふさわしい意匠を凝らした造りとなった。

造作は嵐盛が手掛け、皇子の屋敷にふさわしい造りとともに、万が一の襲撃に備え、隠し部屋や地下道を追加した。当然、地下道は明運の寺に続いている。

そのうえ、明運、叡山、八瀬が警護を怠らない。

明風は楓と寂光院の新居で平和な新婚生活を行うことになった。

その生活の中で、法然や親鸞から浄土三部経の講義、栄西から禅の講義、明運からは天台を中心とした様々な教学の講義を受ける。

また、嵐盛からは武技、建築学、治水土木の指導を受ける。

定家からは和歌の指導を受けるが、これについては、どうにも苦手で、途中で止めた。

明風は、仏門や風雅の道への修行を行いながら、建礼門院には毎日お目通りをする。

鈴音も常に同席する。本当に平穏な日々が続いた。

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