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明風 第一部  作者: 舞夢
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一期一会

明風の左手が突然握られた。

「あれ?」

楓がいつの間にか、隣に座っている。

「あれじゃないでしょう」

楓は手を強めに握って来た。

「あのね、お母さんをそんなに泣かせてはいけないの」

「こんな世の中で、お父様もお母様もそろっているなんてないよ」楓

「そうだね」

明風は争乱の中、命を落とした楓の父を思いやる。

「私を育ててくれたのが、鈴音様」

「そしてあなたを育てたのが、私のお母様」

楓は明風と鈴音を交互に見た。

「だから、あなたと私は、結ばれなければならない」

「そういう定めなの」

楓の顔が赤くなった。

「うん・・・」

明風も顔が赤くなった。

「それに・・・もう・・・」

楓の顔がますます赤くなる。

「え?」

明風は楓の表情の変化がわからない。

「全く・・・」

鈴音と楓は同時に明風を見てクスッと笑った。


「お願いね」

鈴音は、楓を抱きしめた。

「いい子を・・・」

鈴音は、また泣き出した。

「はい、建礼門院様にも、しっかりと御報告を」

楓も泣き出した。

「そして後鳥羽様も、明運様も呼んで・・・お祝を・・・」鈴音

「いろんな人を呼んで・・・」楓

「華やかで心が温まるように」

鈴音の瞳が輝いている。


明風は、鈴音と楓の話に、何も口をはさむことができなかった。

何しろ何回も寂光院で顔を合わせて来た鈴音が、実の母とは考えもしなかった。

寂光院を訪れるたびに自分を見つめる鈴音の目が、お妙や茜と少し違うことには気が付いていた。

しかし、まさか実の母と考えるまでには、至る程度ではない。

実際、寂光院を訪れた際の、鈴音の明風に対する接し方は控えめなものだった。

鈴音は、最初と最後に顔を出すだけであり、明風も、たいていは建礼門院と話をして帰るだけである。

時折楓も顔を出すが、本当に時折である。

そもそも、明風自身が建礼門院のこと以外は、心に留めていなかったのである。

実の母、鈴音にも理由があることは、理解した。

確かに、戦乱や争乱が続き、世情の乱れは甚だしい。

そんな時代には、どんな立場の人であっても、まともに生き残ることは困難だと思う。

建礼門院にしろ、鈴音、楓にしろ、一歩間違えばこの世にはいない。

「それでも、こうして生きている、生かされている」

明風は、かつて明運に聞いた言葉を思い出した。

明風が座禅を組んでいた時のことである。


「明風」明運

「はい」明風

「生きることが仏恩、仏縁」明運

「はい」

明風は返事をしたものの、その時はよくわからなかった。

「それともう一つ大切なこと」明運

「はい」明風

「一期一会、建礼門院様が好きなお言葉である」明運


座禅を組んでいる間中、その言葉について考えた。

単純な言葉である。

「生きていることは仏恩、仏縁」

つまり、仏の恩と仏の縁により生きる。

仏の、何等かの考えにより生きるということか。

「一期一会」

目の前のことに、最善をつくす。目の前の人や物、作業でもいい。

自らの最善を尽くすことだと思った。

何故、その言葉を急に思い出したのかわからない。

ただ、人がこの世を生きていく以上、これ以外はないのではないか。

単純な言葉である。

しかし、心地よい言葉であると思う。

そう思った時、明風は心の中のわだかまりが消えていくことを感じた。

「まず、目の前の人を大切にする、それが御仏の御心」

明風は、目の前で楽しそうに話をする鈴音と楓が、愛おしくて仕方がない。


「わかりましたか・・・」

突然、明風の耳に、聞き覚えのある声が飛び込んできた。

「え?」

明風は辺りを見回した。

「あれ?」

見回した途端、鈴音と楓の姿が消えている。

「ここは?あれ?」

再び、乳白色のふわふわした雲の中にいる。

「戻ってしまったのかな、それにしても、あの声は?」

明風は乳白色の雲の中で、声の主を探した。

声の主は、わかっている。

「阿弥陀様の御沙汰があります」と告げた地蔵菩薩である。

「チリン」

鈴の音が聞こえた。

「はい、ここにいますよ」

明風に再び声が掛けられた。

「はい」

明風は声の主に振り向いた。

地蔵菩薩が笑顔で立っている。


「阿弥陀様の秘力により、様々なことをお見せしました」

「それから、阿弥陀様は、京の街であなたの進むべき道をお示しになられました」

「私もできる限り、お支えいたします」

地蔵菩薩は、そういって頭を下げた。

「はい、本当に、ありがとうございます」

「これで、心が晴れました、感謝してもしきれません」

明風も地蔵菩薩に手を合わせ、頭を深く下げた。


「なかなか、この世では難しいことながら・・・」

「あなたは、阿弥陀様の仏恩、仏縁を深く感じ取られ、苦しむ世の人を、一人でも多く癒されてください」

地蔵菩薩は、微笑んだ。

「それでは、そろそろ」

地蔵菩薩が錫杖の鈴を鳴らし始めた。

「はい」

明風は目を閉じた。

「お戻しいたします」地蔵菩薩の鈴の音が明風の全身に響き渡った。

と同時に明風の身体全体が震えた。

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