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明風 第一部  作者: 舞夢
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母鈴音と明風

明運から建礼門院のもとに連絡が届いたのは、鈴音がこの寂光院に運ばれた日から、およそ三年後であった。

鈴音もすっかりこの寂光院での生活になじみ、平穏で安らかな日々を送っていた。

明運からの書状には

「そろそろ、落ち着きました故、お目通りを」

「産着の御紋とは関わらず、明風と名付けました」とある。

相変わらず、明運らしい単刀直入な文である。

御所で、公家たちが使いまわす回りくどい文に慣れた建礼門院には、かえってこの書き方のほうが心地よい。

即座に返事を出した。

「首を長くしてお待ちしておりました、楽しみにしております」

建礼門院の応えも短かった。その短い文面に全てを込めた。

ただ、建礼門院には多少の不安があった。

鈴音がこの寂光院に届けられた日に、明運の寺の門前に置かれていた赤子である。

その赤子は後鳥羽様の御紋がつけられた産着に包まれていたとか。

おそらく鈴音と、その赤子は親子であろうと推測した。

嵐盛に尋ねた時には、「後鳥羽様より、誰にも内密にとの命、明運にも内密との命です」との答えだった。

そうなると、鈴音とその赤子は親子であることに違いが無い。

しかし、内密である故、鈴音にはそのことを告げずに、三年余の時を過ごした。

もし、そのことが分かった場合、どういう変化が起きるのか。

今まで、そのことを告げてこなかった建礼門院に対する気持ちはどうなるのか。

鈴音は、建礼門院にとって、今や心を許せる唯一の女である。

ただ、問題は「建礼門院が心を許せる」ことであって、鈴音からの「心を許せる相手」が建礼門院なのか、確信が持てない。

鈴音は、本当に日々笑顔で尽くしてくれる。哀しみの素振りは全く見せない。

嵐盛から鈴音の素性は聞いている。

春日大社の一の巫女であったことや、後鳥羽院の女房であったこと、そして「人の過去や未来を見通す不可思議な力」を持つことである。

鈴音と楓の間の雰囲気も、観察した。

確かに鈴音は、心を込めて楓を育てている。しかし、血を分けた親子の雰囲気ではない。

建礼門院は、不安を感じながら明運たちの到着を待った。


「うゎ・・・」

明風の身体の中に、再び激しい電流のようなものが突き抜けた。

身体全体が痺れている。

「ほらほら、しっかりなさい」

鈴音の声が聞こえた。

そして、おそらく鈴音であろう。やわらかく抱きかかえられた。

「阿弥陀様が、今までのことを見せてくれたでしょう」

鈴音の声で目を開ける。

「あれ・・・」

明風の目には鈴音が見えるだけである。

建礼門院も楓も見えない。

「うん、このままでいいよ」

鈴音は明風の手を握る。

「はい」

明風は、事態がよくわからないが、鈴音に頷いた。

「明風・・・いや、ちゃんと名前もつけてあげられなかったのだけど・・・」

目の前の鈴音が涙ぐみ、不思議なことを言う。

「名前をつけてあげられなかった」とは・・・

明風は鈴音の顔を真っ直ぐに見る。

鈴音は泣き出している。

「あっ・・・」

明風は鈴音の手を強く握った。

「もしかして・・・」

明風の脳裏に、冬の冷たい雪混じりの風と、燃え落ちる火柱が突然よみがえった。

自分が鈴音の腕に抱かれていたこと、若い頃の後鳥羽院が鈴音の手を引いて燃え盛る屋敷の中を歩いたこと、屋敷の前には白拍子の集団、とにかく速く京の街を走り抜けたこと・・・

「ごめんなさい」

鈴音は明風の頭を抱えた。

「ずっと黙っていて・・・、ごめんなさい・・・」

泣きながら、何度も同じことを繰り返す。

「母様?」

明風は不安ながら、鈴音に問いかける。

もしかすると、この鈴音が探し求めた母かもしれない。

「うわっ・・・」

鈴音は思いっきり明風を抱きしめた。

鈴音は涙で全身が震えている。

「寂しかった、後鳥羽院様の言葉を思い出したのは、春日の巫女舞を踊った日」

「でも、建礼門院様にも、誰にも、言えなかった」

「あなたがここのお寺に初めて来た時・・・すぐわかった」

「顔が見えた時、飛び出していって抱きしめたかった・・・」

鈴音は、泣きじゃくっている。


「・・・どうして・・・そうしてくれなかったの?」

明風だって、ずっと父と母を探し求めていた。

明運の寺で、お妙や茜に、本当に優しくお世話をしてもらった。

だけど、どこかが違う、本当の血がつながった親子ではない。

寂光院に最初に来た時に、建礼門院様の哀しい過去が見えてしまった。

どうしても、建礼門院様の笑顔が見たかった。何とかしたかった。

だから、建礼門院様に抱かれ、子になるとまで言った。

建礼門院様も、本当に喜んでくれた。そのこと自体は間違っていないと思う。

でも、何故その時、何も言ってくれなかったのか、明風は、どうしても納得ができない。

楓の実のお母さんがお妙ということもわかってしまった。

それで、お妙と楓は満足した、感謝もされた。

でも、明風自身は寂しかった。

何より「捨てられた子」という情けなくも哀しい負い目が、お妙と楓の抱き合う姿を見て、それまで以上に強くなってしまったのである。


「ごめんなさい・・・」

鈴音は身体を震わせながら、何度も同じ言葉を繰り返す。

「それは、難しかった、建礼門院様のあまりも哀しいご事情もある」

「私は建礼門院様に救われたの、あの、恐ろしい争いの日に」

「京の都は未だ争いが多い、鎌倉方、特に北条は何をしでかしてくるのかわからない」

「後鳥羽様も、もし何かあれば、これしかないと・・・考えておられたのでしょう」

「あなたを明運様の寺の前に置いたのは、それほど明運様の信頼が強かったため」

「明運様は武力、学力これ以上の護りはない、八瀬の嵐盛様や、叡山の護りもある」

「これなら、鎌倉方も簡単に手が出せない」

「建礼門院様も、あなたと逢うことで、心もお身体もより回復なされた」

「あのままでは、数年しか、もたないお命が・・・」

「国母の葬儀となれば、この不安定な世の中、何が起こるのかわからない」

「ましてや尼寺の寂光院に、あなたはおけない、必ず狙われる口実となる」

「後鳥羽様の考え通り、明運様のお寺で安全に護り育てていくのが一番だったの」

「時折明風が寂光院に来ることにより、建礼門院様の心が慰められる」

「私もどれほど、本当のことを言いたかったか、でも建礼門院様に命を救われた身、あの時、建礼門院様に救ってもらわなかったら、あなたを二度と見ることができなかった」

「それに本当のことを言ってしまって、建礼門院様の寂しそうな顔を見るのが怖くて・・・言うべきか、どうしようか、ずっと悩んでいた」

「建礼門院様も気づいていたと思うけど、二人とも、どうにもできなかった」 

「本当に寂しくて、あなたには申し訳なかったれど、この争乱の時代であなたを安全に育てるには、私もあなたも世に秘し、育てることが大切」

 泣きじゃくりながら、鈴音の話はここで終わった。

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