不安と決断
「正気に戻ったとして・・・」明運
「おそらく、何故寂光院にわが身がいることが、まずわからぬ」嵐盛
「後鳥羽院様の書状がある」明運
「いや、それは誰でもわかる、建礼門院様がお見せすればいいことだ」嵐盛
「それ以外と言えば・・・赤子のことか・・・」明運
「まず赤子を探すだろう、後鳥羽院様の書状には赤子のことは何も書いてない」嵐盛
「何かの思惑なのか」
明運は後鳥羽院の「思惑」を考えるが、思いつかない。
明運は、嵐盛の心を読もうとするが、何故か読み切れない。
嵐盛なら、真実を聞いているかもしれない、そう思うが何故か、どうしても心に入り込めないのである。
「それはともかくな・・・」
嵐盛は、明運の顔を見る。
「うん」明運は声を出さず応える。声を発しない会話がはじまった。
「鈴音は、おそらく南都春日大社の一の巫女」嵐盛
「うん」明運
「春日の神職を父に、母は熊野の・・・比丘尼とも聞く」嵐盛
「そんなことまで知っているのか」
明運は、嵐盛の情報網に舌を巻く。
「ああ、南都にも、仕事が多い」
「春日の神職と熊野の比丘尼が内緒で結ばれ・・・娘ができた」
「その娘は、見目麗しく成長し、春日大社の一の巫女となった」
「子供の頃から神異の力を見せていたとか」嵐盛
「神異とは?」明運
「ああ、突然身体が光る、相手の前世や未来が見えてしまう」
「それ以外にも、常民には見えないものを見ることができるとか・・・」
嵐盛は舞い踊る春日を見つめている。
「後鳥羽院とはどうして?」明運
「ああ、それは後鳥羽院が熊野詣のついでに、南都で遊んだ」
「その時に巡り合ったらしい」嵐盛
確かに後鳥羽院の熊野詣は、かなりの回数を重ねている。
後鳥羽院は、建久九年に十九歳で譲位、院政を開始した。
その後、土御門・順徳・仲恭の三代に渡って院政を行う。
熊野詣は、譲位したその年にさっそく行うほど、熊野信仰に熱心であった。
同じく熱心だった後白河院は三五年の在院期間のうちに三四回の熊野御幸を行ったのに対し、後鳥羽院は二四年の在院期間のうちに二八回。往復におよそ一ヶ月費やす熊野御幸を後鳥羽院はおよそ十ヶ月に一回という驚異的な間隔で行っている。
鎌倉幕府の干渉を嫌った後鳥羽院は自ら弓馬などの武芸を好み、これまでの北面の武士に加え、西面の武士を置き、また諸国の武士を招くなどして、幕府の配下にない軍事力の掌握に務めた。
したがって、後鳥羽院の度重なる熊野御幸には、熊野を味方につけるという政治的な意味合いも強かった。
また、後鳥羽院の熊野御幸で特徴的なのは、道中のところどころの王子社などで、和歌の会が催されたことだ。
熊野詣の途上、王子社などでは、神仏を楽しませる法楽として、白拍子・馴子舞・里神楽・相撲など、様々な芸能が演じられたが、特に和歌には熱心だった。
「その熊野詣の時にか・・・」明運は、不思議な縁だと思う。
「うーん」嵐盛は何かを考え込んでいる。
おそらく鈴音の今後についてらしい。それ以外は考えられない。
明運は嵐盛の考えていることを読もうとする。
嵐盛は明運の知らない「何かの真実」を知っていることだけはわかる。
しかし、いつもと違い、どうしても読むことが出来ない。
明運はついに読むことをあきらめた。
「・・・まあ、しかたがないだろう」明運は嵐盛の肩をたたいた。
「しかたないとは?」嵐盛
「寂光院については、よく見張り、後鳥羽院から託された赤子については、大切に育てる他はあるまい」明運は単純に考えを決めた。
「まあ、お前らしい愚直で単純な答えだ」嵐盛は明運を見る。
「いや、こういう複雑な時代やいきさつの中では、何か単純さを貫くのだ」
「難しいことは考えず、我々の用語では、一期一会だ」
明運は、さわやかな笑みを浮かべている。
「そうか、覚悟を決めたか、まあ、しかし、それがいいだろう」嵐盛も頷いていた。
巫女神楽は、華やかなうちに終わりとなった。
少し顔を赤らめた鈴音が舞台を降りて来た。
そして、建礼門院に会釈をし、隣に座った。特に踊りの前と変化はなかった。
楓は、ニコニコしながら鈴音の手を握っていた。




