後鳥羽院と白拍子
明風にとって義経は、世間の人々と同じ英雄であった。
専横を極めた平家を奇抜な戦法で打ち破った義経。
源平争乱における最大の功績をあげたにも関わらず、頼朝のやっかみで滅ぼされた悲劇の英雄だと、世間の人々と同じように考えていたのである。
それが父である後鳥羽院の考え方は全く異なる。
「大阿呆」極度の怒りである。
「不必要な、勝手な戦を起こし、天皇を殺し、国母を海に沈め、神剣を失う」
その言葉を聞く限り、我が国の歴史の中でも、まれにみる大悪人である。
「神剣なくして相争うものたちを制することができない」このことも、かなり重い。
神代から受け継いできた「世を制する神剣」を失ってしまった。
取り返しのつかないことである。
そもそも天皇としての即位の「正当性」を疑われる事態なのだ。
後鳥羽院の悩みも明風の胸に迫って来る。
「それから・・・」
後鳥羽院は、涙を一旦拭いた後、明風を見つめた。
「お前は後鳥羽院の屋敷に様々な芸人が出入りすることを、忌々しく思っているに違いがない」
「こんな御殿で贅をつくした庭を造る、高価な材料を使い、美味極まりない料理を食す」
「蹴鞠をはじめとして様々な芸事もあるが・・・、そんなことよりは、世を治めよとな」
これは、明風が昨晩の宴席で話したことであるが、後鳥羽院も正確に趣旨を捉えていた。
もっとも、明風の話したことは粛子内親王により、諭されている。
「しかしな、明風」
後鳥羽院の顔は穏やかになる。
「この混乱の世で・・・人の心も荒れているが、人の心を荒れるままにしてはならぬ」
「美しいもの、愉しいものがなければ、人の心も世も荒れる」
「神代から受け継いできた美しいもの、愉しいものを守り、受け継ぎ、向上させるのも、後鳥羽院の役目だと考えている」
「仏門ならば、仏道を修行し、救いの道を示すだけでもいい」
「朝廷の役人ならば、役目に応じて、世を律すればいい」
「武家ならば、世の安寧を保つ、または敵に打ち勝つだけでいい」
「しかし後鳥羽院はそれらを全てとりまとめねばならない」
後鳥羽院はここで、息を一旦吐き、続けた。
「それと、白拍子、遊女、旅芸人については」
後鳥羽院は、難しい顔になった。
「遊女の中から特に歌や舞などの芸事や学識を修めたものが、白拍子となる」
「お前のような清廉な育ちでは、馴染みがないだろうが」
「これも、様々な争乱や飢饉で親を失い、他にも理由があるだろう」
「とにかく、わが身ひとつの芸で生きている」
「彼女たちには善悪もない、そうしなければ生きられん」
「懸命に相手を喜ばそうとする、健気ではないか・・・」
「遊女もしかりだ、白拍子ほどの力はないものの」
「僧侶からすれば、いかがわしいことかも知れぬが、罰するだけでは、如何なものか」
「そもそも、こんな争乱の世を招いた、後鳥羽にも責がある」
後鳥羽院は顔を曇らせた。
「ただな・・・自由に出入りさせることには、理由がある」
後鳥羽院は声を落とした。
明風の本当の疑問はそこにあった。
白拍子や遊女、旅芸人の生き方そのものは、致し方ないものがあると思っていた。
「これも世の安寧を保つ役割だ」
後鳥羽院は、明風にとってわからないことを言う。
「つまりな、あちこちの公家、武家、そしてお前たち仏門にまで、彼女たちは入り込む」
「そして、その中で芸を振る舞い、酌をし、夜を共にする」
「その中で、様々な世の動き、これからの動きまで知る」
「それが、この後鳥羽に伝わる」
後鳥羽院は、にやりと笑う。
「・・・そうですか・・・」
明風は背筋が寒くなった。
つまり、白拍子や遊女、旅芸人は、その芸だけではない、様々な情報を得るのである。
公家、武家、仏門の秘すき情報を直接または隠喩で聞き取る。
そして、その情報が後鳥羽院に入る。
むろん、後鳥羽院の動向も漏れているかもしれないが・・・
「まあ、後鳥羽は遊戯しかしていない暗愚と思われているほうがいい」
「その方が、素直な動きが入る、素直な動きが入らないと、対処も間違う」後鳥羽院
「野放図なようで、神経を張り巡らしている」
明風は、後鳥羽院を驚きの顔で見つめている。
「そして、本当の秘事を伝えねばならない」
後鳥羽院の眼が大きく開かれた。
明風に緊張感が生じている。




