後鳥羽院の嘆き 源平合戦の真相
楓に案内され後鳥羽院の寝所に入った。
楓の言う通り、真面目な顔になっている。
昨晩の宴会時のような、明るさは消えている。
「おお、来たか」
後鳥羽院は明風に座るように促す。
「はい」
明風は後鳥羽院がこれから話すことの予想が付かない。
かなり難しいことで秘することなのかと感じている。
「これから話すことは、お前の胸の中にだけ、収めておくように」
「決して他言はならぬ」
後鳥羽院の顔は厳しい。
明風は姿勢を正した。
後鳥羽院は語り出した。
「この世は末法の時代と言われている、飢饉が続き、戦乱も長い」
「もとはといえば、内裏の中から生じた争いではあるが・・・」
後鳥羽院は、少し肩を落とした。
「しかしなあ、どうにもならぬことも多かった」
「この後鳥羽一人ではな、とても・・・」
「内裏、摂関家、仏門、武家・・・全てが相争っているのだ」
「あちらを使えば、こちらが不満を漏らす、何一つ、わが身が制することが出来ない」
「・・・出来るのは、芸事だけだ・・・」
後鳥羽院の顔には自嘲が浮かぶ。
「それも、これも、わが身に神剣が無いこと故なのか・・・」
「神剣無きが故、力が無いのか・・・、神代の頃から受け継いだ神剣が・・・」
後鳥羽院の顔は哀しみと怒りで赤みを帯びている。
「それも、これも・・・こうまでひどくなったのは」
後鳥羽院の身体が震えだした。
怒りが後鳥羽院の身体を包んでいる。
「義経の馬鹿阿呆が・・・」
「頼朝なら、あんなことはしなかった、頼朝が怒るのも当たり前だ」
「何故か義経のほうに人気があるが、それも嘘に騙されているだけだ」
「頼朝からの詫び状もある、平泉で義経を滅した後、届いておる」
後鳥羽院は懐から、書状を取り出した。
確かに、後鳥羽院宛ての書状、頼朝の署名がある。
「頼朝はな、ゆっくりと、堂々と平家を追い詰めたかったのだ。既にな、源平の兵力の差も大きく開きだしていた。平家も源氏も内裏も、それは、わかっていた。あとは、できる限り被害や犠牲の少ないように決着をつけなければならない。
そのために、平家も源氏も内裏も、ゆっくり堂々と事を進め、自然な譲位を行うべきだと考えていたのだ」
「ところが、義経はそうではなかった。屋島、壇ノ浦と戦いを進める上でだ」
「軍の棟梁である頼朝の意思を考えず、奇手や無理やりの攻撃を重ね、平家や、そしてその中にいる安徳様まで、追い詰めてしまった」
「安徳様も建礼門院様も海に沈め・・・神代から受け継がれてきた三種の神器まで、海に沈めてしまった」
「頼朝はな、まさか自分の血を分けた弟が、天皇を殺したうえ三種の神器まで沈め、神剣が行方不明となるような結果を考えてはいなかった」
「戦というのは、棟梁の命令を守らねばならん」
「命令も無く勝手な戦をするというのは、棟梁への侮辱だ」
「その棟梁の弟自らが、そんな勝手な戦をすることは、他の源氏軍に参加した武家に混乱を招くことにもなりかねん」
「そもそもな、あんな、おぞましい戦法を使わなくても、平家は降伏したのだ」
「武家の棟梁たる頼朝は権勢を結果として獲得したが、弟に面子を汚され、天皇を殺し、神剣を失う・・・心中は煮えくり返るものがあったのだ」
「壇ノ浦の二か月後、義経は頼朝により、鎌倉入りを拒絶された」
「義経は反発したそうだが、当たり前のことだ」
「戦はな、勝ちさえすればいい、そんなことではない」
「それからな、ひよどり越えの坂の話は嘘だ、それこそ、義経の性格から出た嘘だ」
「え?」明風
明風とて、ひよどり越えの戦闘は聞いたことがある。
義経の戦略と勇気は凄いものだと思っていた。
「ひよどり越えはすごい坂でもなく獣道でもない、なだらかな坂だ」
「そもそも、ひよどり越えの戦いは、当地の支配を平家に任されていた多田行綱という土豪が、平家を見限って源氏に付き、熟知していたひよどり越えのなだらかな坂道を使って、真っ先に福原に攻め込んだ戦いだ」
「それに義経は、その時はからめ手つまり後方部隊で一切この戦いに参加しておらん」
「義経は京都の武家社会の頂点にいたから、それで協力軍の多田の軍功を自分の手柄として、触れ回った」
「特に貴族社会への売り込みは激しかった。守覚法親王とか、完全にだましきった」
「義経の阿呆は短慮にして、自らのことしか考えない、自らが褒められたいだけだ」
「そんな阿呆は滅ぼされるのは当たり前だ!」
「安徳天皇を殺し、建礼門院様にまで無礼な扱いをする」
「こんな阿呆はそもそも自死を選ばねばならん、それを、何もわかっていなかった!」
後鳥羽院の顔は憤怒で真っ赤である。
「海に沈んだ三種の神器のうち、神剣だけが引き上げられなかった」
「世の争乱時とはいえ、この後鳥羽は三種の神器がそろわず即位をしたのだ」
「神代から、こんな即位はない、これだけでも、いつ天罰をうけるかわからない」
「神剣なしで、どうして世を制することができる・・・」後鳥羽院は涙を流している。




