明風の姉 粛子内親王
唐車の中で明風は全く身動きが出来ず、言葉を発することもできない。
どうして、こんな豪華な唐車に乗っているのか、理由もわからない。
先導された若い女性に見つめられているが、見るからに、かなり位の高い女性とわかる。
きれいな顔立ちで気品があり、明風の顔を見ながら笑顔を絶やさない。
ただ若い女性とは認識したが、化粧を落とせば明風とそれ程年齢は変わらないのではないか、そんな気もしてきた。
その若い女性から、不思議な香が漂ってくる。といって強い香ではない。
甘く、爽やかな果物のような香である。
明風自身は、お香の知識は少ない。
大原の明運の寺では、白檀だけを線香として使った。
建礼門院様の寂光院では、白檀に加えて、時折、沈香を使っていた。
明風は、お香に関しては、それ以外のものは知らなった。
そのため、お香について話題にすることもできない。
明風は結局身体も動かすことも声を出すことも、どうしたらいいのかわからない。
そのまま段々と眠くなってきてしまった。
牛車の揺れに合わせて次第にまぶたが重くなり、ついに眼を閉じてしまった。
「全く・・・」
突然、眼を閉じている明風の耳に声が聞こえてきた。
僧房で聞いた若い女性の声に似ているが、薄目で見ると、声を出している様子はない。
明風は、そら耳と思い再び目を閉じた。何しろ眠くて仕方がないのである。
「寝ちゃだめ」
再び声が聞こえてきた。同じ若い女性の声である。
明風は驚いて今度はしっかりと目を開け、目の前の若い女性を見る。
「あのね」
若い女性は明風の目を見つめ、頷いた。
「私が声をかけたの」
若い女性は声を出していない。
しかし、耳に届く声は、若い女性の声そのものである。
「え?」
明風は驚くが、声は出さない。
「え?じゃないの、寝ちゃだめっていったのは、私」
全く口は動いていないが、若い女性の声が耳の中で響く。
「あのね、私たちは声を出さなくても話はできるの」若い女性
「そうなの?」
明風は不思議に思うが、少しずつ会話になっている。
「せっかくお迎えに来たんだから、寝ないでよ」若い女性
「そう言われても、お迎えそのものがわからないし・・・」明風
「あのね、面倒だから話しちゃうけど」
若い女性は、少し真面目な顔になる。
「うん」明風
「貴方って私の弟だよ、お父さんに聞いた、お父さんに言われてお迎えに来たの」
「と言っても、私も貴方のこと、見たくて仕方がなかったんだけど」
若い女性は、笑った。
「え?」
明風は身体全体に電流が走るような驚きに包まれた。
「何だって?お姉さん?それにお父さん?どういうこと?」
明風は目の前の女性が言っていることが全く理解できない。
自分に兄弟がいることは、知らなかったし、親のことなど考えたこともなかった。
そもそも、「みなしご」と思っていた。
師匠明運から聞いたことは「お前は寺の門前に置かれていた」と言うことだけである。
となれば、「捨て子」である。明風自身は、本当は自分の親を知りたかった。
しかし、生まれたばかりの子を捨てるような親である。
それに、捨てられた自分である。哀しいけれど、寂しいけれど、それが現実であった。
お妙さんや茜さんは、本当に優しくしてくれた。
師匠明運様や明信様も、時折は厳しいけれど、しっかりと育ててくれた。
建礼門院様も「自分が子供になる」と言ったのは、建礼門院様が寂しそうな心であって、明風自身も寂しかったから、何とかしたいと思った。
建礼門院様は、ありがたくも自分を受け入れてくれた。
だから明風も建礼門院様を本当に好きだったし、これからも建礼門院様の「子供」であることは変えない。
そう思って生きてきたのに、姉が迎えに来て、父が待つという。
それも、こんな位の高い人が乗る唐車で・・・明風は頭を抱えてしまう。
「ねえ・・・そんな顔しないでよ」
再び「姉」と言う女性の声が飛び込んできた。
「そう言われたって」
明風は頭を抱えたままである。
「貴方が明運様のお寺に預けられた事情は詳しくは知らないし、それはお父様に聞いて」
「姉」の声が耳に飛び込んでくる。
「どうしてわかるの?」
明運は「姉」の言葉に「明運」の名前が出てきたことに驚く。
「うん、貴方の考えていること、全部わかる、全部頭の中に飛び込んできた」
「貴方も大変だったんだ」
「姉」は、優しい言葉になった。
「・・・」
明風は、頭の中を読まれたことで驚いてしまい、対応が出来ない。
「あのね、こうして声を出さないで話が出来るのも、同じ血だから」
「その理由は、また・・・教えるけれど」「姉」はここで、一呼吸置いた。
「私もずっと預けられていたんだ」「姉」は、明風の眼を見つめる。
「預けられたって?どこに?」明風
「伊勢の大神様に斎王としてね、それから名前を言わないとね」
「私、すみこっていうの、漢字だと粛子って難しい」
「姉」は、突然予想もしないことをいった。
伊勢の大神なら明風でも知っている。
姉「粛子」は、その大神に仕える斎王だったと言うのである。
「少し前に都に戻って来たの、斎王はお役御免でね」
粛子は、少し笑う。
「それでね、京の都に戻る前に、伊勢の大神様とお話したの」粛子
「うん」明風
「伊勢の大神様、私に弟がいることと、京都に戻れば、仲良くなれるって教えてくれた」
「もう、それ聞いたら逢いたくって仕方がないしね、それで無理言ってお迎えに来たの」
粛子は花のような笑顔になった。




