お迎え
明風は栄西の指示を守り、座禅を組んでいた。
座禅を組みながら考えるのは、栄西により課された三つの公案である。
どれも難問だった。
法華経や阿弥陀経、般若心経などは、既に何度も読み、意味を語ることもできる。
それにより、読経や説法ができるのである。
しかし、公案は今までの修行とは異なっていた。
今までの修行は、「過去の聖者により書かれたものを暗記し、解釈し、聖典として人々に伝える」ことであった。
しかし、公案は全く形式が異なる。
「過去」ではなく、「現在」自らが解決を考えなければならない。
栄西に考えつく限りの答えを行ったものの、正しい答えかどうか明風自身が不安である。
栄西は、明風の答えに対して否定はしなかったが、その前に明風自身が満足していない部分がある。
「何も考えずに座禅」が望ましいと教えられたが、とても無理である。
どうしても何か考えてしまう。
「これはこれで、禅僧の修行も大変だ」
明風は座禅を組むが、どうしても集中できない。
そして明風が座禅に集中できない原因がもう一つあった。
「どうしたのか、身体が少し熱い」
今日は、昨日京都に来た時のような、陽光の日ではない。
僧房の中は薄暗く、空気そのものは冷えているが、身体全体に熱を感じている。
「それに、たくさんの人がここに向かってきている」
「足音でわかる、大きな車の動く音や牛の歩く音」
座禅により眼は閉じているが、耳は敏感である。
そしれに「音」は、少しずつ大きくなってきている。
「誰か偉い人の行列かな」
明風は、昨日師匠明運に教わった牛車の種類を思い出す。
半分以上、意味が理解できなかったが、牛車は偉い人が乗ることだけがわかった。
「とすると、たぶんこの近くを通るのかな、通り過ぎれば音はしなくなるはず」
そうなれば、もう少しは座禅に集中できると思い、ひたすら音が小さくなるのを待った。
「あれ」
明風が異変に気付いたのは、それほど時間がかからなかった。
「音はしないわけではないけど、歩く音は止まった」
「本当にこの近くだ、それに何か、お香のような・・・」
明風は、座禅を解いた。
とても、外の様子が気になって全く集中できない。
少し「足のしびれ」を気にしながら立ち上がった。
「いったい何事だろう」明風が、僧房の外に出ようと歩き出した時である。
「明風殿ですか」
僧房の外から、声がかかった。
若い女性の声である。そして、麗しい匂いがしてきている。
先ほど感じたお香と同じ匂いである。
「はい、明風にございます」
明風は素直に応える。
「お迎えにあがりました」
若い女性の声が再び聞こえてきた。
そう言いながら何故かクスッと笑う。
「お迎えとは・・・」
明風は、意味がわからない。
お迎えが来るなど、師匠明運にも栄西にも聞いていない。
それに「誰が」お迎えなのか、全くわからない。
「それは、これからゆっくりと」
若い女性の声が応えた。
明るい声になった。と同時に僧房の戸が開けられた。
「はい・・・」
明風は、僧房の中に入ってきた若い女性を見る。
素晴らしく美しい女性である。
細長、袿、単衣、濃き袴、衵扇、当て帯をきっちりと着こなしている。
女性の後ろには、裾を持ちあげる女童もいる。
明風はその女性に関しては、何も感じなかった。
感じないというよりは何故か違和感がなかった。
お香も、最初は気になったが、すぐに慣れた。
「わかりました、お任せいたします」
おそらくこの女性は、「偉い人」のお使いであろうと理解した。
かつて建礼門院様が雑談の中で、「偉い人」の周りの女性について語ったことがあった。
その時に聞いた女性の服装と、あまり変わらなかった。
そしてお使いの女性の誘いを断ることは、「偉い人」への「無礼」にあたるとも聞いた。
そのため、素直に女性の後をついて僧房を出たのである。
そして、次に明風の眼に飛び込んできたのは、大きな唐車の上につけられた紋である。
「菊の弁の形をしている・・・栄西様が持っておられた書状と同じ」
最初は、そう思っただけである。
しかし、唐車に近づくにつれて、菊の紋に何故か眼が吸い寄せられる。
身体が再び熱くなった。明風自身、熱くなる理由は、全くわからない。
唐車の前に先導する女性が立った。
「ではこちらから」
唐車の後ろから乗るよう、案内される。
「わかりました」
明風は、身体の熱さを感じながら素直に乗り込んだ。
続いて若い女性が乗り込む。
「少々、長い道のりですが・・・」
若い女性は、不思議な笑みを浮かべ、明風の手を握った。
「わっ・・・」
明風の身体全体が硬直する。
若い女性が明風の身体を支えた。
「それでは・・・」若い女性は、一瞬窓を開けた。
そして唐車は動き出した。




