祇園を歩く明風と栄西
「栄西殿、ありがたい」
明運は心から礼を言った。
今の祇園社の不穏な状況は建仁寺にも当然伝わっているだろう。
そこで鎌倉方にも、朝廷にも、南都にも顔が利く栄西の出番になる。
栄西自身が迎えに来れば、祇園社を囲む山法師も清水も手出しができない。
「さすが、見通されている」
明運は栄西の読みの深さに感謝した。
「いやいや、まず自分の目で、この子を確かめたくってね」
「因果を重々含めて、清水方にはお帰り願った、仔細は後でいい」
栄西は、くすっと笑い、先頭に立ち歩き出した。
長明は残った。
「もう少し祇園の神と話をする。寺はあまり好きになれない」
「法華経は一応読むが、あれは飾りだ」
「何しろ禰宜だからな」
長明は、含み笑いをする。
その笑いを見て、明運は笑う。栄西も笑っている。
再び楼門を通り石段をおりる。
叡山の山法師たちは見えるものの、清水方はいない。
とりあえず、不測の事態は避けられたようである。
明運は、胸をなでおろした。
明風は何事もなかったように、相変わらず嬉々として歩いていく。
祇園の街は、いつもと同じ賑わいを見せている。
その賑わいも明風にとっては、初めて見るものである。
明風は、かなり面白いのか、あちこちを見回しながら歩く。
明運は、そんな明風が面白くて仕方がない。
何しろ明風は笑顔こそ可愛らしいものの、堅物である。
話題も仏道に関することがほとんどである。
もっとも、それ以外をほとんど教えていない明運にも原因がある。
「またか・・・」
建仁寺が近くなるにつれ、再び明風の身体が光り出した。
明風は身体を光らせながら、栄西を見つめ歩いていく。
祇園の街は見なくなった。
「何かを感じ取っている」
明風の身体から発する光が、ますます強くなる。
明運は明風の発する光の質が変わったことを把握した。
と、同時に明風の声が耳に飛び込んできた。
「明運様」
声を発さない言葉である。
明運は、明風がその「力」を使うことは知らなかった。
人を笑顔で癒す力、何かを見通す力、身体から清冽清浄な光を発する力は把握している。
それだけでも、常人ではありえないことである。
その上、八瀬の中でも限られた者が使う「声を発さない言葉」を使うとは・・・
いつ、そんな「力」を身につけたのか、明運は舌を巻いた。
「聞こえますか」
明風は再び声をかけてきた。
「うん」
多少動揺しながら明運は応えた。
「栄西様が持っておられるのは、誰か偉い人が栄西様に託したお手紙です」
「菊の花の紋が見えました」
明風は驚くべきことを言った。
明運の身体が震えた。
しかし、明風からの言葉はそこまでだった。
栄西と明風は何事もなかったように建仁寺への歩みを進めていく。
栄西に案内された明風と明運はついに、建仁寺に着いた。
さすが鎌倉将軍源頼家の寄進によるもの、様々な堂宇が力強い風格を見せている。
しかし、先を案内する栄西は説明の一言すら明風にはしない。
ただ、ひたすら前に進むと、こけら葺きの方丈が見えてきた。
明風は未だ見たことのない方丈の大きさに眼を丸くしている。
栄西は方丈を過ぎ、小さな僧房に明運と明風を招き入れた。
「方丈よりは、このほうが落ち着くのさ」
ほとんど無言であった栄西が、初めて言葉を発した。
僧侶の中では最高の部類に入る栄西であるが、ざっくばらんな言い方である。
「いや、助かった」
明運は、本音である。
あそこで栄西が現れなければと思うと、背筋が寒くなる。
「いや、そこまで思うことはないな、あそこは、この栄西の出番さ」
「たまには、明運殿の役に立つこともさせて欲しいな」
「少なくとも、明運殿は何も間違ったことはしていないのだから、心配するな」
「それに・・・」
栄西は明風を見て、目を細めた。
「こんな生き仏様、生き神様が、この栄西の所へ来る途中、目と鼻の先で騒動に巻き込まれるとか、災難に遭われたら栄西とて、情けない限りだ」
「そもそもな、お互いに面子争いをしすぎるのさ、それもくだらん」
「面子のために仏道があるのか、面子のために修行をするのか」
「そもそも面子のために修行があるのではない、衆生を救うために仏道があるのさ」
「取り違えてはいかんな」
栄西は、そう言い終えて厳しいような哀しいような顔になる。
「そうだな、仏道栄えて、衆生が滅びては意味が無い」
明運も全く同感である。
「あの荘園がどうとか、取った取られたとか、そんなことで下らぬ争いをして、お互いに堂宇を壊しあい、人を死傷しあう。おまけに無関係な衆生まで巻き込むときがある」
「そんなことを、何故仏門が行っているのか」
栄西は、哀しそうに首を横にふる。
「いや・・・申し訳ない」
明運は、その哀しみの中に自らの出自叡山が含まれていることに恥じ入る。
致し方ない場合もあるが、本来の仏道とは程遠い。
苦しむ人を救い出すべき仏門が、下らぬ面子争いと利欲の手下である。
本来、模範たるべき仏門が、これでは修羅のような振る舞いである。
「まあ、あまり考えるな、少し言い過ぎた」
栄西は、下を向く明運の肩をたたいた。
「明運殿がいるから、なんとか叡山も歯止めが効いているのさ」
「叡山を降りたからと言って、いつかは戻らなければいけない」
「叡山の中の僧侶はもちろん、この栄西もそう思っている」
「法然殿も逢うたびに、叡山を降りたことを怒っているぞ」
栄西は明運の肩を抱く。
「懐かしい修行仲間ではないか、この栄西だって叡山を降りたし少しは責任もあるのさ」
「この栄西に気兼ねするな」
栄西は、そう言って初めて笑った。
栄西は、明運の負い目を見抜いていた。
「自分が迎えにきたことで、負い目を感じているのではないか」
下を向く明運の心を、そう捉えた。
「まあ、気にするな、人は持ちつ持たれつ」
栄西は、にっこりと笑う。
明運もつられてにっこり笑う。
「そんなことより、始めようか、法然殿と同じで要点のみとなるが」
栄西は、明風に一度手を合わせる。そして明運に促した。
「そうだな」
明運は、頷いた。
明風に座禅を促し、明運自身は、僧房の外に出た。
禅に関しては、栄西の右に出る者はいない。
警護を行うためと、明風への「教育」を栄西に任せたのである。
既に座禅の準備はされてあった。
明風は、右足を左ももの上にのせ、左足を右ももの上にのせる結跏趺坐の形をとる。
背骨をピンと伸ばしあごを引き、口を軽く結び、 体を前後左右に揺り動かし止めた。
両手の平は上に向き、右手を下、左手を上にして重ね、両手の親指の先端 がかすかに触れる程度に軽く支え、法界定印を結んでいる。
そして、まっすぐ前方を見て、呼吸を整えた。
「ふう・・・教えることはないな、さすが明運だ」
栄西は、明風の座り方に感心する。そして明運の指導の確かさを認める。
栄西は、その眼を半開きにして座り続ける明風をずっと見ていた。




